ユメクイ〜夢喰い少女と暴かれた世界〜

森川 蓮二

第1話 Dream eater

「ねぇ、見て冬美。綺麗な空」


 文化祭が終わり、学内の熱気もすっかり冷めた秋の校舎。

 窓から身を乗り出して日暮れ前の空を指差す彼女の声が教室内に響く。


 教室には私と彼女の二人しかいない。

 窓から入り込む冷気を肌に感じながら私は彼女――神崎桜を見つめる。


「あの……もしよければでいいんだけど……」


 汚れを知らぬ子犬のように桜は空に向けていた目をこちらに向ける。

 突然歯切れ悪くなった彼女の様子に私は首を傾げる。


「さ、散歩でもしないッ」


 まるで好きな人へ告白するように勢いに任せた言葉。

 私はその様子がおかしくて吹き出しそうになるのを堪えて椅子から立ち上がる。


「いいよ。お望みならその先まで付き合っても」


 無邪気に、だけど少しの妖艶さを含めることを意識して私は微笑んで彼女の肩と腰に手を回す。


 密着しながらも硬直した彼女の表情を盗み見ると、不自然に口を開けて顔全体を真っ赤に染めていた。


 私と彼女はクラスメイトだが、最近まで特に仲が良いわけではなかった。

 せいぜいこの一ヶ月ほどで少し親密になった程度だ。


 なのに私がこんなことをするのはなぜか。


 それはこういうことが彼女の望みであり、彼女の夢を喰った私だけが知っていることだからだ。



―――――



 人間には何かしらの欲望――夢がある。


 何かになりたい、何かが欲しい。

 人の持つ夢は様々だ。


 だが私――杉田冬美には夢がない。


 何者になりたいとも思わず、何かが欲しいわけでもない。


 ただ食欲と睡眠欲、ほんの少しの性欲と義務感で日々を惰性に生きてきた。


 だから他人の夢を喰らうことのできるこの能力をいつ得ていたのかは分からない。

 気づけばいつのまにかできるようになっていた。


 私が能力について知っているのは触れた人間の夢を読み取り、眠れば実体験のように夢を体感できるのと、触れられた人間はその夢を失うという二つだけだ。


 夢の中では私は何にでもなれる。


 宇宙飛行士にも。

 異世界を救う勇者にも。

 世界を動かす政治家にもなれる。


 そうして私は能力を使って他人の夢を喰っていった。


 別に夢を喰わなくても生きていける。

 けど、そうすると自分の中に隠れていた無欲であるが故の虚無感が不意に襲ってきて夜も眠れなくなる。


 だから夢も生きがいもない私には他人の夢はちょうどいい薬になった。


 そして私はつい先日、彼女――桜の夢を喰った。


 たまたま文化祭の実行委員として一緒に仕事をする中で手が触れてしまったという偶然だったが、夢の中で見たのは一糸まとわぬ裸体を惜しげもなく密着させ、艶めかしくも愛おしそうに微笑む私自身の顔だった。


 あまりの意外さに驚いて私は飛び起き、その日から桜の姿を目で追うようになった。


 桜がそんな夢を抱くのが不思議だったというのもあるが、その夢はまるで最後のピースをきっかりはめたように私の欠けた欲望を満たしたのだ。


 しかし夢を喰われた人間はその夢を失うという法則上、なぜ彼女があんな夢を抱いていたのかを知ることはできない。


 それでも半ば諦めきれず私は聞いたのだ「好きな人とかいるの?」かと。


 その時の桜の反応――不自然に高い声で驚き、視線を逸らして慌てふためく姿に私は確信した。


 彼女が喰われた夢を失っていないことと、好きな人というのが私でであることを。


 そして私は自分の能力を隠したまま彼女と接していくうちに付き合うところまでこぎつけたのだ。



 ―――――



 ホームルームが終わり、クラスメイトたちが部活や友人たちとの寄り道のためにぞろぞろと教室を出て行く。


 私は教室のクラスメイトがある程度いなくなったのを確認してから荷物を鞄にまとめて立ち上がる。


「桜、帰ろう」


 だが返事はない。

 見ると彼女は窓の外に視線を向けたままぼんやりとしていた。


 知らんぷりをしているわけではない。

 ただ私の声が聞こえていないだけだ。


 仕方なく気づかれないように背後から忍び寄り、ゆっくりと抱きしめる。


 桜の体がビクッと震え、視線がこちらを捉えた。


「なんだ、冬美か。びっくりさせないでよ」

「それはこっちのセリフ。帰ろうって言ってるのに無視するなんて酷いんじゃない?」

「あはは……、ごめん聞こえてなかった」


 苦笑いを浮かべつつも、しょんぼりと辛気臭い顔をする彼女の背中を叩いて私は離れる。


「さぁ、帰ろう」


 そう促して彼女が荷物をまとめ終わるのを待ってから教室を出て、校門から最寄り駅の間にある住宅街を歩く。


 学校では私と桜の関係は隠すようにしていた。

 理由はなんとなくだ。


 ただ学校の帰り道だけはこうして肩を並べて帰る。

 これが私と桜の日常だったが、今日はどちらも喋らなかった。


 ここ最近、彼女の様子が変なことに私は気づいている。


 話をしても上の空なことが多く、私との交流を避けようとする素振りを時折見せる。


 なにより、前は恥ずかしがりながらも自らとっていたスキンシップをとらないようになった。


 最初は能力のことがバレたのかと思って探りを入れたりしてみたが、そもそも私の能力のことを知るのは私以外にはいないはずだ。


 目の前で横断歩道の信号が赤に変わる。


 沈黙を排除しようと目の前を行き交う車の波を見ながら色々なことに考えを巡らせたが、とうとう考えることが無くなって私はつい口を開く。


「なにかあった?」

「…………」


 桜は俯いてなにも言わず、私はその顔をじっと見つめる。


 彼女は嘘があまり得意ではない。


 口ではなにも言わないが、迷いに満ちているのは表情から見てとれた。

 私の無言の圧力に押されたのか、視線をこちらにチラチラとやってから桜はおずおずと話しだした。


「怖い、夢を見るようになったの」


 夢という単語が出て一瞬ドキッとしつつも私は平静を装って続ける。


「怖い夢?」

「そう。私を取り残してあなたや世界すべて消えちゃう夢。

 そんなに内容を覚えているわけじゃないの。でも怖いんだ。いつか夢が現実になりそうで。

 おかしいでしょ? ただの夢なのに」


 取り繕うように彼女は自嘲げに笑う。

 信号が青になったが、桜も私も横断歩道の前で立ち止まったままだ。


 私は何を言えばいいだろうかと考えた。


 ただの夢だと否定するのは簡単だが、その言葉を聞いた時、身に覚えがあるみたいに私の心はズキリッと痛んだ。


 その痛みが夢を夢であると否定できなくしていた。


「心配しないで。私はここにいるから」


 だから、私は否定も肯定もせずに彼女を抱き寄せて優しく桜の頭を撫でた。


 最初はただされるがままだった彼女もやがて私の腰に手を回し、ギュッと輪っかを作る。

 しばらくそうして抱き合っていた。


「ありがとう、冬美。少し楽になった」

「なら良かった。少しでも力になれて」


 彼女の目を見つめてから私はそう言い、顔を近づける。


 自然と唇が触れ合い、互いの存在を確かめ合うようにそれは深く絡みつく。


 だが甘美な雰囲気は背中への衝撃と共に突如終わりを告げた。


 何が起こったのかわからなかったが、自分が電柱にぶつかったのだと間を置いて悟る。


 そして押しのけたであろう桜を見た時、私は身動きできなくなった。


「どうして、泣いてるの……?」


 両手で口元を覆った桜は頰を涙で濡らしている。

 その目はなにか気づいてはいけないことに気づいてしまったように凍りついていた。


「…………ごめん」


 私の言葉に答えることなく、それだけを言い残すと彼女は点滅する青信号をひと思いに渡ってしまう。


 あまりに突然の展開と彼女の涙に一瞬呆けた私は慌てて桜を追おうとしたが、それを阻むように車の波が立ちふさがる。


 車道に引かれた縞模様を次々に踏んでいく車の向こう側を走っていく彼女を私は見送ることしかできなかった。

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