青酸カリのメッセージ 9

 化学講義室に人がいないことを確かめ、化学研究室に飛び込む。

「何企んでる!」

 白衣にゴム手袋に保護メガネにマスクといった揃えられるだけの装備の倫太郎に声をかける。

「ちょうどいい。水野も手伝え」

 倫太郎に装備セットを渡される。

「実験室に忍び込む気でしょ!」

「塩崎のサプリメント、気になるんだろ?」

 保護メガネにマスクでも口元が緩んでいるのが分かる。こう言えば協力すると彼にはお見通しなのだ。

 井生先輩が実験をしようとした机。あの日の7限で使っていたのは、海野亜香子、藍容子、けいさんまたは蛍ちゃんこと前佛まえふつけい、そして、塩崎若菜なのだから。

 無言で装備セットを受け取る。

「新聞紙とピンセット、それからシャーレを3個くらい用意しろ。そのあとは合図を送るまで好きなだけサプリメントを探せ」

 倫太郎の指示にしぶしぶ頷く。髪をまとめてすべてのものを身に着けると、化学準備室を抜けて化学実験室に入った。

 まず指示通りのものを準備室に揃えると、試験管立て置き場から順に見ていく。見ればすぐにわかるだろう。一通り終えると、今度は床をチェックしていく。

 どうやって鍵を手に入れたのか、そもそもなぜ先生方はいないのかなど疑問はあるものの、今はきっちり調べる。こんなことができるのは今しかない。

 隅まで探しても見つからず、あきらめて準備室に戻った。鍵をかけたことを確認すると、倫太郎の様子をうかがった。広げた新聞紙の上でピンセットを使いゴミを漁っている。

「何してんの」

「先輩方の実験や7限の実験でシアン化水素は発生しまい。井生さんがやったのでなければ、あの日シアン化水素が発生する可能性としてあり得るとしたら、ゴミ箱の中で何らかの化学反応が起きたとしか思えないんだよ」

「他は? 廃液とか水道とか」

「高校の授業でやる中和実験じゃ廃液入れなんか使わない。現に実験後水溶液は水道に流しただろう? じゃあその水道はっていうと、可能性は低い。シアン化水素は水に溶けやすいんだ。気化なんてしないさ」

 だから倫太郎はゴミ箱を漁り、原因となるものを特定しようとしている。

「チャック付きの袋ってのはこれか?」

 倫太郎がピンセットで持ち上げた。ボロボロだったので中の粉がポロポロこぼれていく。

「水野。シャーレをこっちに」

 並べたシャーレを渡す。中身の一部をシャーレに空けた。再びゴミを物色する。

「あとめぼしいものはないな」

「雑巾を捨てたらしいけど」

「雑巾?」

 倫太郎がピンセットでつまみ上げる。まあまあ使い古されている。

「何で雑巾を捨てたか聞いているか?」

「ボロいしきたないからって」

「言うほどボロくてきたないか?」

 いや、現役の雑巾のほうが汚いかもしれない。前佛さんの感覚では汚いのかもしれないけれど。いや、もっとボロくて汚い雑巾があの机にはかかっていたはずだ。井生先輩の実験にはそんな雑巾が用意されていたのだから。

「何で捨てちゃたんだろう」

「そうだな。この程度ならもったいないな。曰くつきというなら話は別だが」

「曰くつきって? 例えば?」

「そうだな、割れたガラス器具を包んだとかなら捨ててしまったほうがいい。破片が残っていたりしたら危ないだろう?」

 曰く付き、で海野さんの言葉を思い出した。

「あっ、この雑巾で塩酸を拭いたんだよ」

「そうなのか?」

「雑巾を捨てたのは前佛さんなんだって。実験の時って言っていたし多分こぼした塩酸を拭いた雑巾だと思う」

「確かに塩酸は揮発するな。塩酸、か……。水野、駒込ピペットと試験管を用意しろ」

 手袋を外すと倫太郎は鍵を物色し始めた。しぶしぶ準備室で乾かしていた試験管を試験管立てごと手に取り、バットにあった駒込ピペットを差しておく。

 倫太郎が授業用の塩酸を持って薬品庫から出てきた。濃度も純度もそこそこに薄めてあるもの。

「再現実験だ」

 さっきの粉が入ったシャーレを流しに置いて窓を開ける。再現なんて、と冷や冷やしながら倫太郎に倣ってマスクと手袋を外して、流しにかかった板に器具を寄せる。

「塩崎さん、だね」

 戸口の方で誰かが話しかける声がした。クロロと白川先生が向き合っている。

「光本君、一菜……」

 彼女はばつが悪そうに私たちを交互に見る。

「ちょうどいい。あんたにも体験してもらおうか」

 白川先生は黙ってクロロを見つめる。クロロは黙ってこちらに歩み寄った。

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