あの日の僕と今のキミに

小紫-こむらさきー

Just go your way

「こんな世界自分しか信じられないって君は言うけど…そんな捨てたもんじゃないだろ?」


 そう言って頬杖をついたアズマは、俺の隣でカレーを掻き込むように食べている痩せぎすでヨレヨレのくだびれた制服を着た少女を見つめてそういった。

 服の袖を自分から出た鼻血で真っ赤に染めた少女は「ごちそうさま」とぶっきらぼうにいうとそのまま店を駆け足で出ていく。

 金…と言おうと思って彼女を追いかけようとするした。けど優しい顔のアズマに腕を掴まれ、それをやめる。

 首を左右に振って笑うアズマに、納得出来ないまま俺は席に座って自分の皿に残るカレーを口に運んだ。


 その日から、沙羅はリンデンによく顔をだすようになった。

 リンデン…ってのは俺の叔父でもあるアズマがオーナーでもあり、店長を勤めているあまり流行ってない喫茶店だ。

 共働きで忙しい両親の代わりに俺に飯を食わせてくれて、夜遅くまで面倒を見てくれる俺の第二の実家って勝手に思ってる。

 事情があって夕飯にありつけないことが多い子供にも駄菓子みたいな値段で飯をよく食わせてくれたから、夕方は近所の子供たちのたまり場のようにもなっていた。


「なぁ、そんな壁ばっか見てて楽しいか?壁を見るのが趣味なら邪魔しないけどさ」


 食べ物を流し込むように掻き込んだあと、居心地が悪そうな顔をしてじっと部屋の隅で壁を見ている沙羅が気になっていた。

 なんとなく気になって彼女に話しかけると、沙羅は一瞬身体を強張らせて、最小限の動きでこちらへ視線を向ける。


「いや…お前マンガとか読まないのかなって気になっただけなんだけどさ」


 怯えた野良猫みたいな瞳に少し怯みつつ、手に持ってるマンガを見せながら沙羅に更に言葉をかける。

 周りにいるやつらまでシン…となって息を呑むように見守っているのは、評判の悪いわけのわからない不気味な女が何をするのか気になってるからだろうか。


「い、いいの?怒られない?」


「自由に読めよ。俺たちも好きに読んでるし、アズマは怒らねぇよ」


 アズマと話す時以外は、学校で見かけたときもここにいるときも常に眉間にシワを寄せてる彼女の顔がパァっとヒマワリの花が咲いたように明るいものに変わった。

 沙羅が、恐る恐るというような足取りで本棚の前に行くのを俺たちは息を呑んで見守る。

 しかし、どれを取っていいのかわからないというような感じで眉尻を下げて泣きそうな顔をしている沙羅にこっちまでハラハラし始める。


「これ、面白いから読めよ。

 俺はこっち読むからさ」

 

 ハラハラに耐えられなくなって、本の前で立ち尽くしてる沙羅に自分の持っていたマンガを手渡す。

 すると、小さな声で沙羅が「ありがと」と言って笑った。

 そのまま後についてきて、俺の隣に沙羅が腰を下ろしたそのタイミングで俺たち子供がいる部屋と喫茶エリアとをわける扉が開かれて笑顔のアズマが顔を見せる。


「ピークも過ぎたし、おやつでも…ってあれ?沙羅…友達出来たんだな…よかったよかった」


「そ…そういうんじゃないから!」


 アズマの言葉に、沙羅は怒ったような、照れたような顔をして慌てて手を前に出して左右に振った。

 なんとなく張り詰めていた場も、沙羅が纏っていた刺々しい雰囲気も和らいだのか、いつもどおりの喧騒が部屋の中に訪れる。

 照れ隠しなのか、マンガで顔を隠すようにしながら小さく縮まるようにする沙羅を見てアズマは微笑みながらまた厨房へと戻っていった。


 それから徐々に、沙羅は俺とも、店に来る他の奴らとも話をするようになった。

 彼女の口の端が時々切れていたり、目に青々とした傷があるのは見ないふりをして俺たちは沙羅と毎日話して、時々俺たちが持ってきたゲームを一緒にしたり楽しい毎日だった。

 楽しくて、それがずっと続くと思っていた俺たちの日々は、急に怒鳴り込んできたやたらいかついタンクトップをだらしなく着た男の手によってあっけなく破壊された。

 店に怒鳴り込んできた男は、他のお客さんを軽く蹴飛ばし、男を止めようとした中年の女性スタッフを突き飛ばして一直線にこっちに向かってくる。

 物凄い形相をして額に青筋を立てたその男は、俺達の目の前に来るなり思い切り丸太くらいありそうな腕を振り下ろした。

 その腕の先には沙羅がいた。


「沙羅ぁ!毎日毎日いねえと思ったらどこにいたんだ!父親の俺の目を盗んでこんなところで男に媚を売るならなあ!オレがいい仕事紹介してやるからよぉ」

 

 その場にしゃがみこんだ彼女の髪の毛をひっぱって店の外に出ようとした男にカッとして頭に血が上る。


「待てよおっさん!やめろよ」


 男の頭目掛けておしぼりを投げた俺を見て、他のやつらが小さな悲鳴を漏らす。

 ぐるりと首だけ向けて俺の方を見た男の顔があまりにも怖くて俺も逃げ出しそうなくらい怖いけど、それを耐えて沙羅を離せ!って口を開こうとした時、急に立ち上がった沙羅の身体が俺の方に吹き飛んできて、沙羅の身体に押されて俺は尻餅をついた。

 顔を伏せて無言でいる沙羅がお腹を抑えていて、男の片足が前に出ているのを見てやっと蹴られそうだった俺の代わりに沙羅が蹴られたということがわかる。

 

「この野郎」


 全力で叫んで飛び出しそうになる俺を友達が三人がかりで止める。ふざけんな離せよ!と俺を無視して沙羅の綺麗な赤っぽい髪をひっぱる男を追いかけるために友達を振り切ろうと力を込めた。

 右腕を抑えていたやつをなんとか振りほどき、とりあえずつかめたコップを投げようと手にとったところで、警官を連れたアズマが男の目の前に立ったのが見える。

 見たこともないくらい真剣な…というか怒った顔をしていた。

 俺たちはそのまま家に帰されて、その後どうなったのかはわからない。


 沙羅がアズマの店を手伝いたいって言ったのは、タンクトップの男が殴り込んできた翌年のことだ。

 手に卒業証書の筒を持って制服を着ているという、卒業式の帰りにそのまま来たような格好の彼女は、思いつめたような必死な顔をしてたのをよく覚えている。

 いつものようにアズマから出された特製カレーに手を付けず、沙羅はアズマに急に土下座をしたのでアズマも、たまたまその場にいた俺も驚いて言葉を失う。


「どうかここに置いてください!私にはなにも出来ないけど…働くことは出来るから」


 土下座をしたままそう大声で叫ぶように言って動かない沙羅に、アズマは近づくと彼女の肩に手を置いた。


「もう大丈夫だから…。ちゃんと僕たちが話をつけてあるから…ね?」


 アズマに頭を撫でられた沙羅は、途端に涙をポロポロとこぼし始める。

 店に来たタンクトップの男に殴られても、思い切り腹を蹴り上げられても小さなうめき声しか出さなかった沙羅が、幼稚園児みたいに大きな声を出して泣いていた。

 強くて綺麗で完璧だった沙羅がアズマにすがりつきながら嗚咽を漏らす様子は、彼女が同年代の一つしか年齢の変わらない少女だと、やっと俺に気が付かせてくれた。


※※※

 あれから2年。俺は無事進学校に進学をして、沙羅はアズマの代わりに店で料理することも増えた。

 相変わらずリンデンには通っていたが、もう子供でもないし、小中学生の中にいるのもなんなので…とカウンターに座る。


「アズマはさ、小汚い格好して腹を空かしてる私に温かい飯をくれて、頭を撫でてくれたんだ。

 だから、私はアズマとリンデンをずっと守っていきたい」


 沙羅は持ってきたカレーを俺の前に置きながらキラキラした目をして、そんなことを話してくれた。


「じゃあ、がんばらないとな」


「アズマのためならいくらでもがんばれる気がしちゃうんだよなー。

 ところで葵、今度あいつの誕生日プレゼント買いに行きたいから選ぶの付き合えよ」


 からかうようにそういうと、沙羅は急に思い出したようにそう言って俺の肩を軽く叩いてくる。


「なんで俺が…」


「アズマの甥だろ?…その…好みとか知ってそうだし」


「あー。もしかして…アズマのこと好き?なんていうか、異性として?」

 

「そ、そんなんじゃねぇよ。とにかく予定空いてる日メールしておいてくれ」


 冗談っぽく探りをいれてみた効果はばつぐんで、図星だったのか顔を耳まで真っ赤にした沙羅は、さっきまでダラダラ話していたにもかかわらず話を切り上げて足早に厨房の方へと戻っていった。

 沙羅の姿が完全に見えなくなってから、俺は机に突っ伏して溜息をついた。

 失恋だ。最悪のタイプの告白さえ許されない感じの失恋だ。まじか…とへこみつつも、沙羅にもアズマにも心配されるわけにはいかないので姿勢を正す。

 でもまぁ、アズマはアラフォーだけど若く見えてかっこいいし、タンクトップ男が来たときも相手を怒らせるだけだった俺と違って警察と一緒に助けに来たし、仕方ないよなーと無理やり自分を納得させようと心を整理しながら俺はカレーを自分の方に引き寄せた。

 内臓の内側がぎゅっとする気持ちをカレーを流し込むように飲んで誤魔化して俺は参考書を開いて気持ちを紛らわせる作戦に切り替える。

 そういえば、もう夕方になりそうなのにアズマの姿が見えない…と気が付いて、カレー皿を回収しに来た沙羅に声を掛ける。 


「アズマって買い出しに出てるんだっけ?」


「うん。

 いつもならもう戻ってるはずなんだけど…」


 俺たちの平凡な日常はいつだって急に壊される。

 その日からずっと、アズマがリンデンに戻ってくることは無かった。

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