男ありて・・・・前編

『親分』の、追加のリクエストを叶えるのは、それほど難しいことではなかった。

3日後、俺は報告書を携え、東京都の下町の葛飾にある彼の自宅を訪れた。

 引退したとはいえ、仮にも元大組織の天辺にいた人間だ。それなりの家に住んでいるだろうと思っていたが、何のことはない。

木造平屋建ての、簡素な日本家屋だ。

 独身だから勿論一人暮らしである。

 男の一人暮らしというのは、

(俺もそうだが)

 お世辞にも綺麗とは言い難いものであるが、しかし『親分』の家は、生垣も丁寧に刈り込まれてあるし、庭木も手入れが行き届いている。

 玄関の前に立ち、ベルを押すと、中から『親分』が、紺色の着流しの和服姿で自ら出てきて、俺を居間に上げてくれた。

室内も、清潔に整っており、板の間には雑巾がかけられ、畳もきちんと掃き清められ、埃一つ見当たらない。

『ジジイの一人住まいだから、さぞ小汚くしてると思ってたんだろ?』

微笑みを浮かべながら『親分』はそう言って、俺を招き入れてくれた。

彼は急須と湯呑を載せた盆を運んできて、居間の真ん中に置いたちゃぶ台に置き、俺に座るように言った

『俺達の修業時代はな、庭木の手入れから掃除全て、洗濯、そして飯炊きやアイロン掛け、縫い繕い迄やらされたもんさ。身の回りのことが一通りのことが出来なきゃ、日陰もんは生きてく資格はねぇってな・・・・』

俺は出された茶を飲んだ。

上手く淹れてある。

単にお茶を急須に放り込んで、湯を注いだだけじゃない。

『さ、聞こうか』

『親分』は自分の茶をゆっくりと飲み、それから言った。

俺は傍らに置いた封筒から、報告書を出した。

『待ってくれ・・・』『親分』が、手を前に突き出して言った。

『悪いがあんたが読んでくれねぇか?』

俺は彼の言う通り、報告書を朗読してやった。

 牧村かおりの『彼氏』は、名前を久保田真一といい、年齢は28歳、ある中堅のIT企業の若社長だ。とはいっても彼が自分で立ち上げたわけではなく、父親が亡くなった跡を引き継いだ、いわば『二代目』である。

 性格は多少軽薄なところはあるが、仕事に関してはやり手で、業界でも名前が通っている。

 彼女とはある大きなライブイベントで、たまたまスポンサーとして出資していた関係で知り合ったのだという。

ただ、今のところまだ『身体の関係』にまでは至ってはいない。それだけは確かだ。

 俺が報告書を読み終わると、親分はしばらく腕を組み、目を伏せて黙っていた。

 柱時計の音が時を刻むのが、やけに大きく聞こえる。

『親分』は懐に手をやり、黒い大きな紙入れを引っ張り出した。

『探偵・・・・ご苦労さんだったな。残りはこれで足りるかい?』

彼は財布の中から、手の切れそうなピン札を10枚、揃えてちゃぶ台の前に置き

『裸で済まんが』

 俺は何も言わずにそれを受け取り、内ポケットに収めた。

『なあ、探偵、ついでと言っちゃ悪いが、ちょっと俺に付き合っちゃくれんか?』

 立ち上がろうとする俺に、『親分』はそう声をかけた。

『いいでしょう。どうせ暇だし』

 俺が答えると、彼はちょっと待ってくれと言い残し、奥の部屋へと引っ込んだ。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る