03-54 そして触れて口付けを


 何を言われたのか。


 俺は俺を抱き締めて泣き出した朱の言葉を信じられなかった。


 ナオが以前俺に夢を見せてくれたが、その碧の夢を見ているナオが「こんなことがあった」と言って話すのなら分かる。

 それとも、ナオから聞いたのだろうか。


 ……いや、ナオが言うはずがない。


 それに、ナオがどれだけ夢で碧の記憶を見ていたとしても、そこまでしっかり伝えられるだろうか。


 信じられる根拠はあった。


 あったが、どうしてこうなったのか。

 ナギが嘘を言ったのか。


 なんで? という疑問が俺の中で渦巻く。


 ⇒……ごめん。僕も驚いてる。


 急に、俺の考えにナギが反応した。

 左目に、文字が映り出す。


 ⇒僕は確かに、碧を神夜と巫女の子供として生まれ変わらせた。それは間違いないよ。だって、赤子になった彼女と精神体で会話してるんだから。


 それならなんでここに碧が。

 なんで朱が碧だって、自分のことを言うんだ


 ⇒分からない。分からないよ。

 ……彼女に会ったときに違和感はあった。

 だから、確かめるために抱き締めてみたり、彼女の記憶を探ってみたりした。

 でも、そんな記憶はなかった。


 探る? 何した。いや、その前に抱き締めた? 何やってんだ。


 俺の体を使ったナギの行動に文句を言おうと思った時。


 ⇒……おかしい。


 ナギが、ぽつりと、呟いた。


 ⇒朱の体から観測所の母さんを感じる。


 母さんの力?

 母さんは観測所にいるはずだ。

 小さい頃に朱は母さんと会っているはずだが、そこから力をもらったと考えればそんなの幾らでも。


 ⇒そんな簡単に譲渡は出来ないよ。

 ⇒君は、君自身の力を全部そっくり他人に渡せると思うかい?


 それが出来れば、俺みたいに人具を作れる人が量産できる。

 せいぜい、人具の力を発動させる手助けが限界だ。


 ⇒そう。それこそ――そうか。あの時か。

 ⇒母さんが碧に力を渡してた。朱が碧だとしたらそれもあり得る。そうなると、碧の精神体は刻族――母さんの力を継いでいる。


 ⇒……母さんの力ならできるのかもしれない。彼女は、刻を渡ってここまで来た可能性がある。


 刻を渡る?

 それは世界を渡るということだろうか。

 刻族というのは、他の世界も行き来できるということなのだろうか。


 ⇒概ね合ってるよ。

 ⇒世界は観測所で繋がっている。すべては失われれば観測所に戻る。

 そして、浄化され、また世界へ循環される。


 ……今、とんでもない話をしてないか?

 まるで、観測所が宗教的な話にある、『輪廻の輪』のようなことをナギが言った。


 ⇒それが観測所の正体だよ。そして、それを守り、見続ける種族『刻族』。あの白い空間は、彼等が観測所を見守るための部屋であり、その輪の中だ。


 ⇒君は……何も思わなかったのかい? 体を失った碧やナオが、なぜあの場で人の形を形作れたのか。あれは、母さんが観測所に干渉して、そこに魂を定着させたからだよ。


 あの夢を見せてくれて、観測所へと辿り着けたのはナオの力だ。


 だとしたら、俺が夢からあの世界に辿り着いた時……俺も、輪廻の中に取り込まれていたってことになる。


 だからあの時、俺は丸い球体で浮いていて、母さん以外に知覚できなくて。

 母さんがあの時精神体を定着させてくれたってことになる。


 それに、ナオは夢を介して観測所への干渉ができるということにもなる。


 その力は、俺も干渉して観測所から力を取り込むことができるが、俺の力とは少し違うような気がした。


 ⇒君が人具を作れるのは、観測所から常に漏れ出る力を拾い、君の体に循環させ、新しく構築し直しているんだ。


 ⇒観測所に繋がれる君を媒介として、それらは新たな生を受ける。

 その漏れ出た力には、少しの記憶や想いが残る。それが君が君の周りに左右され、形となってまた現れるんだ。


 ……それを応用すれば、人だって生き返らせれる……?

 だから、お前は弥生を……


 ⇒人を生き返らすにはリスクはあるけど可能だよ。


 ⇒でもね、考えて見て。

 君、その人を生き返らせるときに記憶が流れてきたら、それに耐えられるかい? その人の一生を見て、君は君でいられるかい? 君は、人一人を生き返らせるために使う膨大な力を制御できるかい?


 出来ないし、やりたいとも思えない。というか、怖い。

 他の人の記憶なんて見たいとも思わない。原初の記憶だって、俺が知らない記憶が植えつけられるようで怖いのだから。


 それにナギが言ったように、他の人の記憶を見てしまったとき、俺は俺でなくなるだろう。間違いなく、元の俺としては戻って来れない。多分、原初の記憶のように、俺の記憶として上書きされるのだろう。


 俺は俺で……?

 ああ。そうか。あの時流れてきたギアの感情は……まさにそれだったのか。


 ⇒僕が君の中に戻って間もなくだったから、防げなかった。


 ⇒君が不可逆流動ドライブする度、君を通して生を得ようとする精神体はいる。意識や悪意を持って留まることが出来れば、君の体をそのまま得られるからね。しかも君は、善悪関係なく取り込める。


 ⇒僕が君の代わりに受け止め、時には追い返してる。君の体を使えたのも、それの応用だよ。


 つまりナギは、俺が観測所の力を使うときのストッパーの役目をしてくれていることになる。

 ナギがどうしてそんなことをしているのかは分からないが、尚更ナギが何なのか知らなければいけないと思った。

 


「お兄ちゃん……お兄ちゃんはまだ、ボクが碧だって、信じられない?」


 ひっく、と、少しずつ落ち着きを取り戻してきた朱の、少し赤くなった瞳が、俺を胸元から見ている。

 俺が無言だったことに不安だったのか、朱は心配そうにそう聞いてきた。


 ナギと会話してた、なんて言えるわけもない。

 俺とナギはかなり混乱していたらしい。


 話すことで多々分かることはあったが、流石に朱を放置しすぎだったと思ってしまった。


 忘れてた訳じゃない。

 分からなすぎて考えを纏める時間が欲しかった。

 まだ分からないことはあるが、今は目の前の、自分のことを碧と言う朱に答えなければならない。


 改めて、俺はこの俺の胸に飛び込んできた朱を見る。


「俺は……」


 信じられると言えば嘘だ。

 だったら、なぜ、今まで言ってくれなかったのか。


「ボクもびっくり。だって、目が覚めたらボクは『朱』だったから」

「……え?」

「ナギが、頭の中に入ってこなかったら、きっとボクはずっと、朱のままだったよ?」


 ……ナギ。お前、なにやった?


 ⇒君達を知りたくて、彼女の中を弄った。

 だけど、分からなかった。

 いつか使うかもって思って、君から彼女へ、少し力を流した。

 その力に耐えられなくて、気絶したみたいだけど。


 だったら……俺の記憶が流れて朱が勘違いしているとかは、あり得るんじゃないか?


 ⇒ないよ。……ないよ、それは。


 ⇒僕が君達の記憶を流すわけがない。

 あれは僕の宝物だ。君という存在を愛でるための、大切なものだ。

 誰が他に見せてあげるものか。


 何だか、ナギが俺の熱狂的なファンに見えてきた。

 それはそれで、軽く引く。



 ⇒引くってなんだい? 意味がわからないけど。

 ⇒僕が流した力で、元々眠っていた力が覚醒したんだね。……彼女は生まれ変わった。魂も精神体も朱であり、碧だね。


 生まれ変わる。

 それが本当だとして、なぜ――




 ――そうだ。

 貴美子おばさんは、俺の記憶では子供がいない。

 なのに、この世界には朱がいた。

 産まれないはずだった子供の体を、碧が、代わりに産まれるために使った?

 だからこの世界に、碧がいる?


 ⇒あり得るね。でも、どうやって、神夜と巫女の子供から? 何かがあった? どうやって? 生まれ変わる先を変えれたとしたら……あり得るなら、それに通じる深い関係性があれば引っ張られることはあるかもしれない。


 関係? 関係ならある。

 貴美子おばさんは、碧の母親だ。朱の母でもある。


 ⇒それだけじゃ薄いね。

 ⇒時間軸がズレすぎだ。


「お兄ちゃん……ボクはね。朱でも碧でも、お兄ちゃんのことが大好きだよ」


 ナギの文字が消えた先に、朱が見えた。

 あまりにも左目に文字が映りすぎて、前が見えなくなっていたことに今更気づいた。


「お……お……」


 ……何を言えばいいのだろうか。


 朱は、碧なのだろう。

 疑う気持ちはあるが、そうであってほしいという気持ちもある。


 だったら、俺は。

 俺はやっと――


「ボクね。御月さんと巫女ちゃんの赤ちゃんになったの。お腹の中で聞いた二人の声。幸せそうだった。久しぶりに弥生さんと巫女さんじゃない二人の声が聞けて、嬉しかった――」


 その言葉に、驚いて朱を睨むように見つめてしまった。

 俺がさっき知ったことを、朱は碧の生まれ変わるはずだった『先』を知っている。

 その言葉に、確信してしまう。


 俺の中で溢れた思いはそのまま動きとなる。

 朱を――碧をぐいっと引き寄せると、簡単に碧は俺の胸へ飛び込んできた。


「碧……」


 俺はそう呼んで頭を抱えるように抱き締めると、碧はまた、泣き出した。


「お兄ちゃん……ずっと、ずっと……お兄ちゃんに、会いたかった……っ!」


 俺も、碧に、会いたかった……っ! 


「やっと……やっと会えた。やっとまた、こうやってれられた」


 言葉にならない想いが溢れてくる。

 気の効いた台詞が言えればいいかもしれない。

 でも、無理だ。

 頭の中が、歓喜と困惑で真っ白だ。


 碧がまた、涙で俺の服を濡らす。

 冷たいがそれも今は心地好い。


「碧の体でまた会えなくて、ごめんね」


 そんな言葉に、俺の体と一つになってしまうのではないかと思うくらいに更に抱き寄せた。



 ……馬鹿。


 お前はいつだって、姿が変わっても、大事な俺の好きな人だ。



 少し拘束を緩めると、自然と碧が顔を上げた。

 もっとみたい。

 朱だけど、碧な、やっとまた出会えた俺にとって大切な家族。


 俺の大切な、愛しい女性。


 昔はボブショートだった髪。今はストレートの長い艶やかとなったその髪。どちらでも碧や朱だと思うと余計に愛しい。


 透くように撫でると、碧はお返しとばかりに俺の両頬を包むように触れる。


 自然と、俺達は顔を近づけていく。

 お互いに求めるように口づけを――


 

「そこでストップなの。お兄たん」



 ――出来ませんでした。

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