青酸カリのメッセージ

青酸カリのメッセージ 1

 化学実験室を出た途端、どっと疲れが押し寄せてきた。

「ああ。疲れた。6,7限寝る」

 教科書やノートを持った腕をだらりと垂らす。隣を歩いていたクロロはつやつやした髪をなびかせた。

「あら、いいのかしら? 授業態度にうるさい英語と体育だというのに?」

「ひえーん」

 クロロに抱き着くと、すごく上品な香りがした。クロロこと塩崎しおざき若菜わかなはいつでも余裕たっぷりに、私の話を聞いてくれる。

「まあ、一菜かずなの班は全部一菜におんぶに抱っこ。それじゃあ4人分の仕事をしたも同然ね。そこは労ってあげるわ」

 そのまま彼女はよしよしと頭を撫でる。ついでに実験中にはまとめていた髪もとかしてくれた。そそくさと逃げるように周りの生徒たちが流れていく。心なしか周りの視線が厳しくなったように感じたけれど気にしない。もちもちした肌に撫でてもらうほうが100倍関心がある。元はと言えば、一菜ちゃんはカガクブだもんね、と実験をすべて丸投げしてきたからこうなったのだ。

 確かに、私、水野みずの一菜は化学部員である。それゆえさぞかし理科が好き、あるいは得意なんだろうと思うかもしれない。でもちょっと待ってほしい。どの部活にだって下手の横好きもいるし、モテるとか楽だからとか本質から逸れた理由で入部を決める人も結構多いだろう。現に私がそうである。好きなものは強いて言うなら発光とか蛍光のように綺麗なもの、理科の成績は入試を突破するので精一杯。要するに他の人と理科に対するポテンシャルはさほど変わらない。だけれど実験はやれば楽しいし、部活は楽しい。ただそれだけ。ただ、実際化学部には1年生でも興味関心、知識、実験の技術に秀でている、つまり成績がオール5とか10とかAみたいな人間はいる。

 そう、目の前に現れた奴のように……。

「ふん、授業で行われる実験は大概のものは基本的に1人、必要でも2人いればできる。

 ただ、今回の実験は質量の測定と温度計の使い方の練習も兼ねている。その残りの3人の練習の機会を奪ってしまっただけに過ぎないがね」

「まあレポートさえ真面目に書いていれば成績は取れるものね。後はテストまでに定着しているかどうか」

「こうなるのも日本の理科教育において1人1人に実験をさせるには予算と授業時数が足りないからだ。どっちにしろ中等教育で実験を行わない国よりも意識が低いのだけれど」

「へえ。なら貴重な機会なのね」

「君らの班のように塩酸をこぼしてしまうような危険もあるわけだけれど」

 彼はクロロの返答が終わると、話を終えた、と言いたげにすぐにそっぽを向いた。

 いや、私を間に挟んでクロロと議論しないでよ。どんな顔して聞いてればいいの。

「今初めてしゃべったけど、ちゃんと会話できるのね。一菜も相当苦労していると思ったけれど」

「実際苦労は多いけどね……」

 はあ、とため息をつく。クロロですらこうなのだから、他のクラスメイトはもっと関わりづらいと感じるかもしれない。

 あろうことか同じクラスだった唯一の同級生部員、光本こうもと倫太郎りんたろうは、いつもああなのである。その代償のためか、何回か彼の頭脳に助けられたこともある。一応同じ実験班なのだから親しみを込めて下の名前で呼ぶことから始めてみた。まあ、そのほうが呼びやすいしね。

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