第10話 店主

 それ以上店主と会話が続くこともなく。

 エルがミルクを飲んでいると、ゆうたが片付けた皿を手にカウンター内へ入ってきた。

 とってきた注文を店主に伝えて、ついでに顔を洗う。

 そんなゆうたに、店主は


「本当に続けるつもりか?いつでも辞めていいんだぜ。こっちはお前がいなくても困らないんだからよ」


「続けます。だから約束は守ってくださいよ」


 ゆうたはタオルで顔を拭き、答えた。


「エルをクビにしないって話だろ。自分で言うのもなんだが、この店は街一番のデカさだ。ここで歌いたい奴なんて掃いて捨てるほどいる。代わりはいくらでもいるし、途中で帰るような無責任な奴、わざわざ復帰を待つ義理も無えんだけどな」


 その言葉に睨むゆうたを見て、店主は肩をすくめた。


「恐ぇ恐ぇ。心配しなくてもそんな約束くらい守ってやるさ」


「ならいいんです」


 そう言って、ゆうたは溜まっていた食器を洗い始める。

 店主は完成した料理を皿に盛りつけながら


「それにしても毎日よく続くな。酒かけらたり、昨日は殴られてなかったか。エルがいなくなった分、溜まったストレスをお前で晴らしてるんだろうな。泣きたくなったら、泣いていいんだぜ」


 そう言って下品に笑った。

 けれど、ゆうたは気にした様子もなく


「辛いときもあるけど泣きはしないですよ。店主さんが良くしてくれますから」


「俺は何もしてないだろ」


 店主が不思議そうにそう言った。


「しなくてもいい約束、してくれたじゃないですか」


「それは……お前が床に頭擦りつけて頼んだからだろ」


「ほら、してくれたでしょ。それに今までだってエルに歌わせてあげてた。履いて捨てる程歌いたい人がいるのに、わざわざエルを選んで」


「たまたまだ。特に意味は無えよ」


「お客さんからの声も、わざと教えなかった。それが良いことだったのかは分からないけど、少なくとも僕たちが来るまで、エルは幸せだった」


「教えてあいつが来なくなったら困るだろ。客が待ってんだからな」


「代わりはいくらでもいるのに?」


「……さっさと持っていけ」


 有無を言わさず、店主は料理の乗った皿をゆうたに押し付ける。

 それを笑顔で受け取って、ゆうたは客の元へと運んで行った。


「ごちそうさまでした」


 エルは、店主に聞こえないくらいの声でそう言って、お金を置いて席を立つ。

 ゆうたが再び客に絡まれている声が聞こえたが、振り返らずに店を出た。

 恥ずかしすぎて、居ても立っても居られなかったのだ。

 今まで、自分は何を見ていたのだろう。

 ファンだと思っていた客達はエルを笑いものにしていて。

 エルを笑いものにしていると思っていたゆうた達は、エルのために動いてくれていた。

 お金の無いエルにルバンガ団が来たことを教えてくれた、店主。

 睡眠時間を削って歌の練習やエルの演出を考えてくれる、ちよこ。

 そして、客の不満を一身に受けるゆうた。

 三人とも、エルの味方だった。

 それなのに、エルは裏切られるのが恐くて裏切ったのだ。

 唇を引き結び、家に向かって走り出す。

 一分一秒でも無駄にしたくなかった。

 今の自分にできることは、歌うことだけ。

 卑屈で捻くれた考えが追い付かないくらい、全力で走った。

 月明りが力を取り戻し、街の喧騒が消え失せる。

 やがて見えてきたエルの家の前には、ちよこが腕を組んで扉に寄り掛かって立っていた。

 息を切らせたエルが彼女の前で立ち止まると、


「おかえりなさい。さあ、今度こそ寝ましょう」


 呆れたような笑顔でそう言った。


「今までごめん。私、頑張るよ」


 ちよこは何も言わず、ただ頷くだけだった。

 エルの歌を待ってくれる人達がいる。

 エルにはそれで十分だった。

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