第7話 湖

 逃げた先は、エルの家だった。

 楽屋にいては客が押し寄せてくるだろうから、当然の選択だろう。

 エルの家は街から少し外れた湖の傍にあり、先程の喧騒が嘘のように静かだった。

 家に着いてからというもの、エルはぼんやりと水面を見つめたまま、湖のほとりで膝を抱えて座っていた。

 ゆうたとちよこが彼女を挟んで座るのだが、先程の光景を目の当たりにしてかける言葉が見つからない。

 こんなにも暗い気持ちだというのに、月は恐ろしいほど綺麗だった。


「ごめんね」


 重苦しい沈黙を破ったのは、エル。

 無表情で、目には変わらず穏やかな水面が映っている。


「せっかく聴いてもらってたのに、途中で帰っちゃった」


「そんなの、全然気にしないで」


「そうよ。悪いのは街の人間達でしょう。エルが真剣に歌っていたのに馬鹿にし

て……それも、今日だけじゃない!毎日あんな調子で聴いていたって!人としてあり得ない!」


 徐々にヒートアップしていくちよこだったが、その怒りは手近にいたゆうたに向けられる。


「どうしてあの時止めたのよ!あんな腐った人間に罰も与えず逃げ帰って!されるがまま、言われるがままだったわ!ルバンガ団団長って、大勢が相手だと正義を貫けない腰抜けだったのかしら⁉」


「逃げ帰ったわけじゃない。どんなに質が悪くても、彼らはエルのお客さんなんだ」


 静かに、けれどはっきりとした声でゆうたは言った。

 そして彼女が再び口を開く前に


「ね、エル。エルはどうしたい?」


「……わかんない。」


 ゆうたの問いかけに、ややあってからエルは答えた。


「最初は治療のお金を稼ぐために歌ってた。歌うのは好きだし、それが仕事になるんだからすごく嬉しかった。店主さんに雇ってもらえて、お客さんに笑顔で拍手もらって。認められたと思ってたんだ。昔会った魔術師の人には騒音だって、害だって言われたけど、そんなことないんだって。……でも違った。今日、お客さんに言われちゃったよ。『騒音を聴いてやってる』って。みんな笑顔だったから気付かなかった。自分が『騒音しか生まないゴミ』だって、気付かなかった」


 話すエルは相変わらず、静かな湖を見つめている。


「昔、面と向かって言われたのにね。きっと、私が弱いから。認めたくなくて忘れたフリしてたんだ。でも自覚するのを後回しにしたツケは、いつの間にかこんなにも大きくなってたんだね」


 肯定するでもなく、否定するでもなく。

 ゆうたは彼女の言葉を無言で聞いていた。


「でも私には歌しかないし他に行く当てもない。今日は帰っちゃったけど、明日からまた歌うよ。……みんなを楽しませるために」


 自嘲的に笑って、エルは言った。

 しばしの沈黙の後


「仕事は少し休んでさ、歌の練習してみたら?」


 ゆうたが言う。

 それを受けてもエルの瞳は静かな水面を湛えたまま


「急には休めないよ。治療の代金も払わないといけないし。そもそも、練習したところで意味なんてないし」


「あるよ」


 ゆうたは断言した。


「いきなり聞こえるようになったんだから、それに慣れないとね。大丈夫、練習すればすぐに上手くなるよ」


「上手くなんてならない!」


 ゆうたの方を見て、エルが声を荒げて言った。


「練習したって何も変わらない!変な声!気持ち悪い声!私が歌うとどんな綺麗な歌も騒音になるの!ゴミになるの!……みんなそれを、見に来てたの……!」


 堰を切ったように溢れだすエルの感情。

 体を震わせ、今まで堪えていたもの全てをゆうたにぶつけた。


「そんなこと言ってる人もいたね。でも、僕はエルの声が好きだな」


 まっすぐ彼女の目を見つめて言った。


「……そんなの、うそ」


 目を背け、否定の言葉を絞り出すエル。

 それはゆうたの耳にも届いたはずだが


「お店には僕から言っておくよ。さあ、もう寝よう。明日から練習だからね」


 ゆうたはエルの手を引いて立ち上がった。


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