第2話 Snow memory

 キーンと高い耳鳴りのような音で私は浅い眠りから醒める。


 パチパチと目を瞬かせから周囲を見ると窓の外からは淡いブルーの空と白い雲海が見えた。


 ここは飛行機の中。

 地面から遥か離れた空の上だ。


 私は学校すっぽかして地元から遠く離れた北海道へ向かっていた。


 理由は聞かれるまでもない。

 桜を探すためだ。


 あの日、私が桜にキスをし拒絶されてからすでに数ヶ月が経っている。


 私を突き飛ばした彼女はそのまま家にも帰らず、学校の友人や両親、そして私の前から忽然と姿を消した。


 早々に警察に捜索願いが出されたが年頃の少女によくある家出だと思われているのか、

未だ有力な手がかりはない。


 そんな中で私は親にすら黙って一人、チケットを取って北海道へ向かう飛行機に乗っている。


 そうさせたのは一枚の写真のおかげだ。


 飛行機が新千歳空港に着陸し、空港から出るとスマホを使って目的地までの公共交通機関を探し、少しでも近くに行けるようにタクシーに乗車する。


 すっかり季節は冬で、北海道の街はクリスマスのイルミネーションに彩られている。


 視線を外し、私は胸ポケットに入れた一枚の写真を取り出す。


 そこには満開の一本桜をバックに笑顔の彼女が写っていたが、写真の半分が意図的にちぎられており、一緒に写っているらしき人物が誰かわからなくなっていた。


 彼女が消えた後、私が両親の許可を得て部屋を見せてもらった時に見つけたものだ。


 この写真を見た時、これは桜が私に残した手がかりだと確信した。


 自分でも何故写真が手がかりになると思ったのかわからない。


 ただその写真を見た時、私の記憶の中にほんの些細な引っかかりが生まれたのだ。


 つまるところ直感であったが、この判断は正しかった。


 場所を特定するためにSNSを使って情報を募ると、写真の場所が北海道のとある公園内にある一本桜ではないかという情報を手に入れたのだ。


 そして私はここに来た。

 そこまでの価値があると思った。


「お客さん、大丈夫かい? 随分疲れてるようだけど?」


 信号待ちの間、初老の運転手の心配そうな視線がバックミラー越しに向けられていた。

 私は「大丈夫です、ありがとうございます」と無理やり笑って見せてから目を閉じる。


 桜が消えてから私は他人に触れてもなんの夢を見ることもできなくなった。


 以来、私は自身のアイデンティティが崩れるような恐怖感に苛まれている。


 ここ最近では精神的疲労でゆっくり眠ることができず、体を活動させる最低限の眠りをする程度しかできなくなってしまった。


 多分、桜の夢でないと満足できない体になってしまったのだろう。


 彼女といると他人の夢を喰わなくても幸せだった。


 まるであるべきものがそこにあるように、彼女の存在は私の心の穴にぴったりと嵌った。


 だが桜はいなくなった。

 理由はわからないが彼女が消えたのには私にも責任の一端があるように思える。


 それに最後に見た彼女の涙と言葉の意味が知りたかった。


 車窓の風景はあっという間に光に彩られた街から離れ、真っ白な雪景色に変わっている。

 すっかり日が落ちて真っ暗になった道をタクシーのライトが照らす。


 そこからはただひたすらにタクシーに揺られながら覚醒と居眠りのような浅い眠りを繰り返した。


 なので目的地への到着は予想していたよりも早く感じられた。

 福沢諭吉を何人か置いて車外へ出る。


 運転手には「こんななにもない場所で降ろして大丈夫なのかい?」と心配されたが、最終的には「親戚に迎えに来てもらう」と嘘をついて一人にしてもらった。


 あとに残ったのはしんしんと降り続ける雪と肌を刺すような寒さだ。


 私は持ってきたライトで周囲を照らしながら歩き出す。

 公園は営業期間外で封鎖されていたが、なんとか隙間を見つけて侵入した。


 手元のライトの明かりだけを頼りに暗闇の中を進む。


 自分で踏み入っておきながら暗闇に一人取り残されていることに泣きそうになったが、ふと足元を照らしてみてまっさらな雪の上に人間の足跡が続いていることに気づいた。


 彼女が近い。


 そう確信すると恐怖心はすっかりと鳴りを潜め、自身を勇気づけるようにその足跡を力強く踏みつけていく。


 そして雪の中を歩く不自由さに息も上がってきた頃、それは突然目の前に現れる。


 最初はライトに照らし出されたそれは大きく腕を広げた怪物のように見えた。


 だがよく見てみると雪が積もっているもののそれが大きな一本の桜の木であることがわかった。


 こんな大きさのものがポツンと残されていることに私は無言で立ち尽くす。


 端的に言うなら圧倒され感動していたのだ。


 その時、ギュッと雪を踏みしめる音が聴こえて私はライトを向けた。

 照らし出されたシルエットに私は呟く。


「桜…………」

「久しぶり、冬美」


 コートに身を包んだ桜は木に寄り添うようにしてこちらを見つめる。


 その視線や口調からはいままでの初心な感じとはかけ離れてどこか大人びた感じがした。


 私は再会の喜びと戸惑いに心をないまぜにされながら、その場に立ち尽くす。


 なぜいなくなったのか。

 いままでどこにいたのか。

 なにを思ってここにいるのか。


 言いたいことはたくさんあったのに会ってみると何から言えばいいのかわからなかった。


 だから彼女に歩みだすという行動から始めた。


「私を探しに来てくれたの? ここに辿りつくなんてやっぱり私とあなたは運命の糸で結ばれてるのかしら?」


 独り言のように桜は呟く。


 雪のせいか、いつもよりも柔らかく優しく聞こえる。

 あと一歩踏み出せば密着できる距離で立ち止まって私は口を開く。


「桜……あのさ、伝えなくちゃいけないことがあるんだ」


 いざ口に出してみようと思うと少し照れるが言わなければなにも始まらない。


 私は覚悟を決めた。


「私は桜が好きなんだ。だから仲直りがしたいんだ」


 ひと思いに告げた言葉。

 彼女は目を細める。


「わかった。じゃあ仲直りしましょう」


 そう言って彼女は寒さで赤くなった右手を差し出した。


「手を握って」


 短い言葉と目の前に差し出された手に私は一瞬躊躇する。


 ここまで来て私は怖気付いていたのだ。

 そんな反応を見て桜が薄く笑う。


「怯えなくても大丈夫。仲直りしたいんでしょ? それに知りたくない? 私がなぜいなくなったのか」


 桜はただ私を試すように問いかける。


 その表情はこちらの感情を全て見透かしているようにも見えた。

 私は軽く深呼吸をしてから自分の右手で彼女の手を握り返す。


 そして瞬間、私は知った。


 この世界と私と桜の真実を。

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