第2話 綱吉公の誤算2



 今は昔、江戸・元禄のころに5代将軍徳川綱吉がおりました。幼いころから発育は悪く身長も120センチちょっと。でも勉学は優秀で当時の儒学を広く学び、将軍になってからは自ら講義を行って家臣の教育にも努めあげました。当時の武士にはまだ戦国の気風が残っており武芸を得意とする荒くれ者も多かったのですが、綱吉は文武の文に重きを置いて戦のない世にするために勉学を奨励したわけですな。そのために江戸の湯島に湯島聖堂という学校を設置し教育にも力を注ぎました。この最初のころは「天和の治」として後世、8代将軍吉宗も此れを称え見習ったといいます。庶民の間にも平和な社会ができ、井原西鶴や近松門左衛門、松尾芭蕉など文化人も活躍する元禄文化が広まりました。

 しかし綱吉の跡継ぎとなるべく男子・徳松が6歳で亡くなると様子がおかしくなっていきます。そして天変地異、飢饉も増えていきました。

 綱吉の母・桂昌院は徳松以来、男子に恵まれないことから昵懇の護持院・隆光に相談をします。

 「隆光殿、どうしたらわが子綱吉に御子が生まれるのでしょう?」と桂昌院。

 「はんにゃーひらほら、えい!」隆光は占います。

 「えい!」隆光の腹から響く声は恫喝のように聞こえました。

 「綱吉公は。前世、人を殺めたり、生き物を粗末にした!ゆえに因果応報である。」

 「そ、そんな・・・ではどうすればいいのでしょう?」桂昌院は泣きついた。

 「うむ。これからは生き物を大切にすべし。とくに綱吉公は戌年(いぬどし)だからゆえ犬を大切にしたらよかろう。」隆光は厳かな声で言い放った。


     *


 「ったく、綱吉公の母上愛にも参ったもんだ、生類憐みの令も何回出されたことか」鍛冶屋の仙助は井戸端で大工の勘治に言った。

 「なにやら儒学とやらは『孝』を大切にするとか。公方様は母上にべったりときたあ。孝は親を大切にするってもんだからな。」勘治は答える。

 「お犬様はとくに大切にせんといかん。」と仙助。

 「飼っている犬になんかあったら大変だ、叩いただけで島流し。」勘治は言った。

 「だからみんな犬を捨てる。江戸中野良犬だらけだ。」仙助はため息を漏らした。

 「そうそう、困ったお上は中野に犬屋敷を作ったらしいぞ。」勘治は言った。

 「なんじゃそりゃ?」仙助は色めきたった。

 「四谷や中野に捨て犬を集めて、日に3食3合の米と味噌汁、干しイワシを餌にやってるとか」勘治はまたため息を漏らす。

「儂ら、下民より贅沢なんじゃねいか?」仙助は言った。

「みんなチンコロ屋敷と呼んでおる。なんでも12万石の金子がかかるとか」勘治は笑って言った。

 「はあ、まったく民の年貢米を何だと思っているのやら」仙助はすごんだ。

 「犬同士喧嘩をしてたら水をかけて引き分ける、大八車には犬を轢かぬよう付け人を付ける、お犬様がお通りならみんなでよける、まったく馬鹿にしておるわ」勘治は言った。

 「まったくだ」

 「なんでも生き物を粗末にすると間者(スパイ)に密告されるそうじゃ」勘治はひそひそ声で言った。

 「おう、怖いもんだ」仙助は身震いのジェスチャーをした。


     *

 そんな鬱憤を溜めた江戸の民に喝采が湧く出来事がおきた。

 綱吉の悪政を馬鹿にする副将軍、水戸の徳川光圀(水戸黄門)の登場だ。

 光圀の水戸家は徳川御三家の1つであり、光圀自身かの家康の孫にあたる。

「水戸の爺や! ついに痴れ者になったわい、この綱吉を馬鹿にしおって!」もう綱吉はカンカンである。

 というのも江戸城に常陸水戸藩から荷物が届いた。贈り主は光圀。今は隠居し、3代綱条(つなえだ)に職を譲っている。届いた荷物に勘定吟味役・柳沢吉保はとび跳ねて驚いた。

 中身は獣の毛皮20枚が入っている。

 添えられた手紙には「領内の犬の毛皮である、寒気の折柄、養生には此の品もっとも宜しく云々・・・」

 「殿、光圀は御乱心と見えまする」柳沢は気色ばんで大声で言った。

柳沢自身、水戸の御老公は目の上のたんこぶ。邪魔な政治家爺さんにすぎない。すぐにこの贈り物の件を触れまわり、光圀の悪戯を江戸の民に知らしめた。

 (これで光圀公の失脚も必定じゃ)柳沢はむしろうれしかった。

「これ、柳沢、すぐに水戸に遣いをやって光圀公の乱心ぶりを探るがよい」綱吉は言った。


    *


このとき江戸から呼ばれた水戸の藤田徳昭(のりあき)、通称藤田紋太夫は機会があれば光圀を排斥し、現藩主綱条に気に入られようと奔走していた。犬の毛皮の件をこれはとばかりに乱心だと訴え、光圀が禁止になった鷹狩りも行っていることを柳沢に密告した。ほかにもいろいろと乱心気味なことを触れまわった。

最終的に綱吉は老中・阿部正武を呼んだ。

「光圀公を江戸に呼んで頭の中を確かめるべし!」綱吉は阿部に命じた。

「ははあ」阿部は取り急ぎ水戸へ江戸登城を命じた。

   *


元禄7年3月水戸の光圀公は江戸へやってきた。

「立派だ・・」阿部正武は最初の印象でそう思った。

光圀が江戸城三の丸で儒学『大学』を見事に講じている。綱吉もこの姿を見てさすがに感銘した。じつに見事な講釈だった。そして講釈の後は能を舞った。じつに見事な身のこなしで、優美。とても頭がおかしくなったとは思えない。

「久しぶりじゃのう、綱吉殿、息災かのう」光圀が声をかける。

「ははあ」綱吉は平伏して答えた。

「近頃、わしは痴れ者としてさわがれているとなあ、かっかっか」光圀は笑った。

「いや、今日の黄門さまのご講釈、実に御見事。綱吉安心した次第、何かの間違いかと」

綱吉は平伏したまま答えた。

「うむ。今度、水戸江戸屋敷でも家臣を集めて舞を舞おうと思っている」光圀はそう言って江戸城を去った。

 (藤井紋太夫のやつめ、乱心なのはやつのほうでは)綱吉は柳沢や藤井を疑い始めた。


       *


 3日後、水戸藩江戸屋敷では光圀が江戸詰めの家臣を集め再び『大学』を講釈し、そのあとは能を舞う宴となった。彼自身が『千手』を舞う直前のことである。光圀は紋太夫を楽屋に呼んだ。

 「紋太夫、お前は小姓のころからよう我に仕えていたな、それが今では大老にまでなりおうて、何やら良からぬことを吹聴しておるとな」光圀はそう言って長尺の刀を抜いてブスリ、紋太夫を刺した。

 光圀は胴から拭き出る返り血をあびてもはや真っ赤な姿になった。

 舞は急きょ、代役が立ち、面をかぶって舞ったので、誰もがこれを光圀かと思ったという。

 「この光圀、まだまだ現役だわい! 悪政を馬鹿にして何が悪い!」光圀はそう言って刀を納めた。

                     了。

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綱吉公の誤算 青鷺たくや @taku6537

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