第7話 キリンの首の長いわけ▲

 しばらくして、フレンズの混乱は収まって(私の夜の安眠は妨げられそうだが……)から、私たちは目的地へと歩みを進める。




 歩いていると……。




 が、遠くの水辺の草むらに転がっていた。


 目の良いキリンとヘビクイワシ、嗅覚の優れたカラカルとアードウルフたちが、真っ先に死骸に反応して興奮している。


 ナイルワニとニシキヘビが、私に話しかけてくる。

「あっ……あれじゃよ……。わたしたちが話したってのは……わたしはクロコダイルだから、で分かるんじゃが……んじゃよ……」

「どういうことなんだ、ハナコ? あれって動物の仕業じゃないよな……やっぱりセルリアン? それとも、何かの病気なのか……?」

「私にはよく見えないし、臭いも熱も分からない……近寄ってみないと……」




 水辺まで近寄ってみると、その大型動物の死骸、微妙に動いているように見えるが……どうやら表面に多数の昆虫が集まっていて黒一色になっていて、それが蠢いているだけのようだ。ギチギチと、古い家の材木がきしむような音がするが、昆虫が死骸を食害している音だろうか。


 一見してであることが見て取れる。両の眼球が無くなった眼窩……大きく欠損した頬や下顎……腹部や背面部、生殖器付近などの骨に守られていない柔らかい部位は、り貫かれたような、大きく穴が何か所も開いている。


 ……かのような半球形の傷口は、間違いなく異常である。

 中国王朝において、重罪人の身体のことで、長時間の苦痛を与えて殺害する「凌遅刑りょうちけい」という処刑方法があったそうだが、この死骸の異常な損壊状態は、まさにそれを思い起こさせるものがあった……。


 蛋白質と脂肪というの表面を、金属のえぐって、何十か所もすくい取ったかのような死骸……いや、いくら鋭利な刃物であっても、肉塊をこうやってに傷つけることはできないだろう……。




「ひっ……う、うううっ……」

 アードウルフさんは髪の毛もたてがみも尻尾も……すべての毛を逆立てて、全身で嫌悪感と恐怖を表している。アードウルフという動物は、獣の死骸に沸いた腐肉食昆虫スカベンジャーを食すと言われているが……流石にこの凄惨な死骸は尋常の域ではあるまい、無理もないことだ……かわいそうに……。


「アードウルフさんは見ない方がいい……私、もっとよくを調べてくる」


 私が近づくと、死体の表面からと羽音を立てて、蝿が一斉に飛び上がり、ぶんぶんと周囲を飛び回り始める。

 蝿が飛び上がると、死骸の肌があらわになる。これはの死骸、の大きなツノを見れば一目瞭然だ。


 動物の死などサバンナの自然では全く珍しくないが……このようになのは、まず不自然であるし、さらに奇妙なのは、身体中の穴からこと……。


 えぐり取られた損壊部分のピンク色の肉には、不揃いな細かな穴がたくさん空いていて、そこから白くて柔らかな蝿の幼虫ウジが先細りの頭部を覗かせて、せわしなく上下左右に動かしている。のような、腐肉をすすり喰らう耳障りな咀嚼音が、絶え間なく聞こえる。


 私はビニール袋を二重にして手袋代わりにして、両手いっぱいのウジの塊を取り除いて、死骸の傷口を調べてみる。……全体からある程度の腐臭はするものの、死亡してからまだあまり時間は立っていないと思う。だが、肉食動物に食べられた形跡はなく――身体じゅうの抉られたような、あの穴は何だ? それにシデムシやニクバエなどの昆虫だけが集まっているのは不自然だが……。




 熱帯の高い気温に晒されているのに、消化器や内臓などの水分の多いがほとんど腐敗していない。死骸にたかるのはハエだけで、ハイエナやハゲワシがまだ近寄ってきていないのは、死後あまり時間が経過していない証拠だろう。

 素人判断だが、死後12時間はんにちも経っていないように思える。だが、それにしても……。


 全身に筋肉の死後硬直の傾向が見られるが、腸内の腐敗ガスはほとんどたまっていない様子。だが、死斑や体色の変質が全く見受けられないのはどうしてだ? 法医学の専門的な知識などほとんど無いが、死後真っ先に起こるであろう、皮膚付近の血液の変質による、皮膚の色の変容が観察できないのは、何故なのか?


 ん……なんだこれは? 腹腔からはみ出した消化器が……四つの反芻はんすう胃や長い腸がを帯びて、細やかな結晶のような煙が立ち上っているのだ……。

 フレンズ達が激しい動作をするときや傷ついたとき身体の表面から発せられる、あの七色に輝くと同じだ……。


 謎の鉱物サンドスター……ことと関係しているのか? サンドスターには、腐敗の進行を遅らせる、薬品などによる死体保存エンバーミング処理の効果があるというのか?




 恐れおののいていたフレンズ達も、観察を続ける私のそばに近寄ってきて、ひそひそと小声で話しはじめる。


「ひどい……には慣れてるつもりだったけど……」

「なんだか、っぽい感じじゃあねーんだよな……」

「動物にられたようにも見えませんし……わたくしが思うに、やはりセルリアンじゃないかと……」

「こわい! こわい! きっとおばけです!」




「ねえ、ハナコ……何か分かった?」

 カラカルが聞く。

「いや……実は全然分かんない……病気や獣の仕業では無いと思うけど……」


 この死骸の様子……感染症の発症や、猛獣による食害とはどうにも思えない……。


「ところでハナコ、『ヒト』って肉食獣にくしょくけものなの? アンタ、だいぶが平気そうだけど?」

「雑食だね、ヒトは……。好みや考え方によって、肉食寄りだったり、草食寄りだったりするよ」

「じゃあアンタは……いや、アンタのは、肉食動物に違いないわね」

「……多分そうだね……」


 フレンズの「今の私」の「もとになった人間」か……。銃器の取り扱いに慣れていたり……こうやってほとんど抵抗なく死骸を調べられたり……その他の色々な技能や知識などがあって……? 自衛官や警察官などの職業だったかもしれないが……いや違う……なんとなくだが、ような気がする……。


 本だけが、どうして私の「記憶の本棚」からごっそりと抜け落ちているのだろうか? ……その自分の思い出を探し出してきちんと本棚に収めたあかつきには……何が起こる?

 映画や小説で出てくるような、書斎の機械仕掛けの謎解きのように、本棚が横に動き、裏側の隠された扉が見つかって……その扉の向こうのにあるものは……。


 もしその「元の人間」が、ジャパリパークのフレンズや動物たちにとってであったのなら……その時は……。




「カラカル……この死骸には、まもなくハイエナやジャッカルみたいな肉食獣にが集まってきて、食べられることになるね」

「そうね。すぐにやってきて、食べられちゃうわね」

「そしてハゲワシやハゲコウ、ワタリガラスなんかがやってきて、ついばまれ……腐った肉は虫に食べられて、残った骨は雨や風に晒されて、無くなってしまう……。その自然の流れに、肉食獣の私も加わっていいと思う?」

「……言い方、あいかわらず回りくどいわね……。何をするか知らないけど、アンタがんなら、いいんじゃないの?」

「そう……」


 私はネイルナイフでを切り取り、水辺で腸内の内容物を出してよく洗う。状態の良い背中の皮膚を剥いで、を使って応急的になめしていく――植物から採れるタンニンがあればよかったのだが……。

 ナイフと、の原理と、フレンズ特有の強靭なパワーを使って、弓型の立派なツノを取り外す……。


「な、何を作ってるの……?」

「これは弾弓だんきゅうっていう、石を遠くまで飛ばせる武器だよ」


 弾弓はインドやタイ、ビルマなどに伝わる伝統的な武器で、クロスボウ型のものは中国やヨーロッパにも使われたらしい。基本的には普通の弓や弩と同じ構造だが、皮で「かご」の部分を作ってあり、これに石などを入れて放つことができる。運用方法はスリングショット(パチンコ)と同様だ。

 石が手や弓に当たらないよう、上手く飛ぶような構造に作るか、射法に気を付ける必要がある。


 以前、クロスボウじみた即席武器を作ったことがあるが、普通の弓のほうが構造が簡素だから壊れにくいし、この「弾弓」なら、ボルトではなく、その辺で石ころを発射できるメリットが大きい。


 弾の質量と空気抵抗が大きいので射程は短いが、近距離での殺傷能力は高い。打ち出す投射物や戦闘の状況によってはな場合もあるだろう。フレンズを刺激しない点も大きな長所だ。


「『だんきゅう』かぁ……。アンタはたぶんヒトなんだろうけど……ヒトって、不思議なけものよね。色んなものを作ったりして……」

「私もそう思うよ」


 弾力のあるウシのガットを弦にして、それなり丈夫なものができたな……。ついでに水鳥形の木片のハンドガードを取り付けたりして。




 こっそりと、私の耳元で話しかけるカラカル。


「ねえ……この前のセルリアンにフレンズやゾウさんがひどいことをされた時、すごく怒って泣いてたハナコと……今の、平気な顔でウシのカラダをばらばらにするハナコ……

「……これはだ。は生き物じゃないから、何も感じたり考えたりしない。だから、切り刻もうが何をしようが私は何も感じないし――」

「あ、ゴメン……怒ってる?」

「怒ってない」


 私の……あるいはそうでありたい。


「べつに、ひどいと思ってるとか、責めたりとかしてるわけじゃないのよ……。ただ『ヒト』がどういう動物なのか、アンタがどういうフレンズなのか……アタシが頭が悪いから、よく分かんなくてさ」

「……ごめん」


「いいのよ。誰だって、なんて、いないものね……。ホレ、キリンを見てみなさい! 元気が出るわよ! この子、自分も他人も全然わかってないのよ!」




「何ぃっ! 何の話っ!」

 急に自分の話題になったことに、遠くから気が付いて、カラカルと私の話に加わるキリン。


「キリン、アンタは目が良すぎて逆に……近くの自分も周りも見えてなくて……いつも、遠くのばかり見えてるって話よ!」

ってのは、ほおむずさんとかぽあろさんとかのことね! 私はああいうになりたいから、だからずっとのことばかり考えてるのよ! どうだぁっ!」

「あいかわらず、おめでたいわね~!」


「うももも! からのよぅ! キリンの長い首だって……首を伸ばしたいってから、首がちょっとずつ伸びていったのよっ!」


 キリンの素朴な考えは、人間で言うなればの考え方だろうか……「用不用説」……ものすごく大雑把に言えば、個体のが進化に関わるって仮説だ。一見すると、前時代的な考えのようだが、現代の生物学では修正されて「ネオ・ラマルキズム」という学派になっている。




 私もになろうと本当に思えば、なれるのかな?

 キリン……本当の私が悪い人間であっても、ことで、貴女あなたのような……立派なフレンズに……。……。私という個体の、一人だけのしゅは、そんな「進化」を――


「あははっ! なにこれ! ヒモを引っ張るとおもしろ!」

 っておい、いつのまにか弾弓の弦で遊んでいるぞ……。


 びーんびーん。ばちん。

「ぎゃあっ! いたあいっ! おのれ許さんぞ! はんこうのめ!」


 ……こ、こっちは真面目に悩んでいるというのに……。


 いやよく考えたら、あんまり立派なフレンズでもなかったわ、この子。


 キリンの少ない脳みそを見習ったら、身長と胸に栄養が取られ過ぎて、精神が退というか、に入るに違いない……(辛辣)。

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