I'm on my way

「リンデンの樹は挿し木で増やせるんだよ。

 語感が好きってのもあるんだけど、リンデンで幸せなひとときを過ごせた人が、その幸せな気持ちを広めてくれたらなって思ってつけたんだ」

  

 いつものふわりとした笑顔でそんなことを言いながら、カレーを大盛りにした皿を俺と沙羅に出すアズマの夢を見て目を覚ます。

 懐かしい夢を見たな…アズマが買い出しの途中で突っ込んできた車に跳ねられてから1年…。足は遠のいたのに、リンデンと沙羅のことばかり夢に見る。

 あの日、「リンデンをずっと守っていきたい」とキラキラした瞳で言っていた頃の沙羅の姿は、今は見る影もないのに…。


 受験で忙しくて足が遠のいたリンデンに、気が向いて久しぶりに顔を出したのが3日前。

 アズマの一周忌にも姿を見せなかった彼女はやつれ、目は妙にギラツキやたらイライラしているように見えた。

 食事の味は変わらない。でも雰囲気は全然違っていた。

 ポツポツといる子供は終始聞こえる怒鳴り声に反応せずに暗い顔をしてご飯を掻き込むように食べるとさっさと立ち去り、罵倒をする沙羅に唯一の女性スタッフは萎縮している。

 そんな最低と言っても過言ではない雰囲気の中で食べる食事とコーヒーは、味こそ変わらないものの俺が知っているリンデンのものではない。そう思えた。

 

「や、やっと店を再建できたんだ。

 な、なに近くに子供食堂やら、ショ、ショッピングモールが出来てもアズマのリンデンなら生き残れるさ」


 会計をしながらそういった沙羅の声も手も震えていたのだけが、3日たった今も頭の中から離れないでいる。

 一度無くなりそうになったリンデンは、土地や店の権利諸々はアズマの親族のままでいいこと、必要最低限の経費以外はアズマの親の口座に振り込むこと、この2つの条件で存続することが決まった。

 買い出しにいた先でフルアクセルで突っ込んで来た乗用車に撥ねられてアズマが死んでしまってから、親戚連中が店の処遇をどうするか話し合っていた時、その場にいた沙羅が土下座をして「迷惑はかけないから店を続けさせてくれ」と頼み込んだらしいのだ。


 アズマのことを轢いた犯人のことは何も教えてもらえなかった代わりに、俺はあいつの親から「多分私達からじゃ受け取ってもらえないから、あの子が落ち着いたら葵くんからわたしてあげてくれないかしら」という言葉と共に何かが入った封筒を渡された。

 なんとなくアズマがいないことを実感したくないからと、その封筒を机の奥に仕舞い込んで、受験を言い訳にしてリンデンから足を遠ざけていた。

 それでも久々に行ってみると、変わってしまった沙羅の姿を思い出して内臓の内側がぎゅうっと締め付けられるように痛む。

 換気でもすれば少しは落ちた気分もマシになるかな…そんなことを考えて窓辺へと近寄ったときだった。

 タンクトップのヤケにいかつい男が目に入って、沙羅が殴られたあの日のことを思い出す。

 殴られて髪を掴まれて引きずられても腹を蹴り上げられても涙のひと粒もこぼさなかったくせに、リンデンで働かせてと頼み込んだ時、アズマに頭を撫でられただけで幼女のように大泣きしたときのことを…。


 やっと、このままじゃダメだと気が付いた。

 机の奥をかき回して探し出した封筒を持って、深夜に差し掛かろうとしているにもかかわらず階段を降りて家を飛び出す。

 見ないようにしてたし、見ないふりをしようとしてた。店があるからあいつは大丈夫だってそう思い込もうとしてた。

 時間が経って俺も沙羅も落ち着いたら、ちゃんと頼まれたことをしようってそんな呑気なことを思ってた。

 でも、俺が大丈夫じゃないように、沙羅も大丈夫なはずはなかったんだ。

 アズマが死んだって聞いても、沙羅は俯いて下唇を強く噛むだけで涙を流さなかった。泣いてないから平気だとか、限界が来てないなんて思った自分が馬鹿だったと後悔する。

 彼女は、一人じゃ泣くこともできないくらい不器用で、とてつもなくやせ我慢が得意なんだということをやっと思い出した俺は、何事だと驚いて声をかけてきた親を無視して、自転車にまたがって全力でリンデンへと向かう。

 

「沙羅っ」


 閉店という札が掛けられていた薄暗い店内から、大きな音が聞こえてくる。

 自転車を投げるように置いて慌てて中に入ると、激昂した沙羅がスタッフの足元にグラスを投げつけていたところだった。

 怯えた顔をしたスタッフの女の人と、彼女を殴ろうと腕を振り上げた沙羅の間に慌てて割って入ると、沙羅の拳が俺の肩に振り下ろされる。


「ごめん、俺こいつと話があるんでちょっと席を外してもらっていいかな」


「あの…わたしもう辞めるんで…さよなら」


「ああ!出て行け!アズマのリンデンを守れないヤツなんてこの店にはいらねぇんだよ」


 沙羅の拳が当たった部分に残る鈍い痛みを耐えて、なるべく笑顔を作って話しかけるも、すっかり萎縮したスタッフの女の人は俺が肩を触ると身体をビクッと竦ませる有様だった。

 逃げるように店を出ていくスタッフの女の人に罵倒と手に掴んだおしぼりを投げつけた沙羅は、次の標的はこいつだと言わんばかりの表情を浮かべて血走った目で俺のことを睨みつけてきた。


「らしくないだろ…。どうしたんだよ」


「私の何を知ってるんだよ!?アズマの残したリンデンを守るためにはこれくらいしないといけねーんだよ」


 俺の胸ぐらに掴みかかってきた沙羅は今にも殴りかかってきそうな勢いで怒鳴りつけてきた。

 そんな沙羅の態度に苛ついた俺は彼女の手を掴んで振り払いながら、目の前のテーブルにバンと音がするくらい強めに手をつく。


「わっかんねーよ。スタッフのこと殴ってどう変わるんだよ?そんなことまでしてこの場所と料理の味に拘る必要ないだろ…。キャパが足りないならもっと場所を狭いところにするとか…」


「親もまともで友達もたくさんいたお前にはわからないだろうけどさ…居場所がない私みたいな子供にとって飢えを凌げるってのはすごい大切なことなんだよ。私が店をやめたらここに来てたやつらはどこにいけばいいんだ?変わらずにここを守っていく、それが死んだあいつに出来る唯一のことなんだよ」


「変わらずに?ここで飯を食べるガキどもの顔、ちゃんと見てんのか?」


 俺の話を遮るようにして、捲し立てるように話し続けていた沙羅は子供の表情の話になると言葉を詰まらせる。

 怒りに支配されて今にも飛びかかってきそうなくらい真っ直ぐに見つめてきていた彼女の瞳が、一瞬だけ動揺したように左右に泳いだのを俺は見逃さなかった。


「うるさいうるさいうるさい!私は…私はあの人の代わりにこの店を残すんだ!今はうまくいかなくても軌道に乗りさえすればなんとかなる!だから今は仕方ないんだよ」


 動揺を誤魔化すよに沙羅は声を張り上げながら、俺のことを軽く突き飛ばした。


「アズマがそんなふうに教えたのかよ?何が大切なのか思い出せよ!

 リンデンで幸せなひとときを過ごせた人が、その幸せな気持ちを広めてくれたらって…そう言ってたじゃんか…。お前はこの店で客を幸せにできてるって思ってんのか?」


 突き飛ばされてムッとしてアズマの名前を出したら、俺もなんだか感極まってきて声が思わず涙ぐむ。

 なんでこうなったんだよ…。あのタイミングで死ぬなんて最悪だろ…。そんなどうしようもないことまで頭に浮かんできて涙が勝手に溢れてくる。


「それは…その…」


 目から怒りが消えてハッと何かに気が付いたような表情を浮かべた後、口ごもったまま俯いた沙羅に、ポケットに雑に突っ込んで持ってきた封筒を差し出した。


「…これ。アズマの両親おやから預かってた。

 私達からじゃきっと受け取らないから俺がお前に渡せって」


 封筒を開いた沙羅は少しボロっちい通帳を不思議そうに眺めると、恐る恐る通帳の一ページ目を捲る。


「私の…通帳…」


 何かを確かめるように一ページ、また一ページと最初よりも素早く通帳を確認した沙羅は、床にへたりこんだ。

 通帳を抱きしめながら目からポロポロと大粒の涙を流した彼女はアズマに頭を撫でられたあの時のように嗚咽を漏らして泣き始める。


「こんなの…受け取れるわけない…」


「んなこと言ってる場合かよ…」


 震える手で差し出してきた通帳を沙羅に突き返して、俺は彼女の隣に屈み込んだ。


「…ダメなことしてたのなんでわかってた。わかってたんだよ本当は。

 うまくいかなくてイライラして、お客さんが減って…でもどうしてもダメで…お金もどんどん足りなくなって…でも…こんなの」


「一人で平気みたいな顔してんじゃねえよ…気付かねえよ…。

 気付かなきゃ助けられねえだろうが…。俺もアズマの親もお前にまで死んでほしくないんだよ…」


「…ははっ。逆ギレかよ…クソ…」


 嗚咽を漏らしながらも、俺の言葉にそう言って少し笑顔を浮かべた。

 アズマが死んでから初めての笑顔はすぐに消えて、くしゃくしゃになった沙羅の顔から次から次へと涙が溢れる。


「アズマ…」


 沙羅はそう言って通帳をもう一度強く抱きしめた。



※※※


「…限界が来たり、失敗してダメだと思ったらいつでも連絡しろよ」


 リンデンはあの場所に今はない。

 その代わり、俺の目の前にはスーツに身を包んだ元気そうな表情の沙羅の姿があった。

 沙羅は、経営に限界が来ていた店を畳み、アズマの両親に頭を下げに行ったときいた。

 アズマの親からも彼が残した彼女への貯金を彼女自信のために使うことを快諾された沙羅は、今日料理と経営を学ぶためにこの街から出ていく。


「できればしたくない。

 けど失敗なんて怖くない…お前がいればそう思える気がするよ」


 吹き込んできた風になびく髪を手で押さえながら彼女は笑った。

 なにか言葉を返そうとしている間に新幹線のドアは閉まって、手を振って遠ざかっていく沙羅に俺も大きく手を振り返した。

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