第8話 出立

 準備を整えたわたしは、お母さんと子どもたちにお別れの挨拶をする。

 ……もしかしたらもう二度と会えないかもしれない。その事も伝えて。


「お姉ちゃんいかないでぇ……」

「会えないなんていやぁ! 行かないでよぉ……ふぇぇぇん」

「お姉ちゃんね、大切な人を助けに行くの。怖い人たちに捕まっちゃってるんだ」

「たす、けに?」

「うん。お姉ちゃんじゃないと助けられないんだよ。みんなとバイバイするのは寂しいけど、絶対また会えるから。またみんなと遊びたいからね」

「またあえるの?」

「もちろん」


 子どもたの目線に合わせて屈むと、一人ひとりの頭を撫でてぎゅっと抱きしめる。


「絶対、絶対また会いに来るから。今度は大切な人を連れて」

「そんなに、大切な人?」

「そうなの。世界的に一番大切な人」

「そうなんだ……。お姉ちゃん、約束……絶対守ってね!」


 最後には分かってくれた子どもたち。

 毎日を一緒に過ごしてきただけに、唯一の居場所であったここから離れるのは辛い。

 でも、リーゼが待っているから。わたしは今まで怖くて躊躇い動けずにいた一歩を踏み出せるんだ。

 リーゼを助けるために。

 リーゼと共に歩むために。


 子どもたち一人ひとりに挨拶を済ませ、最後にお母さんの方を振り向く。


「エリカ……気をつけて。私たちはいつでもあなたの味方。いつでも戻ってきなさい」

「……今までずっとありがとう、お母さん」

「今生の別れみたいな事は言わないの。あなたがここで学んだこと、行ってきたこと。……全てをあなたの母として誇りに思います。胸を張って、行ってらっしゃい」

「っ……! ……ありがとう。行ってきます」


 言葉に詰まって両手を広げたお母さんの胸元に飛び込むわたし。抱きしめ合っているところに、周りから子どもたちもしがみついてくる。

 こみ上げてくる何か。……わたしは感情を抑えきれず、顔を埋めていた白いお母さんのスカプラリオに点々と黒い染みが生まれる。

 いつもと変わらない暖かさを持つ手で、優しく撫でてくれるこの感触もきっとしばらく……もしかしたら永遠に再び感じることは出来ないのだろう。

 わたしがわたしとして認められた。ただそれだけで嬉しくて。


 涙を誤魔化し、お母さんや子どもたち、馴染み深いこの家の一つひとつの細かな動作や物を忘れてしまわないようにじっくり脳裏に焼き付けながら、名残惜しさを振り切るようにして今までの人生で長い時を過ごした孤児院の門をくぐると、わたしはシルヴィさんと共に歩き出した。


 しばらくして十字路を角を曲がる直前。

 ふと振り返ってみると、門から子どもたちが心配そうな顔で。お母さんは笑顔でこちらを見守っていてくれた。

 わたしはみんなに向かって小さく呟く。


「いままでありがとう。さよなら。……またね」


 今度こそ本当の意味で、わたしは飛び立ったのだ。




 * * *



「リーゼのいる場所へはどうやって向かうんですか?」

「王都の外に馬車を用意しています。それに乗って急ぎます」


 みんなの姿が見えなくなったところで、シルヴィさんが歩くスピードを上げる。

 普段から暴れまわっているわたしには全く苦にならない。

 チラリとこちらを見て、余裕があると判断したのか更に足を早めるシルヴィさんに付いて、そろそろ数重に渡って王城を守るように築かれている城壁に辿り着こうかという頃。


「こっち!」

「うっ、ぐぁっ……!」


 ただでさえ止まるには数歩を要するような速度のまま、真横の路地に大きく跳躍して飛び込んだシルヴィさんに引っ張られるような形で転がり込んだわたし。

 常人では不可能な挙動に、……一体どんな身体能力を持っているの? と疑う暇もなく走り出すシルヴィさん。

 ありえない方向へ強力な力で引っ張られてた事により、肩が外れかけた痛みに耐えながら私も彼女の後を追う。


「ったた……。どうしたんですか?」

「城壁をとおる門に検問が敷いてありました。普段なら絶対にあり得ないはずなのに……」

「……! まさか、検問なんて今まで王都で見たことないのに」

「私たちに気付きかけた警備兵がいたので咄嗟に脇道に逸れました。今思えばきっと近衛騎士が派遣されていたに違いありません。……もしかしたら気付かれているかもしれないです」

「…………」

「ここからは全力で行きます。……付いてこれますか?」

「もちろん」

 

 愕然としながらも即答する。リーゼを助けるためならば何だって出来る。

 決して弱音は吐かないと自分自身に誓ったのだから。


 シルヴィさんはわたしの目を見て、小さく頷くと一気にスピードを上げていった。


 カッカッカッカッカッカッ……


 狭い路地の石畳に木霊しているはずの足音を、周りの勢い良く流れていく街の風景と共においてけぼりにしながら風のように走る。


 シュタッ、タタンッ!!


 数軒ほど先を走るシルヴィさんが石畳を思いっきり蹴って屋根の低い民家の屋根へと飛び上がる。そして更に次の屋根に飛び移るとそのまま走り続けている。

 わたしは猛スピードで走りながら周囲を見てルート構築をする彼女のスキルに唖然としながらも、考えるより先に足を動かして屋根に飛び上がる。


 がっがっダァァン……!


 鈍い音を響かせながらなんとか飛び移る。

 チラリと下を見ると、普段シルヴィさんがリーゼと一緒に孤児院に来るときに、いつも外套の下に身につけている鎧と同じ種類を着た数人の人影がわたしたちの後を追うかのように路地を駆けてきている。


「シルヴィさん!!」

「やはりバレてましたね。……分かっています、振り切りますよ」


 落ち着いた声。

 いつもと変わらない様子にわたしも少し安心感を覚える。

 ……きっとこの人に付いていけば大丈夫だ、そう信じているから。


「相手はやはり近衛騎士。つまり陛下のご命令という訳ですか……」

「大丈夫です。……わたしはリーゼと一緒にいるためならば、国を捨ててでも助けに行きます」


 力強く答えたわたしに、走りながら目を見つめてくるシルヴィさん。

 彼女の目は覚悟を纏っていた。

 孤児院を発つ前に語ってくれた想いに偽りはない、と。


 わたしは首から下げているリーゼに貰ったペンダントを片手で握りしめながら頷く。


 ピタリと立ち止まり、すうっ……。と息を吸い込むシルヴィさん。

 隣に追いつくと、彼女の体に物凄い勢いで周囲の魔力が吸い込まれて行く。


「……シルヴィ・グリスアテナ。参ります」


 すぐ側にいたわたし以外の誰にも聞こえないほど小さく、そして強く呟かれた口上。

 ……この時初めてシルヴィさんの家名を知った。


「はあぁっ!!」


 吸い込まれ圧縮された魔力は、圧縮されて強い圧力を持った重力へと変換し、走ってくる近衛騎士に一瞬で狙いを定めたシルヴィさんの指先から魔法が放たれた。


「「「ぐはぁぁっっっ!!!」」」


 その場に崩れ落ち、石畳の上に這いつくばる近衛騎士たち。

 普通は目に見えない魔法。その心得のあるわたしが見たからこそ理解できる、シルヴィさんの魔力の強さ。

 もし目撃者が居たとすれば、屋根の上のシルヴィさんが軽く手をかざした一瞬もする間もなく近衛騎士たちが倒されたように見えただろう。

 あるいは近衛騎士たちが偶然、全員全く同じタイミングで躓いたようにしか見えなかったはずだ。


 どうやら人差し指を上下することで重力圧を調整しているようで、全員の意識を刈り取るまで指を一番下の位置から動かさずにいた。


「これでもう、お尋ね者確定ですね。……後悔していませんか?」

「いいえ。全く」

「それなら良かった」


 あまり多くの言葉は交わさず、わたしたちは今度こそ慎重に移動を始めた。


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あなたと共に歩むためなら、手段は選ばない 五月雨葉月 @samidare_hazuki

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