監視

 午後七時。

 俺と新一は、新聞部の部室を少し離れた場所から見守っていた。

 真っ暗な廊下に差し込む一筋の光。ドアのガラス部分を通して映し出される光を頼りに、新聞部がまだ残っていることを確認する。


「なあ、一旦生徒会室に戻らないか?」


 監視を始めてからまだ一時間しか経っていないのに、新一は既に飽きたのかあくびまでし始めた。


「お前って奴は……まあ、確かに退屈だな。こうして小声でしゃべらないといけないし」


 周囲の雑音が一切ない夜の学校。こうして小声で話しても、俺達の声は廊下に響いてしまう。


「しかも、この時間って結構寒いんだな。エアコンのある生徒会室に戻りたいぜ」

「気持ちはわかるけど、未来予報の真相を掴むためだ。少しは我慢しろよ」

「へーい」


 気の抜けた返事をする新一はほっといて、これからの行動を整理する。とりあえず、このまま二人で監視を続ける。もし高木の言っていることが本当なら、新聞部の部員以外の人が部室を訪ねる可能性が高い。そこを狙って、俺達二人で突撃して確保する。そうすれば、未来予報についてわかるはずだ。最悪なのはこのまま何も変化がないこと。事前にメール等で情報を受け取っていて、それを記事に起こしている場合だ。その場合は高木のパソコンを押収するか、直接聞きだすしかない。そうなると、今やっている俺達の監視は無意味に終わる。でも、最悪なパターンは起こらない気がする。何故なら、居残り申請を出す意味がないから。居残り申請が必要となる、午後六時から九時の三時間に必ず何か起こるはず。まさか新聞の作成のためだけに残っているとは、俺には考えられなかった。


「あのさ、大輔」

「ん? 生徒会室に戻りたいのか?」

「いや、ちょっくら新聞部の監視をしに行こうかと」

「今やってるだろ」

「そうじゃなくて。もっと近づくんだよ」


 新一は真っ暗な廊下に一歩踏み出した。


「おい、足音も響くんだぞ。気づかれたらどうするんだ」

「大丈夫だって。バレないようにするから。大輔はここにいてくれ」


 親指を立てた新一は、そのままゆっくりと明かりの漏れる教室に近づいていく。遠くから見ている俺は、見つからないように祈るしかなかった。

 新一は教室の前に着くと、首を左右に動かしていた。どうやらドアのガラス部分から中を窺っているみたいだ。できればもう少し動きをシャープにと願ってしまう。

 それにしても、本当に夜の学校は静かだ。毎日生徒の喧騒で賑わっているこの空間が嘘みたいに神秘的に感じる。こんな空間でなら、色々と煮詰まっている問題が解けそうな気がする。

 そんなことを考えていると、新一が戻ってきた。


「どうだった?」

「高木がパソコンで何か作ってた。後の女子二人は寝てた」

「ね、寝てた?」

「声がでかい」


 声のボリュームを下げるのを忘れていた。でも、寝ているのは予想外のこと。驚かずにはいられなかった。


「まあ、とりあえず新聞部以外の部員はいないってことだな」


 寝ている理由はどうでもいいにしろ、まだ部室を訪ねる人がいない。暫く待つ必要がありそうだ。


「とりあえず生徒会室に戻らない?」

「駄目だ。とりあえず九時まではここで監視だ」


 新一の提案を却下して、再び部室の方に視線を戻す。変化があるまでこの態勢を維持しなくてはいけない。


「なあ、大輔」

「さっきからなんだよ。生徒会室に戻るなよ」

「いや、もう戻らないよ。何か少し楽しくなってきた。まるで俺達、凶悪犯を捕まえるために何日も張り込んでる刑事みたいだな」

「まだ一日目だけどな」

「ここにあんパンと牛乳があれば、まさしく刑事っぽくなるのに。あとタバコか?」

「ないから我慢な。あと、タバコは禁止だ。俺達未成年だから」

「大輔って変なところで真面目だよな」

「うるさい。とにかく監視するぞ」


 新一と言い合っている間も、特に変わった様子は見られなかった。

 七時半。まだ誰も来ない。

 八時。部室前にあるトイレに高木が行った。それ以外は特に変化がない。

 八時半。未だに部室を訪ねる人はいない。部室の明かりは絶えず灯ったまま。

 そして九時。居残り最終時間になった。しかし、一向に何か起こる気配がなかった。


「九時か……」

「変化なしかよー」


 新一はため息を吐く。二時間監視し続けた結果、何も起こらなかった。こんな結果を持ち帰るために俺達はここにいるんじゃない。さっき自分の頭の中で考えていた最悪のパターンに思考が切り替わる。


「突撃しかないか……」


 そう呟いた瞬間、新聞部の部室のドアが開いた。中から出てきたのは新聞部の女子部員。落合さんではないもう一人の部員だった。女子はそのままドアを閉めると、こっちに向かって歩いてくる。廊下を歩く足音が徐々に近づいてくるのがわかった。


「新一。とりあえず、生徒会室に隠れよう」

「え、どうして……」

「新聞部の部員がこっちに向かってる。少しは監視しとけよ」

「お、おう」


 俺達は真後ろにある生徒会室に急いで戻り、鍵を閉めた。


「それで、新一はすぐに女子を尾行してほしい」

「だ、大輔は?」

「俺はまだ残ってる高木達を監視する」

「なるほど。了解」


 ガラス越しに廊下を通る女子を観察する。女子はそのまま通り過ぎていった。それと同時にゆっくりとドアを開けた新一が、女子の後を追っていく。新一のことだから、上手くやってくれるはずだ。問題は残りの二人がこの後にどう動くか。

 暫く新聞部の部室を監視するも、誰も出てくる気配がなかった。部室の明かりはついたまま、時間だけが無駄に過ぎていく。その時、ポケットに入れていたスマホが震えた。新一から連絡がきていた。


『部員の女子、帰ったぞ』


 新一からのメッセージは予想外だった。

 二人を部室に残して一人だけ先に帰る。普通だったら特別変なことでもないかもしれない。でも、居残り時間の九時は既に過ぎている。それなら一緒に帰るのが普通ではないのか。どうしても腑に落ちない。続けて新一からメッセージが送られる。


『遅番の先生も帰った。今からそっちに向かう』


 先生が帰った。これまた予想外なことが起こった。生徒がいないことを確認してから出るはずの先生が先に帰る。それはどう考えても、この学校に生徒が残っていないと決めつけたようなもの。


「戻ったぜ。何か変わったことあった?」

「いいや。何もない。まだ二人は残ったままだよ」

「嘘だろ。それって、おかしくないか。先生、帰ったぞ。職員室の明かりを消してたから間違いない」

「だよな。そもそも何で女子は職員室に寄ったんだ?」

「ああ、何か女子が『私で最後です』とか言ってたのを聞いた」

「……そういうことか!」


 新一のおかげで、ある程度の状況が理解できた。


「何かわかった顔をしてるな。大輔」

「ああ。簡単だよ。女子が部室に残っているのは自分だけって先生に言ったんだ。それを遅番の先生が承認したってことだろ」

「でも、部長の高木が残ってないのを普通は気にすると思うけどな」


 新一の言う通りだ。普通なら一人で残っているのを気にするはず。でも、氷山高校の先生を騙すのなんて簡単なこと。


「四月から未来予報のたびに水曜日は残ってるんだろ? 遅番の先生って曜日で固定されてるはずだから、毎度のことなら先生は信じるだろ」

「なるほど。だから、先生は直ぐに帰り支度を始めたってわけだ」

「そう。女子は先生を騙すための囮。ってことは、これから何か起こるかもしれない」


 改めて新聞部の部室を眺める。相変わらずガラス部分から漏れる光が廊下に映っているだけ。今は何か起きそうな気配は微塵もなかった。


「これから何か起こる可能性が高い。気を引き締めていくか」

「へーい」

「新一……お前、昼間は格好良いこと言ってたくせに」

「男はな、女子の前では見栄を張るもんなんだよ」


 新一は偉そうに胸を張っていた。

 そういえば生徒会選挙の時もそうだった。新一は俺の公言した無謀とも思える対策に対して、全てやり遂げて見せると言い切った。本当に大したやつだと思う。

 それでも藤川や東條さんをはじめとした新一をよく知っているメンバーには、口だけで大したことないってバレているけど。

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