02-08 初戦
最初に動いたのはメイドだった。
ひゅんっと通り過ぎる音が耳に届いた。
背後の道路に小さな小石のようなものが当たる音がする。
頬を掠めていった何かが道路に突き刺さろうとし、弾かれてどこかへ飛んでいったのだろう。
……ああ、うん。無理だ。
すぐにそんな考えがよぎった。
頬には一筋の赤い線。そこからじくじくと痛みが湧き上がってくる。
少し焦げ臭い匂いがする。頬に近い髪の毛がぱらぱらと落ちていくことから、髪の毛が今通り過ぎていったものに焼かれて焦げた匂いだと思う。
決して、頬から出ているわけではないと思いたい。
目の前のメイドが銃口を向けた直後のことだった。
破裂するような音と銃口から火花が散ったと感じた時にはこの結果だ。
ガトリング式の小銃からはうっすらと硝煙が立ち込めている。火薬の匂いから、発砲されたのだと少し遅れて気づく。
いや、気づいていた。でも気づきたくなかった。
そこからたった一発の弾が射出されただけだ。
銃を向けられたことも撃たれた経験もない。
刺されたことはあるが、そんなの気にならないほどに惚けてしまう。
なるほど。これが人類が生んだ殺戮するための兵器か。
避けれるわけがない。
光った時にはもう遅い。
どこの誰だ。銃弾は手の動きを見れば避けれるといった奴は。
銃口を見ればどこに撃たれるかわかるといった奴は。
掴んで止めれるやつはどこのどいつだ。
撃たれてもゴムの力で跳ね返すとかどんな能力者だ。
ぱらぱらっとか音立てて握り潰して砕けるとか。
できるわけがない。
ふいにメイドが動いた。
ガトリングの銃口がゆっくりと下ろされる。
地面に銃口がつくと重たそうな音が鳴る。今は巨大な包丁となった右手でガトリングの中枢部分に触れる。
差し込むように、突き刺すようにガトリングに触れたその切っ先を跳ね上げるように持ち上げると、カチンッと何かが填まる音がした。
くるくると、くるくると回り始める銃口。
からからからと、回る度に音が鳴る。
銃弾がセットされずに空回りしている音だと気づくのに時間はかからなかった。
単発式から連射式に切り替えたのだろう。
でなければ、今頃俺は蜂の巣だ。
先程の単発は、ただの威嚇射撃。
――いや、こちらの反応を伺うためにわざとやったのだろうか。メイドの顔が嬉しさを表現しているのか歪む。
ただ、あの一発で俺は勝てないことを悟った。
逃げなきゃ、死ぬ。
誰だ。武器があるから戦えると思ったやつは。
直がいるから逃げられない?
そんなわけない。
置いていけばよかったんだ。
死にたくないなら、囮にしてでも逃げればよかったんだ。
ああ。
逃げれても絶対後で後悔する。
わかっていたから逃げなかった。
逃げられるわけもない。
逃がしてもらえるわけもない。
銃口が再度向けられる。
からからと音を立てて向けられる。
にぃっと、メイドが笑う。
向けられている物が物でなければ見とれていたかもしれないその表情。
ギアの見た目は目麗しく作られている。
人が側に置くのであれば美しいものがよい。
ただそれだけで精巧に作られた見た目。
感情があるはずもないその顔は、プログラムされた通りの笑顔を俺に向ける。
最後に見る顔が綺麗な笑顔だったことがよかったのか悪かったのか。
何もわからないまま、俺は死ぬ。
銃口から僅かに光が漏れ出た。
射出音と思われる子供のおもちゃのように乾いた音が立て続けに聞こえる。
幾重にも光る銃口から鉛の銃弾が放たれる。
秒間100発と言われる銃弾が音とともに向かってくる。
無痛ガンと呼ばれるくらいだ。
痛みもなく死ねるのであろう。
目を閉じよう。
せめて、直だけでも守りたかった。
目を閉じるよりも先に銃弾は俺を貫く。
閉じる前の瞳が映すは複数の黒い物体。
目の前まで、着弾するために向かってきた弾がせめて痛くないように願いながら瞼が落ちきる。
ここで、俺の人生は終わり。
「……?」
痛くない。
当たらなかった?
ゆっくりと目を開ける。
目の前に光る残像がちらつく。
じゅっと音を立てて消える銃弾。
絶え間なく撃たれ続ける銃弾は、目の前をハエのように飛び交う光の残像に全て叩き落とされるかのように消えていく。
それを起こしているのは――
「佑成?」
右手に握られた佑成が目の前で動き続けている。
それと同じく残像のように消えては見えを繰り返す俺の右腕。
ぱっと見、消失しているかのように右腕は動いている。
勝手に動く右腕が俺を銃弾から守ってくれていた。
見えないくらい忙しなく動き続けて。
「すけ――いだだだだっ!」
だが、いい加減痛い。
俺の意思とは関係なく無理やり動いているのだ。
何一つ他の箇所が動いていないのに右腕だけが動いていれば流石に無理がありすぎる。
からからからと空回りの音がする。
やっと撃ち終わったようだ。
俺の体には全く当たることはなく、佑成が勝手に右腕を動かしてすべて蒸発してくれたようだ。
メイドの背中まで繋がる鎖に一つも銃弾がなくなっていることを目視しほっとする。
鎖が重たそうな音をして地面に落ちる。
これでもう銃弾に襲われることはない。
背中から鎖がまた生えてガトリングに接続さえされなければ。
すかさず近くの家の塀へ。メイドの死角へと猛然と飛び込む。
「はぁ……はぁ……」
まだメイドが動き出す気配はない。
ガトリングに銃弾が装填されるまではまだ時間がかかるようだ。
塀に寄りかかりながら座り込む。
おかしい。確かにおかしい。
先ほどの佑成の動きといい、俺の右腕といい。
どう考えても俺の限界を超えた動きをしている。
そう言えば、銃弾が撃ち込まれた時になぜ俺はああも冷静に自分の死を考えていたのか。
自分に撃ち込まれた銃弾もはっきりと、回転しているのも見えるほどはっきりと見ることができていた。
まるで、周りの動きがゆっくりとなっているかのように。
「……そうか、これが――」
――これが、神具の力。
神鉱を存分に使って作られた神具の力が俺の体に作用しているのか。
本来であれば生身の人間が相手にすることのできないギア。
あんな改造を無理しても行うことのできるキャパシティや軽々と扱うことのできる人間なんていやしない。
それに対抗することのできる唯一の武器。
神具。
人間の力と呼応してギアと対等に戦うことができるようになる武器。
確かにこれがあればギアと戦うことができる。
なんせ、人間が持つあらゆる能力を格段に引き上げてくれるのだから。
でなければ平凡な、ちょっと喧嘩ができる程度の人間の俺にあんな秒間で撃ち込まれる銃弾を刀のような剣のようなこの武器で受け止めれるわけがない。
「いける……戦える」
これで、死ぬことはなくなった。
そうであればやることは一つ。
「まずは、あの銃を叩き壊す」
先ほどまで自分がいた場所を見る。
自分のいた場所の向こう側には俺の家がある。
その家の玄関前には、何が起きたのかと驚いて固まったままの直がいる。
また同じところに戻って戦うなんて死にに行くようなものだ。
先ほどと同じようなことができるとは思っていない。
行うべきは奇襲。
背後に回っている間に、今度は直が危険に晒される。
まだ直のことには気づいていないだろうが、気づかれるのも時間の問題だ。
直に行ってもわからないかもしれないが、自分の唇に指を当て静かにするようにジェスチャーをする。
とにかく直は動かなければいい。
分かってくれたのか、リュックを自分の前で盾にするように持ったことを確認する。
確かにあの中には神鉱が大量に入っているからもしかしたら防弾チョッキのような役目も果たしてくれるかもしれない。
……あんなに撃ち込まれなければ、だが。
直が動き出す前に、メイドに直が気づかれる前に急ぐ必要がある。
立ち上がり、先ほどまで寄りかかっていた塀の敷地にある家を見る。
二階建ての建物は上空から奇襲をするにはちょうどいい高さだ。
上からの奇襲は流石に考えてはいないだろう。
あんなものを持っている相手に対して上空に舞い上がれば遮蔽物もないのだから撃ってくださいと言っているようなものだ。
再度自分の右手に握りしめられた佑成を見つめる。
もう一度力を貸してほしい。
今度は、諦めないから。
そう祈るように見つめると、佑成が優しく震えた気がした。
「……やるぞっ」
軽くジャンプするといつもより体が軽かいことに気づく。
簡単に背丈ほどの塀の上に乗り降りることができた。
やれる。これならいつも以上に素早く動くことができる!
塀から玄関屋根へ、玄関屋根から一気に二階の上へ。家の屋根へと降り立つ。
まだ気づかれてはない。
そう思ったのが甘かった。
発射音がして、目の前の屋根を何発もの銃弾が突き抜けていく。
俺がかすかに起こした音からどこにいるか判断したのだろう。
ギアの能力を甘く見ていた。
浅はかすぎる自分の考えにも辟易する。
ただ、まだ俺の位置はわかってはいないようだ。
少し離れた場所へとゆっくりと移動する間も銃撃は鳴りやまない。
屋根にいるということだけはわかっているようだ。
先ほどの感覚から、銃弾を撃ち切った後は装填されるまでに少し間があることが分かっている。
撃ち終わる直前に切り込み、あのガトリングをメイドから切り離す。
そこまでが勝負。
銃弾も俺の目にはよく見えている。
30……50……80……
「いまだ!」
一気に屋根を走る。
先ほどまでメイドがいたであろう位置に向かって屋根から飛び出す。
下方でメイドが俺をゆっくりを目で追っている。それと追従するように銃口が向けられ銃弾が放たれる。
放たれた銃撃の音は4発。
目の前にほんの少しの時間差で放たれた銃弾が押し寄せる。
佑成を自分の前に空を裂くように上から振るう。
じゅっと音を立て、まずは1つ。
続けて切り返し振るう。
2つ目
横に薙ぎ払うように振るう。
3つ目、4つ目。
振り終わる頃にはメイドの前に俺は降り立っていた。
着地と同時に地面を見つめていた俺はすぐさまメイドの顔を見上げる。
メイドが口を開けていた。
その口の中には小さな一つの銃口が見えた。
口から飛び出す銃身。
銃口から光が漏れるのを見て顔をすかさず右に振る。
目の前を銃弾が通り過ぎていくのを見た。
佑成を銃身に向けて下から振り上げる。
バターのように簡単に縦に切れた銃身が小さな爆発を起こす。
メイドの顔面が爆発で弾かれて上を向く。
振り上げた腕はそのままに、くるっと横に一回転する。
メイドに背中を向けることになるが、まだメイドは上を向いたままだ。
回転の勢いに乗せた右腕を、すでに銃弾がなくなって空回りしているガトリングへ斜めに振り下ろす。
振り下ろされた佑成の白い刀身が、白い残像を残しながら、なんの抵抗も感じないままガトリングの銃身へと吸い込まれていき、メイドのガトリングに隠された右腕もろとも切断する。
ガトリングの銃身がからからと回りながらコンクリートの地面へと落ちていく。
これで遠距離攻撃は防いだ。
俺にも銃弾を見て避けることができるじゃないか。
流石に握り潰すことはできなそうだが。
誰だ。できないと言ったやつは。
そう思いほっとした瞬間、自分の体に影が下りた。
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