綱吉公の誤算

青鷺たくや

第1話 綱吉公の誤算

時は江戸、元禄のころでしょうか。五代将軍・徳川綱吉のころのお話。今では生類憐みの令を出し、江戸庶民を困らせた将軍として有名であります。

 「何だって? カラスを島流し?」幕府目付直属の駕篭之者・三原大二郎は耳を疑った。

 「ああ。先ほど駕籠頭の滝藤様からのお達しがあった」同じく駕篭之者・結城勝右衛門はうんざりした口調で言った。

 「だっておめえ、最近の犬公方様は生き物を大切にしろって話じゃねえか、それがカラスがお咎めくらって島流しとはどういうこったい、流されるには人間様ではないのか?」

大二郎は気色ばんで腰を上げた。

 「いや、なんでも公方様がそれはそれはお怒りで」勝右衛門はかぶりを振った。

 「どういうこったい?」大二郎は勝右衛門に近寄った。

 「いやな、犬公方殿が上野・寛永寺に出かけようとお城をお出ましになったとたん、空からカラスがやってきて」勝右衛門が言った途端、

 「合点、カラスの野郎が犬公方様の頭に糞をかけたって始末か」大二郎は好奇な表情で会話を遮った。

 「そのとおりだ」勝右衛門は右手で頭を掻いた。

 「そんでもってそのカラスをとっ捕まえろ、ということになったわけか?」大二郎はおかしくって笑って訊いた。

 「そうさ。畏れ多くも将軍様の頭に糞をするとは、何事じゃってんで、そりゃもう犬公方様も、ひったてい、と大激怒なさった。」

 「そいで?」大二郎は言った。

 「どうもこうもない、側用人総出でカラス探しじゃ。当のカラスなんてとうにどっかに飛んで行ってしもうた。」勝右衛門は言った。

 「それでも下手人探しか?」大二郎は笑いが止まらない。

 「仕方ない。そのあたりにいたカラスを無理やりとっ捕まえて犯人に仕立て上げて『殿

このカラスが下手人で候』って差し出したわけだ。」勝右衛門は答えた。

 「捕まったカラスもとんだとばっちりだ、かわいそうに。そんでどこに島流しかい?」

 「新島じゃと。」勝右衛門は静かに言った。

 「わっはっは、カラスごときに我々陸尺武士をあてがうってわけか、犬公方様もとうとう痴れものになってしもうたわい」大二郎は笑った。

 「まったく鳥籠に引き戸がついた乗物をわざわざ作らせて運べとな、どうかしておる。」

勝右衛門は言った。

 「仕方ねえ、三枚肩(三人持ち)で運ぶしかねえだろう」大二郎は法被の帯を引きしめた。

「おーい、庄兵衛、旅の準備だ。行く先は新島だ」勝右衛門はもう1人の駕篭之者・朝倉庄兵衛に声をかける。



    *



「えほほ―っのえほっほ」

こうして3人の駕籠持ちは法被姿に尻を丸出しにしていまや問題になっている例のカラスを東海道を西に駕籠を担いで進んでいる。

「しかしなんだなあ、お世継ぎの男子・徳松さまが6歳に亡くなって以来、すっかり御世継ぎができんとな」大二郎は言う。

「七五三のならわしも徳松さまの健康成就を願って始めた行事だって言うぜ」庄兵衛は言った。

「それ以来、母の桂昌院様が護持院僧の隆光を頼ったとか」大二郎が言った。

「隆光僧生曰く、綱吉さまは、前世が悪い、生き物を殺生した罰である、よってこれからは生き物を大切にすればよい、とくに公方様は戌年だから犬を大切に、と言われたらしいぞ」勝右衛門は言った。

「それからだもんな、天和(てんな)の冶とも言われる善政もおかしくなり始めた」勝右衛門は続けた。

「生き物を殺してはならない、生きた魚を食べるな、犬猫を飼うなら届け出、当然犬猫を殺したら死罪らしいぞ」

「御家人様が吹き矢でハトを撃ったら死罪になったとさ」と庄兵衛。

「公方様の退屈な儒学のご講義中、小姓に蚊が止まったとさ」大二郎は言った。

「それで?」

「パチンと殺したら島流しだそうだ」大二郎は笑った。

「これじゃみんな犬も猫も飼わねえ、何かあったら必罰だもんな」

「だから野良犬だらけ」

「仕方ない、四谷、大久保のあたりの住民をよそに移して、犬屋敷を作ったらしい、なかでも中野の屋敷は12万坪(東京ドーム20個分)もあるそうな」勝右衛門は言う。

「なんでも犬1匹につき1日3食白米、イワシ、味噌汁付きとか」大二郎は笑った。

「年間12万石かかるらしい」庄兵衛は言った。

「チンコロ屋敷と言われちょる」大二郎は笑った。

「これ、めったなことを言うもんでねえ」勝右衛門は声を制した。

「知っとるか、公方様を怒らしたのはそれだけじゃねえ」庄兵衛は言った。

「寒気の折柄、養生には此の品もっとも宜しく・・、って領内の野良犬の毛皮20枚を公方様に贈った人さ」庄兵衛は続けた。

「知っておる。かの家康様のお孫、水戸の光圀公さまだな、なかなか粋なことをやってくれるわ」庄兵衛は笑った。

「これには犬公方様も大層お怒りになったとか」

「当たり前だ」勝右衛門は言った。

「おう、そろそろカラス様に餌をやる時間だ」

そう言って勝右衛門は干したイワシを鳥籠の引き戸をあけて与える。

それにしても異様な光景だ。大層な鳥籠にカラスが1匹、大の男3人に担がれている。道中の人々も不思議そうに、中には笑い転げる者もいる。

3人は藤沢宿、小田原宿、箱根宿を越えて三島宿にさしかかるところで下田街道へ入った。

ここまでにすでに2泊3日を要していた。

「えほほ―っのえほっほ」

「カラス様よ、天城越えはきついが踏ん張っておくれよ」大二郎がカラスに声をかける。

カラスは無視。定刻通りには餌のイワシをついばんでは水も飲む。

「えほほ―っのえほっほ」

3人にも天城越えはきつい。

「えほほ―っのえほっほ」

下田からは和船に乗り換える。帆船だから風を待ち、ここぞという時間に出向する。

3人は晴天に恵まれた日、かすかに見える新島を目指して漕ぎ手に運命を任せた。

漕ぎ手の領民も何だか不思議そうな目で駕籠組を見やる。



   *



どのくらい時間が過ぎただろう。船は無事、新島へと着いた。

「さあ、カラス殿、ここは流刑地。この島では自由であるぞ。このたびはとんだとばっちりを受けたもんだろうが、どうか許しておくれ、この島は餌の魚もいっぱいだ」勝右衛門はそう言って鳥籠の引き戸を開けた。

庄兵衛が手でカラスを引き出し、空へと放った。

「アホウ、アホウ!」

勝右衛門は飛んでった方角が気になって大二郎に訊いた。

「カラスはどの方角へ飛んでった?」

「北です!江戸のほうです!!」大二郎は大声で笑った。

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