告白

 出町柳駅から電車に乗って、祇園四条ぎおんしじょう駅で降りた。そこから数十分歩いたところに見えてきたのは八坂やさか神社。東條さんは俺の手を握ったまま、階段を上がり中へと入っていく。

 道中、東條さんとの間に会話は一切なかった。ただ、東條さんが言った言葉がずっと頭の中を反芻している。


『こんな日々がずっと続けばいいのに』


 俺だって、その言葉通りになればいいなと思っている。ずっと東條さんと一緒にいたい。だけど、どうしても不安な気持ちを拭えない。

 ふと時計を見た。既に時間は午後四時半を過ぎていた。

 日が傾くまで、あとどれくらいだろう。辺りは薄闇が広がり始めている。


「ここって、京都だと『祇園ぎおんさん』って親しまれてるんだ。あ、そういえばさっき言った葵祭と並んで、ここの祇園祭は京都の三大祭の一つなんだよ」


 東條さんの声がする。いつも通りの東條さん。皆を元気にしてくれる東條さん。そんな東條さんを守らないといけない。残り少ない時間の中、俺にできることは。


「え、ちょっと。秋山君」


 俺は東條さんと繋いでいた手を振りほどき、走って社務所に向かった。そして一番高そうなお守りを買った。


「どうしたの? いきなり走って……」

「これ、持っててほしい」

「これって……お守り?」

「うん。ずっと、持っててほしい」


 どうしてだろう。

 神様なんて信じない俺がお守りを買うなんて。本当にどうかしている。

 でも、もし神様がいるなら。

 どんな手を使っても東條さんを守ってほしかった。

 山中さんがいう日が落ちるまで、もう少しのはずだから。

 せめて、その間だけでも効力があれば。


「……うん。ありがとう。大事にするね」


 東條さんは笑顔で受け取ってくれた。

 それから俺達は、八坂神社にあるうつくし御前社ごぜんしゃに行った。ここには美容水があるらしく、女性に人気のスポットらしい。東條さんも水をすくって、頬につけていた。

 東條さんは、そんなのに頼らなくても十分綺麗で可愛いのに。

 八坂神社を抜けて、円山まるやま公園を歩いて行く。紅葉の季節だからかもしれない。今日行った銀閣寺や下鴨神社。そして、八坂神社と円山公園。全ての場所で綺麗な紅葉を見ることができている。


「ここは枝垂桜しだれざくらが有名なんだよね。今は見れないけど」

「あのさ、東條さん」

「何?」

「どうして、ここに連れてきてくれたの?」


 東條さんは歩みを止めると、俺の方に振り向いた。理由はわからないけど、満面の笑みを見せている。


「今から山に登ろうよ!」

「えっ? や、山?」

「うん。登った先で全部話したい」


 真っ直ぐで力強い視線。その視線に俺は言葉が出てこなかった。

 東條さんは俺に背を向けると、再び歩き始めた。

 円山公園内を道なりに歩いて行き、坂を登っていくと長楽ちょうらく寺の門前に辿り着いた。先を歩く東條さんはその中には入らず、手前の道を左に曲がるとひたすら進んでいく。

 さっき東條さんは山に登ると言った。

 冷静に考えると、それはとても危険なことだ。日中ならともかく、既に日は沈みかけている。視界は悪いし、足場だって良くないはずだ。

 もしかしたら山に登ることが未来予報で言う、死へと繋がるのかもしれない。

 本来なら全力で止めるべきなんだ。夜の山道を登るリスクを考えたら、当然の行動だと思う。それに今回は新聞部の人達や生徒会の人達、皆の思いも背負っている。今日は何があっても、東條さんを守らないといけない。


 わかっているんだ。守らないといけないことは。


 でも俺は、東條さんの強い意志を否定することができなかった。

 鴨川デルタからここまで、何も言わずに連れてきてくれた東條さん。その行動には何かしら意味があるはずだ。山に登るのだって、意味のあることだと俺には思える。

 それに東條さんは、登った先で全てを話すと言ってくれた。覚悟を持って言っているように見えた。俺だって話さなければいけないことがある。伝えないといけないことがある。

 あともう少し。お守りだって渡したし、どんな危険があっても、俺が東條さんを守れば問題ない。山道と言っても人が通れるように舗装されているはず。登ってみて危険だったら止めればいい。東條さんから離れなければ、守ってあげられる。


 俺が東條さんを守るんだ。




 暫く道なりに歩いて石段を上った先に休憩所があった。しかし東條さんはそこで止まろうとせず、さらに先へと進んでいく。そして道なりに歩いて行くと、二手に道が分かれる場所にたどり着いた。その分岐点には標石があり、そこには『将軍塚道』と彫られている。どうやらここが山道の出発地点みたいだ。


将軍塚しょうぐんづかに行くの?」

「ちょっと違うかな。私達が行くのは東山山頂ひがしやまさんちょう公園の方にある、展望台」


 そう言うと、東條さんは慣れた歩調で山道を登っていく。その後を必死になって俺は追いかける。

 日は沈み、辺りは暗くなっていた。道を進めば進むほど、暗さが増していく。一応、道は人が通れるくらい舗装されているみたいだけど、視界が悪いのと明かりが全くないせいで、自然と歩く速度が遅くなる。

 東條さんは立ち止まって鞄をあさり出した。そしてスマホを取り出すと、懐中電灯代わりにする。地面を照らす明かりが、余計に周囲の闇を増幅させた。


「すっかり日が沈んじゃったね」

「うん。そうだね」


 俺もポケットからスマホを取り出す。時間を見ると既に五時を過ぎていた。

 メッセージが届いている。新一からだ。


『お前らどこいるんだ?』

『山中さん一緒か?』

『先に清水寺に向かう』

『本当に大丈夫か?』


 立て続けに来ていたメッセージにずっと気づかなかった。それくらい、余裕がなかったのかもしれない。


「佐藤君から?」

「うん。心配してるみたい」

「何も言わずここに来ちゃったからね」

「とりあえず、大丈夫とだけ送っとくよ」

「ありがとう。ごめんね」


 東條さんはそう言うと、そのまま歩み始めた。俺もスマホを懐中電灯にして歩を進める。

 そういえば、もう日は沈んだんだよな。

 目の前にいる東條さんを見つめる。

 しっかりとした足取りで山道を進んでいる。

 何処も悪いところはなさそうにみえる。

 山中さんが言っていた未来予報は、結局起こらなかった。

 何だよ。やっぱり未来は変えられるんだ。

 とても嬉しいはずなのに、あまり感情が込み上げてこなかった。見知らぬ土地の山を登っているからなのかもしれない。動機と息切れがする。急こう配の坂と足場の悪さも重なり、疲労感が押し寄せてくる。


「ここは東山って言うんだけど、東山っていう山はないんだよ」

「それじゃ、どうして東山って言うの?」

「それは、ここら辺にある山の総称だから。京都の東側にある山だから、そう言われてるんだって」

「そうなんだ。東條さんは本当に詳しいね」

「だって、京都はお父さんとお母さんの大切な場所だから……私にとっても」


 東條さんにとって大切な場所。もしかして、今から行く公園も東條さんにとって大切な場所なのかもしれない。

 暫く山道を登っていくと、二十分もかからないうちに開けた場所に辿り着いた。左側を見ると大きな門があった。


将軍塚しょうぐんづか青龍殿せいりゅうでん。この中にある大日堂だいにちどうからは、京都の景色を一望できるの。でも、お金かかるのと、この時間帯はもうやってないから。学生の私達が行くのはこっち」


 そう言うと、東條さんが俺の手を握ってきた。

 細くて白い指。それでもとても熱を帯びていて、東條さんの温かさを感じることができた。


「行こう」


 そう告げた東條さんは、そのまま俺を目的の場所へと引っ張っていく。そして駐車場の脇道を進んでいくと、目的の場所だと思われる開けた空間があった。


「綺麗」


 俺の手を離すと、東條さんは手すりまで近づいていった。

 京都の街並みを一望できるこの場所から見る夜景。手前の方はさっき登ってきた山道のせいで闇に包まれているけど、その先に見える人工的な光に思わず息をのんだ。まるで星空を地面に映したかのように見える景色に、つい見惚れてしまう。


「ここは、東條さんの大切な場所なの?」

「……うん。私だけの特別な場所」


 風が吹いた。十一月下旬ともなると、この時間帯はとても寒い。冷風のせいで、余計に身体が震えた。


「私ね、中学の修学旅行で京都に来たときにも一人でここに来たんだ」

「一人で?」

「うん。その時に今日と同じ景色を見て。何か、すごく楽になれたんだ」


 風になびく長髪を押さえながら、東條さんは続ける。


「当時、京都に来たときに隼人と喧嘩しちゃって。私、隼人以外の人と仲良くなかったから、一人で抱え込んじゃって。むかついてた気持ちをどうにかしたくて。それで、迷った挙句にここに辿り着いたの」


 東條さんも一人の時があったんだ。高木からある程度聞いていたから、知ってはいたけど。今の東條さんからは想像ができなかった。


「秋山君。今日、途中から少しおかしかった」

「…………」

「何か思いつめてることがあるんじゃないかなって。だからここに連れてきたかったの」


 自分の挙動を見抜かれていた。東條さんに心配をかけないようにずっとしてきたはずなのに。言いたいことも言えてないのに、気を使ってもらっている自分が本当に情けない。


「っていうのは半分本当で、半分嘘」

「えっ?」

「本当は……」


 俯いた東條さんは、何か囁いている。でも、その声は風にさらわれて上手く聞こえなかった。風が止み、すっと東條さんは顔を上げる。そして、俺に笑顔を見せた。


「二人だけでこの景色を見たかった」

「二人……俺と?」

「うん。秋山君と一緒が良かった。誰も知らない私達だけの、二人だけの秘密を作りたかった」


 頬を赤らめながら話す東條さんはふっと息を吐く。結構冷えているのかもしれない。東條さんの吐息は白かった。もうすぐ十二月。冬の到来を感じさせるには十分な寒さだった。


「東條さん……」


 どうして俺は何も言うことができないのだろう。

 どうしてずっと黙っているのだろう。

 今日の目的は、東條さんを救うことだったはず。

 それなのに、自分が救われている。ずっと東條さんに迷惑をかけっぱなしだ。

 握り拳に力が入る。

 情けない。情けない。本当に情けない。


「ごめん……」

「秋山……君?」

「俺、東條さんが好きだ」

「えっ……」

「俺と、付き合ってほしい」


 相手に好きな気持ちを伝えるのって、こんなにも難しいとは思わなかった。たった二文字の言葉を自分の口から発するのに、こんなにも時間がかかってしまった。

 自分の気持ちには気づいていた。それなのに、ずっと気づかないふりをしていた。それは、答えを出すのが怖かったから。ずっと逃げていた臆病者だっただから。

 でも、ようやく一つ目の答えを導き出せる。正面から向き合ってくれた東條さんと同じ土俵に立てる。こうして、正面からぶつからないと何も起こらない。


「……うん」


 東條さんはゆっくりと頷いてくれた。その目には光るものが溢れている。


「ごめん……」


 抑えきれなかった。抑えきれない気持ちが、堰を切って溢れ出した。


「ごめん……ごめん……」


 涙が止まらない。どうしてだろう。嬉しいはずなのに。


「どうして? 秋山君は、何も謝る必要ないよ」

「違う……違うんだよ」


 言わないといけない。

 本当に伝えたいこと、言いたいこと。


「もう一つ……もう一つだけ東條さんに言わないといけないことがあるんだ」

「うん。ちゃんと聞くよ」


 目の前で東條さんは頷いてくれる。こんな時でも、真っ直ぐな視線をくれる。だから、俺も伝えよう。本当のことを。


「新しい未来予報で、東條さんが……亡くなる予報が出てたんだ」


 東條さんは俺の言葉を聞いてから暫くの間、硬直していた。そして俺から視線を逸らして、地面をずっと見続けている。

 東條さんは今、どんな顔をしているのだろう。俺の発言をどんな気持ちで受け取ったのだろう。考えるだけで胸が苦しくなる。でも、言わないといけないことだと思った。言わずにこのまま後悔するよりも、見えている未来を伝えることの方がやっぱり大切だ。現に俺は山中さんにそういった。でも、結局は実行できていなかった。俺は口だけの人間だったんだ。

 どれくらい時間が経っただろう。東條さんはようやく顔を上げると、何かを必死に堪えるようにして言葉を絞り出した。


「……その予報って、いつ起こるの?」

「……今日、起こるはずだった」

「えっ……」

「で、でも、もう大丈夫なんだ。実際には日没までに起こるかもしれなかったことだから。もう日は沈んでる。だから大丈夫なんだ」


 それから俺は東條さんに未来予報について全てのことを伝えた。

 山中さんが予知夢を見ていたこと。それを新聞部に伝えていたこと。解決策が見つかってないこと。それでも、どうにかして皆で東條さんを守るって決めたこと。


「そっか。山中さんだったんだ……」

「うん。でも、山中さんが協力してくれたおかげでわかった。未来予報の内容は今まで確実に起こっているって。だけど、皆で協力すれば必ず防げる。未来は変えられるんだって」 

「昨日、隼人が東京駅まで一緒に行こうって言ってきたんだ。いつも言わないことだったから不思議だったんだけど。そういうことだったんだね」

「……ずっと東條さんに言えなかった。俺の口から東條さんに伝えるって決心したのに。皆も背中を押してくれたのに」


 たとえどんなことがあっても、最後まで言えなかったのは自分の弱さだ。


「でも、それは私の為を思ってくれたんだよね? ずっと私のことで苦しんでくれてたんだよね?」

「……うん」

「本当にありがとう。私は、まだ生きてられるよ」


 にっこりと東條さんは笑みを見せてくれた。

 その笑顔に、一瞬で心を動かされた。俺は東條さんを自分の身体に引き寄せた。東條さんは抵抗することなく、俺の胸の中に身を預けてくれる。華奢な身体つきの東條さんを、俺は力強く抱きしめた。それに応えるように東條さんも俺の背中に手を回してくる。人ってこんなにも温かいんだと思った。東條さんの体温が制服越しに伝わってくる。

 暫く沈黙が続いた。

 今は言葉なんていらない。たぶん、東條さんもそう思ってくれている。

 腕の力を弱めた俺は、東條さんの吐息を感じる距離まで顔を近づけた。

 そして東條さんの唇に自分の唇を重ねた。

 東條さんの身体が一瞬ぴくっと震えた。でも、東條さんは決して離れようとはしなかった。俺をそのまま受け入れるように、東條さんの方から抱き寄せてきた。


 やがて互いに顔を離した。

 東條さんは笑顔だった。

 そんな東條さんにつられて、俺も笑った。

 いつまでもこの時間が続けばいいのに。

 たぶん、東條さんもそう思ってくれている。

 目の前に広がる光の海が、俺と東條さんを温かく包んでくれているようだった。

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