第11話 富士山の絵

行かないと言っていたくせに、外出には晄もついて来た。


(違うか。行かないと言ったのは晄一様だから……)


 晄一が面倒だと思ったことを、晄は代わりにやっている――。だが晄の方もまったく興味はなさそうだ。が、虎之助に「来ないとお前が読みたがっていた本を貸してやらないよ」と半ば脅され、しぶしぶ後ろからついてきている。


双子もついてきたがると思っていたが、晄一と同じで「人混みは苦手」という理由で来なかったのが意外だった。


 外出するのは久しぶりだ。ほんの十五分ほど歩いた、八丁目の商店街の中に『咲楽屋』はあるという。道の両脇に色んな店が立ち並び、賑々しく人が出入りしている。キョロキョロと周りを見回しながら歩いていると、荷を積んだ馬車に轢かれそうになった。「気をつけて」と虎之助がりょう子をかばって車道側を歩いてくれたが、今度は商店の前に止めてある何台もの自転車が、何かの拍子で将棋倒しになり、危うく巻き込まれそうになるのを今度は晄がかばってくれた。すみません、と言ったが無言で返された。


『咲楽屋』は間口が狭く、奥行きの広い雑貨店だった。暖簾に見立てたレェスのカーテンをくぐると、舶来の品々が所狭しと並べられている。カメラや時計、洋傘など、りょう子が普段目にしないものばかりだ。晄は早速奥の本棚で、洋書をパラパラとめくっている。


「あ、万年筆欲しいと思っていたんだ。洋酒まで置いてある。家の者の土産に買って行こうかな。りょう子ちゃん、化粧品まで置いてあるよ」


 呼ばれて「はい」と返事をしながらふと、入口近くの壁に掛けられてある絵が目に留まった。


「これ……」


「あれ、富士山だ。これは舶来品じゃないの?」

 虎之助が店員に話しかける。襟の大きな、真っ青なワンピースを着た店員がにこやかに寄ってきた。


「いえいえ、ちゃんと外国から取り寄せしたものです。英国の画家が富士山を描いたものですわ」


「へぇ、お世辞にも上手いとは言えないね」

「ふふ、こういう絵がお好きだというお客様もいらっしゃるのですよ。それからこちらの……」

 他の商品に説明が移っていったが、りょう子は富士山から目が離せなかった。


 白い雪に覆われた、優美で、猛々しい山。あまりいい天気ではないらしく、空はどんよりと、緑と紫が混ざったような、不吉な色だ。


 心臓の音が、ゆっくりと、早くなっていく。あれ? これはどういうことだろう? と、自分の心臓の面妖さに戸惑っていると、


「出たいんだが、退いてくれないか」


いつの間にか晄が脇に立っていた。狭い出入口をりょう子が塞いでしまっているので通れないのだ。


「あの……」

 急にどうしたのだろう。「さっきの洋書……、もう読み終わられたんですか」


「そんなわけないだろう。日本語だってあの厚さは無理だ」


 そうなのか。自分の無知が恥ずかしい。


 とりあえず一旦店を出て、晄を通した。だが一度出ると戻るのも憚られて、なんとなく二人、店の外で商店街の行き交う人々を眺めていた。


「大丈夫? 気分悪くなったの?」


 後から出てきた虎之助が、りょう子の顔を覗きこんだ。


「あっ……大丈夫です。お店に戻りましょう」

 りょう子が慌てて引き返そうとすると、


「もういいよ、万年筆も買ったし。それよりアイスでも食べに行こう」

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