恋とブラスと回り道 4
帰りのSHRが終わると私は素早く教室から出ていった。幸い今日は部活がない日なので、さっさと学校から出てしまえば吹奏楽部の人たちに追い回されることはないだろう。さっと自転車の鍵を解除し、自転車を引いた。
同じく逃げるようにして学校を出ようとする生徒がもう1人。千谷君が昇降口に見える。
私はとりあえず校門を出ることにした。少し入り組んだ中道があるからそちらに向かえば姿は見えなくなるだろう。千谷君は見通しのいい道路に向かっていた。クラリネットを持った人たちと確か顧問の香取先生が金網付近まで近づく。向こうからは丸見えだった。
思わず彼を追いかけて声をかけた。来たことにびっくりしたのか数秒固まっていた彼だったが、私が金網の方を指さしたことでこの事態に気付いたようだった。
息切れする千谷君を置いて自転車で走り出す。辛そうな表情をしていたが仕方がない。とにかく学校の金網越しから見えないところまで移動して千谷君を待った。
「よくわかったね」
「見られると厄介だから」
なるべく囁くようには言ったが、意外と大声になってしまったかもしれない。とにかく学校の外まで追い回されてはたまらない。ああ、もっと堂々と歩いていられる生活がしたい。
「まあ、さすがに本来の活動も大事だから放課後は追いかけまわしたりしないと思うけど、あれじゃちょっとね。2,3年生のほとんどはこのことを知らないっぽいから不審がると思うし」
「そうなの?」
そういえば同級生しかあの場にはいなかったと記憶している。なるほど、1年生だけでやっているのか。
「でも休み時間ごとに来られたら大変だね」
「いや、朝と昼休みだけだからその時間だけ雲隠れできればいいんだよ。10分休みは他の人たちの目もあるし、そもそも時間があまりないからそこまで躍起になるほどじゃないみたい。電話はしてくるけど」
電話? そっちのほうが大変じゃないだろうか。
「嫌にならない?」
「そりゃあね。親とも話すから。うちの親はやりたいことをやればいい、とは言ってくれる。折角続けたのにもったいないって言葉も出るけれどね」
親御さんとしても思うことはあるだろう。それに、下心で化学部に入ると聞いても、どうなのだか。
「やっぱり一菜ちゃんと話している時が一番楽しいよ。心が楽になる」
「そう?」
「もうちょっと一緒に帰ろうか」
成り行き上そうなる。課題くらいしか用事もないし、まあいいか。
「千谷君は電車通学?」
「そう。一菜ちゃんちはどのあたり?」
「駅までは一緒に行けるよ」
「そっか、よかった」
千谷君は胸をなでおろしていた。私は自転車を引いて彼のペースに合わせることにした。学校内では話をしづらいことを考えると、むしろラッキーかもしれない。
「あのさ、千谷君」
「ん?」
「どうして化学部に入ろうと思ったの?」
千谷君はちょっと考えて、面白そうだから、と答えた。
「一菜ちゃんは?」
「私もそんなところ。こんなにすごいものが見られるんだって、すごく感動したの」
「分かる。オレもトランペットを始めたのはそんな感じだったな」
千谷君はちょっと遠い目をしていた。
「でも、ちゃんと聞いてみたいな。千谷君の演奏」
「今はダメなんだよ。どれだけやってみてもできない」
「え?」
そのまま沈黙が続いた。自転車のタイヤが回る音と遠くで車が走る音が聞こえる。なんか変なこと聞いちゃったかな。
「ごめんね」
「一菜ちゃんが謝ることじゃないよ。オレ自身の問題だから」
千谷君は目を逸らした。
「そうだ、ここのところ吹奏楽部が迷惑かけっぱなしだから、お詫びさせてよ」
ここで? とはてなマークが頭に浮かぶ私をよそに、彼は自販機へ駆け寄っていく。ポケットの中をごそごそと漁り、握りしめたものを左手に乗せて150円を自販機に投入した。
「何がいい?」
無邪気な顔で聞くので、私はミルクティーを選んだ。ガコンという音がしてペットボトルが落ちる。千谷君は残ったお札と小銭をポケットにしまう。自販機からミルクティーを取り出して渡すと、お釣りを取り出してポケットにしまった。
「財布持ってないんかい!」
突っ込むと彼はびくっと体を縮こませる。
「財布って必要? 親父も持っていないけど」
「高校生にもなって全財産ポケットに突っ込む気? 穴空いたらどうすんの? ものを落としたことない? ねえ、最悪人が死ぬよ?」
「それは、おおげさじゃないかな?」
冷や汗をかいている千谷君のただでさえ白い顔が青ざめていく。以前ある人がポケットからとんでもないものを落としたことが発端となって死にかけたことがあるのだが、それはまた別の話。
「とにかく、お金は財布に入れたほうがいいよ。持ってないの?」
「いつもポケットで事足りたしね。それこそ千円以上持ち歩いたことなかったから」
「もう! ねえ、次の土日って空いてるよね?」
「そうだね。吹奏楽部は退部したんだから」
「じゃあ土曜日、一緒に財布買いに行こう。それこそ買い出しに行くのにそれじゃ困る」
「ああ、うん」
私たちは手早く待ち合わせ場所と時間を決めてしまうと、一気飲みしたミルクティーのペットボトルを近くにあったゴミ箱に放り込んだ。駅に着くまでに折り畳みか長財布かとか予算がどうとかずっとそんな話をしていた。
これってデートじゃんと気づいたのは布団に潜り込む直前になってからだった。
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