盗まれた財布
週明けの月曜日。先週は新聞部の話題で持ちきりだった校内も、落ち着きを取り戻していた。未来予報は二週間以内に必ず起こることが、今までの経験からわかっている。そのこともあって、週明け直ぐに起こる確率は少ないだろうと誰もが思っていた。当然、その話を新一から聞いていた俺もそのうちの一人。普段通り、滞りなく授業を受けていた。
しかし、そんな余裕はお昼休みになって跡形もなく消え去った。
「美紀の財布が盗まれたの!」
屋上で菓子パンにかじりついていた俺と新一の前に現れたのは、東條さんだった。ここまで駆け上がってきたのか、息を切らしている。
「葵ちゃん。その話、詳しく聞かせてくれない?」
身を乗り出して問いただす新一と同様、俺も先の話が気になった。
東條さんは俺達のことを一瞥すると、ゆっくりと口を開いた。
「四限、音楽で移動教室だったでしょ。授業が終わった後、美紀が教室に財布を忘れたって言うから一緒に取りに行ったの。その時に美紀が……」
東條さんの表情が曇った。
「これって、未来予報に書いてあったことだよね。私、どうしていいかわからなくて」
「東條さんの言いたいことはわかった。とりあえず落ち着いて。藤川は今どこにいるの?」
「み、美紀はピロティにいると思う。私、お弁当で美紀は購買だから。とりあえず、私のお金を貸してお昼買ってきてもらってるところ。もう戻ってくる頃だと思うけど」
東條さんの手が震えている。大切な親友が未来予報に巻き込まれたんだ。無理もない。
「よし、とりあえず行こうぜ。藤川の所に」
「佐藤君……」
「大丈夫だって。本当に盗まれたのかとりあえず確かめないと。もしかしたら、藤川の早とちりかもしれないだろ」
新一は笑みをみせた。しかし、その笑顔とは裏腹に手には握り拳が作られている。新一は精一杯、感情を抑えていた。無理もない。未来予報は新一が敵対すべき記事だ。その記事の対象者に、藤川が選ばれてしまったのだから。
俺達は階段を降りてピロティに向かった。すれ違う生徒達からは、未来予報についての会話が聞こえてこない。どうやら財布が盗まれた可能性があることを知っているのは俺達だけみたいだ。
いつもの未来予報は知られても特に問題がなかった。全て笑い話で終わることができる内容だったから。だけど今回は違う。実際に起こると学校内の問題として扱われるような内容だ。匿名ということがひとり歩きして周囲に伝わったことにより、実際に生じる問題に対して無関心だった。もっと早く気づいていれば、新聞部に事前に問いただすことだってできたのに。
あれこれ考えているうちにピロティに着いた。目の前に設えてある椅子には藤川が座っている。
「美紀!」
「葵。もう、どこ行ってた――」
藤川は東條さんの後ろにいた俺達を見ると、黙り込んでしまった。そんな藤川の元に、新一は歩み寄っていく。
「未来予報に書かれていたこと。起こったんだよな?」
新一の問いに、藤川は俯いたままだった。
「おい。聞いてるのかよ、藤――」
「どうして言ったの?」
新一の呼びかけには応じず、藤川はそのまま東條さんの方に視線を向けた。
「どうして言ったの。葵」
「だ、だって佐藤君は生徒会長だよ。学校内の問題は、生徒会長に言うのが氷山高校の決まりでしょ?」
「そんなの関係ない。私は言わないでって言ったでしょ。犯人は誰か知ってるって。迷惑、かけたくなかったのに」
藤川の言葉に、東條さんは呆然と立ち尽くしたままだった。
普段見たことが無い二人の光景に、一瞬意識を持って行かれそうになる。そのせいで、重要な言葉を聞きそびれるところだった。
「今、犯人知ってるって言ったよね。それ、どういうこ――」
「もう、私のことは放っておいて。お願いだから」
俺の言葉を遮るように藤川は言い放つと、教室の方に駆けていった。
「ちょっと美紀! ごめんなさい。また後で」
東條さんは辛そうな顔を晒して俺達にお辞儀をすると、そのまま藤川を追いかけていった。
二人がいなくなったことにより、静寂がより身近に感じるようになった。ピロティを吹き抜ける風がいつものように心地よく感じられない。
「なあ、大輔。今の学校制度。やっぱり駄目だと思う」
「いったいどうしたんだ。生徒会長」
新一が普段言わないようなことを口走った。
「さっき、葵ちゃんが言ってたじゃん。この学校の制度。生徒会長になってから思ったけど、やっぱりおかしいと思う。そもそも生徒会に重要な役割が多すぎる。学校のほとんどの方針が、先生を通さずに生徒会で決まる環境ってどうなのかって俺は思うよ」
新一の言うことは一理あった。今までは大きな問題がなかったから、よかったのかもしれない。氷山高校の生徒がしっかりしていたこともあると思う。でも、いくらしっかりしていても、学生だけじゃどうしようもできないことがあるはずだ。
「先生達は何て言ってるんだよ?」
「先生達は校外に影響があることしか口を出さないんだ。学内でどうにかできることは、全て生徒会の一存で判断を下していいことになってる」
「それじゃ、もし新一が間違った選択をした場合に、注意してくれる人って……」
「いないな。まあ副会長がしっかりしてるから、止めてくれると思うけど。あ、もちろん大輔も止めてくれるって信じてるぜ」
親指を立てて笑みを見せる新一を無視して、少し考えてみる。
生徒の自主性を第一に考える。独立性と自由。生徒にとっては魅力的な方針に見えるかもしれない。しかし、それは外面だけの話。内面では先生たちの怠慢を生んでいるようなものだ。いくら義務教育ではないからと言って、先生は注意しなくていいことにならない。生徒のいきすぎを抑えるのが大人の役割だと思うのに。
「とにかく藤川のことに関しては、葵ちゃんに任せようよ。暫くすれば、俺達にも話してくれるはずだから」
「……そうだな」
新一の言葉に俺は小さく頷いた。
「それに、俺達は今から行かないといけないところがあるんだからさ」
「行かないといけないところって?」
「新聞部部長の所だよ。今回のことについて色々と聞きたいじゃん」
新一は校舎に向かって走っていった。
新一の常に前向きな姿勢は、俺も一目置くところがある。新一みたいに深く考えずにいられたら。違った視点で色々と見ることができるのかもしれない。
そんなことを思いつつ、俺は新一の後を追いかけた。
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