01-13 それが夢であれば 2


 飛行機に乗ってから、約一時間程が経ったときにそれは起きた。


 俺の席は窓際。その少し離れた後ろの席では父さんと義母さんが隣同士に座っている。

 俺の隣には碧が座っている。


 今は夜。

 碧は俺の肩にもたれて眠っている。いや、碧だけではない。乗客は俺以外と言っていいほど、ほとんどが眠っているのではなかろうか。

 そんな静かなフライトの夜。


 せいぜい1~2時間のフライトとはなるのだが、最終便の為かみな眠りについている。

 降りたら降りたで帰宅だったりホテルに泊まるなど様々ではあると思う。そこから更に目的地に移動する人もいるだろう。


 そんな俺達は一度乗り継いでまた飛行機に乗るはずだった。

 もっと早い時間に飛行機に乗る予定が、父さんと義母さんの仕事が長引いたおかげで、予約をキャンセル。最終便で乗ったことで乗り継ぎの飛行機もなく、空港併設のホテルに一泊してから翌日再度飛行機の旅になる。


 窓から見る外は、手が届きそうな程大きな丸い月が見たこともないほど光り輝き、本来暗闇で見えないはずの下方に広がる雲は暗闇のなかでも月の光に照らされ白い存在感を際立たせる。雨雲なのか重く闇色を纏った雲が所々あり、まるで深い峡谷のように断崖絶壁を作り出している。時折、稲光なのか黄色い光が遥か遠くで走り去る光景はとても奇麗で幻想的だった。


 そんな光景を、寝つけなかった俺は飽きることなく小さな窓から見続けていた。


 途中、飛行機は雲の中へと入っていく。

 景色が幻想的な世界から薄く霧のかかった、真っ暗な世界に変わる。まるで暗い森の中のような、所々の雲の隙間から薄く光が差し込む様は大きな大木で光が遮られているかのようだった。


 その世界で、何かが光った。

 初めは、先程みた稲光か、雲間の光か、それとも近くを飛んでいる別の飛行機だと思った。もし飛行機であれば俺と同じようにこの光景を見て感嘆の声をあげる人もいるだろうと、見えもしないその先の景色の共有者に思いを馳せていた。


 幾つかの小さな光が消えてはまた光を繰り返すその光景が妙なことに気づく。

 遥か彼方に、小さな赤い炎が現れたように見えた。

 直後に大きな爆発音のような音が飛行機に届く。その音とほぼ同時に赤い炎は大きく広がり彼方の雲を赤く染め、そして先の絶壁へと墜ちていく。


 その音に驚き、辺りが急に騒がしくなる。

 次いで、仄かに光っていた機内のライトが一斉に消灯。音の衝撃なのかたまたま気流にのってしまったのか、追い討ちのような揺れにざわめきは更に大きくなる。

 俺の家族も目を覚まし、何事かと辺りを見回しているような、そんな気配を感じた。隣の碧はいまだ俺の肩に寄りかかり眠っている。図太い神経の持ち主だと軽く呆れてしまうが、その寝顔に役得を感じる自分もいる。


 恐らく、あれを見たのは俺くらいであろう。

 機内放送がいまだ寝ている乗客を起こさないよう静かに、乗客を慌てさせないように流れる。

 機長の声で、気流に乗ったため揺れたことによる謝罪とぴこんっと音を立ててシートベルトサインがつく。


 俺は、あれがなんだったのかを考えていた。

 あれは、先程みた稲光が何かに直撃したのだろう。こんな高度にあるのは、同じような最終便か、はたまたそこに見えないだけで山のようなものがあってそこに当たったのだろうと。

 後者であれば、その赤い光が暗闇のなかに吸い込まれていくように、まるで彗星のように斜めに墜ちていくとは考えられない。

 であれば、あれは……


 一気に恐怖が加速し、隣の碧を揺り起こす。

 眠たそうな碧は目をしぱしぱさせながら猫のように目を擦る。


 いや、お前はどちらかというと犬だろ。


 と、碧の行動に心のなかでツッコミをいれれる程度に、心が少しだけ落ち着いた。

 ただ、落ち着いたからといって、今の状況が不安なことは変わらない。

 シートベルトサインがぴこんと点滅を繰り返すなか、後ろにいる両親に声をかけに移動する。


「二人揃ってトイレか?」

「揺れるから気を付けなさい」

 そんなのんびりとした口調の二人に今何が起きたのか、すぐに伝えようと義母さん側の小さな窓を見る。


「あ……」

 思わず、その窓から見えた景色に、声をあげてしまう。

 その声に周りの乗客も両親も、碧も、窓を、見てしまった。



 最初は小さな、穴だった。

 飛行機のすぐ近くに光が現れ、丸い円ができる。その円の内側が暗い青から虹のような鮮やかな色に変わる。

 その鮮やかな円をこじ開けるかのように、中から人のようなものが現れる。いや、正確には、『人型』と言ったほうが正しいかもしれない。

 周りの暗闇よりも黒いその人型の、目らしき赤い宝石のような瞳が、俺と目が合った気がした。


 その瞬間、体の奥底から、「逃げたい」という気持ちが一気に膨れ上がってきたが、それも一瞬のこと。その人型は目の前から消える。

 父さんは、人型を見たことで顔を真っ青にし驚きを隠せない様子だった。

 同じように口に手を当て驚きの表情のまま固まっている碧の肩を抱き寄せる。


「碧、大丈夫だ……と――」

 父さんに声をかけようとしたタイミングで飛行機の最後尾のほうからドンッと扉を力強く叩いているかのような音が聞こえ始めた。

 音がなる度に飛行機が左右に揺れる。

 その揺れは少しずつ大きくなっていき立っていられなくなった。すぐに碧の安全を確保するために碧の両手を座席の背もたれに捕まらせる。その上から覆いかぶさるように背後から俺も座席の背もたれに捕まる。


「お、お兄ちゃん?」

 背後の俺を不安そうに振り返って見つめる碧の髪が俺の頬をくすぐる。

 少し押し出されるように浮いた碧の腰を見て、考える。


 ……あ、これ。後ろから襲ってるみたいだ。


 今の状況でこんな不謹慎なことを考える俺は馬鹿かと思ってしまった。

 あまりに非常識なものを見てしまったので思考が逃避行動に移っているのかもしれない。


 音と激しい揺れに、まだ眠っていた客が目を覚ましたのか、より一層のざわめきと悲鳴が辺りを支配する。


 起きなかったほうがよかったかもしれない。

 起きなければ、夢の世界で幸せに逝けただろうから……。


「……父さん……あれ、何だよ」


 この飛行機は今襲撃を受けているのであろう。あの、人型に。

 恐らく、最後尾にとりつき、内部への侵入を果たそうと飛行機にダメージを与えているのであろう。ただ、それが分かるのはあの時にアレを見てしまった乗客だけだとも思う。

 現に、見てしまった乗客は、支離滅裂な叫びで周りの不安を煽りながら震えている。


「凪」

 父さんがいつも見せない真剣な表情を浮かべ、俺の名前を呼んだ。

 俺が次の言葉を待つためにじっと見つめていると、父さんはふっと笑ってからポケットの中から何かを取り出す。


「受け取れ。母さんの形見だ」

「母さんの……?」


 渡されたものを受け取り見つめると、それはピアスだった。

 俺はこのピアスをよく知っている。

 俺が毎日片耳に着けているピアスの片割れだ。


「いや、なんで今……このタイミングで」

「今、だからこそ、だ」

「いや、今じゃないだろ!」

「いや、今、だ。なぜなら、父さんは間もなく死ぬ」

「だから、だからこそ、今じゃないだろって言っ――」

「――違うの、聞いて、凪」

 義母さんが俺の怒りの言葉を遮る。


 こんな、こんなことをして、まるでこれが、母さんだけじゃなく、父さんの形見として持ってくれと言っているようなものじゃないか。

 今、この状況がかなり絶望的といっても、今それを言うべきではない。


「命さんの形見であれば、それはあなたを助けてくれる」

「……? どういう、こと?」

 義母さんがシートベルトを外し、立ち上がる。


「出来ることなら、その恩恵を頂けるなら、私や基大さんも助けてくれると思うけど、命さん、私のこと嫌いだと思うし」

「いや、だからって……」


 俺は義母さんから渡されたそれを見る。碧は今にも泣きそうに自分の母親を見つめていた。

 そんな、俺の実の母が、義母さんのこと嫌いだからってそんな理由で守ってくれなくなるとか、そんなのありえるわけがない。

 それに、守るとは。

 今ここにいない死んだ母が守れる力があるわけがない。


「だから、私達がダメなら、せめて直と碧を、ね」

「いや、だから、何を――」


 義母さんの少し諦めと悲しみが混じった笑顔を見て、義母さんと父さんから、すでに諦めている以外に何か別の思惑を感じた。

 何かを知っていて、何かを悟った。そんな表情だった。


 とにかく知りたい。

 今起きている状況。そして二人が知っている何かを。


「義母さんも、父さんも、何か知って……っ!」


 そう、声を出した時にそれは起こった。


 そこから先は、阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな絵図は俺も見たことはないが、俺が知っている言葉としてその後の光景は、その言葉がぴったりだと感じた。

 その瞬間の光景は二度と忘れないであろう。



 飛行機の後部が、潰れた。

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