水銀の輝き 3
私たち2人はグラウンドまで出てきた。まだ日が落ちていないので明るい時間ではあるのだが、グラウンドに人気はなかった。
「ちょっと待って。何でこんなところへ?」
「蛍光灯を持って行ったのが軽部である可能性が非常に高いからだ」
「何で?」
「普通に蛍光灯が欲しけりゃ階段下から持ってくほうが早いじゃないか。なぜわざわざ遠い化学研究室から持って行った?」
「備品の場所を知らなかったのかもしれないし」
「それなら先生に聞けばいいだろう。学校の敷地内にある蛍光灯を換えたいのならそのくらいの要求は通るだろう」
いわれてみればそうだ。新品か使用済みかわからない蛍光灯を持ち出す必要は全くない。
「化学研究室に来た時に蛍光灯が切れたことを思い出して――」
言ってみてそれはないことに気付いた。教室は新年度で蛍光灯を換えた。チェック漏れはないとは言い切れないが蛍光灯が欲しければ言えばいい。
「それとおかしな点がもう一つ。なぜゴミ置き場から切れた蛍光灯が無くなっているのか。この2つが同時に起こっているんだ。切れた蛍光灯をかき集めている人間がいるってほうが筋が通るだろう」
「それが軽部君っていう証拠は?」
「箱に入った状態の蛍光灯なら、普通取り出して使用済みかどうかくらい確認するだろう。それをしなかったのは状態を知っていたから。おそらく今回は使用済みだとして持って行ったとすると、昨日化学実験室の蛍光灯を換えたことを知っている人間。君はゴミ捨て場の位置を知らなかったからシロ。もちろん白川先生は未使用品だと知っていたのでシロだ。となると蛍光灯を持って行ったのは先輩たち5人、そして軽部の6人の中にいることになる。そして今日の話で先輩たち5人はシロだとわかった。残るは軽部ただ1人だよ」
すっきりと整頓された化学実験室。隅から隅まで、蛍光灯を隠せそうな隙間がないか確認するために1つ1つ潰すようにあちこち開けさせたのだ。化学準備室や薬品庫には鍵がなければ入れない。化学講義室にもなかった。つまり、部活で使うスペースには隠しておけないということだ。
「化学研究室は?」
「あんな雪崩が起きそうな場所には隠せない」
「教室とかは?」
「どこにそんなスペースがあるんだ」
そう考えてみると、先輩たち5人には誰にも見つからずに蛍光灯を隠しておけるだけの場所というのはなさそうだ。逆に部室はうってつけといえそう。化学部は部室は持っていないし、先輩たち5人は兼部していないので、ほかに使えそうな場所はない。
「軽部君はゴミとして捨てられる蛍光灯の場所を知っていたの?」
「兄がこの学校にいるってなら知っていても不思議はない。軽部本人が物置にあったほうの蛍光灯を持って行ったとは断定できないが、切れた蛍光灯を集める集団が2つも3つもあったとは思えない。物置の鍵の在処は知っているだろう。いずれにせよサッカー部に事情を聴けばいい。サッカー部がその集団でないにせよ、軽部の居場所を知っているかもしれない」
サッカー部の部室の前についた時には、既に明かりがついている。光本は乱暴に戸を叩くと、返事も聞かぬままドアを開けた。
「誰だよ」
サッカー部の人たちがそろってこちらを見る。道場破りさながらの登場に、部員たちはあっけにとられていた。
「1年の軽部って生徒知りませんか」
部員たちはパクパクとただ口を動かしている。
「君が持って行ったのは未使用の蛍光灯だ、と伝えて」
その一言で中がざわめいた。
「何で使ったもんが欲しいんだよ」
「待て、まさかあれに使うんじゃ……」
部員たちが目を合わせる。
「あるとすればここだ。探せ」
その一言でサッカー部の人たちが一斉に探し出す。一応貧相な照明はついている。埃にまみれながらも必死に探してくれたので、すぐに10本ほどの蛍光灯が見つかった。うち1本は未使用だ。
「危ねえ!」
「命拾いしたわ」
「何が秘密だ」
「あいつに任せたのが間違いだわ」
「あの、いったい何に使われる予定で?」
その場にいた全員が一斉にため息をついた。
「1年生歓迎会」
「は?」
「電流流して罰ゲームかなんかでビリビリやるんだろ?」
ガタイはいい男子たちが揃いも揃って震えている。一応そういう使い方もできるのか。
「こんなには要らんだろ」
光本が言い捨てた。
「光本君、水野さん」
声をかけられると、後ろには軽部君が立っていた。
「軽部君?」
「何のために集めていたんだ?」
軽部君は一歩後ずさった。
「新入生歓迎会で、度胸試しをやるから蛍光灯を集めて来いって兄ちゃんに言われたんだけど、そんなことで新品なんか持っていけない。だから、捨てられているものをかき集めていたんだ」
「具体的にはどんな?」
「割るって言ってた。動画見てあこがれてて、みんなに内緒にしてまでやってみたかったらしいんだ」
サッカー部の人たちはへなへなと腰を落とした。
「割るて」
「なんやそれ」
そしてケラケラと笑い声が始まった。
「水野、全部回収するぞ」
「そうだね」
そんなくだらないことのために命の危険をさらさせられない。私たち2人で蛍光灯を脇に抱える。
「でも、夢をかなえてあげるのが間違ってるのか、分からなくなっちゃった」
周りがしんと静まる。
「軽部、お前の兄貴に伝えておけ。蛍光灯には水銀蒸気が入っている。これだけの数を割ったら水銀中毒者が出てもおかしくない。当然ガラスが飛び散る危険もある。夢なんて甘い言葉に流されるな」
サッカー部の人たちはぽかんと口を開けている。そのまま立ち去る光本に、私はただただついていった。
「だから、僕は化学部には入らない」
軽部君は囁くくらいの声で言った。
立ち止まったかのように見えた光本は、いつの間にか歩き出している。
ただでさえ小さい軽部君の背中がますます小さく見える。
光本の言っていることはきっと正しい。だけど。
「言い方、きつすぎたんじゃない? しかも軽部君自身は悪くない」
光本は足を停めた。
「道具ってのは、使い方を間違えば凶器になるんだ」
「それは言葉もでしょ」
光本が足を止める。たったたったと変な足取りで逆戻りしていった。
空にはもう星が出始めている。
きれいだな。
昔の人は星空を使って夜でも自分の場所を特定していた。私には北極星も北斗七星もどこにあるのかわからない。あの赤い星が、一番星だとも言い切れない。
「何してんだ」
光本に呼ばれて我に返る。
「何でもない。研究テーマ何にしようっかなって」
「天体観測なら地学部だぞ」
「わかってるよ」
空を眺めているのは知ってたのか。重い蛍光灯を抱えて大股で歩き出す。
「蛍光っていうのは光ルミネセンスの一種で、物質が光エネルギーを吸収した時基底状態にあった分子が励起されて、元の安定な基底状態に戻るときに受け入れたエネルギーを光として放出する現象だ。蛍光灯もこれを利用しているし、新入生歓迎会で行われた実験もこの現象を利用したものだ」
思わず足を止めて彼の方を向く。言っていることは全然わからないけど。
「光そのものや発光現象についての研究は物理分野だし、恒星は地学分野、生物分野では生物発光がある。
その中でも、化学反応によって起こる化学発光は化学分野だ。代表的なものは黄リンの発光やルミノール反応。
もしもそういうのに興味があるなら、テーマとして検討してみないか」
光本はこちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
ブラックライトに当てられた蛍光。あれはどんな物質を使っていたんだっけ。
「うん。まずは調べてみる」
私は蛍光灯を抱え込んだ。
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