第5話 不死身からの脱却

「トレモが引退する!?」


 その噂は瞬く間に闘技場内に広まった。トレモは長らく闘技場で活躍した古参の戦士であり、今在籍している選手の全員が彼と戦い、ほとんど返り討ちに遭っている。もちろん過去に彼が命を落とした試合もあるだろうが、それを記憶している選手が今はいない。


 闘技場の選手は互いに殺し合う敵とはいえ、同じ空間に住み働く同僚でもある。選手の引退は敵が減る安堵感と、同時に仲間を失うような不思議な喪失感があった。


「あんたほどの男が…いや、強敵がいなくなる分には嬉しいんだが、なぜ?」

「理解に苦しむ。この勝率ならもっと稼げるだろうに」

「勝ち逃げする気か? ふざけるな。俺はまだお前を一度もやれてない」


 試合外の待機時間を縫うように、様々な選手がトレモを問い詰める。彼は苦笑いを浮かべつつも引退を否定しなかった。


「悪いな。この土地から離れる理由ができた」


 ずっと戦い続けてきた男は、観客の一人である女性と恋に落ちた。戦いの年季の長さだけ他の世界を知らなかっただけに、その出会いは戦いを上回る衝撃に満ちていたようだった。


「それが戦いに代わるお前の新しい幸せか?」

「俺の戦いは続く。なあに、命の取り合いならここで慣れた」


 ほぼ不敗で通った闘技場の覇者の引退。その強さは外の世界でも通用するだろう。新たな門出を素直に祝福する者。あるいは妬む者。選手たちは少なからずトレモに何かしらの思いを募らせる。


「最後の確認だ。ここを出た瞬間、お前の肉体は不死の呪いから解放される。人間としての生を取り戻し、動き出した時間はやがて死を運び入れる。本当にいいのか?」

「いいんだ。これで殺し殺される毎日からやっと抜け出せる」


 思わぬ本音が出る。この異常な空間である闘技場から抜け出す理由をどこか探していて、たまたま恋人ができた事で決断に至った。そう思うとトレモは、最後の心残りが消えたような気がした。


「トレモ!」

「お待たせ。行こうか」


 出口で待っていた彼女の手を取り、トレモは闘技場の門を出た。


「せいぜい長生きしろよ!」


 慌てて見送りに走ってきた男が叫ぶと、トレモは後ろ手を振った。勢いあまった男の体を魔術師がとっさに抑える。


「おっと、これ以上体が出ると呪いが解けるぞ。お前も引退する気か?」

「しねえよ。今はまだ…」


 トレモの背中をいつまでも見届ける。いつか自分も闘技場を出る日がくるだろう。だがその時がいつになるのか、その答えを見つける為にあと何日戦わなければならないのか、男はふとそんな事を考えた。

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