職業、貧乏冒険者。趣味、モンスター討伐を少々。

来生直紀/ファンタジア文庫

短編

「落ち着け、エルドレッド。冷静に自分と向き合うんだ。いま俺は、いったいなにと戦いたいんだ?」

 エルドレッド・イージスは、乾いた地面を踏みしめながら呟いた。

 岩と砂、枯れ果てた植物だけの景色が延々と続いている。そんな不毛の荒野にいるのは、エルドレッドただひとり。ただし、人間に限ればだ。

 一つ目の巨人サイクロプス。

 歩く屍のアンデッド。

 獲物を石にするコカトリス。

 さまよう霊体のゴースト。

 死の大地を住処とするモンスターたちが、ひとりの冒険者を遠巻きに凝視している。

 いつ襲われてもおかしくない状況。だがエルドレッドはそれらを一瞥すると、興味なさそうに視線を戻した。

「うーん、ちがうなあ。あいつじゃない。……そっちのやつでもないなあ」

 だれかに向けての言葉ではない。完全な独り言である。

 身体の要所だけを覆った革の軽鎧に年季の入った外套に、主な武装は小回りの利く幅広の剣。冒険者としてはめずらしくもない装いだ。

「ダメだダメだ。雑念にとらわれるんじゃない。自分の心に問いかけるんだ」

 ぶつぶつと自問自答をしていると、前方がかげった。

 ゆらりと行く手に立ちはだかったのは、据わった首に、分厚く発達した上半身、そして手には武骨な棍棒。

 筋骨隆々の肉体を有するモンスター《オーガ》だ。

「んーオーガかぁ……。悪いが、今日はおまえの気分じゃないんだ」

 いまいち、という反応にオーガのほうも困惑をみせる。

 エルドレッドはそのままオーガの横を素通りしようとし――瞬時に横転した。

 オーガの攻撃ではない。

 なにかが岩陰から飛び出し、エルドレッド越しにオーガに襲い掛かったのだ。

 転がって回避したエルドレッドは、立ち上がったときには剣を抜いていた。

 オーガに続いて出現したのは、サソリに酷似したモンスターだ。

「おおっ、《スティンガー》か!」

 岩も真っ二つにできそうな巨大なはさみと、毒々しい形状の尾を持つ甲殻種、危険度Cランクのモンスターである。体長と体重はエルドレッドの二倍はあるだろう。

 経験を積んだ冒険者であれば苦戦することは少ないが、その甲殻はそれなりの強度を持ち、なにより尾の針には、どれほどの巨躯を持つ生物すら屠りうる猛毒がある。油断はできない相手だ。

「しかしすごいな。あのでかいオーガが一撃か」

 毒針を食らったのだろう。昏倒した巨体が地面に沈んでいる。

 スティンガーはオーガを仕留めた後、くるりと旋回し、興味津々に眺めていたエルドレッドを捕捉した。

 どうやら空腹らしい。

 スティンガーが地を這う。またたく間にエルドレッドに接近。右のはさみが突き出される。身をよじって回避。すかさずエルドレッドは間合いを詰め、真上から剣を振り下ろす。

 ガキンッ! と甲高い音とともに剣先が弾き返される。

 直後、喉元を毒針がかすめた。

 エルドレッドの剣を防いだのは、スティンガーの左腕のはさみだ。よく見れば、そちらだけが分厚く発達している。それを盾のように使い、毒尾の攻撃へとつなげてきた。

「おっ。ちょっと変わった攻撃をしてきたぞ。いいぞ、そういうのだ」

 エルドレッドの瞳が生き生きと輝き出す。

 だがその直後、荒野に甲高い声が響きわたった。

「エル! ようやく見つけましたよ!?」

「ん……リサナか」

 どこからか駆けつけたのは、エルドレッドよりも五つほどは年下と思わしき少女だった。

 活発に揺れる黄金の髪に、強気な青い瞳。健康的な色つやの額に、玉の汗を浮かべている。羽織った外套はエルドレッドのものと同じだが、まだ真新しく、年季の入りようには大きく差が見てとれた。

「ふらっとどこかにいなくなったと思ったら、またひとりで勝手にモンスターと戦ってたんですか!?」

「いまは仕事中じゃないし、べつにいいじゃないか」

「よくないです!」

「そうなのか」

「だいたい仕事でもないのにこんなモンスターの住処をうろつかないでください! あとそれを唯一のパーティメンバーであるわたしに言わないのも困ります! こ、こんなところまで捜しに来るわたしの身になってください!?」

「それはすまなかった。でも言うとリサナはうるさいからなあ」

「当たり前です。だいたいエルはいっつも――って、エルうしろ!」

 リサナが悲鳴のような声を上げ、エルドレッドの後ろを指さす。

 言われる前から気配はしっかりと捉えていた。

 斬光が閃く。

 エルドレッドが振るった剣の切っ先が、飛びかかったスティンガーを両断。

 二つに分かれた胴体が、重々しい音を響かせ大地へと沈んだ。

 リサナが安堵のため息をつく傍らで、エルドレッドはモンスターの前でしゃがみこむと、手を合わせた。正当防衛とはいえ、無用な殺生に対するエルドレッドなりの流儀だった。

「さて、と」

 合掌を終えるやいなや、エルドレッドは懐からナイフを取り出す。貴重な金属結晶を加工して作った特別製だ。

 ひたすらに地味な作業の末、殻ごと肉をはぐことに成功。

 人間や動物とはちがう、青みがかった筋肉をうっとりと眺める。

「あ、あの、エルドレッド? 話の続きですけど、よくない理由はもうひとつあってですね……」

「こいつはいい肉だ……」

「聞いてます!? ですから問題なのは、エルがモンスターを倒したら絶対そのあと――」

「よしリサナ、今日の昼飯は決まったぞ!」

 その瞬間、リサナの顔に深い絶望が広がる。

 エルドレッドはそれに気づくこともなく、親指を立てる。

「大丈夫だ。調理は俺に任せてくれ」

「こうなるからイヤなんです~~~~~~!!!」


 +++


「待たせたな」

「ひっ」

 町の酒場兼食堂。

 荒くれの冒険者たちの集うその店は、今日も活気と騒々しさに満ちていた。

 店の奥にある定位置のテーブル席で落ち着かなさそうに待っていたリサナのもとに、店員ではなく、なぜかエルドレッドがみずから料理を運んできた。

 どん! と置かれた大皿の上には、巨大なはさみが塔のように屹立している。

 その周りに焼き色のついた青みがかった肉が大盛りで並び、湯気とともに香ばしくも得体の知れない匂いをただよわせていた。

「こ、これって、やっぱりさっきの……」

「調理場を借りて作ったんだ。ほかだと大抵断られるけど、ここは長年の顔なじみだからな」

「で、でも毒とかありましたよね……? それも猛毒の……」

「もちろん危ない部位はきちんと取り分けてるから安心していい」

「あ! でもわたし、実はあんまりお腹空いてな――」

 ぐぅ~~。

 乙女的には本来赤面するところだが、リサナの顔はこのあとの展開を予期し、蒼白になった。

「さあ、遠慮せずじゃんじゃん食ってくれ」

「ああ……お父さんお母さん神さま……先立つ不幸をどうかお許しください……」

「変わった食事前の祈りだなぁ」

 リサナは震える手でナイフをつかみ、丁寧に切り分けられている肉のひとつを、おそるおそる口に入れた。

 途端、リサナの目が大きく見開かれる。

「あ、美味しい」

「そうだろう」

 エルドレッドは当然とばかりにうなずく。

「うう……なんか悔しい……」

 リサナはもう一度確かめるように一口。じっくりとその味を堪能すると、はーっと感嘆の吐息をついた。

「悔しい……でも美味しい、くやしい、おやしい……」

「変わったコメントだなぁ」

「なんでも意外と火を通せば美味しくなるんですねぇ」

「むっ、なにもただ丸焼きにしたわけじゃないぞ」

「そうなんですか?」

 そうだとも、とエルドレッドは深くうなずいた。

「まず生臭さを消すために、塩をもみこんで洗ってからしっかりと水気を切る。塩と黒コショウとニンニクのすりおろしで下味をつけて、焼く前に全体を叩いて筋繊維を伸ばしてやわらかくし、筋切りもしておくんだ。焼くときは肉汁を閉じ込めるため一度表面を焼いてから、香草と一緒に時間をかけて、じっくり蒸し焼きにする」

「はぁ。意外と手間かけてるんですねー」

「ああ。よかったら今度死体のさばき方から教え――」

「ふふっ、いらないです♪」

 とりとめない雑談をしながらふたりで大皿をあっという間にたいらげると、リサナは複雑なため息をついた。

「エルって、ほんとに変わった食材を調理するのだけは上手なんですから」

「うん、そうだな」

 皮肉にも気づかず、エルドレッドは椅子に身体を沈める。

「はぁ。満腹になるとすぐに眠くなるなぁ」

「……エル、おっさんみたいです」

「そうかなあ」

 こんなエルドレッドだが、まだ年齢は二十歳のれっきとした若造である。

「ところで、エルドレッド・イージス」

 リサナがいきなりフルネームで名前を呼ぶ。

 それだけでなんの話か察し、エルドレッドは目を閉じた。

「今月もこのままだと赤字です」

「……Zzz」

「寝たふりしないでくださいっ! やばいんですからねっ!? 装備に消耗品の補充、遠征費に冒険者協会への登録料とかもろもろかさんで、クエストの報酬だけじゃぜんぜんまかないきれないんですから!」

「一生懸命働いているのに、儲けはないどころかマイナス……。冒険者にとって世界は謎に満ちている……」

「わたしはそういう未知を求めてるわけじゃないんですけどっ!?」

 冒険者を志す人間は多い。

 だがだれしもが冒険者として食っていけるわけではない。強いパーティを組み、有名ギルドに所属し、富と名声を得る冒険者はほんの一握りだ。

 エルドレッドは長い間ソロの冒険者として活動してきたので、華やかな世界とは無縁だった。もっともそれは本人が望んでいないというのが大きな理由であり、きわめて珍しい少数派だ。

 一方リサナは夢見る多数派である。

「そうか。金欠か」

「はい! 致命的に!」

「まあ、仕方ないだろう。儲けのいい仕事はもっと大手のギルドにとられてしまうんだから」

「それはそうですけど……」

「俺たちのような名もなき弱小パーティが稼ぐには、地道にコツコツと小さな仕事をこなしていくしかない。そうして名を上げていけば、そのうちビッグなチャンスにもめぐりあえるかもしれない。きっと、たぶん、もしかしたら、万が一……」

「……わたし、エルと組みはじめるまで、冒険者ってもっと夢のある仕事だと思ってました」

「大きな夢の下にあるのは、その何倍もの現実なのだ」

「はぁ……。どこか大きなギルドでわたしを雇ってくれないかなー」

「大手は入団試験が厳しいぞ。ギルド長面接とかあるし。十対一ぐらいで囲まれて、『私たちがあなたを雇うメリットはなんですか?』や『深夜や休日も頑張れますか?』とか聞かれるらしい」

「な、なんかヤな感じですね……」

 リサナは深いため息をついた。

「そもそも協会の仲介とはいえ、どうして普通に真面目なわたしと普通に変人のエルが一緒に……」

「ソロで余っていたのは俺たちだけだったし仕方ないね。それに登録して一年未満の冒険者は、協会が仲介したパーティを勝手に離散できない。もっとも、これは未熟な冒険者をむやみに死なせないための制度なわけだけど」

「わかってますっ。でもそれとわたしたちが貧乏なことは、関係ないですよね?」

「……Zzz」

「もうっ! だからそうやって――」

 リサナが勢いよく立ち上がったときだった。

 大柄な男たちが近づき、エルドレッドたちを見下ろした。

「よお、万年金欠のエルドレッド。またゲテモノ食ってたのか?」

 現れたのは、酒場に居合わせた冒険者の一行だった。

 立派な全身鎧に、重厚な盾と剣。一目で高級品とわかる装備の数々。

 エルドレッドたちとはちがう、すでに成功した側の冒険者たちである。

「おいおい、貧乏すぎてモンスターを食ってる冒険者がいるってマジだったのかよ!」

「よせって。もう人間のまともな食い物は味がわからないらしいぞ」

 下品な嗤い声が酒場の中に響く。だが終始騒がしいここでそれを気にする人間はいない。

 リサナは一瞬たじろいだものの、気丈に男たちをにらみ返す。

「な、なんですか失礼ですよ!? 意外と美味しいんですからね、これ!」

「んじゃ、せいぜいその粗末な食事を味わいな。その間に俺たちは、派手に大儲けしてくるわけだが」

「どこに行くんだ?」

 ようやくエルドレッドが反応する。

「へへっ、こないだ発見された新ダンジョンだよ」

「ま、おまえらみたいなアマチュアには無理だろうけどなぁ!」

「それくらいにしとけ。いまから仲間に入れてくれって泣きつかれても面倒だ」

 耳障りな高笑いを響かせながら、男たちは酒場から出ていった。

「もうっ! なんなんですか、あれ!?」

「まあいいんじゃない」

 リサナは憤慨していたが、エルドレッドは特に気にならなかった。

「……あの人たちが狙っているダンジョンって、知ってます?」

「きっと東の渓谷で見つかったやつだな。近くにそこそこでかい商業都市があるとこの」

 冒険者の活躍する場所は様々だが、なかでもダンジョンは特別だ。

 人間の手が徐々に広がっている地上とは違い、すべてが未知で埋まっている。見知らぬ財宝、見知らぬ資源、そして見知らぬ危険――

 リサナは脱力したように腰を下ろした。

「はぁ……新しいダンジョンかぁ。いいなー」

「そうかなぁ」

「きっとものすごい高価なお宝が!」

「興味ないなぁ」

「伝説の古代文明が!」

「そそられないなぁ」

「でしょうね……。まあでも、どんな凶悪なモンスターが出るかわからないし、わたしたちが行くには危険が……」 

「やっぱり行こうか」

「わたしの話聞いてました!?」

「ちゃんと聞いていたよ」

 立ち上がったエルドレッドの顔つきは、急に生き生きとしたものに変わっている。

 リサナは嫌な予感がした。

「だっていま興味ないって!」

「冒険は仕事だからね。冒険者たるもの、ドカンと大きく稼がないとね」

「さっきの発言と真逆なんですけど!? ぜったいそれが目的じゃないでしょ!?」

 もはや聞いていない。

 さっさとそのダンジョンに向かう準備をしに行くエルドレッドを、リサナはあわてて追いかける。

「ま、まってくださーい!」


 +++


 この世界には、無数の地下遺跡が眠っている。

 ダンジョンとはそれらの地下迷宮型の遺跡全般を指す。ただしなかには塔の形をした遺跡や、海上にある遺跡なども存在しており、それらも広義ではダンジョンに含まれる。

 ダンジョンは森や荒野といった自然環境よりモンスターの生息数が多く、またその危険度も高い。その分、リサナが言ったようにさまざまな財宝が手に入るため、見返りは大きい。冒険者にとっては、まさに主戦場ともいえる場所だ。

「うう……」

 ダンジョンの入口。第一層。

 光の届かない地底の遺跡を、エルドレッドとリサナは進んでいた。

 それぞれが携行ランプと灯霊――魔法で生成した光源を使い、行く道を照らしている。

 探索には十分な明るさを確保できていたが、リサナの足取りは重い。

 仕事道具の杖をぎゅっと握りしめながら、ささいな物音にも敏感に反応している。

 ピチャッ――

「ひゃぁ!?」

「ただの雨漏りだ」

 地上から染みた水が天井から水滴となって落ちていた。ダンジョンではめずらしくもない光景だ。

「べつに怖いわけじゃありませんから!」

「なにも言ってないよ」

「わたしだって冒険者なんですから、むやみに怖がったりなんて……」

「あ、ガイコツ」

「もぉ! だからそうやって驚かそうとしたって!」

 ランプの光が照らした先に、白骨化した死体があった。

「!!!!!」

「これは人間のものだなぁ」

「ままままさかさっきのあの人たちの……!?」

 リサナはガクッとひざをつき、わっと両手で顔を覆った。

「うっ、うぅ……! あんな嫌な人たちでも、こんな風になっちゃったらもう嫌味も言えない……どうかその魂に安寧あれ……」

「どう見ても大昔のものだけどね」

 エルドレッドは遺骨の前にしゃがみこみ、それをじっと観察した。

 頭蓋骨に大きな穴が穿たれている。

 ひどく鋭利で分厚い刃で抉られたような傷跡。

 人間もそれ以外も死体を見慣れているエルドレッドが、つい訝るようなめずらしいものだった。

 黙りこんだエルドレッドを、リサナが不安そうにのぞきこむ。

「ど、どうしたんですか?」

「いや、べつに」

 エルドレッドは下手にリサナの不安をあおらないよう、再び歩き出した。

「……ところで、その長いのはなんですか?」

 リサナが指したのは、エルドレッドが背負った細長い荷物についてだ。大仰な感じに布に包まれている。

「これか? ふっ……秘密だ」

「じゃあいいです」

「もっと聞いてくれても……いいぞ」

「興味ないです。エルがうれしそうにするものなんてたかが知れてますから」

 それなりに付き合いが長いリサナはよくわかっていた。

 ふたりが遺跡を進んでいくと、道中でしばしばモンスターと遭遇した。

「これはスライム……ですか?」

「《メルトスライム》だな。危険度Eランクの低級モンスターだ」

 遺跡の天井に張り付いていたのは、濃い緑色のスライムだ。

 注意していなければ気づかなかったかもしれない。実際、こうやって潜伏して頭上から獲物を襲う習性があるのだろう。

「剣で倒すこともできるけど、そうすると死ぬ間際、溶解液を飛び散らせる」

「じゃあ、ここは私の出番ですね♪」

 リサナは得意げに言い、エルドレッドの前に出た。

 さきほどまでエルドレッドの後ろにいたので、威厳を取り戻すチャンスが来たことがうれしいようだ。

 リサナは手にした杖を掲げた。

 目を閉じ、呼吸を整える。意識を深く研ぎ澄ませ、魔法の起動文言である呪文を口にする。

「小さき命よ、大いなることわりよ。要請する。承認せよ。の者を食らう業火のくさびを穿ちたまえ!」

 リサナの杖先から炎が出現。矢となってスライムを撃ち抜く。

 激しく発火したスライムは、天井から力なく落下。

 直後、爆散した。

 スライムが今際の際に飛び散らせた液体を頭からかぶったリサナは、その場で固まった。

 背中からほの暗いオーラを立ち昇らせ、振り返る。

「あの……エルドレッド?」

「そうか、魔法で倒しても飛び散るのか」

「もっと早く教えてください……!」

「すまない。そこまでは試したことがなかったんだ。それより服が……」

「え?」

 リサナは指摘され、遅れて自分の身体を見下ろした。

 スライムの溶解液はたいした危険性はなかったが、服には十分な威力を発揮した。

 外套を溶かし上着にまで及んだ液体により、胸元の柔肌が外気にさらされていた。

 スカートも深いスリットのように裂け、体液でべっとりと濡れた白いふとももが際どいラインまで露わになっている。

「ひゃうぅ!? やっ、やだ……!!」

 露わになった身体を隠しながらリサナがしゃがみこむ。エルドレッドはそれを見て、のんきな笑い声を上げた。

「あっはっはっ。大丈夫大丈夫、身体は無事だ」

 その後、エルドレッドが長々と正座をさせられ説教を受けたことは、ここでは割愛する。

「……それにしても、なんだか変わった構造のダンジョンですねー」

 エルドレッドが着ていた外套を羽織ったリサナが言う。

「ああ。だいぶ潜ってるのに、まだ下の層への入口も見えない。それにほぼまっすぐにしか進んでいない。これは、もしかして……」

 呟きながらさらに奥へと進むと、まもなく景色が開けた。

 小さな城ならすっぽりと収まってしまうような広大な空間があった。

 地面や壁、天井に至るまでダンジョン特有の地底植物が存分に生い茂っている。

 その広さゆえ奥部は暗闇に覆われ、全容は見通せない。

「ここはいったい……?」

「まるで巨人の巣穴みたいだ」

「巣穴……ですか」

 リサナが聞き返したとき、先を歩いていたエルドレッドが立ち止まった。

「人の気配がする」

「え、ど、どこですか?」

 わずかな物音、臭い。そしてそれ以外の説明しがたい、生物の存在感。

 エルドレッドが携行ランプを向けると、崩れた遺跡の柱の陰に、鎧姿の男たちが身を寄せ合うようにして隠れていた。

「ひっ!?」

「なんだ。おまえたちか……」

 そこにいたのは、ここに来る前、酒場でエルドレッドを馬鹿にした冒険者たちだった。灯りで照らしながらよく見ると、ひどい有様だ。

 自慢の鎧はボロボロで、どこかで落としたのか自分たちの武器すら手にしていない。全員がいまにも泣き出しそうな顔で震えている。

「たっ、助けてくれ!」

「どうしたんだ?」

「こ、ここには、怪物がいる……!」

「怪物……?」

 一般的なモンスターを指しているのではない、と感じた。

 モンスターに慣れた冒険者が、そんな表現を使う相手とはなにか?

 怪訝に思ったとき、唐突に地鳴りが生じた。

「な、なんです!?」

 天井の崩落を警戒しながら、エルドレッドは周囲を見渡す。姿は見えない。だがここには確実に、がいる。

「ひぃぃ! や、やつが追ってきた!!」

「もうおしまいだぁ!」

「ちくしょう、ちくしょう……!」

 男たちが取り乱して喚く。

 エルドレッドは状況を見て、冷静に、かつ迅速に判断を下した。

「あわてるな。俺に考えがある」

「な、なんだと……!?」

 男たちはエルドレッドの力強い言葉に、わずかに落ち着きを取り戻す。

 リサナも一瞬困惑したものの、その決意を察し、うなずいた。

「エル……わたし、覚悟はできています!」 

「そうか。じゃあリサナ」

「はい!」

「ここから逃げるぞ!」

「はい!?」

 エルドレッドは迷わずリサナの手を引くと、全速力で回れ右をして走り出した。

「て、てめえエルドレッド! それでも冒険者かよ!?」

「引き際を見極めてこそのプロだからな。おまえたちも急げよ!」

「クソ野郎が! このっ……お、置いていかないで!?」

 命の危機に瀕して急になよっとした男たちが、慌ててエルドレッドたちの後を追いかける。

 リサナはまだ状況がよく呑みこめないでいた。

「ちょ、ちょっと待ってください! どんなモンスターか調べなくていいんですか?」

「いや、たぶんその必要はない」

「でも……せっかくの新ダンジョンだし稼ぐチャンスなんじゃ……」

「ここはダンジョンであって、正確にはダンジョンじゃない」

「ど、どういうことですか?」

「説明はあとだ」

 エルドレッドたちはとにかく全力で来た道を逆走する。

 一行は、ほぼ同時にダンジョンの入口から飛び出した。

 切り立った岸壁と鬱蒼とした木々に囲まれた渓谷の景色が視界に広がる。

「はぁ……な、なんとか生還しました……」

「まだ安心するのは早い」

 遺跡の中から生じる鳴動は収まらない。木々に止まっていた小鳥たちも一斉に飛び立っていく。

 二度目の地鳴りが起きた。

「か、怪物だっ……!!」

 助かった男たちは蜘蛛の子を散らすように我先にとその場から逃げ出していった。

「な、なんなんです!?」

「――なにか、来る」

 遺跡の外壁が崩れ出す。

 すさまじい威圧感。生物としての防衛本能が激しく警鐘を鳴らす。

 地鳴りが地響きというほどまで膨れ上がった直後だった。

 遺跡が爆砕した。

 とっさにエルドレッドがリサナを抱きしめながら地面に伏せる。

 飛び上がった瓦礫の塊が、雨のように次々と地面へ落下。

 大量の粉塵が広がり、視界がわずかに戻ったとき、ふたりはゆっくりと身体を起こした。

 遺跡の入口があった場所に、信じられないものが姿を現していた。

 金属のような光沢を放つ鱗。

 石柱よりも太い四肢。

 不気味に輝く黄金の瞳。

 雄々しく巨大な翼。

「龍種……」

 リサナが掠れた声で呟く。

 危険度Sランク以上。

 ドラヘ、ドラコ、あるいはドラゴンと呼ばれる超大型モンスター。

 その巨体は、ゆうに人間の数十倍。質量でいえば数百倍はあるだろう。

 桁違いだ。

 通常のモンスターとは、その大きさも、ほかの生物に与える恐怖も。

「あ、あ……」

「どうやらここは、ダンジョンじゃなくこいつの住処だったらしい」

 暴風が吹きつけ、一瞬にして辺りが暗くなる。

 なにかと思いきや、ドラゴンが折り畳んでいた翼を広げたのだ。

 巨木の根本のような脚を伸ばし、大地を蹴りつけると同時に翼をしならせる。

 ドラゴンが飛翔した。

 その風圧だけで木の葉が吹雪のように吹き荒れ、細い木は幹からへし折れる。エルドレッドはリサナの身体を庇いながらその場に耐えるしかなかった。

 ドラゴンの姿が空へと消え、しばし呆然としたままその場にたたずんでいたが、エルドレッドは重大なことに気づいて舌打ちした。

「あの方角は、まずいな」

「え……?」

 リサナがエルドレッドの言葉を理解すると、さっと血の気が引いた。

「あっちには……商業都市が!」


 +++


 都市は大混乱に陥っていた。

 しかもそこは不運にも冒険者協会のない商業都市だ。

 おそらく都市の長が協会に救援要請を送っているだろう。だがそんな数分で遠い都市や辺境のダンジョンからやってこられるはずもなく、逆にその数分はあの巨大なドラゴンが都市を蹂躙するには十分すぎる時間に思えた。

 急いで駆けつけたエルドレッドたちは、避難する市民の流れに逆らい都市へと入る。

 ドラゴンの巨躯は、都市の中心にあった。

 その足元では恰幅のいい市長像が粉々に砕け散っていた。このままドラゴンが本気で暴れれば、被害はこの程度では収まらない。

 ドラゴンは長い首をゆっくりと巡らせ、地上を睥睨している。

 ようやく目視できる距離まで辿り着いたエルドレッドたちの存在には気づいていない。

「な、なんてこと……」

「こいつは大変なことになっちゃったなぁ」

「非常事態ですよ……!! や、やっぱり、ほかの冒険者が集まるまで待つしか……」

「え、そんな勿体な――いや、被害が広がる前に俺たちで倒そう!」

「いま勿体ないって言いかけませんでした!? どういう意味です!?」

「なんでもない。それより、ここは慎重にいこう」

「は、はい……」

 緊張と恐怖でこわばるリサナとともに、エルドレッドは都市の王様のように堂々と居座る龍種へと近づく。

 だが悠々としているように見えたドラゴンの反応は、俊敏だった。

 ゆらりと頭上に持ち上がった巨大な尾が、輪郭がかすむほどの速度で振り下ろされる。

「散れっ!」

 エルドレッドとリサナは左右に分かれる。

 直後、石畳の地面が爆砕。

「リサナ! 無事か!?」

「ななっ、なんとか……!」

 リサナは尻もちをつきながらも、かろうじて回避していた。だがこれ以上は迂闊に近づけない。

 そのとき、ドラゴンがこれまでと異なる挙動を見せた。

 腹部を正面に向け、首を垂直に持ち上げる。

 そしてどんな獣でも丸呑みできそうな顎を開いた。

 びっしりと並んだ鉄杭のごとき牙の奥で、ぼんやりと赤い光が灯る。

「いったいなに……きゃあっ!?」

 訝った直後、ドラゴンの口から膨大な炎が溢れた。

 いや、それはというほうが正しい。弓矢以上の速度で飛翔した炎の噴流が、数百メートル先にあった高台の塔を木っ端みじんに撃ち砕いたのだ。

 頭上で火の粉が舞い散るなか、リサナは愕然とする。

「あ、あれってまさか……《龍の息ドラゴンフレア》!?」

 冒険者ならばだれしも一度は耳にするだろう。

 ドラゴンは炎の息を吐く。それはどんな炎の攻撃魔法よりも強力で、あらゆるものを灰燼に帰すと。もっとも、それをその目で直に見た者がどれだけいるだろうか。

「リサナ、俺に炎の防御魔法を頼む」

 愕然と息を呑むリサナのもとに駆け寄ってきたエルドレッドが、迷いなく言った。

「は、はい……。でも、正直あれを防ぎきれるかどうか……」

「構わない。覚悟はできている」

「……! わかりました」

 まんまと食らうほどエルドレッドは鈍くない。ここは仲間を信頼しなければ。

「――小さき命よ、大いなることわりよ。清廉なる水の加護をの者に与えたまえ!!」

 呪文詠唱。炎と熱を遮断する水のヴェールが、エルドレッドの全身を覆う。

「はい! これで炎耐性が付きました!」

「ありがとう。じゃあ、ちょっと!」

「はい?」

 リサナが目をまたたかせている間に、すでにエルドレッドは走り出していた。

 ドラゴンの注意を引くようにぶんぶんと両腕を振って、その足元で堂々と立ち止まる。

 すると当然のように、ドラゴンはその顎から《龍の息ドラゴンフレア》を解放。直撃したエルドレッドが、ボロ切れのように吹き飛んだ。

「え、エルぅ――!?」

 黒煙に包まれたエルドレッドの身体が地面に落下。

 だが転がって身についた炎を器用に消すと同時に、エルドレッドはすばやく立ち上がった。

「ぷはぁっ! こいつはすごい! これは素で食らったら死ぬかもしれないぞ!!」

「なななっ、なに喜んでるんですか!!?」

 我が目を疑いながら、リサナはあわててエルドレッドに駆け寄った。さきほど信じた仲間は全身からぷすぷすと煙を出し、髪はすこし焦げている。

 気が動転して回復魔法の呪文が出てこなかった。

「い、いまわざとあたりにいきませんでした!?」

「いやあ、ぜひ食らってみたくなって、つい」

「つい!? 頭大丈夫ですか!? 怪我の意味じゃなく!!」

「いや、だから防御魔法を頼んだんじゃないか」

「え? え?」

「さすがにそのまま食らったら死んでしまうよ。いやあ、熱い熱い」

「ああ、もうどうしてエルはそういう……」

 呆れてものも言えないリサナに、エルドレッドは力強い笑みを返した。

「でもこれで、一発は耐えられることがわかったぞ」

「そうかもしれないですけど……」

 ドラゴンは口から白煙を上げながら、ゆっくりと次の獲物を探していた。

「やられっぱなしじゃつまらない。そろそろ、反撃といこうか」

 エルドレッドは不敵に言うと、愛用の剣を構えた。

「リサナ。雷属性のエンチャントを頼む。たぶんこの剣の斬れ味だけじゃ、あの鱗に攻撃は通らない」

「はっ、はい!」

 リサナは杖を掲げ、意識を集中。呪文を詠唱する。

「――小さき命よ、大いなることわりよ。要請する。承認せよ。万雷の息吹を彼の者の刃たらしめ、ここに顕現せよ!」

 エルドレッドが握る剣の刀身が、まばゆい雷光をまとった。

 輝く剣を手に、エルドレッドは高い身体能力を生かし、ドラゴンの足元へと走る。

 ドラゴンが咆哮を上げた。

 大気が鳴動する。その余波だけでリサナは仰け反り、その場に縫い付けられる。

 向かってくる遥か小さき敵対者に、ドラゴンの暴虐の尾が薙ぎ払われる。

 だがエルドレッドは地面と尾のわずかな隙間に身体をくぐらせ、一気にドラゴンの懐に潜りこむ。

 雷光を帯びた刃の一撃。

 ドラゴンが甲高い嘶きを上げ、激しく巨体を暴れさせる。

 効いたのだろうか?

 遠目から見たリサナには、その効果のほどはわからない。

 一撃を加えたエルドレッドは、リサナの見える位置に着地。

「次、氷属性を頼む!」

「え? あっ、えっと……はいっ!」

 言われるがまま、すぐに氷属性のエンチャント魔法を詠唱。

 エルドレッドの剣が、今度は渦巻く吹雪に包まれる。

 すかさずエルドレッドが飛翔。

 ドラゴンの脇腹を一閃。反撃を受ける前に離脱し、元の位置へと戻る。

「リサナ、次は炎エンチャントだ!」

「えぇっ!? ちょ、ちょっと待ってください! いま呪文を……承認せよ。いまここに大地に眠りし命の熱を…………はい!」

 灼熱の炎をまとった剣をたずさえ、エルドレッドがふたたび一撃離脱を終える。

「光属性!」

「あわわっ……聖なる光の…………これでどうですっ!?」

「次、闇!」

「そ、それまだ習得してないです!」

「そうか! わかった!」

「あの……それで効果は!?」

「最初の雷が一番効いてたなぁ」

「これだけやらせたのに!?」

 リサナはぜえぜえと肩で息をし、キレ気味に叫んだ。

「わたし使い捨てのマジックアイテムじゃないですけど!?」

「いや、なにが効いてなにが効かないのか、試したかったから。まあ龍種って基本的に魔法が通りにくいんだけどね」

「それさきに教えてください……!!」

「だけど雷が(ちょっとだけ)効くという重要な情報がわかったぞ。よしリサナ、残りの魔力を全ツッパして雷の攻撃魔法を」

「ちょっとだけ!? じゃダメじゃないですか! いやです! わたし断固拒否します!」

「でもどれくらい効くか見てみたいし……」

「だいたい魔力使い果たしたらわたしなにもできなくなっちゃうじゃないですか! ていうかやっぱりそれが本音ですね!? エル、今日という今日は言わせてもらいまひゃぁっ!?」

 話の途中で、エルドレッドがリサナを抱いて跳んだ。

 直後、ドラゴンの前脚により地面が陥没。いったん間合いをとって着地する。

「言い争ってる場合じゃないな」

「で、ですね……」 

 巨躯に似合わない俊敏さ。広範囲の尾の攻撃。エンチャントした武器の攻撃も通さぬ強固な鱗。そしてあの《龍の息ドラゴンフレア》。

 打つ手がない。

「いったいどうしたら……」

「――こうなったら、いよいよこいつの出番か」

 ふいにエルドレッドが呟き、これまでずっと背負っていたあの長物を手にした。

 ばっ! と勢いよく布を取り払う。

 現れたのは、反り返った刀身を持つ黒銀の剣だった。

「あ、それ知ってます。カタナっていうやつですよね!」

「そうだ」

「ま、まさかそれってドラゴンに有効だったりするんですか!? もしかして、ものすごい妖刀とか!?」

「ふっ……さあ、どうだろうな」

 エルドレッドは意味深にはぐらかす。

 だがその妙に自信満々な言葉にリサナは確信する。

 まさかこの土壇場でエルドレッドが秘策を用意していたとは。どうせたいしたものじゃないと馬鹿にしていた自分をリサナは反省する。

「いってください、エル! 街を救って!」

「ああ」

 エルドレッドはカタナを手に、ドラゴンへと再度特攻した。

 甲高い金属音が連続で鳴り響く。

 ドラゴンの後方に、カタナを振り終えた姿勢のエルドレッドが着地。

 どうやらいくつもの剣撃を加えたらしいが、リサナの目では追いつかない。

 エルドレッドは痺れた手首を振った。

 攻撃は有効だが、致命傷にはほど遠い。分厚い鱗と巨躯の持つ体力により、少々の傷などものともしないのだ。

「うん、いいぞ。俺の選択は間違っていなかった。まだまだ世の中には、面白いモンスターがいるんだなぁ」

 珍しいグルメを味わうような、しみじみとした呟き。

 エルドレッドは俄然として生き生きとした笑みを浮かべ、嬉々としてドラゴンに向かって突進した。

 武芸の手本のような華麗な斬撃が次々と繰り出される。

 そこに返されるのは、荒々しいとしか表現できないドラゴンの爪と尾による猛撃。その度に大地が震え、風が走る。

 圧倒的な膂力と卓越した技巧が、奇跡的な拮抗を生んでいた。

 それは恐怖や戦慄を超え、美しさを感じるほどに鮮烈な光景だった。

 だがこれはまぎれもなく命を賭した死闘。

 リサナはひたすらに祈る一心で見守った。

 だが、結末は唐突に訪れた。

「嘘……」

 ドラゴンの爪による袈裟斬りを、エルドレッドがカタナで弾き返したとき、リサナは異音を聞いた。

 直後、回転しながら空中から落ちてきた金属片が地面に突き刺さる。

 エルドレッドのカタナが、刀身半ばでへし折れていた。

「なん、だと……」

 初めてエルドレッドが、愕然とした表情を浮かべる。

 これまで常に余裕を湛えていたエルドレッドのその反応が、状況を如実に示していた。

 敗北を、死を――リサナはそのとき初めて覚悟した。

 エルドレッドも同じだったのかもしれない。棒立ちのまま唾液のしたたる龍種の顎を見上げ、言葉を漏らした。

「昨日、武器屋の半額セールで買ったばかりなのに!」

「妖刀じゃなかったんですか!?」

 リサナは激しく突っ込んだ。

「え、そんなこと一言も言ってないけど……」

「じゃああの思わせぶりな態度は!? こんなときに買ったばっかりの武器で戦ってたんですか!? しかも半額の!?」

「だって新しい武器はすぐ使いたいじゃないか!」

「だ・か・ら、いまじゃなくても~~!!」

 涙目のリサナが地団駄を踏む。

「だけど朗報だ」

「いったいなにが!?」

「いまの斬り合いでわかったけど、あの鉄壁の鱗、稼働する部位ほど薄くなっている。たぶん喉もとあたりが一番薄い。つまり」

「つ……つまり?」

「そこを正確に攻撃できれば、鱗を砕くこともできる。致命傷を与えるチャンスもできるだろう」

「で、でもそんな芸当……」

「やってみる価値はある。リサナ、俺の脚力を強化してくれ。あと剣に雷エンチャントを。炎属性防御も頼む」

 エルドレッドは折れた刀を放り捨て、いつもの愛用の剣を持ち直す。そして全部盛りで注文をつけた。

 一撃は耐えられる。攻撃を通す手段もある。その道筋もある。

「……あの」

「心配するな。今度こそ決着をつける。これ以上暴れられると街もやばいし」

「し、信じますからねっ!」

 疑いつつも、リサナは半ばやけっぱちのような気分で杖を構えた。

「小さき命よ、大いなることわりよ。要請する。承認せよ。疾風のごとき鼓動をの者に与えよ!」

 杖が薄く発光し、エルドレッドの周囲に一陣の風が流れる。

 さらに続けて詠唱。

 剣がまばゆい雷光をまとう。さらに全身を淡い水のヴェールが取り囲む。

「いいですか! 絶対に無駄にしないでくださいよ!」

 水の鎧、雷の剣、そして疾風の脚を得たエルドレッドが、圧倒的巨龍へと対峙する。

「さて」

 エルドレッドは手元で剣をくるりと回す。

「おまえの爪と、俺の剣。どっちが鋭いんだろうか」

 ぐっ、と足元に力を溜めたエルドレッドは、どんな矢よりも速く飛び出した。

 ドラゴンが咆哮。

 大きく開かれた顎から、紅の光が連続で閃く。

 地面ごと溶解させる灼熱の噴流をぎりぎりで回避。

 第一射。第二射。

 まだ来る。

 《龍の息ドラゴンフレア》が地上を炎の海へと変える。

 エルドレッドはもう避けなかった。

 リサナがかけてくれた防御魔法に命を託し、業火の波を最短距離で抜ける。

 だがまだ遠い。狙いは首の根本。

 巨体が烈風のごとく旋回。尾の一撃が空間を薙ぎ払う。

 エルドレッドは跳躍して回避。着地と同時に疾走。ドラゴンの真下へと辿り着く。だがその瞬間にはすでに、ドラゴンが巨木のような後脚を持ち上げていた。

「エルっ!!」

 振り下ろされた足裏が石畳の地面を陥没させ、反対に周辺一帯が隆起する。

 その衝撃が、エルドレッドの身体を空中へと押し上げた。

 ドラゴンのひざを蹴りつけ、岩山のごとき巨体を駆け上がる。

「そうそう。こういうのがいいんだ」

 唾液を滴らせる顎が目の前に。

 エルドレッドは渾身の力で雷光を帯びた剣を振り抜いた。

 瞬間、ドラゴンがこれまで聞いたことのないような嘶きを上げた。

 その場で激しくのたうち回り、でたらめに振り回される尾が一帯を薙ぎ払う。

 だがその暴走は、長くは続かなかった。

 ぐらり、と唐突にドラゴンの首が傾く。

 巨躯が地面へと倒れ込み、大量の土埃を巻き起こして大地を揺らした。

 あとに残ったのは、まるで嘘のような静寂だった。



「よし、ちゃんと倒せたな。しかしでかいなー。食料にしたら何人分、何日分あるだろうなぁ」

「え、エルぅー!!」

 エルドレッドがドラゴンの鱗をぺちぺち叩いていると、リサナがあわてて駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか!?」

「ああ」

「まさか本当に倒せるなんて……。剣の一撃でトドメを刺すなんて、さすがエルですね! さすエルです!」

「いや、倒したのは俺の剣じゃないよ」

「え……?」

「こいつだ」

 そう言って、エルドレッドは剣とは別の手に持っていたそれを、リサナの前にかざした。

 それは鋭い針を持ったとあるモンスターの尾の先端。

 スティンガーの毒針だった。

「そ、それ……」

「調理したとき、ちゃんと毒は取り除いてあるって言っただろう。それにあれだけの巨体を倒すには、剣の攻撃だけじゃさすがに厳しいし」

「そ、それじゃあ……最初からそれを狙って……?」

「うん。でも、毒針を急所に刺し込むには分厚い鱗を斬り砕く必要があったし、リサナの援護のおかげだよ」

「は、はぁ……」

 褒められているのかどうかもよくわからなかった。

「でも……よくちょうど用意がありましたね」

「そりゃあ、ドラゴンがいるかもしれないって思ってたから」

「はぁ…………はいっ!?」

「ん?」

「し、知ってたんですか!?」

「いや、だからかもってだけ。でも、常に万全を期してこそ冒険者だからな」

「そ、そんな……」

 リサナは間近で横たわるドラゴンを横目に、へなへなとその場に座り込む。

「さて、後始末は冒険者協会に頼むか。ん、リサナ。どうした?」

 リサナは放心状態のまま、しばらくの間動けなかった。


 +++

 

「あなた方は英雄だ!」

「まさかたったふたりだけでドラゴンを倒してみせるとは……!」

「冒険者の鑑だな。……それに比べ、ドラゴンを目覚めさせた冒険者たちは逃亡したらしい。協会から厳しい処分が下されるだろう」

 ドラゴン討伐から一夜明け、街に戻ってきた市民や噂を聞いて集まった冒険者たちの様々な声が、エルドレッドたちの周囲で飛び交っていた。

 街の片隅に設けられた避難所でそういった声を聞くたび、リサナにもすこしずつ、自分たちがあのドラゴンを倒したという実感が湧いてくる。 

「わたしたちがドラゴンを……わたしたちが英雄……ふ、ふふ……。こ、これで上流冒険者への階段が……!」

「どうしたリサナ、ひとりでニヤけて」

「あ、エル。もうっ、こんなときにどこ行ってたんですか♪」

「ああ、街の市長に今回の報酬をせがみに」

「わー。エルってばがめついですねー」

「なんだかやけに棒読みだな……」

「それでそれで!? いくらもらえたんですか!?」

「ん、これ」

 エルドレッドは唐突に、変わった意匠の盾を差し出した。表面は金属の鱗のようなもので覆われている。

「これが……報酬?」

「いや、報奨金と倒したドラゴンの鱗から製造したドラグシールドだ。前々から欲しかったんだけど、今回のギャラ全部でなんとか手が届いた」

「ぎゃ……ギャラ全部!? じゃあ上流冒険者への階段は!?」

「階段? 家でも建てるのか?」

「そ、そんなぁ……」

 一瞬にして全身真っ白になったリサナの口から魂が抜け出る。

「それよりこの盾、なんとあの《龍の息ドラゴンフレア》を二発まで耐えられるらしいぞ。すごくないか!?」

「どうせエルはわざと食らうんだから意味あります!?」

「だから沢山食らえるというメリットが……ん、もしかして欲しいのか? それならリサナが使えばいい。はい」

「そういう意味じゃ……って重っ!? こ、これ私の体重くらいありません!? こんなのわたしが持てるわけないじゃないですか……!」

 エルドレッドは肩をすくめて盾を拾い上げると、リサナのとなりに腰を下ろした。

 うきうきした顔で新品の装備を眺める様子は、まるで幼い少年のようである。つい昨日、巨大な龍種相手に激闘を繰り広げていた人物とは思えない。

「……あの、エルドレッド」

「ん、なんだ?」

「前々から聞きたかったんですけど……。エルって、どうしてあんなに強くなれたんですか?」

「そりゃあ、強くないと戦いを楽しめないだろう」

「楽しむ……?」

「手ごわいモンスターとの戦いは、実にいいものだぞ。ドラゴンとかケルベロスとかユニコーンとか」

「それ神獣とかいうやつじゃないですか!? え、っていうかドラゴンって……」

「ああ、ほかに俺が倒したのだと、海のやつと空のやつと、首が九つあるやつとか」

「めっちゃ戦ってるじゃないですか!? え、なに? 今回が初じゃなかったんですか!?」

「最初だなんて言ってないだろう。まああれだけ大型のはひさしぶりだったけど。でもあの手の龍種に毒が有効なのは意外と知られてないんだよなぁ」

「そ、そういうところです!」

「なにが?」

「そういう奥の手があるなら、次からはもっと早く本気出してくださいね!?」

「本気って……俺はいつだって本気だよ」

「え?」

「なんたって、趣味バトルは全力でやってこそ楽しいものだからな」

 当然というようなエルドレッドの答えに、リサナは海の底よりも深いため息をついた。

「こういうところさえなければ、間違いなく一流の冒険者になれるのに……」

「それより、リサナ。昨日のダンジョンの帰り道で、せっかくだからこいつを生け捕りにしといたんだけど」

 そう言って、エルドレッドは手持ちの麻袋からぶよよんとしたなにかを取り出した。

 その手にぶら下がっていたのは、道中でリサナを恥ずかしい目に遭わせたモンスター――メルトスライムだった。

 一瞬ぽかんとしたリサナは、エルドレッドの意図に気づいて蒼白になる。

「ま、まさか……」

「うん、きっと刺激的な味がするにちがいないからな!」

 ああ神様、とリサナは生還したばかりでまた命の危機を覚悟するのだった。

 

 今日も今日とて、冒険者エルドレッド・イージスは趣味でモンスターと戦っている。


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職業、貧乏冒険者。趣味、モンスター討伐を少々。 来生直紀/ファンタジア文庫 @fantasia

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