コンクリート・ブラックボックス 3
放課後になって今日は自分たちの実験データを打ち込んでいく作業に取り掛かった。わたしたちは実証実験を3回行ったので、まずこの結果をまとめることになる。そうすれば文化祭でもポスターを作って発表できる。
さらに、活動停止中にあまり使っていない器具などを処分してしまったということを聞かされた私たちは、交代でデータを打ち込む作業と必要な器具を確認する作業に入った。実験器具の方は2人で確認したけれど、使う器具はちゃんと確保していたから実験には支障はないと判断した。処分したという金網や試験管ばさみは使っていなかったしね。
「どう? 部室棟の件はめどが立った?」
小木曽先輩が聞いてくる。彼ら2年生班も実験は終わったらしく私たちの方にやってきた。昼休みまでの結果に、私なりの感想を加えて話した。
「確かにいろいろなスプレーや防虫剤なんかが混ざった空気を吸っていたら気分は悪くなるとは思うんです。でも、今になってみるとそれだけなのかなって思って」
「ほう?」
倫太郎が横目で私を見る。倫太郎には少し言いづらいけれど、思い切って話してみることにした。
「まず、体調が悪くなるほどスプレーが使われたのか。そこまで使われているんだったら自分たちで気付くんじゃないかなって」
「スプレーは原則使用禁止ということなら、
「それから、部室棟以外、日常生活を送っていても起こることじゃないかなって。
化学部での実験は一応置いておくにしても、私たちも普通に生活していて芳香剤や消臭剤は使うでしょ。それでも私たちに分かるほどの健康被害は起きていないし」
「そういえばそうだね。家庭用洗剤とか入浴剤とか、薬品と呼べそうなものに囲まれて暮らしているわけだし」
炭谷先輩の相づちを聞いて続ける。
「そして最後に、どの部もスプレーを使っているかと言われればそうじゃないよね。掃除や換気の行き届き方もバラバラなのに、なぜどの部にも体調不良者が出るの?」
「まあ、あくまであれは可能性の1つだからな。それを言ってはきりがない」
倫太郎はパソコンの画面に目を落とした。
「昼休みなんかは別の部の友達を招き入れて過ごすこともなくはないだろうが、基本的に部外者は中に入らないだろうし」
小木曽先輩がつぶやく。
「シックハウス症候群について?」
圭希先輩も近づいてくる。井生先輩が「おいおい」とついてきた。
「時間もないんだぞ」
「本当は基礎実験の日でしょ。その分と思えばいいんじゃない?」
井生先輩がうぐっと言葉を詰まらせた。
圭希先輩の言うように本来は今日は基礎実験の日。みんなが同じ実験を行って基礎的な知識や実験技術を身につける日なんだ。でも、遅れを取り戻すために、今週は延期になった。それだけじゃなく、いつもは週4日しかないのに、顧問の
「まずシックハウス症候群の定義としては、住宅建材等から発生する揮発性の化学物質が原因で目やのどの痛み、頭痛、めまい、アトピーなどの化学物質過敏症のような症状が出ること」
倫太郎が唱える。
「具体的な原因は建材の壁紙や合板に使用される接着剤。これにホルムアルデヒドなどの有機溶剤が含まれているから」
炭谷先輩が言う。
「家具なんかにもそういった物質が使われているものもあるぞ」
井生先輩が付け加える。なんだ、ノリノリじゃないですか。
「気密性に優れた中で換気を怠ると化学物質が蓄積しやすくなる、でしたよね」
二渡先輩が長い髪を耳にかけて体を乗り出させた。
「部室棟で具合が悪くなったのは気密性に優れた部室棟の中でスプレーや防虫剤を使ったために化学物質が部屋の中に溜まって、それを吸い込んだりしたからってことですよね」
「でもさっき水野さんが言った通りそれだけが原因とは考えにくい」
私と小木曽先輩が言うと、そこでみんな黙り込んでしまった。
「シックハウスってさ、カビが原因でなることもあるんだよね」
圭希先輩がつぶやいた。みんなが一斉に彼女の方を見る。
「カビの胞子を吸い込んだり、カビが放出する毒素なんかで喘息みたいな症状を引き起こす人もいるよ。ほら、部室棟って汗とか湿気を吸い込んでるのかかび臭い時もあるし」
へえ、そんなこともあるんだ。
「もしかして、陸上部やめたのってあなただったんですか。後根先輩」
いつの間にか宝井先輩が戸口の前に現れた。
「どうしてここに?」
「進捗状況を確認したいからね。ついでに部室棟を使っている部の中で過去に体調を崩して部活を辞めた可能性のある生徒を探し回っていたら、今は化学部にいる後根さんのことも耳に入ってね」
立ち聞きしてたのか。悪びれもせず言った。
「私の場合は違うと思うよ」
「退部の理由がはっきりしないのでね。病気だからなんて噂も飛び交っているそうですが」
後根先輩は唇をかんだ。
「後根先輩って元陸上部だったんですか」
事情を知っていそうな井生先輩に聞く。この場では彼が圭希先輩の唯一の同級生だ。
「そうだったらしいな。俺が一年の時の冬休み前に滑り込むように入部してきたのは覚えてる」
へえ、そうだったんだ。
って今はそれは置いとくにしても。
圭希先輩は鷹のように鋭い目つきで宝井先輩を睨んでいた。
「いいじゃないですか。先輩が違うって言っているんですし」
険悪な雰囲気が続くだけに違いない。早く宝井先輩を追い返したかった。
「化学部にいられるんだから、化学物質過敏症ではないんじゃないの」
二渡先輩が椅子から立ち上がる。
「2年間も化学実験を行ってきて体調不良などは出ていないのだし」
二渡先輩の話を聞いて、宝井先輩は苦い顔をしながらも「じゃあ光本と水野、後でよろしく」と帰ってしまった。
「ごめんね。気を遣わせて」
「私は、追い返したほうがいいと思ったから、それだけです」
圭希先輩と二渡先輩のやり取りから静寂の間が破られる。
「そういえば水野さん、昨日もだけど宝井と知り合いなの?」
「同じ中学校ですから」
ついでに言うと、彼女は中学校でも生徒会長やってました。
倫太郎はそんな話に目もくれず、戸の方を見ていた。ちらりと見ると、ひょっこりと前佛さんが顔を出した。
「どうしたの?」
「べ、別に、心配とかじゃないからな。ええと、その、監視だよ監視! 宝井がなんかやらかしてたからさあ!」
耳まで真っ赤にしている彼女を無下にするわけにはいかない。彼女も話の輪に招き入れた。
部室棟に関係のある件だけを話すと、腕を組んでふんふんと話を聞いていた。
「なるほど、結構いろんな可能性があるんだな。それでも建て替えをしない理由にはならないと思うが」
「前佛の言う通り、部室棟を使う生徒側に問題がないわけでもないが、築年数から考えても必要だろう」
倫太郎が言ったのを皮切りにまたもや沈黙。またもや暗い雰囲気になりそうなので、私が口を開いた。
「もしかして建て替えるとなんか問題があるとか?」
「例えば何だ?」
前佛さんに突っ込まれて頭をフル回転させる。えっと、お金がないってことならPTAが何か対策を考えるだろうし。建て替えると問題があること、例えば……。
「事故物件だってわかっちゃうとか? 解体したら中の構造も見えちゃうわけだし」
その話をすると、倫太郎の目つきが変わった。
「そうか、もしや――」
「クロに聞けばいいんじゃね?」
前佛さんが倫太郎の言葉を遮る。
「クロロに?」
「新しいパパが建築関係の仕事をしているんだよ」
なるほど、プロに聞くのが手っ取り早いかも。
すぐに連絡を取ると、了解のメッセージが送られてきた。
「後はクロの返事を待ってみよう」
前佛さんの言葉もあって、今日はこれで化学部も解散になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます