第74話 フラッシュ

 池の縁から顔を半分だけ出して、周囲を見渡す。

 人影はひとつ、秋葉蒼だけ。

 ただし、中央広場のこうこうと焚かれたかがり火のせいで逆光となり、その表情をうかがい知ることは出来ない。


「見えなくたってわかるよ、絶対勝ち誇った表情で私を見下ろしているよ……」


 ゆるせん……。

 ぎゃふんと言わせてやる。

 必ずやつを金の斧の池に引きずりこんで、ぶくぶくさせてやるんだから……。


「ほぉら、ナビー、仕返しは終りだよ、今度は大丈夫だから、あがっておいで」


 と、秋葉が再度手を差し出す。


「もう騙されない」


 そっぽを向く。


「ははは、疑り深いな、ナビーは」


 そっぽを向くついでに後方の、エシュリンが隠れているだろう森の中に視線を移して、彼女の位置を確認する。

 こっちから森の方角は順光になっていて、彼女、エシュリンの姿はすぐに視認することが出来た。

 彼女は木の陰というより、下草の茂みの中にしゃがんで隠れている。


「うーん……」


 私はエシュリンに手信号を送る。

 自分と彼女の目に指二本を向け、そのあと人差し指で合図を出す。


「通じるかなぁ……」


 でも、私の不安とは裏腹にエシュリンは満面の笑みでうなずき、森の奥に消えていく。

 通じたみたい。


「次はどうしよう、ぶくぶく……、蒼をなんとかしたい、ぶくぶく……」


 というか、寒い! 


「ナビーが上がって来ないんじゃ、しょうがないか……」


 と、秋葉が伸ばした手を引っ込めて立ち上がる。

 そして、振り返り向こうを向く。


「うん? 諦めたのかな?」


 よし、この隙に逃げよう、そして、浴衣を着てこよう、本当に風邪引きそうだから。

 私は音を立てないように、平泳ぎで対岸に向かって泳ぎ出す。


「いや、待てよ、これはチャンスなんじゃないの?」


 再度方向転換して、池の縁に向かう。

 そして、また池の縁にちょこんと手をかけて周囲を見渡す。


「うーん……」


 暗くて見えない……。


「あ、秋葉くん?」


 と、きょろきょろ辺りを見渡しているとそんな声が聞こえてきた。


「あ、あれ? 鹿島さん? どうしたの?」


 逆光でよく見えないけど、どうやらそれは女性班の鹿島美咲のようだった。


「どうしたもなにも……、秋葉くんが呼び出したんだよね?」

「いや、俺はなにも……」

「え? だってほら?」


 と、鹿島が秋葉に紙切れを差し出して、それを見せる。


「あ……」


 秋葉が小さく驚く。

 鹿島美咲かぁ……。

 どんな内容で誘いだしたんだっけぇ……。


「うーん……」


 首をかしげて思い出そうとする……。


「うーん……」


 でも、思い出せない。


「うん、それでね、秋葉くん、やっぱり何回言われても出来ない……、みんなの前で服を脱ぐなんて……」


 池の縁にかけていた手が滑り落ちて、ばしゃんって音を立てた。


「え? 誰かいるの?」


 やばい、びっくりして音立てちゃった。


「さ、さぁ、と、鳥かなんかじゃない?」


 と、秋葉が動揺しながらも、ちらちらこっちを見ながら対処してくれる。


「そ、そう?」

「それより、そっかぁ……、出来ないのかぁ……、まぁ、出来ないなら、出来ないでいいよ、冗談だからさ、ははは、気にしないで……」


 とか秋葉が言ってる……。

 いや、その前にさっきクラスメイトには変なこと言ってない、ナビーにだけだよ、とか言ってなかったっけ? 


「え? 冗談なの? あんなに真剣に話してくれたのに……?」

「ははは、冗談だよ、そんなの本気にしないで、鹿島さん、ははは……」


 なんか、鹿島よりも、こっちを気にしながら言い訳してる。

 うん、ウソなんだね。

 あいつクラスのみんなにも同じようなことしてたんだね! 

 ゆるせん! 

 というより、寒い! 

 もう駄目だ! 

 私は音を立てないように、そーっと池から這い上がる。

 そして、すけすけの水着を見られないように、ほふく前進で二人のうしろから忍び寄る。


「ひ、酷い……、真剣に悩んだのに……、いいです、このことはみぃちゃんや東園寺くん、人見くんに報告させてもらいます」

「ち、違うんだ、誤解だ、それだけはやめてくれ、そ、そう、冗談じゃないんだ、本気なんだ!」


 なんか、口論ぽくなってる……。

 最初は寒いから鹿島のうしろから抱き着いて、冷え冷えの手を襟元から差し込んであっためようと思ったけど……。

 鹿島は秋葉の向こうで遠い。


「ほ、本気って、それじゃ余計……」

「そ、そうなんだよ、これは俺と君だけの秘密にしてほしいんだ」


 ほふく前進で秋葉のすぐうしろまで来て、そのまま彼の背中を見上げる。

 白いシャツ……。

 それが風になびいてひらひらしてる……。

 そして、あったかそうな背中が見える……。 


「おお……」 


 口の中でつぶやく。

 のそのそと彼の足を伝って登っていき、ベルトに手をかけ、そのまま冷えた手を秋葉の背中にぴたりと押し当てる。


「ひっ!?」


 秋葉が変な奇声を発する。


「あ、秋葉くん!?」

「い、いや、なんでもないんだ!」


 白いシャツに頭を入れてっと……。

 お? ぶかぶかのシャツに見えたけど、結構キツキツだぞぉ? 


「ひゅ、えう、はう!?」

「ど、どうしたの、秋葉くん!?」


 くっ、狭い……。

 ぴったり彼の背中に張りつきながらシャツの中に入っていく。

 おお……。

 シャツがキツキツでずり落ちない。

 これは楽……。


「ぷはぁ……」


 と、襟から顔を出して、大きく深呼吸をする。

 彼の腰を両足で挟んでずり落ちないように身体を固定する。

 そして腕も前にまわし、冷えた手を彼の胸あたりに押し付けて暖をとる。

 あったかぁい……。

 ぺたぺた、ぺたぺたと触りまくる。

 おお、胸より、首元のほうがあったかいぞぉ。


「ひっ!? え、ひゃ!?」

「あ、秋葉くん、ホントにどうしたの!?」

「え、ちょ、ナ、ナ――」


 と、私の名前を出そうとしたので、耳元に口を近づけて、


「めぇ……」


 おっと、間違った、それはシウスだ。


「ねぇ、いいの、蒼? 前に私に言ってたこと、美咲に教えちゃうよ?」


 と、囁いてやる。


「え……?」

「え、って、あれだよ、みんなの前で服脱いで、私はメス豚です、秋葉くんの奴隷ですって言うやつ」

「うぐ、やめてくれ、そんなことしたら、本当に東園寺たちに報告されてしまう……」

「ね、困るでしょ? だからね、私が蒼の背中に取り憑いていることは、みんなには内緒にしてて、そしたら、言わないでいてあげる」

「わ、わかった、ほんの出来心だったんだ、もう許してくれ……」


 よし、取り引き成立。

 これで、秋葉は私の意のままに動く。


「ね、ねぇ、秋葉くん、誰と話しているの……?」

「い、いや? 誰とも、ただの独り言……」

「そ、そんなことより、あ、秋葉くんのお腹、なんか、膨れてない? 服の中に何か入れてるの?」

「あ、ああ……、ちょっと寒くてね……、念入りに腹巻を巻いているんだ……」


 と、秋葉が苦しい言い訳を繰り返す。

 うーん、なんか、うまく抱き着けない……。

 こう、腕を襟元から出して、首に抱き着くようにして……。


「ひっ!? なんか、秋葉くんの首から手生えてきたよ!?」

「え? いや、いや、そんなわけないだろ、ははは……」


 と、秋葉が私の手を掴んでシャツの中に押し込もうとする。

 だが、負けん! 

 彼の手を振りほどいて首に抱き着く。


「ははは、ははは……、こら、こら……」


 さらに、秋葉がその腕を引き離して、尚もシャツの中に押し込もうとする。


「こ、怖い、なんなの……」


 鹿島が後ずさっていく。


「あれ、鹿島さん?」

「それに秋葉も、二人で何やってんの?」


 と、そんな声が聞こえてきた。


「お、おまえら……」

「山本くんに佐々木くん……」


 それは、生活班の山本新一と佐々木智一だった。


「てか、なんなの、その服装、秋葉……、ひっ!?」


 あ、やばい、山本と目が合っちゃった。

 私はとっさにシャツの中に頭をひっこめる。


「な、なに、き、金髪でてるぞ!?」

「え? ははは、エクステっていうか、マフラーっていうか、まぁ、そういうやつ、オシャレだろ? ははは……」


 と、秋葉が私の髪をなでる。

 うーん……。

 塗れた髪の毛が背中とかに張り付いて気持ち悪い。

 水着もびしょぬれで不快……。

 私は秋葉のシャツの中でもじもじする。


「ひ、ひぃい、お、おまえ、絶対シャツの中になんか隠してるだろ!?」

「ち、ち、違うって、誤解だから、ははは」


 と、秋葉が私の腰のあたりを掴んで動きを止めようとする。


「やっほー、みんな、なにしてるの?」

「おお、奇遇だな、おまえらも池に用事あるのか?」

「お、なんだ、なんだ、みんな集まって」


 と、さらに数人がやってくる。


「おお、みんな、なんか秋葉がおかしいんだよ」

「そう、そう、このお腹、見て……」


 そっか、もう20時頃になるのか、待ち合わせの時間だね。

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