第15話 露天風呂

 窓から心地いい風が吹き込む……。

 天気もよく、柔らかい日差しも同時に差し込む。


「約5億年前に、植物が魚や昆虫に先駆けて陸上に進出します。この時代を古生代といい……」


 今はこの小さなロッジのような建物の中で授業を受けている。


「昆虫はそのあと、約5千万年後に上陸します。一方、私たちの祖先である、脊椎動物はと云うと……」


 今は理科の授業中。


「なぜ、昆虫や脊椎動物が地上に進出できたかと云うと、それより先駆けて進出していた植物が劇的な進化を果たし、地上に広大な森を形成したからであって、その堆積物により……」


 先生は綾原雫。

 彼女には申し訳ないけど、心底興味がない……。

 私は窓の外が気になってしょうがない。

 ああ、シウスとかチャフとかピップたちと遊びたい……。


「こら、ナビー、ちゃんとノートをとりなさい」


 と、うしろで見張っていた女性班の班長、徳永美衣子に叱られる。


「はぁい……」


 と、私は授業の内容をノートに書き込む。

 くっ、これは絶対、女性班の陰謀だよ……。


「虫、虫……」


 小学校に戻っても、授業に付いていけるように、って事らしいけど、私だって小学校くらい出てるから、まぁ、中学は中退だけどさ……。


「ナビー、ここまでで、何か質問はある?」

「うん? む、虫……、えっと、む、虫って、どうして、幼虫と成虫ではあんなに姿が違うんですか……?」


 と、ちゃんと授業を聞いているふりをして質問する。


「いい質問ね、ナビー、それは不思議に思うよね。一般的には環境の変化に対応するため完全変態すると言われているけど、最近の研究では、幼虫とは卵の一種、つまり、幼虫と成虫は同じ生き物ではなく、別の生き物、動ける卵という解釈が多数派を占めてきているわ。ピップも卵から成長してあの姿になったとは考え辛いけど、卵から孵ってあの姿になったと思えば理解できるでしょ? それと同じよ」


 意味がわからない、そもそも、興味もない、心底どうでもいい……。

 興味があるものと言ったら、やっぱり、シウスやチャフとかあのひよこたちだよね。

 あとお洋服。

 私に合うサイズのお洋服がなかったから、今、福井たちに作ってもらっている、真っ赤なやつ、超楽しみ。

 それと露天風呂! 

 ついに完成したんだよ! 

 今日から入れるんだよ! 


「それでは、本日の授業はここまでにします……」

「はぁい! 先生、ありがとうございました!」


 と、私は急いでノートや筆記用具を片付けてロッジから駆け出していく。

 石畳の道は走りやすく、足を踏み出すたびにワンピーススカートのすそが風に広がる。

 私は強い陽射しの中、両手を広げて全力疾走。


「お、ナビー、今日も元気がいいな!」

「転ぶなよ!」


 と、屋根の上に登って作業をしている生活班の二人、佐々木智一と安達一輝が大きな声で言う。


「大丈夫だよ!」


 私も大きな声で、大きく手を振りながら答える。

 それにしても、ラグナロク広場もずいぶん町らしくなってきたよね。

 ロッジ風の小さな木造の家が10軒ほど、それを繋ぐ石畳の道……。

 その街並みを抜けると、牧舎と放牧場が見えてくる。


「めぇ!」

「めぇえ!」

「ぴよ、ぴよ!」

「ぴよっぴぃ!」

「ぴよぉ!」


 と、総出で私を出迎えてくれる。


「シウス、チャフ、ピップ、スカーク、アルフレッド! ちょっと、待っててね、先にお風呂見てくるから!」


 私は彼らがいる牧柵の前を走りすぎる。

 やがて、木の囲いが見えてきた。

 私は迷わず、その囲いにあるドアを開いて中に入る。


「公彦! どんな感じ!?」


 露天風呂の床は、外の石畳の道と同じ素材だけど、外のより決めの細かいタイルのような感じになっている。

 で、湯船はと云うと、かなり大きい、直径3メートルくらいある、8畳間くらいの大きさ。


「ナビーフィユリナ、まだ水漏れがあるが、まぁ、大丈夫だろう、今、湯を沸かしているところだ」


 お湯は湯船から鉄パイプを通して、その鉄パイプの下で火を焚いて沸かす方式を取っていた。

 木の囲いの外にはもくもくと立ち昇る煙が見える。

 私は湯船に近づき、しゃがんでお湯に手を入れて温度を確かめる。


「冷たぁい、水だよ、これ……」


 たぶん20度くらい……。


「もう一時間くらい焚いているんだがな……、少し湯船が大きすぎたか……」


 そう、湯船が大きい、湯船自体は数日前には完成していたけど、水を入れるのに二日ほどかかっていた……。


「だが、心配するな、あと3、4時間もすれば沸くだろう、夜には入れるぞ」

「本当に? 嬉しい!」


 と、私は飛び上がって喜ぶ。


「ああ、楽しみにしていろ」


 と、東園寺が少し笑って私を見る。


「じゃぁ、私はシウスたちの世話に戻るから、あとはよろしくね!」


 私は上機嫌で露天風呂をあとにする。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ついに夜が来た。

 私は待ちきれずに、お風呂セットを持って露天風呂に駆けていく。


「ナビー、そんなに走らないで、また転ぶから」


 と、夏目に注意される。


「大丈夫! 大丈夫! 翼もはやく!」


 私は振り返って彼女に手を振る。

 そしてまた露天風呂目掛けて全力疾走。


「めぇ……」

「めぇえ……」

「ぴよ、ぴよ……」

「ぴよっぴぃ……」

「ぴよぉ……」


 と、私の気配に気付いて、シウスたちが牧舎から出てくる。


「ああ……、ごめんね、今からお風呂なんだよ……」


 牧柵の上からチャフの頭をなでる。


「ホント、びっくりするくらいナビーになついてるよね、その子たち」

「たぶんお母さんだと思ってるんだよ」

「その子たちだけじゃないよ、みんなナビーのことが大好きだよ」


 夏目たちに追いつかれた。


「じゃ、いこっか」

「うん、翼!」


 と、私たちは露天風呂を目指す。

 ちなみに、お風呂に向かっているのは、8人。

 残りの女子7人は私たちのあと。

 男子は次の機会、お湯を取り替えて三日後となる。

 そんな感じで交互に入るので、お風呂は六日に一回と云うことになる。

 その間はシャワーで我慢。


「わぁ!」


 かがり火の中に浮かびあがる湯船と湯煙。


「今さらだけど、脱衣所を作るの忘れてるよね」


 と、笹雪がぽつりと言う。

 そう言えば、そうかも……。

 でも、今更そんな事言ってもしょうがない。

 私は服を脱ぎはじめ、その服を囲いの上にかけていく。


「よし、一番のり!」


 と、露天風呂に向かう。

 天井がないせいか湿度はそれほどなく、タイルも乾いていて、ひんやり冷たかった。


「ナビー、駄目よ、ちゃんと頭と身体を洗ってからね」


 綾原が衣服を脱ぎながら釘を刺す……。


「うー……」


 と、私は置いてある桶を手に取り、それでお湯を汲んでシャワー代わりのバケツに入れる。

 速攻で洗おう。

 と、私は適当に髪を洗う。


「よし! 終り!」


 再度、湯船に向かおうとする。


「まだよ、ナビー」

「ちょっと、待って」


 みんなが服を脱ぎ終わってやってきた……。

 私は椅子に座らせられる。


「ちゃんとトリートメントもしないとね」

「身体も洗ってないよね、見てたんだから」


 と、私の身体が泡だらけにされる……。


「い、いや、やめて……」

「せっかく綺麗な髪なんだから、ちゃんと手入れしないと駄目よ」

「ほら、じっとしてて、ナビー、洗えないから」


 くすぐったい! 


「ここも汚れているよね」

「あ、や、そ、そんなとこ、触らないで!」


 やばい、超楽しい、なんだ、これ。


「あ、あっ! きゃっ……、きゃっ!」


 身悶えしちゃう。


「こんなものかな……」

「うん、流しちゃいましょう」


 と、みんながそれぞれ桶を持って私の頭からお湯をかける。


「ひっ、えうっ……、きゃっ!」


 変な声がでちゃう。

 私は顔のお湯を手で拭って、張り付いた髪をかきわける。


「髪の毛が背中にくっついて気持ち悪い……」

「待ってて、ナビー、タオルで巻いてあげるから」


 でも、そんなものは気にしない。


「大丈夫、あとでいいよ!」


 と、夏目の言葉を無視して立ち上がり湯船に向かう。

 そして、湯船につま先を入れる。

 そのまま円を描くようにかき回す……。

 うっ……。

 なんか、深そう、ちょっと怖い……。

 なので、足をひっこめて、湯船の縁に腰掛ける。


「よ、よし……」


 そっと、お湯の中に入る……。

 うーん、湯加減はぁ……、普通と言うか、身体を念入りに洗ったせいか、丁度よい湯加減に感じる……。

 深さは、だいたい太ももの上のほうまでくる。

 私はおそるおそる、お風呂の真ん中まで歩いていく。

 そして、真ん中まで行き、そのまましゃがんで肩まで浸かる。

 座るとお湯が口までくる……。

 ぶくぶく……。

 ぶくぶくぶく……。

 な、なにこれ、超楽しい! 


「ぶるぶるぶるぅ……」


 ああ、お尻が浮いてきた! 

 私は手を平泳ぎのようにして、身体が倒れないようにする。

 うわ、うわ、うわぁ! 

 倒れる、倒れる! 

 それでも仰向けに倒れてしまう。

 でも、そのまま足を伸ばすと、なぜか、身体がすっとお湯の中に浮く……。


「ああ……」


 ぷかぷかとお湯に浮く……。

 長い金髪がお湯の中を気持ちよく漂い広がる……。


「ああ……」


 両手を広げてお湯に浮く……。


「ああ……、星が綺麗……」


 どこまでも深い空、満点の星空……。

 不思議な浮遊感……。

 宇宙の中を漂っているような、そんな感覚だった。


「ああ……、信じられないくらい気持ちいい……」


 なんだろうね、これ……。

 そっと、目を閉じる。


「でも、幸せだなぁ……」


 そして、胸を満たす、多幸感……。


「な、ナビー、溺れてないよね、生きてるよね?」


 と、声がしたので目を開けてみると、そこには心配そうに私を上から覗き込む夏目の姿があった。


「もちろんだよ、翼……」


 彼女の頬に軽く指をはわす。


「三週間ぶりだねぇ……」

「うん、凄く久しぶり」

「はぁ……、生き返る……」


 と、みんなも身体を洗い終わったのか、次々湯船に入ってくる。

 私は体勢を元に戻してぶくぶくする。


「それでも、たった三週間よ、ここまでくるのに」

「私たちって凄いよね、もう普通に生活してるし」

「開き直っている部分も大きいよね、覚悟を決めたっていうのか……」


 ぶくぶくぶく……。


「うん、もう一生お家には帰れないかもしれないね……」

「そうだね、でも、こんな綺麗な星空を見ながらお風呂に入れるんだから、それでチャラでいいよ」

「みんなには叩かれるかもしれないけど、私は毎日が充実している、毎日が発見の連続で、今はここに来てよかったとさえ思っているわ」


 最後の言葉は綾原雫によるものだ。

 ぶくぶく……。

 泡がお鼻にかかって、くすぐったい。


「発見ねぇ……、アスタナ、美くしき、流れのほとりで、慈雨にその身を任せ、癒しの精霊糸ミインテールレット


 笹雪の指先からクモの糸みたいなのが無数に噴き出す。


「この魔法にしても、どうしてこんな事が出来るんだろうね……」


 彼女がしみじみと、指先から伸びた白い糸を見る。


「やめて、めぐみ、お湯が汚れる」

「大丈夫だって、ひらり」


 と、笹雪が指をパチンとすると、その白い糸は消えてなくなる。


「やっぱり、ここ地球じゃないのかぁ……」

「魔法が決定打だったよね」

「東園寺くんたちの持っている剣も切れ味が異常だしね」


 ぶくぶくぶく……。


「ナビーちゃん、それ、絶対よだれも出てるよね?」

「だよね、ナビーのまわりになんか浮いてるし」

「ああ!? 汚いからやめて、ナビー!!」


 ぶくぶくぶくぶく……。

 やだ、やめない、だって、楽しいんだもん。


「いいよ、かわいいから許す」

「何それ、確かにかわいいけどさ……」

「あはっ、かわいいは正義って本当だったんだね」


 と、みんなで笑いあう。

 ぶくぶくぶくぶく……。

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