第6話 最低な人

 心底楽しそうに、聴衆たちが罵声を飛ばす。


「なんで……?」


 ゆうたは愕然とした。

 先程の男達どころではない。

 その場にいる全員がギラついた目でエルを罵っている。

 ある者はエルの声を、またある者はエルの人格を。

 蔑み、貶め、否定する。

 醜悪な光景。

 これが毎日繰り返されていたのだろう。

 彼女の耳が聞こえないのをいいことに、日頃の鬱憤を、募る劣等感を、全て彼女を罵ることで発散していたのだ。

 エルに会った時、気付くべきだった。

 こんな薄汚れた街と低俗な住人の中で、純粋な彼女が何の被害も受けていない訳がない。

 ゆうたの嫌な予感が当たっていた方が何倍もマシだった。

 住人達は「最低な人」だったのだ。

 二人の予想をはるかに上回るほど。

 サンドバッグ代わりの彼女は――けれど、耳が聞こえている。

 エルの瞳が動揺に揺れ、声が震える。

 不安そうな彼女に、何人か気付き始めた。


「おい、あいつ聞こえてね?なんか様子おかしいぞ」


「んな訳ねえだろ。なんで急に聞こえるようになるんだよ」


「っつーか、聞こえててもいいだろ」


「そうそう。こんな拷問みてーな歌、毎日聴いてやってんだ。罵倒されて当然だろ」


 違いない、とゲラゲラ笑い合う。

 それはエルの耳にも届いたようで、徐々に歌声は小さくなっていき


「……ありがとうございました」


 まだ歌い始めて数分と経っていないのに頭を下げ、逃げるようにしてステージから降りる。


「おいおーい!どこ行くんだよ!」


「ゴミみてえな歌声、もっと聴かせてくれよー!」


 ねっとりと、逃げる彼女に張り付く野次。

 聴衆をかき分け帰ろうとするエルの前に立ちはだかり、それどころか小突く者まで出てくる始末。


「急にどうしたのー?」


「おい、聞いてんのか。いつもみてえに歌えっつってんの」


 卑しい笑みを張り付けた人々がエルを取り囲む。


「通してください……」


 俯いたエルの表情は見えない。

 無理やり通ろうとしている彼女だが、大勢に取り囲まれてしまってはどうしようもなく押し返されている。


「ちょっと!何してんの!」


 我に返ったゆうたが人だかりをかき分けて、エルの元に駆け寄った。


「最っ低!自分たちが何してるかわかってんの⁉あり得ないでしょ!」


「ああん?」


 抗議の声を張り上げるゆうたに、ちょうど目の前にいた一人の男が不機嫌な声で返す。


「毎日毎日、くそみてえな騒音聴いてやってんだよ。むしろ感謝して欲しいくらいだね」


「騒音って……!」


 カッと頭に血が上ったが、ここで言い争っていては更にエルを傷つける言葉が出てくるだろう。


「もういい。どいて。通るから」


 怒りを押し殺し、エルの手を引いて男の横を行く。

 だが男は


「待ってって言ってんだろ。こっちはまだ言い足りね「ぱんっ」と、彼の言葉は乾いた音に遮られる。

 見ると、男の左頬が徐々に赤くなっていき、それは綺麗な手形を浮かべた。


「痛ってえな!」


 男の前にいたのは、ちよこ。

 いつの間に来たのか、平手を食らわしたであろう形のまま、手を怒りに震わせていた。


「くそが、いきなり何しやがんだ!」


「何が感謝して欲しいよ!反吐が出るわ!安全圏から罵って、大勢いるから気が大きくなっているの?どれだけ集まっても、あなた達がやっていることは正当化されないわ!」


「うるせえ女だなあ!」


 バキッ、と男はちよこの顔面を殴り飛ばした。


「俺たちはアドバイスしてやってんだよ!しゃしゃり出てきて、好き勝手言ってんじゃねえぞ!」


 地面に伏せた彼女は、切れた唇の血を拭って


「性根が腐ってるわね」


 そう吐き捨てたちよこの体からは、まるで彼女の怒りを表すかのように光が滲みだし、やがてそれは――。


「ちよこ!」


 ゆうたが声を張り上げる。


「相手しないで!」


「どうしてよ!ここにいる人間達は……!」


「団長命令だよ!」


 なおも言い募ろうとするちよこだったが、毅然とした態度のゆうたを見て


「……わかったわよ」


 苦々しい顔をして、光を収める。


「行こう」


 悔しそうに唇を噛みしめるちよこと、俯いたままのエル。

 二人を連れて、ゆうたは酒場を後にした。

 小突かれても罵声を浴びても、まっすぐ前だけを見つめて。

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