交番前の葵橋あおいばしを渡って下鴨本通りを歩いて行くと、右手に色とりどりの紅葉の生い茂る空間が現れた。


「あそこが下鴨神社?」

「そうだよ。本殿はもう少し先だけどね」


 そう言いつつ、東條さんは歩を進めていく。御蔭みかげ通りを歩いて暫くすると、目の前に標石が見えてくる。


「何て読むんだろう?」


 糺の森と書かれていた。れいのもり。とかかな。


「『ただすのもり』って読むんだよ。縄文時代から生き続けている森なんだ」

「縄文時代って。すごいな」


 鳥居をくぐり、中へと入って行く。入ってすぐ左手に見えたのは川合かわい神社。東條さんによると、女性を守る美麗の神様がいるだとか。鏡絵馬かがみえまというものがあり、女性は持参している化粧品で絵馬に化粧する、とても変わった絵馬みたいだ。

 さらに奥の方に行くと任部社とべしゃがあった。そこは三本足のヤタガラスをまつやしろらしい。日本代表のサッカーエンブレムとしても有名だ。

 そんな東條さんの解説を交えて、楼門ろうもんへと続く参道へと差し掛かる。


「うわー。綺麗だね」

「これは……」


 言葉を失うくらい綺麗だった。視界全体が見事な紅葉のトンネルで包まれていた。しかもその光景が楼門手前の鳥居まで続く。一本道で視界が開けているので、どこまでも続く紅葉をずっと楽しむことができた。


「ここはね、私が一番来たかった所なんだ。京都で一番遅い紅葉が楽しめるんだよ」

「へー。どうして?」

「見てわからないかな?」


 俺は周囲を見渡す。空一面に敷かれた色とりどりの紅葉が、本当に綺麗としか言いようがない。ところどころまだ緑色の葉っぱもあるせいか、それが良いアクセントにもなっている。でも、それ以外思いつくことが無かった。


「ごめん、わからないや」

「そっか。答えはね、これだけ多くの葉っぱがあったら太陽の光が当たらないでしょ。実は、楠の木を植えたことがあったらしく、それが紅葉の木を覆っているんだって。だからその葉っぱが散らないと、紅葉に太陽の光が届かないの」

「なるほど。だから緑色の葉っぱがまだあるわけだ」

「うん。私も生で見るの初めてだけど、本当に綺麗だね」


 綺麗に敷かれた砂利道の上を二人で歩いていく。たまに落ち葉を踏んだときにくしゃっと音を立てるこの響きが何とも言えなかった。それに靴越しに伝わってくるこの感触と、目の前に広がる紅葉。さらに俺の隣には、笑顔が眩しい学年一の美少女がいる。下鴨神社は癒しのパワースポットなのかもしれない。今日一日で京都にハマりそうだ。

 そんなことを思って歩いていると、目の前に鳥居が見えてきた。その鳥居をくぐり、楼門を抜けて中門をくぐった。そこには七つの社殿があった。


「これは?」

「これはね、言社ことしゃっていうの。七つの名前を持つ大国主命おおくにぬしのみことを祀るやしろなんだ」

「へー。七つあるんだ。あ、これって干支の名前が書いてある」

「そうなの。これは、七つの名前ごとに社殿があって、干支の神として祀ってるんだって。一言社いちのことしゃ二言社にのことしゃ三言社さんのことしゃとわかれていて。私達は卯年うどし辰年たつだから、三言社に参拝だね」

 そう言い残すと、東條さんは『卯』と書かれた志固男神しこおのかみの社前に向かった。同じ卯年である俺も東條さんの後についていき、参拝する。

 参拝が終わり、言社を抜けると幣殿へいでんがあった。ここから奥の本殿に向け拝礼するらしい。


「秋山君は何お願いするの?」

「そうだな」


 お願いなんていつもはしない人間だ。自分の目で見たものを信じて、ずっと生きてきたつもりだから。でも、もし願いが叶うなら。今の俺には一つしか願うことはない。


「内緒だよ」

「えー。どうして?」

「だってさ、願いごとって口にしたら叶わない気がするんだよね」

「うーん。それは一理あるかも」


 もう少ししたら、俺は東條さんに真実を打ち明ける。だから、せめてその後押しをお願いしようと思った。ちゃんと言えるように。

 幣殿を後にした俺達はそのまま右手に進んでいく。

 暫くすると立て看板が置いてあった。


「葵の庭。別名、カリンの庭って言うんだよ」


 立て看板を指差しながら、東條さんは言った。


「葵って字。東條さんの名前と同じだね」

「うん。私の名前なの」


 東條さんはにっこりと笑みを作るとその場にしゃがみこむ。そして、自生している二葉葵ふたばあおいを撫で始めた。


「両親も京都が大好きで、下鴨神社によく来てたんだって。それでこの葵の生い茂る場所で、お父さんがお母さんにプロポーズしたんだ。その日はちょうど葵祭っていうお祭りもあって。それとここにある葵生殿あおいでんで結婚式も挙げたの。こうして二人を色々と結んでくれたのは葵らしく、その葵と言う名を私につけてくれたんだ」

「それじゃ、ここは東條さんの特別な場所だね」

「特別?」

「あ、ごめん。東條さんの名前。凄く愛にあふれてるって言うか。東條さんがご両親を繋いでるみたいな気がして」


 何を言ってるんだろう、俺は。これじゃ、東條さんがいなかったら両親は離れ離れになるって言ってるようなもんじゃないか。


「ご、ごめ――」

「ふふふ」


 あたふたしていると、東條さんは急に笑い出した。俺にはわけがわからなかった。


「あ、あの。その。何て言うか……」

「私ね、この場所には信頼できる人と来たかったの」

「信頼?」

「うん。秋山君が言ってくれたように、ここは私も特別な場所だと思ってる。だからこそ、中途半端な気持ちでここに来たくなかった。私が本当に心を開けるような人と一緒に来たかったんだ」

「東條さん……」

「本当に付き合ってくれてありがとう」


 言葉にならない気持ちが込み上げてきた。

 東條さんは今、何を思っているのだろう。ご両親の大切な場所で、東條さんにとっても大切な場所でもある下鴨神社。

 高木から聞いていた。東條さんはずっと一人だったと。それを変えたのが俺達だったと。今こうして東條さんの隣にいるのが俺で良かったのか。藤川と一緒の方が良かったんじゃないか。そんな考えが頭をよぎった。


「ちょっと早いけど、鴨川デルタにいこっか」

「……うん。そうだね」


 東條さんの後に続いて、俺も歩を進めていく。

 俺にとって、東條さんはどんな存在なのだろう。東條さんは、優しくて、友達思いで、可愛くて、頼れる人だ。昔の東條さんを知らないから、今の東條さんしか俺にはわからない。でも、これだけはわかる。異性と話している東條さんを見ると、胸が苦しくなる。はっきりと言える気持ちが今の俺にはある。でも、もう一歩が俺には踏み出せなかった。

 東條さんは、今日死ぬかもしれない。

 それを思うと、告白より前にするべきことがあるんだと思う。しっかり現実と向き合って、東條さんに伝えるべきことを伝えないといけない。

 それでも、こんな素敵な場所で俺には何も言う資格はないと思った。東條さんに失礼だし、それを思うと本当に伝えるべきことなのかという思いに駆られる。

 結局は、堂々巡り。そして、時間だけが刻一刻と過ぎていく。

 下鴨神社の参道を南にずっと下っていくと、鴨川デルタに到着した。到着した瞬間、目の前に現れた巨大な物に度胆を抜かれた。


「け、ケーキ?」

「私、初めて見た。そういえば、今日って二十二日だもんね」

「ゆ、有名なの?」

「うん。毎月二十二日はショートケーキがここに現れるんだよ。ほら、カレンダーで二十二の上って十五。一と五でしょ?」

「なるほど。だから、いちごショートなわけだ」


 そういえば、しおりにもショートケーキのことについて書いてあった。吉田さんのオススメを無事に見ることができて、少し得をした気分になった。


「後、十五分だね。みんなが来るの」

「そう……だね」


 東條さんの言葉に俺は現実に引き戻された。皆が来る前に、東條さんに言わないといけないことが俺にはある。


「とりあえず、座ろうか」


 東條さんはそのまま鴨川デルタに腰を下ろす。俺も隣に腰を下ろした。

 平日の時間帯ということもあって、周囲にはあまり人はいなかった。それでも氷山高校の制服を着た生徒をはじめ、大学生とおぼしき男女のカップルが、亀の形をした飛び石を渡ったりしている。


「ここって、よく映画やドラマ、アニメに使われる場所なんだよね」

「そう……だね」


 でも、本当に言っていいのだろうか。


「ここって本当に落ち着くよね。私、ここも大好きなんだ」

「そう……だね」


 もしこのまま言わずに夜になれば、どうにかなるんじゃないか。


「……秋山君?」

「…………」


 そうだ。未来なんて、そもそも知ることは不可能なはずだ。だから――。

 パンッ。

 川のせせらぎが聞こえるこの場所に、そぐわない音が鳴り響いた。その音の正体が徐々に痛みとなって頬に響いてくる。


「あ……」

「ご、ごめんなさい……秋山君、上の空って感じだったから、その……」


 東條さんがしどろもどろ謝ってきた。突然の出来事に、俺は状況が理解できなかった。


「大丈夫?」

「……うん。俺の方こそごめ……えっ……」

「えっ……う、嘘……」


 東條さんの目から一筋の涙がこぼれた。それが頬を伝って流れていく。


「ご、ごめん……俺のせいで、その、東條さんを泣かせたみたいで」


 咄嗟に俺はハンカチを差し出す。東條さんはそれを受け取ってくれた。


「ち、違うの……嬉しくて」

「俺を殴ったことが?」

「違う。秋山君って馬鹿なの?」

「ば、馬鹿って……」


 そういえば、山中さんにも馬鹿って言われたことがあった。やはり俺は馬鹿なのかもしれない。


「違うの。こうしてみんなと一緒に、京都で班行動できたのが嬉しかったの。大好きな京都で、みんなとご飯食べたり、一緒にお寺巡りしたり。それに、秋山君と下鴨神社に行けたのが嬉しかったの」

「東條さん……」


 ハンカチで涙を拭いた東條さんは、呼吸を整えると笑顔で言った。


「こんな日々がずっと続けばいいのにね」


 その言葉を聞いた瞬間、身体が硬直した。

 ごめん、新一。俺には東條さんに言える言葉はないかもしれない。東條さんのことを知っていくほど、胸が苦しくなる。それに東條さんの笑顔を見ていると、絶対に言ってはいけないことだと思ってしまう。


「……秋山君」


 すくっと立ち上がった東條さんは何も言わずに俺の手を握ると、そのまま力強く俺を引っ張り上げた。そしてそのまま歩き出す。

 こんな真剣な東條さんは初めて見たかもしれない。

 それに、握られた手にずっと力が入っていることがわかる。

 東條さんの強い意志を感じた。

 その意志に逆らうことはできず、俺はそのまま東條さんの後をついていくしかなかった。

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