第4話
長年、連れ添った甲斐もあり、漫才の呼吸は、ぴったり一致していた。小さな箱だったが、客の入りも悪くなかった。まさか、夫と夫婦漫才をするとは、客席で見ていた頃には、思いも寄らなかった。
「アコーディオンを習いたいんだ。」
夫は、あっけらかんとそんなことを言う。今のご時勢、アコーディオン漫才が流行るとは、到底、思えなかった。しかし、夫の目は、真っ直ぐである。
「今のまんまで、十分じゃないのさ。」
それよりも劇団員を、増やすことを私は考えていた。
「俺にゃあ、弟子がいるから、あいつらに頼んでもいい。」
夫には、楽観的なところがあると、気づいたのは、その頃からである。しかし、何故か喧嘩する気にはなれないところがある。
案の定、夫はアコーディオンを習い始めた。そして、私はそれに合わせて、小唄を歌った。夫は、芸に関しては、努力の天才である。天性のものは持たないが、一つのことをやらせたら、とことんやり込む。劇場の支配人も、そこの部分は、買っていたようである。
今の時代、何が受けるかという勝利の方程式はない。落語家だった頃の固定ファンもいて、客の入りは、いつもながらである。何より、夫は、客を飽きさせなかった。
落語家の弟子時代からの付き合いで、その都度、泣き言を電話越しに言っていた、夫の姿は、もうそこにはなかった。夫が、次々と企画を出すので、私は、考える暇も無いほど、楽に動けた。
落語家時代のお弟子さんたちに頼んで、寸劇を演ったり、落語を基軸に劇を作ったりもした。毎日が、泣けるほど楽しかった。
「信号が赤だ。」
「女房に言うなよ。」
「飛行船が飛んでるね。」
「ブラームスはやだね。」
劇中にそんなイリュージョンを持ち込んでは、客を沸かせたりしていた。
「アンタ、一生こんな暮らしが出来たら、いいわね。」
「俺は、疲れてんだ。」
夫は、ふて寝して、そう言った。思えば、企画、立案、出演までこなす夫が、疲れていないはずが無い。
「この劇団を継いでくれる奴を、俺は探してんだ。」
ボソッと言った一言が、胸を指した。苦労時代を見て、全盛期を見て、衰退期を見ている。そして、順風満帆に思えている今が、一番つらいという事に、何故、隣にいる私が、気づけなかったのだろう。
「アンタ、たまには酒でも飲みなよ。」
「酒はいけねぇ。芸を狂わすんだ。」
芸に生きた夫は、決して道楽をしなかった。その日、私は、善哉を作った。
「あいつ、いい年の取り方してるよ。」
そんな声が、世間からは、聞こえてきた。
(全然違うよ。)
そんな心の声が、やがて私を包み込んだ。
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