第3話 エルの耳

 エルが生まれたのは、この街から遠く離れた小さな村。大きな川が流れており、エルたち一家はその近くに住んでいた。

 たくさんの兄弟に囲まれて、家族仲良く暮らしていた。

 まだオタマジャクシだったエルは両親の歌声が大好きだった。

 決して大声で歌っているわけではないのに、川の流れに乗ってどこまでも響き渡るような澄んだ歌声。

 エルも両親と同じように歌いたくて、毎日歌の練習をしていた。

 ある日、一人の兄弟の髪が緑がかってきた。

 またある日、一人の兄弟の尻尾が小さくなってきた。

 多少前後しながらも生まれた順に皆、オタマジャクシからカエルへと成長していったのだ。

 エルだけを抜かして。

 エルの髪はいつまでたっても黒いままだし、尻尾だって小さくならない。

 末の兄弟がすっかりカエルになっても、エルはオタマジャクシのままだった。


「焦ることはないさ」


「大丈夫。いつかはカエルになれるよ」


 家族はそう言ってくれるが、エルは焦る一方。

 せめて歌声だけでもと、より一層歌の練習に励んでいた。

 ある夜、いつものように川のほとりに座って一人歌の練習をしていると、見慣れぬ男がエルの前に現れた。


「うるさい奴だ。黙ることを知らないのか」


 不機嫌さを隠そうともしないその声に、エルは体を小さくして歌うのをやめた。


「ご、ごめんなさい」


 けれど男は気が済まなかったようで、エルに近づき高圧的な態度で文句を言う。


「謝罪をすれば全てが許されると思うな」


「ごめんなさい……」


「言ったそばからそれだ。人の言葉を解せるとは言うものの、所詮は畜生。これだからアニマは嫌いなんだ」


 明らかな侮辱。

 子供のエルにもわかるほどの、明確な悪意。


「ひどいよ!」


 エルは思わず叫んで立ち上がった。


「うるさくしたのは私が悪いけど、そんな風に言わなくてもいいでしょ!」


 男を睨みつけて言い放つ。

 そんな彼女の言葉が予想外だったのか、男は呆然とし


「……アニマの分際で、魔術師であるこの私に意見するのか‼」


 怒りに顔を歪ませて手を突き出した。

 すると、大きな手で思いきり殴り飛ばされたような衝撃がエルの体に走り、そのまま弾き飛ばされる。

 訳も分からず地面に倒れる彼女に男はゆっくりと近づくと、しゃがんで彼女の喉を掴み汚物に触れるかのように持ち上げた。


「下等種族が。害しか吐き出さぬこの喉は潰れてしまった方が世の為だな」


 そう吐き捨てて、男が手の力を強めると同時に喉が熱を持っていく。


「や、やめて……」


 思わず目を瞑り、掠れた声でそれだけ言う。

 と、不意に熱がかき消えた。

 おそるおそる目を開けると、男はエルの顔を見て


「ただ喉をつぶすのも面白くないな」


 ぽつりと呟いた。

 エルが何か言う前に、男は狂気じみた笑みを浮かべる。


「そうだ、耳を潰そう。聴こえねば発する意味も失うだろう。お前のような騒音しか生まぬゴミに静謐を教えてやるのだ。感謝しろ」


 言って男は手を放し、今度はエルの両耳を手で覆う。

 先程とは比べ物にならない熱が彼女の耳にまとわりつき、針を突き刺されるような痛みが走った。


「いやああああああああああ‼」


 痛みのあまりエルは目の前が真っ白になり、そのまま意識を失った。





『――目が覚めた時にはもう、その人はいなかった。音もきこえなくなってた。すぐ村の魔術師のとこに治してもらいに行ったんだけど、治療費が凄く高くて。その時の私はお金なんて、これっぽちも持ってなかったから……お金を稼ぐために、この街に来たの。もうカエルなったけど、お金はまだ半分も貯まってないんだ』


 数枚に渡ったエルの話。

 先に読み終えたゆうたは、ちよこの顔を盗み見る。

 予想通り、眉間の皺はこれ以上ないくらいに深くなっていた。

 少し間を置いて読み終えたちよこが短く息を吐き


「魔術師はそんなことしないって否定したいところだけど……一定数こういった人がいるのは事実よ」


 真面目なちよこだからこそ、同胞の非道な行いが許せないのだろう。

 額に手をやり、目をつむってしまった。

 代わりにゆうたがノートを受け取り、書き辛そうに


『話はわかったよ。ちよこに診てもらおう。でも、僕たちは慈善活動をやってるわ

けじゃない。僕たちに依頼するってことは、お金がかかる』


『うん、わかってる。でもルバンガ団は支払いを待ってくれるって聞いたよ。普通の依頼も、魔術師への依頼も』


 エルの言葉通り、ルバンガ団は料金支払いを期限付きではあるが待つこともある。

 これは非常に珍しく、特に魔術師に依頼をするときなど即金が当たり前だ。

 それを聞きつけた彼女は、ルバンガ団の名を聞いて飛びついたのだろう。


『おねがい!すぐには払えないけど、耳が治ったらもっといろんな歌を歌って、たくさんお客さんに来てもらうの。それで払うよ。絶対払う。だから治して』


「わかった。依頼を受けるよ。ちよこ、お願い」


 酒場の専属歌手になっているくらいだ。彼女にそれなりの収入は見込めるだろう。

 ゆうたは了承して、ちよこを促す。

 それを受けて、ちよこは立ち上がりエルの隣に立った。

 エルは彼女の方へと体を向け、期待と緊張が入り混じった表情で座り直す。

 そのままちよこは跪き、エルの耳に手をかけて引っ張ったりつまんだりする。

 二人の様子が見えるよう、椅子ごと移動したゆうたが声をかけた。


「どう?治せそう?」


 ちよこはもう片方の耳も見て、


「ええ。随分と古臭い術式ね。これなら多分解けるわ」


 言って、自身の耳に着けていたピアスから宝石を1つ取り外した。

 ただの宝石ではない。

 魔法石だ。

 魔術師の力の源であり、魔術師の多くはこの助けを得て魔術をかける。

 それだけの力がこの石にはあるのだ。

 当然、安い物ではなく、モノによっては米粒サイズで家が買えるという。

 片手に魔法石を握りしめたまま、ちよこはエルの両耳に手を当てる。


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