01-04 夢の中の手料理


 数ヵ月が経ち、碧は俺の義妹ということでか、今では学校中の男女が友達になり、楽しい学校生活を送っている。


 元気で容姿もよく、分け隔てなく仲良くなる人懐っこい性格のためか、それなりに学校の男子からも人気だったりするらしい。

 子犬みたいな印象を持たれているようで。

 確かに、嬉しそうにしている碧を見ていると、ぶんぶんと切れそうなばかりに振られる尻尾が生えてるように錯覚するときもある。


 そんな人気な碧のファンに、俺は目の敵にされているらしい。


 そりゃあ、お目当ての女子が仲良さそうに別の男――いや、義兄なんだが――と帰宅するという行為を毎日見せられたら。学校帰りという特別な時間を兄という鉄壁の防御を使われていれば、せめてチャンスをくれと泣きつく輩も出てくるのは必然というものだと思う。


 中にはファンクラブを作って交流する機会を増やそうとかよく分からないことを言っていたり、ストーカーになりそうとか言っている輩もいるようで。


 俺も兄として、悪い虫をつかせる気は毛頭ないのだが、俺にもチャンスが来ないのがちょっと寂しい。




 気づけば現在皆勤賞。夏休みが訪れる。


「お兄ちゃん! 起きてっ!」


 朝。

 いつも通りの時間に、碧の大声によって起こされる。


 しかし、今日だけはあまり起きる気がしない。

 昨日、父さんと飲み比べをして、惨敗したあげく、頭がガンガンするからだ。

 しばらく帰ってこないからと、誘われたわけだが、そりゃあもう、義母さんが大激怒だ。


 当たり前だ。中学生に酒を薦めるとか、何をやっているのかと。


 ただ……俺は酒を飲んだ訳じゃなく。

 美味しそうに飲む父さんから漂う酒の匂いに雰囲気酔いしただけではある。

 勿論、俺はただのジュースだ。

 なので、様々なジュースをチャンポンし、そこにお酒の雰囲気酔いが混じって気持ち悪いという惨状だ。


 そんな父さんと言えば、義母さんと生まれたばかりの実妹のなおと一緒に少し遅めの新婚旅行に行った。


 つまり、家には、俺と碧しかいない。


「……ん」


 碧の手のひらに自分の手を乗せる。さながら、お手のように。


「よしよし、お兄ちゃんよくできましたね~。じゃなくて、起きてってば!」


 痛む頭で必死に考えた避け技も頭を撫でられたまではよかったが、耳元で大声を出されてより一層痛みが増す。


「碧ぃ……頭痛薬持ってきてぇ~」

「……何変な声だしてるの。う~、寒気がしたよぉ~!」


 結構イケてると思ったのだが、碧は自分の体を抱くような仕種をして震えている。


「昨日お父さんと真夜中まで付き合うからだよぅ。お兄ちゃんはまだ未成年でしょ? お酒なんか飲んだらいけないんだよ」


 うん。義母さんと一緒にすごい止めてたしね。……飲んでないけど。


 二人で騒いでいたわけだが、一応、目に入れても本当は痛いだろうが痛くないと思える可愛い可愛い生まれたばかりの直の祝いのために、仕事でまったく会えなかった父さんに付き合ったわけで。


 義母さんは飲めないし、碧も飲めないし。俺も飲めないし。ご同伴がいないと寂しい父さんのために付き合っただけで……。



 そんなこともあるが、義母さんと碧と直の女性陣三人との新生活にももう慣れた。


 男一人、且つ、初めて女性が常に家にいるという体験に加え、生まれたばかりの赤ちゃんがいるという状況に困惑はしたものの、数ヶ月も過ごせば慣れるものだ。


 らっきーすけべにも慣れた。

 ……いや、ないように最善は尽くしたさ。


 可愛い可愛い直も、父さんより俺に懐いてくれている。


 父さんがとにかくデレデレしながら抱こうとしても、誰かも分からないのか、俺のほうを見て助けを求めるように大泣きする姿を見ると、久しぶりに父さんに勝ったと思ったもんだ。

 父さんは、ショックのあまり号泣だ。


 ただ、俺も直が新婚旅行に連れていくと聞いた時には軽く泣きそうになった。


 とにかく可愛いんだ。

 あのぷにっとした頬っぺたとか、あの守ってくださいといっているような小ささ。極めつけはきらきらと、生まれてきてみたものすべてが新鮮、世界は不思議に満ちている! と言っているようなあの穢れのない瞳。

 夜中に大泣きしようが、その可愛さで許してしまうくらい、とにかく俺は直に毒されているのは間違いない。


「あまり近くでしゃべらないでくれぇ~……頭が痛い……」


 今の俺の状況とはまったく大違いだ。

 俺のこの瞳は、濁っているのであろう。


「ボクもお母さんも止めたからね? お兄ちゃんが止めるのも聞かないで飲んだせいだもん。自業自得だよ」


 両腰に手を当てて呆れたようにそう言うと、ぱたぱたとスリッパの音を鳴らしながら碧が俺の部屋から出ていく。


 ……だから、俺は飲んでないんだが。


 しばらくして戻ってきた碧は、水を入れたコップと頭痛薬を持ってきてくれた。

 優しい碧に感謝しながら、俺はそれを受け取って飲むと、心なしか頭痛も少しは引いたような気がした。

 これが、プラシーボ効果というやつか。


「お兄ちゃん、ご飯はどうするの?」

「ん~……碧が作ってくれるのか?」

「作ってほしい?」

「……その前に作れるのか?」


 そっちのほうが疑わしい。


「作れるよっ!」


 碧がぷくっと頬を膨らます。相変わらずからかうのが面白い。


「じゃあ頼む」

「うん。任せてよ!」


 張り切って、嬉しそうに碧は部屋から出ていく。

 ……大声は頭に響くって言ったのに……。

 俺は窓を開け、外の風を受けながら再度眠りについていった。




・・

・・・

・・・・




 ……どれくらい眠っただろうか。目が覚めた俺は目覚し時計を見る。


 七時三十分。

 三十分しか経っていないが、眠かっただけかと思ってしまうほどに妙にすっきりしていた。


「……ん。いい匂いがする……味噌汁?」


 部屋から出て一階へ向かうために階段を下りていく。


 リビングとくっついたダイニングキッチンの近くへ寄ると、ごとごとと、何かを作っている音が聞こえる。


 碧の初めての料理はどんなのだろうと少し期待を持ちながらさらにキッチンに近づいていくと――


 ――だんっ! だんっ!


「……おい、ちょっと待て」

 

 力任せに包丁をまな板に叩きつけているような恐ろしい音が耳に入ってきた。


 マテ。義妹がご飯を作ってくれるというアニメや漫画でありそうなテンプレ展開からの、まさかの料理下手なのに頑張る妹とかいう最近あまり見ないテンプレが頭をよぎった。

 キッチンに入る前に、こそっと柱の陰から見てみる。


 碧はまな板の上にそっと果物を置くと、包丁を持った腕を振り上げ、その果物に狙いを定めて包丁を降り下ろす。

 それは見事に外れて、果物はころころと転がって地面に落ちた。


 うむ。かなり危ない。


 いや、待て……。

 振り上げて標的に直撃寸前で適度に力を抜いて、標的がさくっと切れるように調節しているのか……? でなければまな板にも何かしらの傷ができているはずだ。


 いや……あの速さなら、まな板さえも真っ二つになるはずだ。


 なぜなら。すごい勢いで振り落とされているあの包丁は、昔から俺が使っていた、毎日のように父さんの無茶な要求にも共に協力して耐えてきた相棒「佑成すけなり」だ。


 まな板ごとき、斬れぬはずが、ない。


 再度の挑戦が始まるが、それでも標的は切れていない。まさか、あの果物は、意思を持っているとでも言うのだろうか。

 意思のある果物とは……斬りがいがある。


 ……んなわけないか。


「やったことないなら始めからそう言えよなぁ……」


 見ていてはらはらしてきたので、再度振り上げられ、憎しみがあるかのように叩き落とされるのを、ただただ待つ若干哀愁が漂っているかのようにも見える包丁を背後から取り上げる。


「あとは俺がやるよ」

「でもぉ……」

「いいからいいから……正直、やったことないんだろ?」

「違うの。果物はボク、苦手、なの……」


 どうかは知らないが、味噌汁は美味しそうだった。


 で、本当のところ、どうなんだ? と、取り上げた包丁あいぼうに聞いてみるが、もちろん返ってくる言葉はない。

 本来の主の元に戻ってきたのが嬉しいのか刃先を妖しく光らせるだけだ。

 その光も、ただ単に光が反射してるだけではある。


「さて、作るかね」 

「……ごめんね。ボク……」


 何か言いたそうな碧をキッチンから追い出して席に座らせ、冷蔵庫の材料を確認。


 ……さて、とりあえず、自分が作れる簡単なものでも作るか。


 ずっと父さんが手伝いもせず、常に俺に料理を作らせ続け、気づけば早十年程。

 簡単なものならさっと作れるようにはなっている。


 あれ? 何で俺、料理作るようになったんだっけ。


 父さんの手料理を味わったことはまったくなく、料理を手伝ってもらった事も記憶にない。

 いつも煎れてくれるコーヒーが手料理、なのであれば、それはそれで毎日味わっていたということになるが、なんでだったか思い出してみる。


 ……ああ……好奇心で作った料理が、父さんに美味いと絶賛してくれたから、調子にのってそれから作るようになったんだ。


 で、その結果。当たり前のように席に座って俺の料理を待つ父さんが完成したわけだ。


 それもいつも忙しい父さんに何かしてあげられてると思えることが、すごく嬉しかったのは覚えている。


 ……原点に帰ったところで。


 腹も減っているので、簡単に作れるものはと考え、とにかく簡単に。

 朝に少し重たいかもしれないが作ってみたいものがあったことを思い出した。


 碧が炊いたと思われるライスを使ってケチャップライスを作ると、具材となるウィンナーとグリンピース、チーズと海苔、後で使う卵を用意

 たったそれだけで準備は完了だ。


 サランラップでケチャップライスを幾つかのパーツに包み、頭と体、手と足と耳を二個ずつ成形。こねこねこねと、しっかり固めないと後が悲惨になる。


「お兄ちゃん、なに作ってるの?」

「ん? 猫」


 海苔やチーズを使って見た目を作っていく。

 スライスチーズを三角に小さく切ると、まん丸なパーツに耳を二つくっつけて、少量のマヨネーズを接着代わりに使う。

 ケチャップライスの赤身とチーズの白のコントラストを調整しなければならない。

 チーズの大きさもちょうどいい大きさにしないと台無しになるので形を整えていく。特にこの部分は耳が小さいので結構慎重だ。

 作った後に、まん丸本体をつまんで耳にすればよかったと後悔。


 形が出来上がったらまるんまる本体に、輪切りにしたウインナーとグリンピースで顔を作る。これで「猫」の出来上がり。


 後は仕上げに、ボウルに卵とサラダ油を入れ、よく溶いた後は熱しておいたフライパンに投入。ふわふわになるように菜箸でかき混ぜながら半熟状態になったところで火を止めて猫の体にそっと被せてやる。


 これで、キャラ弁によく使われる布団をかけられた猫のオムライスが完成だ。

 猫が黄色いオムライスを布団と称してお母さんにかけてもらうCMを思い出したので作ってみた。

 作ってみたら思っていた以上に簡単にできて驚いた。


「ほら、できたぞ」

「お兄ちゃん、すごーい!」


 作っているときから身を乗り上げてみていた碧が、完成品を見て感激の声をあげてくれた。それだけで作ったほうとしては嬉しい限りだ。


 そんな嬉しそうな碧の背後にうっすらと見える尻尾の幻影。相変わらずぶんぶんとちぎれそうに振られるその幻影を見ていると、頭から子犬の耳さえもうっすらと見えるように錯覚してしまう。


「ちょっとは見直したか?」

「むしろ凄すぎて食べるのがもったいないよぅ! ねこさん可愛いよぅ……」


 そんな碧の感想と振り続けられる尻尾に、犬にすべきだったか?と思いながらも内心ほっとした。


「いっただきまーす! あ、おいし~い!」


 感想早いし。可愛いから食べられないと言ってたのに躊躇なく頭からさくっとか……。


「義母さんとどっちがうまい?」

「う~ん。どっちかなぁ……そんなこと言われると迷っちゃうよぅ」


 本当に考えこむ碧を見て、思わず笑う。


 考えるまでもない。義母さんのほうが栄養等よく考えてるし、一品しか出さないなんてこともない。


「笑うとこ?……ねえ、お兄ちゃんって、他にも作れるの?」

「他に?……大体は作れるが……まあ――」


 こっそりついでに作っていたデザートのクレープを、目の前にそっと出してみる。


 こちらも簡単に作れるので、暇つぶしによく作って食べてたのを思い出して面白かった。

 奇抜なものもどうかと思ったので、チョコと生クリームを多めに、イチゴとバナナも薄く切って中に入れてある。

 薄い生地ではなく、少しもっちりとした生地で包んでいる。どちらかというと、八つ橋のように中身がうっすらと見えるように作ってみた。


「こんな感じのクレープくらいならさっと作れる感じかな」

「クレープだっ! クレープだよぅ!」

「いや、今そう言っ――」

「食べていいの!? 食べていいの!?」

「そこまで喜ぶかぁ?」

「喜ぶよっ! だってクレープだよ!」

「いや、確かに目の前にあるのはなんちゃってクレープだが……」

「お兄ちゃんはクレープの凄さがわかってない! 柔らかい生地に包まれた奇跡の食べ物だよ! チョコいっぱい入ってるし、あ、イチゴとか基本抑えてる!」

「バナナも入ってるけどな」


 フォローをあまり聞かずに奪うようにクレープを食べ始める碧。

 クレープが出た瞬間、先に出していたオムライスは一瞬にして消えてなくなっていた。

 デザート、おそるべし。


「美味しい! 美味しいよお兄ちゃん!」


 なんだろう。両方とも自分で作ったものだが、クレープにオムライスが負けて少し悔しい気もしなくもない。


「お兄ちゃんって何でもできるんだね」


 クレープを食べ終わった――小さめのものを数個作っていたのだが、瞬殺だった。あれ、俺のは……?――我に返った碧がそう聞いてくる。


 碧の口元にチョコがついていることを自分の顔を指して教えたが、首を傾げて不思議そうな顔をしたので指で掬う。勿体ないからぱくっと一口。

 一瞬ぽかんと何が起きたのかわからない顔をした碧が、一気に頬を赤らめて両手で顔を隠し始める。


「褒めても何もでねえぞ」


 俺も自分が何をやったのか気づき、思わずピアスを弾きながらそう伝える。

 きんっと相変わらずいい音がするが、そんなことより俺は何をやっているのかと、動揺のあまり何度もピアスにでこぴんをかましてしまう。


「え~」

「……期待してたのか?」

「うん」


 まだ少し頬が赤い碧の請うような瞳と、期待しているかのようにぶんぶん振られる幻影の尻尾を見て諦める。今回はそこに寂しそうに垂れた犬耳がセットだ。


 この数か月で碧の性格を知った結果、こんな状態になった碧を止める術はないと知った。

 この後に作った俺の朝食――碧の味噌汁付き――を、横からかっさらうように食べていく碧を見て、思う。


 食い意地、はりすぎだ。うちの義妹は……。


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