第3話 Ghost of a smile
私が桜と出会ったのは、高校に入ってすぐの頃だった。
席は隣同士だったが、最初が言葉もかわすこともなく挨拶もしない。そんな仲。
けどふとしたことで話すようになって、そこからはあっという間に打ち解けて付き合うようになった。
彼女といるのは心地良かった。
私の知らないことを教えてくれるし、一人では見ることのできなかった新しい視点をくれる。
自分が持っていないものを彼女は持っていて、彼女も自分が持ち得ないもの私の中に見出していた。
端的に言うならそれは依存だったが、私は誰がなんと言おうとこの関係を手放すつもりはなかった。
しかし世界の不条理はそれを許すことはなかった。
最初の異変はヨーロッパの島の火山が噴火し、そこから巨大な翼を持った生き物が現れたことだ。
生物というにはあまりにも規格外の大きさを持ったそいつは、火口から溢れるマグマを踏みつけて翼をしならせ空を飛んだ。
その姿を見た時、私はあまりの現実感のなさに美しさを覚えた。
同時に最初は遠く国で起こった出来事だとも。
「外国の人、多くなったね」
放課後。
肩を並べて歩く桜が呟く。
視線の先には公園に身を寄せあって暮らす外国人の姿がある。
謎の巨大生物がもたらす被害は難民となった外国人たちの異常流入という形で私と桜の日常にも侵食した。
その頃には鳥のような巨大生物は国連によって「トリ」と呼ばれ、人間の生存を脅かす敵として認識されていた。
なぜ「トリ」なんていうひねりのない呼称をつけたのか。
多分、その畏怖に満ちた姿を過小評価したかったのだろう。
でも、トリは自分の力を誇示するように世界を飛び回り、その度に何百万人もの行方不明者が出た。
もちろん人間もやられっぱなしというわけではなく、アメリカを筆頭にした国がトリにさまざまな攻撃を仕掛けた。
しかし戦車の砲弾も。
イージス艦から放たれるミサイルも。
飛行機から落とされる爆弾も。
トリの前では無意味だった。
果ては自国の核を爆発させて心中しようとした国もあったが、トリは悠々自適に空を飛んだ。
世界に終末をもたらす不死鳥はその力を持って大地に死を振りまいた。
「世界って、こんな簡単に終わっちゃうんだね」
夕日の射す屋上で立ちのぼる黒煙を見ながら呟いた桜の言葉は今でも私の耳にこびりついている。
なだれ込み続ける難民によって暴動が多発し、日本は無政府状態に陥っていた。
それでも私たちは学校の制服を着ていた。それが私たちに日常という平穏があった証だから。
しかしそれももうすぐ終わる。
夕日の中に小さな影が見えた。
それがグングン大きくなって、最後には視界全体を覆い尽くすのではないかと思うほどになっていく。
トリがこの地に死を振りまこうとしている。
私は桜の手を固く握った。
「私がずっとそばにいるから」
彼女と視線が交錯し、私たちは頷き合う。
だが次の瞬間には巻き上げられた砂塵とそれを運ぶ暴風が全身に叩きつけた。
互いに好きな人と手を繋ぎ、私と桜の命はそこで終わるはずだった。
だけど次に目を開けた時に私が見たのは胸に刺さった鉄パイプと広がる赤い染み、そして傍で泣きじゃくる桜の姿だ。
「ずっとそばにいるからって言ったのに……嘘付き」
嘘付き嘘付き嘘つき嘘つき嘘つき嘘ツキウソツキウソツキ…………。
呪詛のような桜の言葉は消えていく私の魂に延々とこだまし続けた。
―――――
「ッ! ハァ、ハァハァ……いまのは…………」
そこまで情報が一気に流れ込んできてから、私は雪に手をついて荒い息をする。
動悸が収まらない。
雪降る極寒の大地にいるはずなのに滝のような汗が流れた。
「思い出した? これが真実。世界はとうの昔に終わってたの。そしてこの幻想ももうすぐ終わる」
桜は名前とは不釣り合いな冷ややかさで、だがどこか悲しそうに告げる。
「どういうこと……?」
「ここは私のイメージを使って作られた世界なの。残酷な現実に蓋をするための言わば私の夢の世界。でも夢をいつかは醒める」
クルクルと踊るように身を翻して桜は答えた。
私はそれを目で追っていたが彼女が立ち止まった直後、真っ暗であるはずの空にノイズのようなものが走る。
同時にガサッと音がして手元に目を落とすと、視界一面を覆い尽くすほどあった雪が消えていた。
代わりにむき出しの地面へと様変わりしていた。
「桜、これは――」
異変について訊ねようとした時、糸の切れた操り人形のように彼女の体がガクリッと崩れ落ちる。
私は倒れた彼女に慌てて駆け寄り、その体を抱き上げた。
「桜、しっかりしてッ」
「もう限界、みたいね……」
掠れた桜の呟きに私は怪訝な顔をする。
「どういうこと?」
「あなたと会ってから私は本当の世界の記憶を急速に取り戻した。誰かが私の夢を食べて眠りから醒ましたの」
遠くを見つめる桜の言葉に私はハッとした。
夢を食べる――それは他ならない私のユメクイの能力だ。
この世界にあるものすべては夢という名の命からでできていた。
なのに私は自らの快楽にためにそれを喰らい続けた。
よく考えれば代償がない限り、他人の夢など見ることができるはずもない。
それを忘れて心の穴を彼女の夢で補い続けた。
私が夢で彼女を呪い殺したのだ。
それで世界が終わるというなら当然の報いだろう。
しかし感情がそれを拒絶する。
「死ぬなんて許さないから。桜が死ぬなら私も――」
「あなたはダメ。もう一回死んじゃったでしょ。私を置いて」
そう言って彼女はと私のほっぺをつねる。
だけど、力が入っていないせいでただ頰に触れただけのようになってしまっていた。
「だから約束破ったお返し。これでおあいこ。あなたは私の夢を喰らって生きるの」
いたずらっぽく微笑む桜に私は唇を噛みしめる。
彼女に言葉にはなんの強制力もない。
だというのに、私の頭はその約束という名の呪いに絡め取られ自らの思考を束縛する。
無慈悲に引き裂かれることの痛みでまともに顔も見れなくなる私に桜は薄く微笑んで呟いた。
「私がいなくなっても生きて。
私の分まで泣かないで。
時間がいずれあなたを癒してくれる。だから…………」
映画のエンディングのように彼女の言葉がフェードアウトしていく。
彼女の心が、魂が死んだことが指先から感じられた。
重ねた手を握りしめる。
だけど、彼女が私の存在を気づくことは永遠にない。
「ねぇ、桜。起きてよ……」
反応が欲しくて呼びかける。
でも答える相手はいない。
私はここにひとりぼっちだ。
「会いたいよ…………」
うつ向けた口から言葉が漏れる。
骸をかき抱きながら泣いた。
一生分の涙を流しきるように。
ひとしきり泣いてから私は涙をぬぐい、顔を上げる。
本当の世界で私は死に、桜は生き残ったはずだった。
だが今はすべて逆転している。
これが彼女の言っていた夢を喰らって生きるということなのだろうか。
私は桜の骸を抱き上げて桜の幹に横たえる。
「さよなら。いい夢を……」
眠るように安らかな表情浮かべる桜に背を向けて歩き出す。
幻想的だった夢の景色はすでに醒めている。
ここから先は畏怖するべき怪物と無慈悲な理屈が立ちふさがる世界だ。
だが諦めず、最後まで生き残ってやろう。
死して再び彼女に会うまで、この破滅の世界で小さな幸せを掴んでやるのだと私は心に誓って荒野を踏みしめた。
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