04-12 その記憶は

「凪」


 聞いたことのある声がする。

 いや、この声はよく知っている。


 俺の、父さんだ。


 目の前に映る景色は、見たことはあるが少し違う俺の部屋だった。

 豪華そうなシャンデリアが天井に付いた広い部屋だ。そのシャンデリアは見たことがある気がする。

 どこで? と考えたらつい最近見ていたことに気づく。


 廃墟と化した奈名なな家の屋敷だ。


 無造作に床に落ちて壊れていたものと同じものだと気づいたとき、ここがあの屋敷にまだ人が住んでいたときの光景だと脳が認識する。


 だとすると、これは久しぶりの原初の記憶なのだろう。

 なぜこのようなものをまた見たのかと疑問に思いながら、目の前に佇む男を見る。


「お父さんはこれから少し外に出る。凪はお母さんの近くにいなさい」

「うん。わかったー。ご飯もうすぐだからすぐ戻ってきてね」


 俺の意思に反して、目の前の父さんと呼んだ男に俺は声をかけると、父さんはふるふると嬉しそうではあるが微妙な顔をしながら震え、部屋から出ていく。


 相変わらずの白衣を着ていた父さんはまだ若々しかった。父さんの仕事はすでに知っていて、俺は父さんのように神鉱技師しんこうぎしになって世界をギアから救うという夢を持っていた。


 現に、俺のこの部屋には人具を作る機械もあれば、俺が作った佑成すけなりも手元にある。


 ここで俺は佑成を作り、ここで朱とよく遊んで、ここでつい先日朱と結婚すると言質をとられた場所だ。

 今まで刷り込まれるように見た記憶は全てここで起きていたことだと、なぜか理解できてしまった。


 そうなると、俺がいつもいるあの家が何なのだろうと思わなくもないが、あの家は不思議すぎるから、こっちに今まで住んでいて、これまでの記憶がここで行われていたことだと考えると、妙にしっくりきた。


 いや、一つだけ。あの家での出来事もあった。

 確か、あれは。

 この世界に来て初めて思い出した時の記憶か。あれだけは、違う記憶のような気もする。


 部屋の片付けが終わり、俺が一歩歩き出したとき、俺と重なるように小さな俺が踏み出して先を歩き出した。


 ああ。そうだったな。

 これは……いつもと同じ、記憶の回想だ。


 時折起きる記憶の植え付けのようなこの世界は、俺に何かを見せようとしていた。


「佑成は持った。電気も消した」


 指差し確認しながら、お気に入りの自分が作った神具しんぐを持って部屋を出る。


 豪華なシャンデリアが付いた大きな廊下。

 何れも壊れておらず、廊下の真ん中には赤い絨毯のようなものが一直線に引かれている。

 分かれ道でその絨毯は二股に別れて互いにまた一直線に連なり、それぞれのゴールまで続いているのだろう。

 やはり、かなり大きな屋敷なんだと再確認した。


 妙に静かな道を進み、二股の道の片方へと進んでいく。

 その先にはキッチンがあり、そこに母さんがいる。

 今日のご飯はなんだろう。

 そう思いながら、彼は進んでいたはずだ。


「やあ」


 ふいに、背後から声をかけられた。


 聞いたことのない声。


 この家にいる皆は、彼にそんな風に気さくに声をかけてくれない。

 だから、すぐに、彼の知らない人――侵入者だと気づいた。


 だけど、彼は振り向けない。

 圧倒的な圧迫感、支配感、恐怖感、絶望感、あらゆる感情が押し寄せ体が固まってしまっていた。


 そもそもがおかしいのだ。


 侵入者がいることが。この屋敷に知らない人がいるのだから。


 だけど、この時の、まだ小さい頃の俺には分かるはずがない。

 ただ、怖いだけ。


 今、この状況を見ている俺には何が起きているのか分かる。


 彼が進んだ反対側の通路の、夥しい人の骸。

 彼の後ろで威圧感丸出しのそれ。


 黒いフォルムをした人。

 シャンデリアの光に照らされ黒光りするその姿。

 屈折部から見える幾重にも張り巡らされたケーブル。

 人と同じく二足歩行で立つ人ではないその姿。


「だ、だれ?」


 恐怖に打ち勝ち必死に紡いだ声は震え。

 その言葉に返された答えに理解はできない。


「君は、刻の護り手の子供かな?」


 背後からそんな質問が聞こえて、彼の左肩にずしっと、重みが乗った。


 恐怖に過呼吸になりそうなほどに酸素を求めながら、彼はその肩の手を見た。


 その左肩に載ったのは、背後にいる話しかけてくる人の手だ。

 黒光りする、人の手ではない、鋭利な爪が付いた、赤いぬめりのある液体がついた手だ。


 ギアだ。

 そう思った時、


「母から頼まれてね。僕が刻の護り手を殺すために、協力してくれないかな?」


 その言葉とともに。

 彼の左腕は、


 いとも簡単に、引き千切られた。




 激しい血飛沫が床や天井のシャンデリアさえも濡らし。

 自分の腕がなくなったことの痛みと恐怖に負け、ぐるりと目が回り、白目となって力なくぐったりと。


 彼は意識を失った。



 そこで――この記憶の持ち主である彼が意識を失ったなら、この記憶の回想も、ここで終わるはずだった。

 だけど、その後の光景はまだ俺のために進んでいく。



「あははっ。人ってやっぱり脆いや」


 黒いギアは楽しそうに笑いながら、彼の頭を掴み、ずるずると、なくなった左腕から流れる血で道を作りながら先へ先へと歩いていく。


 しばらく歩くと豪華そうなドアがあり、ドアを開くと、キッチンがあった。


 かなり広いカウンターキッチンではあるが、カウンターキッチンの前にあるテーブルや、リビングと一体化しているそのキッチンは、俺の家と変わらない形をしている。

 奥には大きめの冷蔵庫があり、その前で茶髪の綺麗な髪をした女性が冷蔵庫の中身を物色していた。


「あ。なっくん? 今日はどのジュース飲みた――」


 その女性が振り返ろうとしたとき、ギアは彼を女性に投げつけた。

 それとともに飛びかかるギア。


 辺りの机や椅子が飛びかかる際に生じた衝撃で吹き飛んだ。


 目の前に飛んできた物体に驚き抱き留めた女性は、それが自分の息子だと気づくと、目の前に迫り来るギアを見て、息子を庇うようにギアに背を向けた。


 女性の背中に一筋の線が入り、辺りに鮮血が飛び散る。


「あははっ! やっぱり隙ができたっ!」


 嬉しそうに笑うギアが追撃の腕を振るおうとする。


みことっ!」


 入り口前に父さんがいた。

 頭から血を流し、服もぼろぼろになった父さんが、西洋の剣のような人具じんぐを振り上げギアに迫る。


「なんだ。まだ生きてたのか。しぶといね」

「凪に何をしたっ!」


 人具を上体を反らすことで避けたギアは、直ぐ様飛び、周りを破壊しながらリビングへと降り立つ。


「なっくん……なっくん? 返事して」


 背中に酷い傷を負いながら、命と呼ばれた女性――母さんは動かない彼に必死に声をかけている。


「何って。こうしたら刻の護り手は少しでも動きが止まるかなって」

「たったそ――だから、お前達ギアは――」

「君達を倒したら、僕らの母も、喜ぶからね」

「だからと言って! お前らの母が子供を傷つけられたらどう思うっ!」


 キッチンを飛び越え、父さんが斬りかかると、ギアは人具を右手で掴み、握りしめる。


「知らないよ。僕はノアじゃない」


 しゅうぅっと、溶けるような音と煙を出しながらつまらなそうにそう言うと、左腕を振り上げた。


 父さんはすぐに人具を離し、ポケットから丸い塊を取り出しギアに叩きつけた。

 目映い閃光が辺りを支配し、ギアが急な光に振り上げていた左腕で目を守る。

 その光自体にはダメージを与えるような効果はないのだろう。ただ光るだけだが、それはギアには分からない。


 そのギアの左腕に、一筋の光が走った。


 ずるりと、肩との接続部からずり落ちていく左腕は、がしゃんっと音を立てて地面へと。

 腕を切り裂かれたギアが、驚いているのか動きを止めた。

 そのギアの胸元に、父さんの背後から飛んできた一筋の光が突き刺さる。


 その光は、キッチンの向こう側――母さんの手から放たれたものだった。


「なっくん傷つけた……許さない」


 恨みと言う言葉があまりにも陳腐に思えるほどに低い声が母さんから聞こえる。


「吹き飛びなさい。『英知』」


 ぱちんっと。

 母さんが指を鳴らすと、ギアに突き刺さった矢が膨らんだ。

 膨らんだ矢は辺りを輝かせ。




 キッチンが、爆散した。






・・

・・・

・・・・






 辺りには爆散した破片が散らばり、今は動くものさえいなくなったその場所に、ギアの左腕か残ったこの場所で俺は立っていた。


 ここから先の話は、ない。


 なぜ、いきなりアレが襲いかかってきたのか、それはただ母さんを殺したいがためであればあまりにも犠牲は多い。


 これは、彼が辿った追体験だ。

 だからこそ、彼は犠牲者がいたことも知らなければ、父さんがなぜあの時一声かけて部屋から出ていったのか知らない。


 だから、その結末はこの追体験では見れなかった。


 恐らくは、父さんも、この屋敷に仕える人達も、彼が無事に母さんの元へ辿り着けれるように戦っていたのだろう。


 だが、その善戦むなしく。


 結局彼は、ギアに掴まり、最悪の結果を招いた。



 だが、これが、彼のターニングポイント。



 原初はここで死に。

 そして選択肢が生まれた。


 そのうちの一人が、今、俺の目の前に転がるこの左腕を移植された、俺なんだろう。


 ……なるほど。

 彼が以前、


「もう、僕にはこんなことさえできないんだから」


 そう言っていたことがわかった気がした。



 むくっと。

 何かが動く気配を感じ、気配を感じたほう――冷蔵庫前を見る。



 左腕のない小さな俺が、その場で立ち上がり、俺を見ていた。




『今みた通り。君は、僕達家族や僕の世界を引き裂いたアレと一緒にいる』



 彼は俺に複雑な表情を浮かべながら、近づいてきた。



『アレが僕達を助けてくれたのは感謝しているし、君が僕ではない君として生きてこれたのは、アレのお陰だとも分かるから今更どうとも思わない。……でも、それさえも、元を正せばアレが原因だ』


 今はない自分の左腕と、俺の左腕を交互に見ながら彼は話す。



『僕が今更言うことはない。終わったことだし。でも、君は、朱を救ってくれた。朱はいい子だよ。だから、守ってあげてね。僕は、君がどう判断するのか、君の記憶となって見させてもらうよ』



 そう言うと、重なるように、左腕のない子供の俺が、すっと、俺の体に入り込んでいった。




 ずきっと、脳内に痛みが溢れだす。




『この状況を引き起こしたアレに、君がどう相対するのか。まあ、どうせ君のことだ。きっと――』






・・

・・・

・・・・




 ずきずきと、頭が割れるように痛い。


 次々と現れては消えるこの記憶は、彼の記憶だ。



 朱の家族と一緒に、ギアが溢れる拡神柱の外でキャンプしたことや、奈名家の屋敷傍にあった大きめな町で、貴美子おばさんの誕生日プレゼントを朱と選んだり、仲良く夕陽を見ながらこれからのことを話してみたり。

 母さんや父さんとの何気ない思い出。

 噛まれた数は思い出したくはなかったが、はっきりと、どんなときに噛まれたのかさえ、鮮明に思い出していく。




 原初の――俺の、記憶だ。




「お前……お前が、俺の左腕を、千切って」


 痛む頭を押さえ、よろめきながらも確信をもって声を振り絞る。


「そうだ。僕だ。僕が――」


「僕が、君の左腕を千切り、僕が君達凪の人生を変え、君が並行世界に飛ぶきっかけとなり、僕が、君をこの世界にまた戻した張本人であり――」



 ナギは、自分の元の体の肩に乗りながら、俺にそう言った。



「弥生を殺すほど、大量に襲い掛かったギアを作り出したのが、今、君の目の前にあるギアだ。『英知』の絶機。改めて、久しぶりだね。凪」




 俺の家族を襲い、俺の左腕を千切り。

 俺を使って母さんを殺そうとし、父さんを傷つけた。


 ギアをこの場所で作り出した者だと、



 ナギは、そう、告げた。

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