コンクリート・ブラックボックス 2

 翌日、お弁当もそこそこに昼休みに集合させられた。クロロ、本名塩崎しおざき若菜わかなには泣く泣く事情を説明したのだ。何せ宝井先輩が教室まで来て「おっ、元ハードル走エースの黒尾くろおちゃんじゃないか」なんてクロロに声をかけ始めるものだから、前佛さんがそれに怒ったのだ。聞くところによると、前佛さんはクロロと同じ中学校の陸上部にいて、クロロが陸上部を辞めざるを得ない状況だったのを間近で見てきたのだと言う。ついでに私たちは旧姓の時のニックネームで呼んでいるけれど、事情を知らない人間から旧姓で呼ばれるのはどうなんでしょうね、と軽く釘を刺しておいた。

 宝井先輩が私、倫太郎、前佛さん、軽部君の点呼をとる。

「よし、全員揃ったな」

「何で僕まで」

 軽部君のつぶやきに宝井先輩はつべこべ言うな、とヘルメットとマスクを差し出す。支給されたヘルメットにはマジックで山岳部と書かれていた。荷物を運び出したときに空き部屋に転がっているのを見つけたらしい。

「よし、準備はいいな? こうして男女2人ずついるから男子の部室と女子の部室で手分けできる。軽部は男子の方、ホタルは女子の方を案内しろ。鍵はこれだ」

 宝井先輩は鍵を放り投げると、しっしっと追い払う。前佛さんが宝井先輩にとびかかろうとしていたので、何とか羽交い締めにした。

「男女一緒に使う部はどうするんだよ」

 暴れるのをやめて頬を膨らませ始めた前佛さんが言う。

「男女で分かれているのが陸上部、テニス部、卓球部、バスケ部、バレー部、バドミントン部、空手部、弓道部。女子しかいないのが茶華道部。男子しかいないのがサッカー部、野球部。男女混合で使っているのが演劇部、文芸部、写真部だったよ」

 軽部君が教えてくれる。前佛さんの押さえつけを解いた私が答えた。

「なら男女で分けてあるところはそれぞれ男女、それに加えて男子班はサッカー、野球、写真、女子班は茶華道、演劇、文芸にしようか」

「演劇部、文芸部、写真部の判定は?」

 倫太郎が聞く。

「演劇部は女子の着替え場所になると思うから女子が見に行ったほうがいいかなって。文芸、写真は何となく」

「俺もそれでいいと思う。写真部がどういった活動を行っているのかわからんが、現像もあそこで行っているとなると多少薬品の知識が必要だろう」

「そういえば写真部は薬品に漬けて写真を現像することもあるとか言っていたな」

 倫太郎と宝井先輩のやりとりに、軽部君と前佛さんは首をかしげる。写真部ともなるとやっぱりスマホでパシャリじゃないんだろうな。ということは結構本格的な機材も使っているんだろうか。

 後で調べたところ、写真のフィルムにはハロゲン化銀が塗られていて、撮影後、現像薬というハロゲン化銀を還元させる薬品で処理することで写真を現像することができるらしい。宝井先輩の話が本当ならフィルムカメラを使っている人がいるのだろう。

「場所もだいたいしかわからないから、僕もそれでいいよ」と軽部君が言ってくれたので、このプランで行くことになった。

 まず一番奥の茶華道部から行く。活動自体は校舎内の和室で行っているといっていた。ここはすぐには使わない華道の道具や文化祭で着る浴衣などをしまっているらしい。

「何となく防虫剤の匂いがするね」

「うん」

 部屋は5畳くらいのスペース。天井には蛍光灯が1組。リノリウムの床で白くて無機質な壁紙が貼られている。スライド式の窓が一つあるが、カーテンレールからはカーテンがはがされ、すぐそばの住宅街が一望できた。すぐ手前が墓地だし、高い建物があまりないため見晴らしはいい。他には所せましと箪笥や棚が置いてあった。生徒だけで運べないものは後で業者を呼ぶらしい。これから壺なんかも運ばなければならないとなると、相当大変だろうな。

 めぼしいものはなかったので隣のバレー部へ。間取りは同じだがここはもわっとする空気が漂っていた。

「暑いしむわっとするね」

「部室なんてこんなものだろ」

 運び出し始めたのが昨日ということもあってか、あまり片付いてはいない。シューズは一応棚に収まっているものの、私物らしき雑誌やタオルが転がっている。部屋の隅には虫よけスプレーが肩身狭そうに置かれていた。特徴的なことはないため、次々と部屋を調べていった。どこもかしこも暑くて似たような匂いがする。慣れてきたのかあまり気にならなくなってきた。どの部室も整理されているかは置いておいても、そんなに気になるところはなかった。ちょっと気になったのが文芸部。最初に来たのはインクの香り。埃っぽい感じはしなかった。

 私たちが最後の演劇部の部室から出てくると同時に、倫太郎が隣のサッカー部から出てきた。

「どうした?」

 倫太郎が壁をコンコン叩く。

「そんなに分厚い壁ではないな」

「でも意外と寒くないんだって」

 軽部君が言った。お兄ちゃんもサッカー部に入っているので知っているんだろう。

「そうだな。あんまり隣の部屋の音も気にならんし」

 前佛さんが言う。

 4人集合して得られた結論は、特に変わったところがない、というものだった。

「写真部も特に薬品をぶちまけたような跡は残っていなかったしな」

「うん。埃っぽいところもあれば結構きれいに使っていたところもあるみたいだし」

 私たちの感想もそんなところだった。特別汚れているところもなければ、掃除も行き届いているところの方が多く、一概にこれが原因、とは言い難かった。

「ったく、せっかく現場検証の時間を作ったのに」

 宝井先輩がため息をついた。昼休み返上させたのはあなただよ。

「まったく。こっちだって運動部の着替え場所や荷物置き場の検討、それから家具などの大型の備品の移動を業者へ手配などやらなきゃいけないことがたくさんあるのに」

「更衣室ではダメなんですか」

「しばらくはそうするしかないだろうけれど」

 倫太郎の発言に全く男子は、と宝井先輩はため息をついた。

「ただ活動場所から遠すぎる。そして厄介なのが部室を倉庫代わりに使っていた部だ。茶華道部の備品は和室に置いておけば誰も文句は言わないと思う。だが文芸部の部誌や演劇部の小道具、衣装はとりあえず授業では使わない空き教室に移すことにしたが元々スペースもなく、量から考えると足りないのだよ。だから一部は個人宅へ持ち帰ってもらった。私物でもないものも含めてな。どの部も私物はもちろんすぐに使わないものは個人宅に持ち帰るよう言ってあるがな」

 そりゃあ、あれだけ運んでいたってことは相当物が置いてあったってことだよね。

「うえっ。マジか。あの狭い中で着替えるのかよ。大丈夫なのか」

 前佛さんは頭を抱えた。

「まあ、スプレー組は考えてもらわにゃいけないところもあるな。トイレで着替えたら大迷惑だ」

 宝井先輩の一言に、倫太郎は目ざとく指摘した。

「スプレー?」

「ああ。制汗剤だ。本当は持ち込みご遠慮だが持ってきている奴もいる。体育の前後に使うのはさすがに暗黙の了解で禁止されているから部室内で使うしかあるまい。後はトイレだろうな」

「……なるほど、原因はそれか」

 倫太郎は自分だけ納得していた。

「どういうこと?」

「同じ建物を使っていて体調不良者が出るとなれば、真っ先に疑われるのはシックハウス症候群だろう」

 シックハウス症候群。確か建物から発生する化学物質によって病気やアレルギーを発症するんだよね。

「でも原因は壁紙とか建材じゃなかったけ? 何年も使っていてそんなこと起こるの?」

「スプレーの中身はいわゆる化学物質だろ。当然それらやその化合した物質によっても引き起こされる。それに換気や清掃などを怠ることでそういった症状が出ることもある」

 え? そうなの?

 倫太郎のほかに宝井先輩だけは「化学の応用技術を使って人工的に作られた物質だもんな」と答えた。

「男子の部室は少ないだろうが、女子なら可能性はあるだろう。1人が使うだけでも結構な量の物質が室内に滞留するというのに何人も使えばその分溜まっていく。ろくに換気もしていないだろうしな」

「そっか。虫よけや日焼け止めみたいにいろんなスプレーがあるもんね。それが全部混ざったら確かに気分は悪くなるよ」

 倫太郎と軽部君はいまさらのように納得していた。

「換気扇もついてないし窓も開けないだろうからな」

 前佛さんも頷く。

 スプレータイプとなるとどうしても空気中に飛散するだろう。しかも窓を開ければ外から丸見え、換気扇もないともなると換気も充分に行われていない。

「男子の方も虫よけくらいは使っているだろうし、掃除がおろそかになっていればカビやダニが発生してシックハウス症候群が起きる可能性もある。すぐに室内でのスプレー使用を辞めさせる必要がありますね。それから掃除をさせないと」

 倫太郎は宝井先輩の方を見る。

「何とか通達してみるよ。ヘルメットを例の空き教室に片付けて解散だ」

 宝井先輩は行ってしまう。「取ってきた奴が返せ!」と前佛さんが叫ぶ声が響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る