ただ、ほっこり。

みずみやこ

ただ、ほっこり。

「いしやぁ〜〜きいもぉ〜…」


「あ」


 部活終わりの、帰り道。

 もうすぐ、山間に消えそうな夕日のほうから、のん気な歌声が響いてくる。

 私はそれを待っていた。

 優子もそうみたいで、うきうきと嬉しそうに鞄を振り回す。


「それにしてもさぁ、いっつも聞き取れないよね、あの歌声」


 たしかに。石焼き芋、はかろうじで聞き取れるけれど、その後が、なんだかふにゃふにゃしていて分からない。

 私達は、今度はもっと良く耳をすませた。


『……おいもっ』

「あっ! 今、おいもって言ったぁ!」


 優子がはしゃぎ出す。


「シッ!」


 よく聞こえないよ。私は人差し指を鋭く立てた。

 優子はしゃんと静まりかえった。


『ほっか〜ほっかのぉ〜、焼きたて』


 なんだぁ、ちゃんと聞けば分かるじゃない。

 私は安心して、優子の手を引く。


「焼きたてだって! 早く行こう」


 北風が私達に向かってくるけど気にしない。煌々とオレンジ色に光り輝く夕日に向かって走り出した。

 ちょっとブレザーが窮屈だな。スカートは短くしてるから、邪魔じゃないけど気になるな。 …ま、いっか! 走れば焼き芋が待っている。


「「おいも〜っ!」」


 2人で息揃えて叫ぶ。辺りに人はいない。

 だんだんと、声は近付いてきた。少ししわがれたお爺さんの声。ビブラートの聴いた、どこか懐かしい歌。私が生まれた時からずーっと聴いてきた、石焼き芋の歌。小さい頃優子と一緒に車をこっそり追いかけて、迷子になってしまった記憶。


 風が強く切る音が、耳に馴染んできた頃。私達はようやく石焼き芋屋さんの前に立っていた。

 真っ赤な暖簾の向こうには、ちょうど焼きたての焼き芋に、湯気をあげる大きな石焼き芋鍋。そして、腰に手をやるお爺さん。


「いらっしゃい! 焼きたてがいいだろう、ほら、ちょっとだけ待たぁ出来るよ」

「「やったぁ!」」


 私達はぱちんと手を合わせて、鍋の中を覗き込んだ。良い焼け色をしたサツマイモがちょうど五本、ごろりと鍋の中に転がっている。鍋の近くにいるだけで、十月下旬の寒さが一気に吹き飛んでいってしまう。なによりも、湯気と一緒に吹き付ける甘い香りが大好きだ。


「石焼き芋、久し振りだよね〜」


 優子は笑うと、嬉しそうに私の肩をつついてきた。確かにそうだ。移動式の石焼き芋屋さんなんて、何年ぶりだろう。幼稚園の時に、お婆ちゃんに買ってもらったっけ。焼きたてで、アッツアツで、手に持っていられなくって……。


「ほぅ、久しぶりの焼き芋かい? お嬢さん達」


 お爺さんが話に乗ってきた。私は頷いて、お婆ちゃんに買ってもらった時のことを話した。すると、愉快そうに、お爺さんは大笑い。「そうだよなぁ、包み紙があっても焼きたては飛び切りあちぃからなぁ。でもそれが一番食べ頃なんだよなぁ」


 そうだよね。私も、あの時のほくほくの焼き芋は忘れられないな。黄金色で、ちょっぴりオレンジ色。皮はパリパリで剥きやすく、齧ってみればお芋が蕩けて–––––––。

「どうしたの? ヘンな顔して。また亜美のおかしな癖が出てるわよ?」


 優子がこちらの顔を覗き込んできて、はっ、と我に返る。しまった。私の悪い癖。昔のことを思い出すといっつもこうなってしまう。口からよだれが出て、目線がどっかいってしまって。こうして優子に注意されないと、戻れないんだ。もう高校生なんだし、早く直さないと…。


 でもやっぱり、お芋は特別だ。


 また同じやりとりを繰り返していると、今度はお爺さんが言った。


「ほら、出来たぞっ! お待ちどうさま、『ほっこり焼き芋』! 中サイズ、一本四百円!」


 お爺さんが威勢良く告げて、お会計を済ませると、車はゆっくりと動き出した。私達はお芋片手に手を振って見送った。お爺さんは一度だけ手を振ると、すぐに消えてしまった。紅葉の並木道を、ゆっくりと下る車は、いつまでも歌を歌っていた。




「…さて、じゃあ!」

「「いただきます!」」


 せーので、私達は一気に焼き芋にがぶりつく。まるでこのお芋の中から暖かい風が吹いてくるかのように、私の髪は一瞬浮いた。相変わらずふわふわしていて、覗いた黄金色の身は、きらきらと輝いていた。それは、今さっき沈んだ夕日みたいに眩しかった。舌の上でとろとろ溶けて、飲み込む時には甘い蜜を喉に流しているよう––––。ああ、懐かしい。これが、これがあの石焼き芋だ。


「おいし〜っ!!」


 優子が、ほっぺたが落っこちそう、と言いながら片手で頬を抑えていた。彼女の口元にはオレンジ色のお芋のかけらが付いている。でも、私は言わないでおいた。

 ついさっきまで私達を攻撃していた北風が、温かい風に生まれ変わった。焼き芋に齧り付き、咀嚼し、胃の中へ。それを何回も繰り返して、あのお爺さんの優しさと、あの時のお婆ちゃんのあったかい手が記憶に思い出させてくれた。心の奥底から、その記憶がほっこりと私の全身に浸透した。


 優子がふいに、口に出した。


「ねぇ亜美。私達一回、あれと同じ車を追いかけたことがあったわね……」

「うん、そうだねぇ」

「あのお爺さん、気づいてくれてたかなぁ」

「…どうだろう、ねぇ」


 私には、分からない。あの時の記憶は定かじゃないもの。

 でもお爺さんが売っていた、『ほっこり焼き芋』というメニュー名は変わっていなかった。


 変わっていなかったことが嬉しい。こうして、焼き芋屋さんは私達の心にいつまでも残ってゆくのだろう。

 あの尊い、歌声と共に。

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ただ、ほっこり。 みずみやこ @mlz

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