第5話 静寂の歌姫
男がケラケラと楽しそうに笑ってゆうたの肩に腕をまわす。
「そういえば、エルの歌って人気あるんですか?」
まわされた腕をさりげなく振り払いながら、ゆうたが探りを入れた。
「そうだなあ……」
男は気にした様子もなく、顎に手をやり
「おい、お前ら!エルの歌をどう思う?」
友人達を振り返って問いかけた。
「私好きよ!」
「俺もだ。俺にはあんなことできないね」
「勇気づけられるな」
笑顔で口々に返事をする。
それを黙って見つめるゆうた。
彼らはまだ、エルが聴力を取り戻したことを知らない。
彼らが述べる賞賛の言葉は、彼女の耳が聞こえないからこそのもの。
聞こえるようになった今、果たして今後もこのような態度を貫くのだろうか。
いや。
大なり小なり、変わるだろう。
『聞こえるようになったら、そこらで歌っている人と何も変わりは無い』
自分で言った言葉が頭をかすめる。
今までエルがしてきた努力は確かに消えない。幼い頃から聴力を奪われ、それでも挫けず彼女は歌い続けた挙句ここまで客が集まるようになったのだ。
並みの努力ではない。
けれど、聴衆にとってはどうなのだろう。
エルが歌う、その瞬間しか目にしない彼らは、『耳が聞こえる』彼女の歌声に以前と同じ価値を見出してくれるだろうか。
じわりじわりと胸に広がっていく不安。
「あの、エルのことなんですけど……!」
ゆうたは思わず声をあげた。
「ん?どうした?」
男がこちらを向く。
「えっと、その……」
言うべきか。それとも言わざるべきか。
ゆうたが言い淀んでいると
「もう注文するぜ。お前の分は決まってんのか?」
男を呼ぶ声がした。
「おう、今行くわ」
それじゃあな、と言い残して、男は友人達の元に行ってしまった。
「お喋りもいいけど、冷めたらもったいないわよ」
「うん……そうだね」
まだ、聴衆たちがエルの現状を受け入れないと決まった訳ではない。
いらぬ心配であることを願いつつ、残っていたハンバーグに手を付ける。
口に放り込んで咀嚼しつつ、辺りをぐるっと見渡した。
客席はほぼ埋まっており、皆エルの歌を心待ちにしているように見える。
これだけの人を、エルは惹きつけているのだ。
彼女の特殊な生い立ちはともかく、歌声自体が素晴らしくなければここまで人は集まらないはず。
先程の不安が完全に消えたわけではないけれど、ゆうたの心の大部分はリサイタルに対する期待で占められていた。
二人が食事を終えて間もなく、先程行った楽屋へと続く扉付近から拍手が起こった。
「来た!エルよ!」
ちよこの言葉通り、衣装に着替えたエルがステージへと歩いて行く。
裾に白い飾り玉のついた緑色のワンピースに着替えており、可愛らしい彼女にぴったりの衣装だ。
彼女は拍手を連れてステージへと上がり、マイクスタンドの前で一礼してマイクに手をかけた。
「待ってたぜ!」
「遅ぇーよ!」
「早く歌えー!」
聴衆の歓声を笑顔で受け止め、エルが歌いだそうと口を開く。
と同時に、ゆうたの耳がいらぬ言葉を拾ってしまった。
「よく凝りねえよなあ」
隣のテーブルにいる、先程の男の声。
意味が分からず、ゆうたは彼達の方を見る。
先程と変わらぬ笑顔を浮かべた彼が、友人達と共に笑い合っていた。
「あんな声してんのに、よくもまあ。頼まれたって、俺にはできねえよ」
「あれで毎日歌ってんだから大したもんね」
「おいおい、感謝しねえか。このド下手くそな歌のおかげで、自分はまだマシだって勇気づけてくれるんだからよ」
そして、彼らの会話を引き裂くようにしてエルの歌声が辺りに響き渡った。
まるで首を絞められた老婆があげる断末魔の叫びのような。
濁った声が辺りいっぱいを覆い尽くした。
声もさることながら、選曲も良くない。
彼女のざらついた声には不釣り合いの可愛らしい歌詞とメロディー。
心弾む楽し気な衣装だったが、歌声のせいで今や道化にしか見えない。
多少の音痴ならば修正のしようがあっただろう。
だが耳の聞こえぬエルは「多少」の段階では止まらず、更には周囲に囃し立てられたものだからそのまま突き進んでしまったのだ。
エルの暴力的な声量としわがれた声に重なるようにして
「きったねー声!」
「音程くらいとれや!」
「帰れー!」
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