第6話 水鳥バスと危険極まりない溝

 ヨシの「舟」で遊ぶヌートリアとウ達を尻目に、私たちは目的地の『ジャパリ銭湯』を目指し、湿原の道を進む。歩くうちに水辺が少なくなっていき、なだらかな丘陵地帯が見えてくる。


 そしてその丘の下り斜面には……が放置されている。


「……何ですかアレは? ……バスのように見えるけど?」

 私がいぶかしんで尋ねると、ヘビクイワシさんが答える。

「わたくし、知ってます。『ばす』って『のりもの』の一種でありましょう、『かばんさん』が乗ってたっていう。ちょっと近寄って、調べてみましょうよ?」




 私たちはその乗り物に近づく。近くで見ると、これは一般的なバスではなく、になっただ。

 しかも、外装がになっていて――褐色や青色のや、黒と黄色のの塗装が施されている。モチーフはカルガモだろうか……? なんともジャパリパークっぽいセンスだと思う……。


「なにこれなにこれ!」と、好奇心旺盛なカラカルがネコパンチでカルガモバスの車体を叩いている。


 外装がかなり厚いし、重量はかなりある……スクールバスというよりサファリバス……いや、に近い。機銃などの武装こそないけれど……猛獣はおろか、大きめのセルリアンの攻撃でも、ある程度は耐えられそうに見える。


のお話で見たことあるけど、『ばす』ってウマが引っぱってるモノなんじゃないの?」

 キリンがまたヘンなことを言う。なぜあなたはそう知識が偏っているのか?

 あのな~、それはバスじゃなくてバシャだろ……と思ったが、語源の乗合馬車オムニバスのことをふまえると彼女は正しいのか?


 湿気が強いせいか、塗装はだいぶさび付いている。「JAPARI SCHOOL BUS」という、ブルーとオレンジの文字が辛うじて読める。スクールバス……さっきのバス停の表示によると、サバンナ地方には学校があるらしいが、その関係車両だろうか……?


 軋むドアを無理やり押し開けて、私は一番手に内部に入る。フレンズ達もぞろぞろと後ろに続く。車内はほとんど荒れていないに等しく、乗り捨てられたままの状態といっていい。合成繊維の座席シートの表面や内部の緩衝材がかびているようで、車内に広がるむわっとした悪臭が少し鼻をつくが、フレンズ達は特に気にしていない様子だ。




 まずは運転席の状態を観察する。以前私が乗ったバイクと同様に、操作系はAT仕様。比較的状態が良いようには見える。モニター画面やバッテリーの状態を示すコンソールからすると、電気自動車EVのようだが、すべてが完全にコンピューター制御というわけでは無いようだ。通常のバスの運転用の計器や操作に加えて、機構の制御用らしいレバーやスイッチ類も存在している。


 エンジンをかける前に一応警戒する。まさか、マフィア映画のような「車載爆弾」が、仕掛けられているとも思えないけれど……ジャパリパークの治安は怪しいものがあるし……。

 周囲を調べてから、シリンダーに差しっぱなしになったキーをひねって、エンジンスターターを起動させようとするが、機関部も目の前のモニターも全く反応が無い。予想していた通り、長期間放置されてバッテリーが完全に放電してしまっているのだろう。


 しかし、エンジンや電気系統はダメでも、ハンドルやギアなどの操作系は動かせるようだ……。


「ちょっとみんな、今からこのバスを動かしてみます。危なそうだったらすぐに外に出て下さいね」


「動かす、だってぇ~?」

「むむむ……おぬし、力は無さそうに見えるが、どうやってこんな重いものを動かすのじゃ?」

 ニシキヘビとナイルワニが怪訝な顔をしている。




 ギアをニュートラルに入れてサイドブレーキを解除すると、ゆるい坂道でのによって、ずるずるとゆっくり動き出すバス。ハンドル操作が重い感じがするが、方向転換やブレーキングにはあまり問題は無いようだ。

 フレンズ達は「ほんとに動いた!」「面白い!」「まほうみたい!」など口々に驚きの声を上げて、バスの運転席で大型ハンドルを操作する私を面白そうに見ている。

 カラカル……計器類の動く針を目で追って、をしてるけど、運転中はやめてくれよ……。


 このまま斜面を重力で滑り落ちて下っていけばため、すぐに停車させるつもりだったが、車輪が地面の窪みにはまって自然に止まってしまった。私はブレーキをかけて駐車しておく。


 電気系統が故障しているのでなければ、バッテリーさえ充電できれば……と思い、肝心のバッテリーを見つけたが、がかかっていて取り外せない。さすがにピッキングも無理だし、こういう繊細な電子機器を、壊して無理やり取り出すのも躊躇ためらわれる……。フレンズ達に頼んで一緒に車内を探してもらったが、それらしいキーは見つからなかった。

 車内には、個人の荷物のようなものは何も残っていないようだ……。このカルガモスクールバスに乗っていた人間(あるいはフレンズ?)は何者なのか? そしてバスをここで乗り捨てて、どこへ行ってしまったのか……?




 車内に何も無いかと思っていたが、アードウルフがくしゃくしゃの紙袋のようなものを見つけて持ってきた。

「ハナコさん、『ばす』のの下に、こんなのがありましたよ」

「わぁ、ありがとう! アードウルフさんはもの探しが得意なんだなぁ!」

「えへへ……」


 アードウルフが座席の下の隅から見つけてきた紙袋――『リトルホッカイ温泉』などと書いてある。中には、サバンナの動物たちの姿が、ティンガティンガやアンリ・ルソー風のプリミティブな技法で描かれたの空箱。それに、紙袋に入っていたからのお茶の容器は……昔懐かしの「ポリ茶瓶」ではないか。

 ラベルには「緑茶」としか文字は書いてないが、ラクダ?あるいはヒツジ?のような、のイラストが描かれている。


 先日のセルリアンとの戦いの最中、持っていたは、爆発ですべて破壊されてしまった(おかげで、私の内臓までは破壊されなかった)のだ。

 ちょっと容量と密閉性に難があるが、プラスチックの経年劣化は少なくて状態は良いし、このポリ茶瓶を持っていくことにしよう。

 探索に水筒は必需品だ。




 ついでに、電池が入っていてまだ使えそうな使が紙袋に入っていたので、これも拝借しておく。……このバスはスクールバスだけれど、この紙袋の持ち主は、パークの観光でもしてたのか?


「ちょっと待ってて……。今、いいものを作るから……」

「いいもの~? それ、一体どーするのよ?」しゃがみ込んで作業する私の膝の上に、カラカルが不思議そうな顔をして、房の付いた大きな耳のある頭を突っ込んでくる。

 ネコかアンタは! ……そのとおりでしたね。


「あ、危ないよっ! 近づかないでちょうだい! だから……」

 私がそう言うと、驚いて全身の毛を逆立てるカラカル。

「ビ、って何よ? もしかして、みたいな……?」

「まあね。でも大丈夫だよ、気を付けて作るし……すぐ終わるから待っててね」

「ふうん……。ヒトのすることって、ホントに不思議なのねえ……。見てて、飽きないわよ」


 私は使い捨てカメラを分解して……ヒロラさんからもらった釘や配線などのを使って手を加えれば……有効な使い道ができる。




「……バスの中、ほかには何も無さそうですね……もう出ましょうか?」


 そう言って見ると、フレンズ達は座席の下に潜って匍匐前進したり、リクライニング可能なイスの背もたれをばたばたと動かしたり、車内上部の収納スペースに身体を押し込んで丸まったり、すっかり自由に遊んでいる。


「『ばす』ってこう……狭くて……面白いな~! また遊ぼうぜ!」

「わたくし『ばす』が動くところを見られて、感動しました! また動かしてよ!」

 ニシキヘビとヘビクイワシ……名前的にも相容れなさそうなこの二人が、目を輝かせてすっかり一緒になって遊んでいる。というのは、フレンズならではの光景。


 私は名残り惜しそうなフレンズ達をなんとか説得して……みんなで「水陸両用ジャパリスクールバス」を後にする。




「この丘を超えて進むと『じゃぱりせんとう』なのですが……近くに『大きな穴』がありますよ。見てみませんか?」

 バスから出ると、ヘビクイワシが興味深いことを言う。


「大きな穴……高くてぇ、怖くてぇ……下がとにかく……真っ暗なんじゃよ~」

「面白いぞ~。ちょっと行って、見てみないか?」

 ナイルワニとニシキヘビもそう言う。


 面白そうな話だ。聞いてみると、それほど寄り道でもなさそうなので、行ってみたい……。




 彼女らに案内されて、少し歩いていくと、切り立った崖があり……が眼下に広がっていた!


 丘から見下ろせる! その縦穴は、深くなればなるほど、あまりにも暗く暗く、底が見えなくなっていく。どのくらいの深度があるのか見当もつかない。

 洞窟内と外部とで、大きく気温差と気圧差があるためか……のぞき込もうとすると、湿った冷たい強風が常に下から吹きつけててくる。そのためか、風穴周辺の植生が今までの熱帯性のものと異なり、高山帯や亜寒帯のような植物が生えているのが観察できる。


 なんなのだ、これは? なのか? それとも例の島中央のサンドスター火山の火山活動による? まさか隕石のクレーター? あるいは、人工的な……?


 まるで、アフリカの大地溝帯グレートリフトバレー……グルジアのコーカサス山脈のクルベラ洞窟……ベトナムのソンドン洞窟……ギアナ高地テーブルマウンテンのサリサリニャーマの大穴……あるいはメキシコの「ゴロンドリナス洞窟」を思わせる……。


 それらよりも規模は小さいが、見ているだけでスケール感が狂うような漆黒、遠近感を感じさせない深淵……。


 動物とフレンズの彩る天国に一番近い島、ジャパリパークに存在する……地底世界への入り口か……なんて場所だろう。実はセルリアンなんて異形の怪物どもは、このんじゃないだろうか?




「……すごい……なんて大きな洞窟……」

「あんまりのぞき込んで、落ちないでよね~? それにしても、この穴があるおかげで、のよね~」カラカルが答える。


 ……なるほど、パンフレットの地図を見てみると、この縦穴洞窟の向こうには「港」や「遊園地」や「居住区」のような施設があるらしいが……この大穴については何も描写が見られない。


 どういうことなのだ? かなり古い洞窟に見えるけれど、この地図が作られた時期よりも後の、比較的最近の自然災害や事故で生じたものと解釈していいのか?

 風穴ふうけつの対岸には建造物のようなものが目視確認できる。……のか? だが地形的には、大穴の周囲は岩場と切り立った崖がせまってきている。向こう側へ行くには、この縦穴洞窟の上を、飛んで渡るしかなさそうだ。


「向こうには――じゃないや、がたくさんありますね」

 ヘビクイワシはそう言うが、家(集合住宅)ではなくて、工場のように見える。……建物の間からは大きな円形の――自転車の車輪のような物体――まるでのようなものも見える。あれは何かの工場設備だろうか?


「わたくしも一度は向こう側へ飛んで行ってみたいのですが……この『大きな穴』は強い風が吹いて危険ですし……向こう側は、だってウワサもありますし……」


 フレンズにとってもは未知の領域なのか……。や、現在の人類の状況に関する情報が集められそうで、好奇心はあるものの……鳥のフレンズにつかまって飛んでいくのは、フレンズに大きな危険を強いてしまう……。


「この辺に棲むフレンズは、『ヘビの穴』って呼んでるんだぜ~。大きなヘビがを動いた跡なんじゃないかって。オレはそんなでっかいヘビなんて、ホントにいたのか怪しいと思うけどな~」

 アフリカニシキヘビが洞窟の名前を教えてくれる。


 か……地底世界をさ迷った男がヘビの神になるという「甲賀三郎伝説」を思い出すな……。あれは諏訪湖のあたりの伝説で、諏訪大社で祀られる国津神の軍神・竜神のタケミナカタや、土着の蛇神のミシャグヂと同一視されていると記憶している。

 地下というを通過して、人が蛇になるという伝説……と関連性を感じてしまうのは、発想の飛躍ジャンプ力……が過ぎますかねぇ……?




 じいっ……と暗い大穴を見つめていると突然、視界の端でが漆黒の海の中を泳いだ。


「あっ! あれ! 今! あの……!」


 先のセルリアンとの闘いで私の命を救ってくれた……あの青白いフリルの服を着た謎のフレンズ……今勝手に名付けたけど「空色のバラの君」!


「いっ、今の見えたぁ!? あそこ、あの崖の近く! が飛んでたでしょっ!?」




「ええっ?? 何っ……何よっ!? 何もいないじゃないの!?」

「私、さっきから穴の中をけど、トリもコウモリも、なにも飛んでなかったわよ。見逃すハズ無いと思うけど……」

「キリンさんは、ものすごくですからね。うーん、ハナコさんの見まちがいじゃないですか?」

「いえ……そんなことは無いよ……。確かに見た……!」


 カラカルもキリンもアードウルフも何も見ていないと言うが……目の錯覚ではない……! 高速飛行していたのだろう、だったが……あれはあの時のフレンズ……! おそらくはウミウシかクラゲだか、軟体動物だかの水棲フレンズ……。イヤ、それじゃあ空は飛べないよな……。

 ということは、洞窟性のコウモリか何かか? 色素が抜けて青白っぽい体色の翼手類……? おお、空色のバラの君!? 貴女あなたは何者なのか!? 命を救ってくれた貴女へのお礼は、いくら感謝しても言い足りないというのに!? (……助けてもらっただけでなく、空中から落とされた……ような気もするが、まあそれは忘れておこう)


「もしかして、かも……」

 いきなり突拍子も無いことを言い始めるヘビクイワシ。

「いえね……そーいう、ウワサですよぉ……。フレンズによってする『おばけ』が、ジャパリパークにいるってぇ……」


「ななな……そ、そんな、おばけなんているわけないじゃない!」

 カラカル、声震えてますやんか。

 そういう可愛い一面もあるのか、あなた。


「白くて、ヒラヒラして、空に浮いてて、出たり消えたりするなんて……。まさにで見るそのものでありましょうっ!! でしょ、カラカルさん!」

「やめてよぉ、ヘビクイワシせんせい! アタシ夜行性なんだから、夜がこわいじゃない! ……今のはウソっ、もちろん、全然ッ、こっ、こわくなんかないけどぉ!」

 あはは。


「そっ、そうよ! なんて、ふぇあじゃないわ! あんふぇあ! かがくてきじゃないっ! すいりの『じゅっぽんのっく』の本にもそう書いてるのよぅ~!」

 キリン、なんだそれ? …………ああ、『ノックスの十戒』ね。


 キリンの言い分ももっともである。幽霊なんて、非科学的な……。

 いや待て、んなこと言ったらな存在では!?




「非科学的ッ! 疑似科学ッ! 幽霊なんて……いや、でもこうしてフレンズはいるわけだし、? ……ちょ、ちょっとマテ、この理屈はどこかおかしいぞ……」

 私は混乱してきた。


「お、おいィ……おばけって……『ピット器官』でも見えないのかよォ……!?」

「おばけ、水の中を泳げたりするんじゃろかー!? わたし、おばけと泳ぐのはイヤなんじゃよ~!」

 ニシキヘビとナイルワニもビビッている。……むしろ、セルリアンより怖がってないか?


「おばけ、こわいですよう! わたし夜、にひとりで行けなくなる、カラカルさぁん!」

「だ、大丈夫よ、アードウルフ。一緒に行ってあげるから……イヤ、アタシは全然こわくないけどぉ!? アンタがどぉーしてもって言うならねッ!? アンタのために!」

 ホント可愛いなキミら。


「ハナコさん! ひどいですよっ! そんな怖い話してェ!!」

「エェ!? なんで私ぃ!?」

 ち、違うだろ! その話はヘビクイワシさんが……!!

「ハナコ、あなたが言い出しっぺでしょ、取りなさい! わたしも夜おしっこするとき、あなたがついてきなさい!」

「そ、それじゃ私の睡眠時間がっ!」

「あなたが言い出したのよ! 私たちが証人っ! さあ、しなさい!」


 大混乱です。




「よしっ、みんなっ! 『を怖がりながらも勇気が出る歌』を知ってるから、みんなで歌おう!」

「さ、さすがヒトなのでありましょう……先生、そんな素敵な歌を知ってるなんてっ!」


そういうわけで「先生」とフレンズ達は、を歌いながら、行進した。


 その歌は――恐怖の存在を否定しながらも、恐怖という感情を抱くことじたいは否定せずに……また、可能であれば、その恐怖の存在と理解し合おう――という内容の、有名な国営放送局の幼児番組の童謡であった。

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