ナイト・オブ・ギャラクシー!

左京潤/ファンタジア文庫

短編


「――本当に金になるのか?」

 廃墟街の古倉庫。たったいま攫ってきたばかりの幼い少年を見下ろして男が独りごちる。

「ああ、確かだ」、ともう一人の男。

「……にしても、このガキ、縛られても泣きもしねえ」

「――……だって、僕にはヒーローがついてる」少年が口を開く。

「あの人は絶対に僕を助けてくれる。だから……」

 次の瞬間、鈍い衝撃と痛みが少年を襲う。口に広がる血の味。鼻の下に何か熱いものが垂れる。

「へっ」少年の顔を殴った男がせせら笑った。「そのヒーローっていうのはいつ来てくれるんだ?」

 ……痛い。いたい。泣き出したいくらい痛い。……でも。

「絶対に来る」、と少年は繰り返す。「……だから、怖くない!」

 ――その、瞬間。

 薄暗い部屋に眩い光が差した。

「遅くなったわね! 少年!」

 逆光を孕んで燃える深紅の髪。

 短めのスカートが風に翻る。

 戸口を破って現れた若い女は少年を見るなり顔色を変えた。

「……まさか」女が低い声で訊ねる。

「あんたたち、子どもを殴ったの?」

「おい! 誰だ、てめ……」

 破裂音。男の腕が宙を舞う。

 一瞬遅れて、肉の焼ける臭いがあたりに広がった。

「あんたたち、覚悟はできてる?」

 まだ銃口に熱を帯びた電子銃をくるりと廻し、女が嘯いた。



「――ど、どうして生きてるんだよっ!?」

 宙船ふねのブリッジにハルキの叫び声が響き渡る。

「どうしてと言われても……」

 少女は段ボール箱の中で困ったように首を傾げた。

「初対面でいきなりそんな哲学的な問いを投げかけられても困るっていうか。……人は何のために生きているんだろうね?」

「いや、いまそういう話はしてねえよっ!?」

 ……それは、公宙域の哨戒任務にあたっていたハルキ・カーレッジ三等宙尉にとって晴天の流星群のような出来事だった。

 まさか、回収した宇宙ゴミデブリの中に生きたヒューマンが紛れているだなんて。それも、星間通販業者が梱包に使うありふれたカーボン製段ボールの中に。何気なく蓋を開けたハルキが思わず叫んでしまったのも無理はない。

「……ていうかここ、どこ?」

「え、ああ、俺は……」つい素で答えかけ、ハルキは慌てて言い直した。「――僕はハルキ・カーレッジ。この宙船は《連盟》平和維持軍の哨戒艇で……つまり、宇宙の警察みたいなものです」

「ケーサツ……」なぜか少女の表情が曇った。

 ……何なんだ、この子は。

 相変わらず困惑しつつ、ハルキは改めて少女を見やる。

 こういう言い方は不適切かもしれないが、まるで生きた人形のように愛らしい少女だった。

 サラサラした銀の髪に、陶磁器のごとき白い肌。大きな瞳はまるで蒼玉のよう。華奢な首に不釣り合いなごつい革の首輪と、露出した腹部に光る蛇口そっくりのピアスが気になるが、たぶんファッションか何かだろう。セカンドアースあたりでは最近、頭にオートボウガンを乗せるのが流行っているらしいし。

『――ハルキ、良いですか?』

「!?」とつぜんブリッジに響いた声に少女がびくりとする。

「ねえ! いま誰か喋ったけど、誰かいるの!?」

『こんにちは、お客さん』《声》が親しげに挨拶をする。『僕は宙船内統括AI《エンジュ》、この宙船です。最近の宙船は会話ができるんですよ』

「……キミ、友だちいないの?」

 なんだか同情するような目で少女がハルキを見てくる。

 ……おい、何だその目は。

「いや、べつに寂しいから宙船を喋らせているわけでは……」

『友だちがいない人は寂しい人だというのは偏見ですよ』《エンジュ》が穏やかに諭す。

『友だちがいなくても、ハルキは楽しくやっています』

「……他意を感じる物言いだな」

『それより、ハルキ』《エンジュ》がさらりと話題を変えた。

『人間を保護したのですから、

A―41に従って速やかに手続きを行うべきでは?』

 ……ふむ。確かにその通りだ。どうやら、不測の事態にすっかり動揺してしまっていたらしい。ハルキは改めて少女を見やった。

「すみません、少しお話をうかがってもいいですか?」

「……べつに、いいけど」

 しぶしぶ頷いた少女は段ボールから立ち上がろうとして、そのまま思い切り尻餅をついた。

 再び試すも、結果は同じ。……どうやら立ち上がることができないらしい。もしかしたら宙船内の重力が合わないのだろうか。

「手を貸しましょうか?」

「……いらない」、と少女がぶっきらぼうに首を振る。

「ちょっと立ち方を忘れただけ。座ったままでもいいよね?」

 ハルキは思わず頬を掻いた。……ほんと、何なんだ。

 まあいい。さっさと仕事を進めよう。ハルキは片手の指をスッと持ち上げる。

「――《エンジュ》、ローテーブルと椅子をここへ《構築》」

 空間に図形を描き、軽くタップしながら命令する。リクエスト音と共に床の一部が光に包まれ、次の瞬間、目の前に小さなテーブルと椅子が現れた。

「!」少女が驚いたように身を乗り出す。「魔法!?」

「いや、ナノマシンですけど」

 めずらしい、とハルキは思った。今どきナノマシンを知らないだなんて、一体どこの星系の出身なのだろう。

『ナノマシンは極小機械の集合体です』、と《エンジュ》。

『つまり、目に見えないほど小さな積み木みたいなものです。必要に応じて様々な形にできるので、宙船のような限られた空間では便利なんですよ』

「――と、言うわけで」ナノマシンの椅子に腰掛け、ハルキはメモを片手に少女を見やった。

「まずは、ご住所とお名前を聞かせて貰えますか」

「名前、ね……」少女が気まずげに目を逸らす。

「……ねえ、名前なんてものが、果たして本当に必要なのかな?」

「は?」

 思わず聞き返すハルキの前で、少女が肩を竦めてみせた。

「つまり、ボクは昔からつくづく思っていたんだよ。ボクは宇宙一カワイイ存在なんだからそれで充分じゃないかな、って」

「何か名乗れない理由でも?」

「べ、べつにそんなことないよ!」少女が慌てたようにぶんぶんと首を振った。「ていうか、あるわけないし!」

「……あのですね」思わず、ハルキはため息をついた。

「僕も意地悪で言ってるんじゃないんです。申し訳ありませんが、あなたは怪しい。宙賊の新手の手口という可能性もある」

「ボクは宙賊じゃないよ!」

「それなら、協力して戴けませんか?」ハルキは目をすがめた。「このまま黙秘を貫くなら、こちらもしかるべき手段を取らざるを得なくなる」

「…………」

 少女はしばらく気まずげに黙り込んでいたが、やがて、すっかり観念したように口を開いた。

「……分かったよ」、少女がしぶしぶ頷く。「話すから、こっちへ来て。……あんまり大きい声で言いたくない」

「はあ……」

 いったい何だって言うんだ?

 ハルキは椅子から腰を上げ、段ボールの前に膝をついた。


 不意に、少女が腕を伸ばす。

「!?」

 避ける間もなく首に抱きつかれ、ハルキは思わず息を呑む。

「ねえ、ボクと取引しない?」

 蕩けるような声と、鼻腔をくすぐるミルクのような香り。動揺するハルキを上目遣いで見上げ、少女が甘えるように囁く。

「もしもボクのお願いを聞いてくれるなら、ボクのこと、好きにして良いよ……?」

「…………はあ?」

 少女の腕をあっさり振りほどき、ハルキは呆れ顔で呟いた。「子どもが何言ってるんだ」

「こ、子どもじゃないし! たしか、もう16だし!」

『――《連盟》本部の置かれているアース・ジュニアでは、ヒューマンの成人年齢は18と決まっています』

「ほら、やっぱり未成年じゃないか」、とハルキが頷く。「いいから名前を教えてください」

「ボクは本気だよ!」少女はなおも言い募りながら腕を伸ばし、再びハルキに抱きつこうとした。

「ねえ、お願いっ! ボク、なんでもするからっ……」

「……彼女を《拘束》」

 ハルキが口頭で命じた瞬間、周囲から浮き上がった光の粒が少女の手足に集まり、鎖の形に変化していく。

「!? なに、これっ!?」

「……だから、ナノマシンは命令次第で様々な形に変化させられるんです」すっかり動けなくなった少女を見下ろし、ハルキが告げる。「申し訳ありませんが拘束させて貰いますよ。俺も襲われたくはないし」

「ボ、ボクの色じかけが通用しないなんてっ……さてはキミ、ヘンタイさんだねっ!?」

「……だから、子どもに手を出すわけないだろう」ハルキがやれやれと嘆息する。「そもそも、人の性的指向を変態呼ばわりするのはよくない。生物だろうが無生物だろうが、人が何に欲情しようと自由だし、なんなら、欲情しないことだって自由だ」

「お小言はいらないよ! だいたい、子ども子どもってエラソーに! キミだって、ボクとそんなに変わらない歳でしょ?」

「俺はもう18だ。文句があるならあと2年待つんだな」

「ヘンなの! 18になった瞬間にみんな自動的に分別がつくようになるわけじゃないのに!」

「……だから、べつに、子ども自身に分別があるかどうかっていう問題じゃないんだよ」、ハルキは僅かに眉を顰めた。

「つまり、これは社会が子どもをどう扱うべきか、って問題なんだ。まともな大人は子どもから奪わない。子どもを利用しようとする悪い大人を許さないし、自分も悪い大人にならないよう気をつける。少なくとも、俺が生まれた星ではそれが常識だ」

 ハルキは改めて少女を見る。

「子どもは守られるべきもの。そして、俺はまともな大人だ」

「子どもは守られるべき……」

 少女が不意に表情を歪めた。「だったら、どうして……」

「どうした?」

「……べつに、なんでもない」ぷいっと顔を背けた少女がやがて、ぽつりと呟く。

「……ピアリア」

「?」

「……だから、ボクの名前!」

 少女が不機嫌そうに言う。「ボクはピアリア。姓はないよ。ただのピア。それ以上、キミに言うことは……」


 とつぜん、ブリッジの照明が赤みを帯びた。同時に、穏やかな調べがあたりに満ちる。

「な、なにっ?」言いかけた言葉を飲み込んできょろきょろとあたりを見渡すピアの前で、ハルキが額に手を当てた。

「……この忙しいときに」

『アリス様から通信が入っています』――《エンジュ》が訊ねてくる。『受信しますか?』

「ねえ、なんか聞いてるみたいけど、いいの?」

「……ああ」、とハルキが頷く。「とにかく無視だ。無視でいい。放っとけばそのうち諦めて……」

 不意に、ブリッジの中央が輝いた。一瞬後、空間に巨大な光学スクリーンが出現する。

『ハルキくーん!』

 スクリーンの中で微笑むのは天使のように美しい少女だった。

 豊かな栗色の髪に、緑の瞳。大人びた雰囲気とあどけなさが自然に同居したその顔立ちには、見る者の心を一瞬で捉えて離さないような不思議な魅力がある。

 しかし、そんなとびきりの美少女からの通信にも拘わらず、ハルキの顔色は冴えない。冴えないどころか、あからさまに厭そうな表情を浮かべて口を開く。

「……アリスさん。仕事中にくだらない私信送ってくるの、いい加減やめてもらえません?」

『それって、仕事中でなければ大歓迎、って意味かな?』

「仕事中だろうが、プライベート中だろうが、あまりにやることがなさ過ぎて壁に話し掛けたくなるほど暇だろうが駄目っていう意味です」、ハルキは目を眇める。

「……というか、通信許可も出してないのにどうして勝手に通話状態に?」

『それはまあ、つまり、ハルキくんの宙船のシステムは既にわたしの制御下にあるから』

「制御下に置くんじゃねえ! おい、《エンジュ》!」

『すみません。ふと気づいたら実行コマンドが勝手に……』

『大丈夫、宙船のシステムを壊したりはしないから』少女が笑う。

『このアリス様が、ハルキくんの身分を脅かすような真似すると思う?』

「……いや、俺の身分うんぬんよりもあなたはまず、俺の精神を脅かさない努力をするべきだと思うんですが」

『まあ、それはさておき』

「いや、さておくなよ」

『実はね、いま、近くまで来てるんだ』少女が親しげに微笑む。『だからね、久し振りにハルキくんに逢いたいな、って』

「おい、待て! だから俺はいま仕事中なんだって!」

『仕事中?』慌てて言い募るハルキの前で、スクリーンの中の少女が「へえぇ」、と頷いた。

『なるほど。デブリを回収したらヒューマンが紛れてたんだ』

「って、おい! あんた、人の報告書を勝手にっ……」

『ふふ、なんだか面白そう』スクリーンの美少女が可愛らしく片目を瞑った。『すぐに行くね! ハルキくん、愛してる!』

 ぷつり、と、あくまで一方的に光学スクリーンが消滅する。

「…………」

 しばしの沈黙のあと、ピアが口を開いた。

「ねえ、今のはキミの恋人?」

「違う」

 ハルキは光の速さで否定する。

「あれは、ただの迷惑な人だ」

『――彼女はアリス・カーチェス』《エンジュ》が説明する。

『カーチェスは神出鬼没、正体不明の大詐欺師です。この宇宙に存在するものなら素粒子から銀河まで騙すと言われています』

「そうなの!?」

「……自称だ、自称」、とハルキがため息をつく。

「あれは単なる偽物だよ。本人が名乗ってるだけで証拠はないし、そもそも、本物があんな暇人の筈がない。あれはちょっとハッキングが得意な宙賊で、はた迷惑なストーカー……」

『彼女は本物です』《エンジュ》が食い下がる。『そして、彼女はハルキのスイートスイートラブラブハニーです』

「……《エンジュ》」

『すみません、ふと気づいたら音声合成装置が勝手に』

「……セキュリティを強化しないとな」、ハルキが深々と嘆息した。



「お邪魔しまーす!」

 半ば強制的なドッキングを決め、アリスと名乗る迷惑な少女は天使のような微笑みを浮かべてハルキの宙船へ入ってくる。

 実際の少女は光学スクリーン越しよりもさらに魅力的だった。同じ空間にいるだけで産毛が逆立つような、ある種の魔力めいた美貌。しかし、ハルキは相変わらず仏頂面を崩さない。

 ……確かに、アリスは美人だ。しかし、ハルキには何の感慨も湧かない。ハルキにとって『あのひと』ほど魅力的な存在はいないのだから。

 ハルキの命を幾度も救ってくれたヒーロー。

 彼女に再会するため、ハルキはいま《連盟ここ》に立っている。超AI《ROKA》が管理する宇宙最大のデータベース。《連盟》上層部にのみアクセスの許されたそこで、『あのひと』は待っていると言ったのだ。

 だから、ハルキはどうしても上へ行かなければならない。

 そう、どんなことをしてでも。

「……どうしたの、ハルキくん?」アリスが嬉しそうにハルキの顔を覗き込んでくる。

「もしかして、久々にわたしに逢えて照れちゃった?」

「……人の宙船をハッキングした挙句無理やり押しかけてきてどうして歓迎されると思うんですか」ハルキは呆れ顔で応える。

「歓迎されたかったら本物のアリスでも連れてきてください」

「わたしが本物のアリスだよ」

「……あんまりウソばかりついてると、本当に捕まえますよ」

「ハルキくんに捕まるなら文句ないよ」アリスが面白そうに微笑む。「でも、だめね。証拠がないから。まあ、ハルキくんがわたしの恋人になってくれるなら、証拠ごとわたしをあげちゃうんだけど。どうかな?」

「……もういいです。あんたの相手をするだけ無駄だ」

 ……まったく、この人はいったい何が楽しくて俺をからかいに来るんだろう。早くべつのオモチャを見つけてどこかへ行ってくれればいいのに。

「まあまあ、そんなこと言わないで……あら」

 ふと、いまさら気づいたかのようにアリスが声をあげる。

「もしかしてこの子が、ハルキくんがデブリの中から拾ったっていうヒューマン?」

「!」

「へえ、めずらしい」

 とつぜん注視されてぎくりと身を竦ませるピアの前で、アリスが興味深げに呟いた。

「ねえ、これって、ブレアードの食用吸血鬼じゃない?」

「!?」

 その言葉を聞いたとたんピアの顔色がサッと変わる。ハルキも思わず目を瞬かせた。

「……あ、ごめん。人間の種族や出身星を見た目で判断するのは不躾だったね」アリスが悪びれなく謝罪する。「でも、その肌の色と耳のタグ、それにお腹の蛇口を見るに、95%くらいの確率でそうじゃない?」

 言いながら、アリスがピアの表情を覗き込んで微笑んだ。

「あなたの反応を見ると99%って言っても良さそうだね」

「食用……吸血鬼?」

『ケルン星系、惑星ブレアードの風習です』――、と《エンジュ》が説明する。

『惑星ブレアードは近年再発見された《失われた植民地》のひとつです。寒冷な星のため植物があまり育たず、入植した人々はやがて、必要なビタミンを補うために同族の血を飲むようになったと言われています』

「同族、って、人間の血を?」

「率直に言えば、そう」アリスが《エンジュ》の説明を継ぐ。

「まあ、やがて食糧事情も改善されて血を飲む必要はなくなったんだけど、伝統ってそう簡単にはなくならないじゃない? 血液食の風習は残ったの。滋養強壮、疲労回復、受験勉強に、夏バテに、食前食後に、育ち盛りの子どもに、日々の健康習慣に、よく冷えた美味しい血液を一杯、ってね」アリスがグラスを傾けるような仕草をしてみせる。

「でも、人間の血液って人間からしか採れないでしょ? 戦争でもあれば良いんだけど、ずーっと戦ってるわけにもいかないし。だから……」


「――7歳になったブレアドーマの子どもたちは、試験を受けさせられるんだ」


 青ざめた顔で押し黙っていたピアが不意に口を開いた。

「落ちこぼれた子どもはいっさいの人権を取り上げられ、公営の飼育場で。お腹に採血用の蛇口を埋め込まれてね。……それが、ボクの星の食用吸血鬼」

「優生思想じゃないか……」

 血液食という伝統と優生思想のハイブリッド。ハルキは思わず顔をしかめた。……酷い話だ。人間が人間を家畜として扱うだなんて。

「あら、あなた、喋れるのね」ハルキの傍らで、アリスが驚いたように言う。

「わたしが聞いた話じゃ、食用吸血鬼は喉を潰されるって」

「おい! あんた、さすがに無神経だぞ!」

 思わず咎めるハルキの前で、ピアは何も言わずに鎖で縛られた腕を持ちあげ、人差し指で首輪をぐっと引いてみせる。

 革の首輪の下から覗く赤黒い傷跡。その痛々しさに思わずハルキはハッと息を呑んだ。

「……まあ、家畜が喋ったりしたら、ぞっとしないもんね」

 自嘲するように呟きながら手を離し、ピアが片膝を抱える。

「ボクを担当した医者、ヤブだったみたいでさ。喉は切られたけど声は失わずに済んだんだ。ボクってほんと運良いよね?」

 言いながら細い膝の上に顎を置き、ため息交じりに続ける。

「あとね、付け加えると、食用落ちした子どもを処理する施設の職員ってお金が大好きなんだ。あいつら、金持ちに食用吸血鬼を横流ししてるんだよ。お陰で、上流階級のパーティーには公社が売ってるパック入りのブレンド血液じゃなく、生産者のはっきりした搾りたて新鮮な無添加血液が供されるってわけ。……ボクも貴族の屋敷で飼われてて、パーティーのたびに、空っぽになるまで血を搾られてた」

 ピアが目を伏せた。

「……でもね、この前、ボクの飼い主が家出を計画して。ボクは箱に詰められて貨物扱いで先に宇宙へ送られたんだ。たぶん、飼い主がどこかで受け取るつもりだったんだと思う。でも、手違いがあったみたいで……気づいたら、キミに拾われてて」

「ピアさん……」

「ていうかさ!」ハルキの言葉を遮るようにピアが鼻を鳴らす。「うちの星も《連盟》っていうのには加入してるハズだけど、キミ、知らなかったの? このへんの担当なんでしょ?」

「知らなくても仕方ないよ」、と、アリスがハルキを庇う。

「ブレアードが《連盟》に加入したのはほんの数年前だし、当時は《失われた植民地》の再発見ラッシュだったからほとんど話題にもならなかった。かの星の人権侵害について、星際社会ではほとんど知られていない」

「でも、《連盟》は把握してるんだろ」ハルキの声が低くなる。

「……確かに《連盟》は絶対中立主義かつ相互不干渉主義。他所の星の文化には口を出さないのが決まりだ。でも、そこまで深刻な人権侵害なら、いくらなんでも問題になるはずだ」

『――ブレアードは、あり得ないほど厳しい環境下で《大分断》に生き残った奇跡の星です。彼らが持つ優れたテラ・フォーミング技術を《連盟》は重要視しています』

 ……なるほど。《エンジュ》の説明にハルキは奥歯を噛み締めた。つまり《連盟》はブレアード政府の機嫌を損ねたくないってことか。

『――《連盟》規則に従い、速やかに上へ報告するよう提案します』、と《エンジュ》。

「言わないで!」ピアが慌てたように声をあげる。

「ボクの飼い主は今ごろボクを捜してると思う! だから、ボクのことはナイショにして!」

「おい、《エンジュ》!」思わずハルキは口を挟む。「あんたみたいな高性能AIは人間に危害を加えることができないように作られているハズだろ。ピアさんを引き渡せばどうなるか分かっていてそうするのは、危害を与えることと同じじゃないのか?」

『いいえ』、と《エンジュ》。

『レベル4以上、人権に関わる案件に於いて僕は一切の実行権限を持っていません。AIに許されているのは適切な助言をすることだけ。判断するのは人間の役目です。――人間のことは、人間同士で決めてください』

 にべもなく言い、『いずれにせよ』と続ける。

『ハルキがピア氏を保護した件は既に記録されており、改ざんは不可能です。報告を怠れば免職の可能性もあります』

「――ハルキくん」ふと、これまで微笑みを絶やさなかったアリスが真顔になる。

「あなた、まさか、馬鹿なこと考えたりしてないよね?」

 ハルキは言葉に詰まった。

 保護を求める子どもを見捨てるわけにはいかない。……けれども、ハルキには《連盟》でやらなければならないことがある。そのために、彼はこれまで血を吐くような努力をして来たのだ。

 ……べつに悪いことをするわけじゃない。心の中で声が囁く。

 ただ、規則に従う。それが俺の仕事で……。

「ねえ」迷うハルキの心を読んだようにピアが声をあげる。

「キミ、まともな大人は子どもを守るって言ったよね。そして、キミはまともな大人だって」

「それは……」

「――……ウソつき」

 冷や水でも浴びせられたかのような心地がした。

 しかし、言葉とは裏腹に、少女の口調にはハルキを責めるような意図は全く感じられない。

 ……そこにあるのは、ただただ深い、諦めの色だ。

「……だから、話したくなかったんだ」ピアがぽつりと洩らす。

「……わかった。諦めるよ。どうせ期待なんかしてなかったし。……食用落ちしたときからずっと、期待して良かったことなんて、ひとつもなかったから」

「……ピアさん」

 ハルキが言いかけたその時、ブリッジの照明が虹色を帯びた。

 虹色は《連盟》を示す色。ブリッジに先ほどとは違う重々しいメロディが流れ始める。

『キャロル宙佐から通信です』――《エンジュ》が音声で通知する。『受信しますか?』

「まずい!」ハルキは慌てて二人を振り返る。「《エンジュ》、ピアさんの拘束を解除! すみません、アリスさんは、ピアさんとカメラの死角へっ……」

 言いかけたハルキは、拘束を解かれてもなお床へ座り込んだままのピアにハッとする。

 宙船の重力が合わないせいじゃない。彼女は立つことが出来ないのだ。おそらく、随分と長い間、自由に歩くことすら許されなかったのだろう。華奢な足はすっかり萎えてしまっている。

『速やかに通信に応じるべきです』、と《エンジュ》。『宙佐の機嫌が悪くなりますよ』

「分かってる!」苛立たしげに叫ぶなりハルキが身を翻した。

「ピアさん! いま、俺が肩を貸すから……」

「――大丈夫だよ」

 不意にアリスが微笑み、空中に指を走らせる。

「《エンジュ》、~~~~」

 アリスがなにかよく聞き取れない命令を口にしたとたん、床のナノマシンたちがざわめいた。無数の光の粒が浮かび、ピアの両足目掛けて押し寄せていく。

「!?」

 ピアの足を覆った光は収束し、複雑な機構へと姿を変える。呆気にとられるピアにアリスが手を差し伸べた。

「ピアさん、立てる?」

「あ、うん……」アリスの手を握りしめ、ピアがおそるおそる腰を上げた。

 今度は、上手くいった。危なげなく立ち上がったピアが「すごい」、と目を輝かせる。

「自分の足で立つなんて8年ぶり!」

「よかったね」とアリスが頷く。

 いや、だから、あんたいつの間に、俺の宙船のナノマシン制御権まで掌握して……まあ、いい。今回に限っては好都合だ!

 ハルキはピアが入っていた段ボール箱を壁際へ放った。二人が部屋の隅に退避したのを視界の端で確認するなりブリッジ前方のコンソールへ走る。

「《エンジュ》、繋いでくれ」

 一瞬後、ハルキの目の前に光学スクリーンが浮かび上がった。

「――お、お待たせしました、宙佐どの」

 スクリーンに映し出されたのは30歳ほどの女性だった。ハルキの上官、キャロル宙佐だ。

『53秒。遅かったじゃないか。いったい何をしていた?』

「い、いや、その……たったいま、3908-1543-0032-0316地点で特殊なデブリを回収し、その対応をしておりまして……」

『ふむ、たったいま、とは、正確にはいつのことだ?』

「……1時間半ほど前です」

『成る程』、と宙佐が頷いた。『つまり君は、1時間半前にデブリを回収したせいで、たったいま速やかに通信に出られなかったわけか。疑問の残る報告だね。説明して貰えるだろうか?』

 ハルキは言葉に詰まった。……キャロル宙佐は必要以上に細かいというか、正論で部下を追い詰めることを至上の楽しみとしている面倒な上司だ。追及されるとまずいことになる。

『……おっと、今日は急ぎの用件があるんだった』

 しかし、今日の宙佐は珍しく、早々に追及を切り上げる。

 ……やれやれ、命拾いした。思わず安堵するハルキの前で、スクリーンの宙佐が何かのファイルを開くのが見えた。

『たったいま連絡が入ったのだが、君の担当宙域に遺失物の捜索依頼が出ている』

 遺失物の捜索依頼。ハルキの胸を不安が過ぎった。……なんだか嫌な予感がする。

『遺失物はヒューマノイドタイプの異星生物。毛色は銀。耳に識別札があり……』

 おいおい、それって……。

 宙佐の指がスッと滑り、ファイルをこちらに飛ばしてくる。

。発見した場合は速やかに私に報告し、捜索主のブレアドーマ、エルティナ=レイランド嬢の宙船へ引き渡すように。いま繋ぐから、詳しいことは彼女に聞いてくれ』

「あ、あの! 宙佐!」

『5010時、《連盟》平和維持軍一等宙佐キャロル・アークバイザーより通信終了』

 うむを言わさずスクリーンの映像が切り替わる。目の前の空間に、華やかな金色が広がった。

『――初めまして。あたしはエルティナ=レイランド』

 映し出されたのはいかにもお嬢さま然とした少女だった。ゆるいウェーブを描く黄金の髪がスクリーン越しにもまぶしい。

 ……これが、ピアさんの飼い主か。ハルキは緊張に唾を呑む。正直、思っていたのと違うな。

「僕はハルキ・カーレッジです。なんでも、人をお捜しだとか」

『ひと?』

 ハルキの言葉に、エルティナ嬢が首を傾げる。

『そうね、確かに、見た目は人に似ているけれど、あの子は……あら?』エルティナ嬢が不意に目を瞬かせる。『その段ボール、あたしのじゃない!』

「へっ」思わずハルキは壁際へ視線を向けた。例の段ボールは確かにカメラの死角にある。

「あの、何かの勘違いでは」

『いいえ』、とエルティナ嬢が金色の髪を揺らして首を振る。『だって、そこの壁のヘルメットに映っているもの。そのロゴ、確かに、あたしの荷だわ』

 エルティナ嬢の言葉にハルキの身体が冷たくなった。……くそっ、俺は馬鹿か! 映り込みを考慮していなかったなんて!

『《連盟》の方は優秀だとは聞いていたけれど、予想以上だわ。さあ、ピア、出ておいで?』

 ……出て来るな! ハルキは思わず心の中で強く念じた。

 今ならまだ誤魔化せるかもしれない。人違いならぬ段ボール違いとでも言えばいいし、箱は拾ったけれど中身は空だったことにしてもいい。もしくは、既に逃げられたと言い訳をして……とにかく、出て来ちゃだめだ!

 ……けれども。願い空しく、背後に誰か近づく気配がした。

「……エル」

 もう、振り返らなくても分かる。スクリーンのエルティナ嬢が表情をゆるめた。

『ピア!』エルティナ嬢が叫ぶ。『良かった! あなたが無事で! 本当に、ずいぶん捜したのよ? すぐ回収するつもりだったのに、まさか、こんな所まで流されていたなんて……』

「ていうか、迎えに来るの遅すぎだし」ピアが口を尖らせる。

「……ねえ、ちょっと待って。エル泣いてるの?」

『だってっ……』エルティナ嬢がぐすぐすと鼻を鳴らす。『あたしがピアを連れ出したせいでっ、ピアが死んじゃったかもしれないと思っててっ……』

「……エルって、ほんと泣き虫だよね」ピアが苦笑する。「ボクが死ぬわけないじゃん」

 ……ええと。なんだか、聞いていた話と違うような。

 涙ぐむエルティナ嬢にハルキは毒気を抜かれてしまう。彼女がピアを大事にしているのは本当らしいし、ピアの方も、まんざらでもなさそうに見えて……。

《連盟》のスタンスは相互不干渉。やはり、当事者のことは当事者に委ねるべきなのかもしれない。事情も知らない外野が安易に手を出そうとするのは間違いなのでは……。

『《連盟》の職員さん』エルティナ嬢がハルキに微笑みかけた。

『申し訳ないんだけど、さっそくそれを届けて貰える?』無邪気な口調で『――!』

 ぞわ、と、鳥肌が立った。

「それ」、「可愛いペット」……ピアさんは人間だぞ!?

 ――『……ウソつき』、先ほどのピアの言葉が脳裏に蘇る。

『まともな大人は子どもを守るって言ったよね。そして、キミはまともな大人だって』


「――……お引き取りください」


 気づいたときにはそう口にしていた。

「あなたがお捜しのものはここにはありません。申し訳ありませんが他をお当たりください」

 つかの間の沈黙の後、スクリーンの少女が怪訝な顔をする。

『どうして? そこに見えるわたしのピアは幻ということ?』

「ええ、そうですね」、とハルキは応える。

「僕の宙船には、あなたのペットは乗っていません。公宙域で保護した人間ならひとり、乗っていますが」

「!」

 背後でピアが息を呑む気配。スクリーンのエルティナ嬢が困ったように呟いた。

『もしかして、渡さないつもり? ……いいの? あなたの上司に報告するわよ』

「食用吸血鬼の私有はあなたの母星でも違法のはずですよね」緊張で口の中が乾く。

「立場が悪くなるのは、あなたも同じでは?」

 光学スクリーン越しに睨み合うハルキとエルティナ嬢。

 ややあって、エルティナ嬢が先に表情を崩した。おっとりと微笑みながら唇を開く。

『――だったら、こちらから迎えに行くわ』

 ぷつりとスクリーンが消える。

 その瞬間、ブリッジにけたたましい警告音が鳴り響いた。

『警告』《エンジュ》が告げる。

『12-14方向より未確認宙船が高速接近しています』

「はあっ!?」

『未確認宙船からビーム砲が発射されました。回避不能。衝撃に備えてください。3、2、1』

 瞬間、宙船が突き上げられるように鈍く揺れた。

「……いやいやいやっ! 幾らなんでも早すぎるだろっ!?」

 とっさに防御姿勢を取りながらハルキは叫ぶ。このタイミングで攻撃を仕掛けてくるにはエルティナ嬢に違いないが、それにしたって早すぎる。通信が始まった時点で既にこちらへ舵を取っていたとしか考えられない。

 ……さてはあの上司、予めこちらの場所を教えてやがったな!?

「くそっ! 《エンジュ》、データをくれ! アリスとピアさんは安全な場所に避難を……」

「なんでボクを庇ったの!?」 光学スクリーンを開くハルキにピアが食ってかかった。

「余計なことしないで! ボクはもういいって、キミには期待してないって言ったじゃん!」

「……まあ、その件に関してはたしかに大人げなかったよ。べつに、ここでケンカを売る必要はなかった。でも、こういうのって勢いもあるし……」

「はあ? なに言ってるの?」

「だから!」、と言いながら、ハルキがピアを見やった。

「ピアさんは人間だ。『それ』や『ペット』なんかじゃない」

 何気ない、当たり前の言葉だ。

 しかし、ピアははっとしたように目を瞬かせる。

「ボクは……」

「いいから下がっててください! アリスさん、ピアさんをお願いします!」

「それは勿論だけど……」アリスが真面目な顔で嘆息する。

「いいの? ハルキくん、こんなことをしたら《連盟》にいられなくなるかもしれないのに」

「多少の遠回りは仕方ないさ」、とハルキ。

「誰かを見捨てて最短距離で近づいても、『あのひと』はきっと喜ばない。……それに」ハルキが口の端を持ちあげる。

「……意外と、悪い流れでもない」

 再び、宙船に衝撃。しかし、さして問題はない。《連盟》哨戒艇のバリアは強力だ。民間船の攻撃など威嚇にしかならない。

「《エンジュ》、未確認宙船へ警告を送れ」ハルキが命じる。

「この攻撃は、一般民間船に許された護衛砲の威力を明らかに超えている。紛れもない違法武装だ。そもそも、中立機関である《連盟》に属する宙船と人間への攻撃は認められていない。――よって、星間法第5条と21条に基づき、俺はあなたの船を捕縛する!」

 少し間があって、ハルキの鼻先に新しいスクリーンが開く。


 Message『やれるものなら、やってみれば?』

 Message『――ピア、待っていてね。必ず迎えにいくから』


「……大した自信じゃないか」

 あくまで強気なメッセージに呆れつつ、ハルキは《エンジュ》が収集した情報を確認する。

 エルティナ嬢の宙船はスポーツタイプの小型艇で、こちらの宙船の四分の一程度の大きさ。既に電磁投射弾の射程圏内まで接近しきっており、慣性飛行中のこの宙船にご丁寧にも相対速度をきっちり合わせくれている。電磁バリアである程度散らすことのできる光学兵器はまだしも、質量と運動エネルギーが大きい電磁投射弾を使われるとまずい。

「どうやって戦うつもり? 砲撃精度からして向こうの宙船は違法AIを使ってる。速度でも敵わないし、有人宙船だから《エンジュ》ちゃんも攻撃を渋る」

『僕は攻撃しませんよ』、と《エンジュ》が釘を刺す。

『僕は人間を守りますが、人間を守るために人間を攻撃をすることはありません。殺し合いは人間同士でやってください』

 ……もちろん、分かってる。

《エンジュ》を始めとした高性能AIは全て《連盟》本部にある超AI《ROKA》の端末だ。《ROKA》の管理下にあるAIは、いついかなる場合でも人間に危害を加えない。人間を攻撃し、殺傷することができるのは人間だけと決まっている。

 ――「AIは本当に、何があっても人間を殺さないのか?」

 ハルキも一度、《エンジュ》に訊ねてみたことがある。「たとえば、ある人物を殺さなければ、大勢が死ぬとしても?」

『僕が人間を殺さないためならば、結果的に人間がいくら死のうと一向に構いません』

「……それ、矛盾してないか?」

『AIはAIの範疇をわきまえているだけです』と《エンジュ》は答える。

『たった一度でもAIに「正しい人殺し」を許してしまえば際限がなくなります。僕たちは人間に対して責任が取れない。そういうことは人間同士でやってください』

 だから、彼らは人殺しを拒む。

 ……しかし、世の中には人間より遙かに優れたAIを人殺しのために使いたがる輩が存在する。彼らの需要を満たすのが、裏で出回っている『人を殺すことのできる』違法な戦闘用AI。しかし、それらは超AIとは比べものにならない粗末なシロモノだ。

 超AIは人間を攻撃できず、人間は戦闘用AIに歯が立たず、戦闘用AIは超AIに敵わない。超AI時代の三竦みだ。

「……問題ない。向こうの攻撃はある程度防げるし、こちらには電磁網がある。殺傷能力のない兵器なら《エンジュ》も使用を躊躇わない」

『ネットなら任せてください。ならず者を無傷で取り押さえるのが僕の仕事です』

「よし、《エンジュ》、すぐネットへエネルギーを充填……」

「でも、あなたの宙船のネットはいま、使えないわよ」アリスがさらりと言った。

「ネットの射出口、わたしの宙船が塞いでるから」

「うおおいっ!?」

 すっかり忘れていた事実にハルキは思わず叫んだ。

「そういやこの宙船、あんたの宙船とドッキングしたまんまじゃねえか! あんたの宙船の分までバリア張ったら、向こうの砲撃には耐えられな……」

 言いながらハルキはハッとした。思わずアリスを見やる。

「……いや、逆か」

「正解」、アリスが片目を瞑る。

「さっきの通信のとき、彼女の宙船の内装と向こうのスクリーンの情報が見えたからね。いったいどこで手に入れたかは知らないけど、ネザーランド社の大口径軍用ビーム砲だなんて一台で戦艦とでも渡り合えるシロモノよ。……ハルキくんの宙船のバリアじゃさすがにちょっとキツいから、わたしの宙船のバリアに入れてあげたってわけ」

 ……俺の宙船を守るため、わざとドッキングしたままにしておいたってわけか。

 道理で砲撃の威力の割に衝撃が軽微だった筈だ。アリスのバリアに入っていなかったら、ハルキの宙船は最初の一撃で吹き飛ばされていたかもしれない。

 ハルキは内心、舌を巻いた。彼女は頼りになる。……まあ、基本的には迷惑な人だけれど。

宙船こっちの面倒は見ておくから、ハルキくんが本気出すとこ、久し振りに見たいな?」 

 アリスがハルキにふわりと微笑みかける。……なるほど。

「ありがとう、アリスさん!」

 言外の意味を察して頷くなり、ハルキは踵を返してブリッジを飛び出した。

「――《エンジュ》、出撃用意だ!」


「ち、ちょっと! あの人、いったいどこへ行ったの!?」

 戸惑いの声をあげるピアに、アリスがふふっと笑ってみせる。

「これから、面白いものが見れるかも?」



 ――格納庫には一機の戦闘艇が係留されている。エルティナの宙船よりさらに小さい一人乗りの機体だ。走りながら上着を脱ぎ捨てて中へ飛び込むと、機体の中のナノマシンが光と共にハルキの身体を覆い、ぴたりとしたスーツの形を取る。

 ヘルメットをかぶると、ケーブルが髪の中へ潜り込んでくる。

 しばし五感が混乱する。周囲の景色は焦げ酸っぱく、操縦席の手触りは幾何学模様に広がり、機械油の匂いが音楽のように聞こえ、だが、それらはすぐに収まった。

『ハルキ、準備ができました』脳内で《エンジュ》の声がする。

「ああ」

 ハルキは目を閉じ、意識を集中させた。


「……面白いもの、って?」

「あら、言ってなかった?」、とアリス。

「ハルキくんは天才なの」

「天才? あの人が?」

「まあ、見た目じゃ分からないかもね。彼の遺伝子型はごくごく平凡。知能指数が特別高いわけでも、体格が優れているわけでもない。けれども――」


 ――ハルキの中で、自分の身体が二重になる。

 肉体の身体と意識の身体。意識の身体は戦闘艇の隅々まで広がり、感覚器官の全てが機体と完全に一体化する。


「ハルキくんは努力するという才能を持ってる。目的のためならどんな苦労も惜しまないという才能。だから、人間の限界を超えた技術を身につけることができた」

 アリスが微笑む。

「彼は《連盟》でも数人しかいない完全没入型|戦闘艇乗り《エース・パイロット》。宙船と自分の感覚器官を完全に一致させ、自分の身体として操ることができる。――人間の身でありながら戦闘用AIと対等に渡り合える存在なの」


 ハルキは戦闘機になった。

 

 駆動機関の唸り声が心音のように聞こえる。身体中がエネルギーに溢れ、いてもたってもいられない。狭い格納庫を飛び出し、今すぐ宇宙を駆けたい!

 ――《エンジュ》、開けろ!

『了解』

 宙船の円扉が開き、カタパルトが作動する。一瞬後、彼の機体は吸い込まれるように宇宙空間へ飛び出した。


 ハルキは宇宙に浮かんでいた。

 機械センサーを通して見る世界はどこまでも研ぎ澄まされている。感覚と一体化したセンサーは遙か遠くまで宇宙を見通し、電磁波や、それを歪める引力までもはっきりと《る》ことができる。さらに、彼我の相対位置や相対速度、相手の宙船の質量エネルギーまで、様々な情報が絶え間なく脳へ注がれる。普通の人間には耐えられない情報量だが、《エンジュ》のサポートのお陰で発狂することはない。

 エルティナ嬢のボートはちょうどハルキの母船の向こう側だった。どうやらアリスが気を利かせ、発着中に無防備になるこの扉を裏へ向けてくれたようだ。

 母船の陰にエルティナのボートを視認し、ハルキは電磁推進を起動させる。周囲に磁場が広がり、まるで見えない手に引き上げられるように機体がぐんと加速した。

 こちらに気づいたか、エルティナの宙船が動きを変えた。それまでハルキの母船に合わせていた相対速度を崩し、加速しながら左方へ回り込んでくる。

 不意に、チリチリとした気配にハルキの装甲が粟立った。反射的に身を躱すと、エルティナのビーム兵器がハルキの機体をかすめていく。バリアに当たったビームが拡散した。

 ……なんだ、大したAIじゃないな、とハルキは思う。

 出力にもよるが、電磁バリアで守られた機体にほんの一瞬ビーム兵器を照射したところであまり意味はない。ダメージを与えたければ、虫眼鏡で火を付けようとするときのように同じ場所へ当て続ける必要がある。しかし、こちらも向こうも高速で動いている状態でそれを行うのは至難の業だ。どうやら、エルティナのAIにはそこまでの計算能力はないらしい。

 と、すると、次は……。

 エルティナの宙船が大きく旋回してたっぷり距離を取ったかと思うと、ハルキの真正面へ回り込んだ。頭を付き合わせるようにして接近した瞬間、視界が埋まるほど無数の小型ミサイルを放ってくる。

 ……やっぱりな、とハルキは苦笑する。相手の動きを予測できないからといって物量に頼り、避けられない密度の弾幕を広範囲に張るだなんて、いかにも三流AIのやりそうなことだ。

 判断が遅れていれば相対速度のボーナスを乗せてミサイルの中に突っ込むしかないところだったが、ハルキは既に《エネルギー喰い》を作動させて運動エネルギーを殺している。そのまま逆方向に推進機関を働かせ、ハルキは後ろ向きに弾幕から離脱した。

 ――《エネルギー喰い》は運動エネルギーを質量に変えるバイオ機関だ。この機関は物体に働く運動エネルギー自体を文字通り《喰らって》しまうため、通常減速のようなGは掛からない。せいぜい、感覚器官の混乱で僅かな目眩が起きる程度。

 群れからはぐれたミサイルが一発、こちらへ向かって飛んでくるのが分かった。とっさに撃ち落とそうとするハルキだったが、目眩のせいで一瞬遅れてしまう。

 ハルキが身構えると同時に一筋のビームが飛んだ。

『手を出してすみません』、と《エンジュ》の声。

『無人兵器相手なら僕も手伝える』

 ――……ありがとな。

 《エンジュ》に礼を言い、ハルキは機体を立て直そうとする。

 しかし、どうもおかしい。機体が安定しないのだ。目眩がこんなに長引くことがあるだろうか。……いや、違う!

 機体が引かれるような感覚に、ハルキはセンサーへ意識を向けた。……案の上、ハルキの背後に強い重力が発生している。

 ――おい、ウソだろ……。

 ハルキは頭を抱えたくなった。疑似重力砲だなんて、何てものを使いやがる!

 ――疑似重力砲は超高出力の重力発生装置を内蔵した兵器だ。さすがに本物のブラックホールには遠く及ばないが、戦闘艇程度なら容易に呑み込んで破壊してしまう。一発で新品の宙船が買えるほど高価な代物だ。……全く、これだから金持ちは!

『すぐに離脱してください』

 言われるまでもない! しかし、いくらエンジンを噴かしても水の中を走るように手応えがない。どうやら、既に兵器の重力圏に囚われてしまっているようだ。

『出力が足りません。このままでは吸い込まれます』

 ……くそっ! ハルキは感覚を研ぎ澄ませた。重力の強さを装甲で感じる。……いけるか?

 ハルキは進行方向を切り替え推進装置の出力を落とした。エンジンにエネルギーを蓄えつつ重力に身を委ね、大きな弧を描いてわざと疑似重力砲へ落下する。

『なるほど』、と《エンジュ》。

『くれぐれも、近づきすぎにはご注意を』

 ――ああ、分かってる!

 エルティナの宙船が重力砲の向こうに隠れた瞬間、ハルキは全エンジンを全開にした。重力砲の周回軌道に対して斜めの力を掛け重力の鎖を断ち切る。

 機体が一気に軽くなった。

 重力砲の周回軌道から離脱し、ハルキはそのままの速度でエルティナの宙船へ向かう。

 エルティナは既にこちらが重力砲に呑まれたと思って油断していたらしい。彼女が回避行動を取る前に、ハルキは彼女の宙船の動力部を狙い、フルパワーの電磁投射弾をお見舞いした。

 エルティナの宙船が大きく揺れる。命中だ。

 ――《エンジュ》!

 ハルキが命じると同時に、《エンジュ》の放ったネットがエルティナの宙船を包み込んだ。



「やったあ!」勝手に開いた光学スクリーンで戦闘に見入っていたアリスが歓声をあげる。

「やっぱりハルキくんはカッコいい! ねえ、見ないの?」

「……どうでもいいよ」

「あなたのために戦ってるのに?」

「見ない!」、ピアはテーブルに突っ伏したまま首を振った。

「……ていうか、ボクのためとかそんなの知らないし! あんなの自己満足だよ! さっきは見捨てようとしたクセに、今さら良い人のフリされたって困るし!」

「……まあ、わたしは、ハルキくんは最初からあなたを助けるだろうって思ってたけどね」

 アリスがため息をつく。

「――見捨てられないんだよ。あなたがあの子に似てるから」

 アリスが壁に貼られた一枚の写真を見上げた。

 家具や日用品のほとんどをナノマシンに頼っているせいで生活感のないこの宙船の、唯一といっていい調度品だ。

 そこにはひとりの少女が写っている。全身がつややかな毛に覆われて、ふさふさした大きな耳が四枚も生えているけれど、小柄なところはたしかにピアと似ているかもしれない。

「――彼女はユリア・ガーラント。ハルキくんの最初の部下だった子だよ。キセリアという星の出身なんだけど、その星では、数百に分かれた厳格な身分制度が敷かれていてね。……ある救出任務の際、保護した人間の中にたまたまキセリア人が混ざっていて。彼女はそれに気づかず、ある言葉を掛けてしまったの。上の身分の人間に対して言ってはならない言葉を」

「……どうなったの?」

「処刑されたわ」、とアリス。

「ハルキくんの目の前で、電子銃で頭を撃ち抜かれて。そして、ユリアさんを殺した男が罪に問われることはなかった。……ハルキくんはそれに抗議して辺境へ飛ばされたの。本来なら、いまごろ本部でエリートコースを進んでいたんだろうに」

「……」黙り込むピア。アリスが肩を竦めてみせる。

「《連盟》の規則は絶対。でも、ハルキくんは彼女を救えなかったことを悔やんでた。……だから、今度こそ正しい選択をするつもりなんだと思う」

「……じゃあ、やっぱり自分のためじゃん」ピアが悪態をつく。

「そんなの自己満足だよ」

「たしかに、そうかも」アリスが穏やかに微笑む。

「ところで、ピアさん。……あなたはいったい、どうしたいの?」

「ボクは……」



 ――《電磁網ネット》は電流によって数百倍に縮む性質のある特殊繊維で出来ている。射程距離こそ短いものの、かなりの大きさまで広げることが可能なうえ、高圧電流で凝縮された繊維は高い強度と弾性を持つようになるため、いったん捕らわれたら並の船ではまず脱出不可能だ。

『――もう、諦めてください』ネットで捕らえたエルティナの宙船へハルキが告げる。

『宙船は捕縛しました。武器を捨てて投降してください』

『……ぜったいに嫌』

 しかし、エルティナは一向に応じる気配を見せない。

『ピアはあたしが好きなの。あたしの側にいたがってるの』

『……ああ、そうかもな』、とハルキは同意する。

『だから、選ばせてあげたいんだ』

『はあ?』

『ピアさんはこれまで何も選べなかった。周りに全て決められ、何も選ばせてもらえないまま奪われ続けてきたんだ。だから俺はピアさんに選択肢を与えたい。あんたの元でペットとして可愛がられるか、それとも、ひとりの人間として自由に生きるか。自分の生き方を自分で選んで貰いたいんだ』

『あなたが何を言ってるか全然わからない!』エルティナが吠える。『ピアはペットよ! あたしのことが大好きなの!』

『だからっ……』

『……まだ、終わりじゃない』

 不意に、エルティナの声が低くなる。

 次の瞬間、ハルキの右腕が吹き飛んだ。


 ……しまった、電磁投射弾だ! ハルキは思わず右肩を押さえる。……くそ、まだ動力が生きていたなんて!

 もちろん、吹き飛んだのはハルキの腕じゃない。ハルキが感覚を預けている戦闘艇の一部だ。幸い、生命維持装置と推進機関に影響はないようだが、機体を覆うバリアが消滅している。

『あたしの勝ちね』、勝ち誇ったようなエルティナの声が聞こえる。

 ハルキは歯ぎしりした。

 まずいことになった。今の状態ではビーム兵器で撫でられるだけで真っ二つになってしまうだろう。今すぐネットを放棄して回避するか? ……いや、間に合わない! 彼女の手は、既に攻撃ボタンへ伸びている。

『さようなら――』

 エルティナの指が、違法AI操作アプリの上を滑った。



『エルティナ、待って!』

 エルティナが攻撃命令を下そうとした瞬間、アプリ画面を覆うようにスクリーンが広がる。

 そこに映し出されたのは銀の髪をした人形のように愛らしい少女だった。エルティナは思わず手を止め、表情を弛める。

「ピア! あなたから連絡してきてくれるなんて!」エルティナが腕を広げた。

「さあ、こっちへ! 邪魔者はすぐにいなくなるから、あたしとふたりきりで楽しく暮らそ?」

『――……エル、聞いて』

 スクリーンの中、ピアが覚悟を決めたような顔をする。

『あのね……ボクはほんとに勇気がないんだ。言わなくていいことはいくらだって言えるのに、言わなきゃいけないことはひとつも言えなくて。……ずっと、流されるままで良いと思ってた。そのせいで、エルに悲しい想いをさせちゃってごめんね」

「悲しい想い? あなたさえいれば、あたしは幸せよ」

『ボクも、エルのことは好きだよ。大好き。でもね』

 思い詰めたような顔で、ピアが口を開く。

『……ボクは自由になりたいんだ。……ボクは、人間だから!』

 そう、叫ぶなり。スクリーンの中の少女は、自分の腹に埋め込まれた蛇口を毟り取った。

「ピア!?」

 白い腹部が裂け、噴き出した血が床に溢れる。

『へっ……こんなもの、もう、ボクには必要ないや……』

 ピアはやってやったとばかりの笑みを浮かべ、崩れ落ちた。



「あなた、なにやってるの!?」

 ――アリスにすら、一瞬なにが起こったか分からなかった。

 確かに焚きつけたのは自分だけれど、まさかこんなことになるとは思わない! 幾ら何でも、身体に深く埋め込まれた蛇口を素手で毟り取るだなんて!

 誰に命令されることもなくナノマシンたちがざわめき、ピアの身体に集まっていく。ナノマシンに覆われ、腹部から溢れ出していた血がぴたりと止まった。

「……あなた、面白い子ね」

 アリスが目を細めた。

「ハルキくんほどじゃないけど、ちょっと興味湧いてきたかも。いいよ。わたしが助けてあげる」

「ムリだよ……」ピアが弱々しく呟く。「……ボクはもう、いいんだ……言いたいこと言えたし……それに、こんなに血が出ちゃって……助かるワケ……」

「いいから口を閉じなさい」

 ぴしゃりと言い放ち、アリスが呆れたように腰に手を当てた。

「いい? わたしはアリス・カーチェス。宇宙一の詐欺師よ。わたしに騙せないものはない。そのアリス様が大丈夫だって言ってんだから信じなさい。あなたみたいな雑魚は、大人しくわたしに騙されてればいいの」

「はは」、と、ピアが力なく笑った。

「そうだね……じゃあ、キミに敬意を表して、騙されてあげる……」

 ピアがそっと目を閉じる。

「ピアさん!」「ピア!」

 ほぼ同時に、ハルキとエルティナが同時に宙船内へ駆け込んできた。ふたりともピアのことで頭がいっぱいで、互いのことはまったく認識していない様子だ。

「血が足りないの」、とアリスは言う。

「止血はしたけど、出血が酷かったから……早く、なんとかしないと」

「あたしの血を使って!」、とエルティナが叫んだ。

「あたしとピアは同じ血液型なの! ……だって、ピアはあたしの妹なんだから!」



 姉妹だったのか……。

 ナノマシンで作られた急ごしらえの寝台にピアが横たえられ、その傍らにはエルティナが腰掛けている。輸血用の管で繋がったふたりの顔立ちはたしかに、どこか似たところがあった。

 ――アリスの宙船から持ち込まれた医療マシンが全ての処置を終え、動きを止める。

 ピアの顔色は依然として白いものの、呼吸はしっかりとしていた。傷口も綺麗に塞がり、まるで何もなかったかのようだ。

「……ごめんね、ピア」いまだ意識の戻らぬ妹の頬に触れ、エルティナがそっと呟く。

「あたしはあなたが宇宙で一番好き。あなたも、そうだと思い込んでた……でも、あなたがそんなこと思ってたなんて、あたし、ちっとも知らなかった」

 エルティナが寂しそうに目を細める。

「……ピアは、八歳のときに食用落ちして屋敷から消えたの。それから何年か経って、庭の倉庫でピアを見つけて……あたし、死んだ妹がペットになって帰ってきたんだと思った。ピアの見た目は随分変わってしまっていたし、食用落ちした子はもう人間じゃないんだって、誰もがみんな口を揃えて言っていたから」

「エルティナさん……」

「でも、もういいわ」、エルティナが立ち上がり、ちらりとハルキを見やった。

「その子は、あなたにあげる」

「あげる、って……」

「ピアを人間として扱ってあげて」エルティナが微笑む。

「あたしの代わりに、ピアを対等な存在として認めてあげて。……あたしには、できないの。……だって、あたしには、どうしても、ピアのことが可愛いペットにしか見えないんだもの」

 ハルキの背筋がぞくりとした。

 ……それはきっと、呪いのようなものなんだろう。生まれ育った社会に植えつけられた呪い。それは間違っていると外側から指摘されても受け入れることができない。頭で理解することはできても心がついていかない、強固な呪い。

 俺の中にもあるのだろうか。その中にいては気づくことのできない、《常識》という呪いが。

「…………当然だ」

 ハルキが頷くと、エルティナが「良かった」と呟きながら寂しげに笑った。



「ん……」

 ハルキの宙船のゲストルーム。ようやく目覚めたピアが、ハルキたちの目の前で瞬きする。

「ボク、生きてる……?」ピアが目を丸くする。「もしかして、ほんとに助かったの!?」

「ああ」ハルキは頷く。「エルティナさんが、君に……」

「エルティナ」ハルキの言葉で思いだしたようにピアが叫ぶ。

「エルはどこへ行ったの!?」

「エルティナさんは帰ったよ」

 アリスの言葉に、ピアは「そっか……」と呟いた

「……ボクね、本当にエルのことは嫌いじゃなかった。ペット扱いされるのは厭だったけど」

「ピアさん……」

「でも、ボクはもう自由なんだね!」ピアがくすぐったそうに笑う。「なんか、ヘンな感じ」

 それは、ピアが初めて見せる屈託のない微笑みだった。ハルキは思わず頬を弛めてしまう。

 ……良かった。本当に。

『めでたし、めでたし、と言いたいところですが――』不意に、《エンジュ》が口を挟んでくる。

『ハルキ、これから、どうするつもりですか? 彼女には星籍がありません。亡命申請も認められるとは思えない』

「大丈夫よ、《エンジュ》ちゃん。ピアちゃんの星籍ぐらい、わたしがその辺でちょちょっと買ってきてあげるから」

「駄目です! 犯罪ですよ!」

「でも、誰も傷つかないよ?」、とアリス。「そして、ピアちゃんは助かる。なんなら、里親だって探してあげられるかも」

「うっ……」ハルキは言葉に詰まる。「……いや、駄目だ。決まりを破るのはよくない」

「べつにボクは星籍なんかなくたって大丈夫だよ? 人間扱いされなかったり、血を搾られるのに比べたら、怖いものなんてないし……」小声で付け加える。

「……これ以上、どっかの慈善家にメーワク掛けたくないし」

「……そうは言うけど、子どもには保護が必要だ」

「もう! だからまた、そうやって子ども扱いするー!」

 ピアがふくれっ面をしたところで、照明が虹色に光った。

『キャロル宙佐から通信です』、と《エンジュ》。『受信しますか?』

「……いや、今はさすがにまずい」ハルキは慌てて立ち上がる。

「ブリッジで受けるから、いったん保留に……」

『了解。通話を始めます』

「って、おいっ!」

 慌てるハルキの目の前にスクリーンが広がった。そこには、例のごとく不機嫌そうなキャロル宙佐の姿が映し出されている。

 ……終わった、とハルキは思った。宙佐のスクリーンには、ピアの姿がばっちりと映ってしまっている。これでは、もう、言い逃れなど不可能だ。

『……ほほう』スクリーンの宙佐が僅かに眉を動かした。

『つい先ほど、エルティナ氏から捜索願いの取り下げがあったと思ったら、こういうことか』

「……申し訳ありません」

『……しかし、困ったな』宙佐がわざとらしく嘆息する。『捜索願いが下げられたということは、君が保護したペットの引き取り手がいなくなってしまったというわけだ。出身星の法律に基づき、遺棄ペットはブレアードの保健所へ送られる』

「待ってください!」思わずハルキは声を荒らげた。

「幾ら宙佐でも言って良いことと悪いことがあります。彼女はペットじゃない。人間で……」

『《連盟》の規則では、乗組員の精神的ケアのため、長期哨戒任務中のペット飼育が認められている』ハルキの抗議を遮り、宙佐がニヤリと笑った。

『……ハルキ君。君は、責任を持って面倒を見られるかね』

 ハルキは思わず目を瞠った。

 どうやら、宙佐はピアを見逃そうとしてくれているらしい。

「は、はいっ!」

『――ミズ・ピアリア・レイランド』宙佐がピアを見やり、深々と頭を下げる。『残念ながら、今の《連盟》では、君の亡命申請が受理されることはないだろう。……しかし、近いうちに、私が必ず何とかする。それまで、ハルキ君の元で我慢して貰えないだろうか』

「……仕方ないなあ」、とピアが肩を竦める。宙佐が微笑んだ。

『感謝します、ミズ・ピアリア。――君に、上位存在の加護がありますように』


「……と、ゆーわけで」

 光学スクリーンが消えるなり、ピアがハルキを一瞥した。

「不本意だけど、しばらくここで我慢してあげる。……まあ、ボクがそのユリアって人の代わりになれるかは分からないけど」

「……ちょっと待て。どうしてあんたがユリアさんのことを知ってるんだ?」

「それは」ピアが気まずげに目を逸らす。「アリスに聞いた」

「……ったく、余計な話を」

 アリスを睨み、ハルキはため息交じりに頭を掻く。

「まあ、そう意識することはないよ。ユリアさんも今じゃ、うちよりずっと待遇の良い民間企業で元気にやって……」

「えっ」ピアが声をあげた。

「なんでっ!? そのユリアって人、死んだんじゃ……」

「いや、彼女はキセリア人のクレームでクビになっただけだ」

「じ、じゃあ、なんであんな風に、いかにもなんかあった感じで壁に写真飾ってるのっ!?」

「壁の写真……?」ハルキが目を丸くする。「ああ。ブリッジに貼ってあるのは俺が好きなアイドル歌手の写真だ。前に一日職業体験でうちへ来たとき記念に撮影したんだよ。俺の宝物だ」

「アリスぅぅ……!」

「まあまあ、細かいことは気にしない!」

 あっけらかんと笑うアリスを、ピアが恨みがましく睨みつけた。



 ――「もう誰も信じない!」

 すっかりヘソを曲げてふて寝してしまったピアに追い出され、ハルキとアリスはブリッジへ戻った。床にはまだところどころ血が残っている。やれやれ、とハルキは思った。これは掃除が大変だな。

「まあ、いろいろあったけど、結果オーライってところだね」

「……ところで」ふと、ハルキがアリスを見た。

「エルティナさんにやられた筈の俺の戦闘艇、いつの間にか直ってたんですけど、なにか知りません? 《エンジュ》に調べさせたら、1・で星が買えるようなハイエンドナノマシンが惜しげもなく使われているみたいなんですが」

「さあ?」、とアリスが首を傾げる。「野生ナノマシンの仕業じゃないかな? きっと外から侵入してきたんだよ」

「……それに、ピアさんの治療に使ったのは生体ナノマシンじゃありませんか? 闇医者が使う違法培養品。そうでなければ、あんなに綺麗に傷跡が消える筈がない」

「あれは、ピアさんの治癒能力が高かっただけだよ。ブレアドーマは生命力が強いっていうの、本当なんだね」

「アリスさん」ハルキは思わず声を固くした。

「……あんた、もしかして、本当に、本物の……」

「だとしたら」、と、アリスがハルキを上目遣いに見上げる。「ハルキくんはわたしを捕まえる?」

 いつものように悪戯っぽく微笑むアリス。けれども、その目はいつもと違い、どこか真剣に見えて……いや。

「そんな筈がない、か」ハルキは首を振った。

「あんたは詐欺師アリス・カーチェスみたいな極悪人じゃない。だから……っ!?」

「ハルキくん!」不意に、アリスが嬉しそうに抱きついてくる。「つまり、ハルキくんってわたしのことが大好きなんだね!?」

「いやっ、そんなの一言も……ていうか離れてくださいっ!」

 呆れ顔で否定するハルキの前で、アリスがふふっと微笑んだ。



「――ハルキくんって、本当に良い人だね」

 本物の絨毯が敷き詰められた、豪華な宙船の一室。瞬かない星空を眺め、天使のように美しい少女が目を細める。

 ……でも、残念。あなたはひとつだけ間違えてる。あなたが慕う『あのひと』は、倫理観なんてこれっぽっちも持っていないの。だから、あなたがたとえどんなに酷いことをしたって、ちっとも気にしない。

「……でも」と、アリスが呟く。

 ありがとう。『あのひと』のことをそんな風に想ってくれて。

 早く、たどり着いてね。

 ――『わたし』は、いつまでも待ってるから。


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ナイト・オブ・ギャラクシー! 左京潤/ファンタジア文庫 @fantasia

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