第4話 恭平のご褒美。
原田市は、もともとは輸出港・横浜と絹織物の生産地・八王子を結ぶ『絹の道』の中間地点にあたり、中継都市として栄えた。いまでも絹の道は国道として八王子から横浜への大動脈になっている。人口が本格的に増えだしたのは昭和も戦後の高度成長期からで、都心のベッドタウンとして戸建てや団地がニュータウンとして建設された。なので原田市の多くの人は地方出身者が多い。近年はニュータウンも高齢化を迎え、子供たち世代が独立してニュータウンを出ていくケースも増えている。一方で大学や研究所なども多く学園都市として若者が多いのも特徴だ。
原田川沿いにある雑居ビルの1階で『鬱憤館(うっぷんかん)』の店主・北川洋太郎は、今日も定刻の深夜12時にシャッターをボロロロロとあげて開店の準備をする。準備とは言っても明かりを点けて、ドリンクのグラスと氷を準備すれば、終りである。洋太郎は3席ほどのカウンターに真っ赤なバラを一本ざしで飾ると、BGMにピーター・ポール&マリーをかけた。
*
阿部(あべ)恭(きょう)平(へい)は寡黙な男であった。家ではほとんど口を利かない。
故郷・山形を出て隣町のブルドーザー製作所でキャタピラを作ってきた。原田市に越してきたのは1980年。一念発起でローンを利用してマイホームを建てた。2015年
にしてやっとローンが終わるのと同時に、恭平は嘱託の勤務をやめて来年から隠居しようと思っている。
もともとおとなしい性格もあるが山形訛りがコンポレックスで、職場でもあまり口を利かなかった。寡黙で実直な恭平は仕事の腕前は確かで、職場の信頼も厚かった。そんな恭平を見ていた女子社員の靖(やす)恵(え)は、先輩の紹介でお見合いし、1975年に結婚した。そして80年に長女・みずき、85年に二女・はずき、90年に三女・ゆずきを授かった。
はずきまでは女の子は想定していたが、ゆずきまでも女の子だと分かった時には、名前の付け方に困惑したものである。ただでさえ喋らない恭平は4人の女子に囲まれる生活になった。
*
11月15日。恭平の父・恭介が死んだ。90歳だった。もう5年も寝たきりだったから、話し合いや準備はできていた。兄夫婦のもとで自宅で息を引き取ったのは幸せだったのかもしれない。恭平と靖恵は初七日を終え、山形新幹線に乗り込んだ。
こうして二人になると恭平はたまらなく落ち着かなくなる。靖恵のマシンガントークに相槌を打たなければならないからだ。3時間の苦痛。酒はあまり飲まないがさすがに脳がアルコールを要求した。
義父と初めて会った時の話、山形の昔の様子、兄夫婦の悪口、孫たちの近況、学歴・・・
靖恵はこれらの話題でも10分の間に喋りこむ。恭平は「ああ」「んだ」「ほー」を繰り返し、目線は窓の外に広がる蔵王連峰を見つめている。
「だから、あたし言ったの。将太兄さん(義兄)には世話になりましたが、こちらから送金していたことも事実ですよねって、そしたら香代子(義兄の妻)さんなんて言ったと思う?」
「ああ」会話がつながっていない。
「そうなのよ、あたしたちの若い時の頭金の話を持ち出すわけ。お父さん(義父)と将太兄さん(義兄)とで、頭金を出しましたよね、て」
「ほー」
「50万よ、50万。今の価値とは違うって言ったって、あなた、きいてる?」
「ほー」
こんな調子だ。
靖恵はことしで60歳になる。葛飾の生まれで、江戸っ子だ。子供の学費を稼ぐため、保険の外交員として、20年前に仕事に復帰して、いまだ現役だ。持ち前の記憶力とトークで人脈を広げていって、毎日朝からどこかを駆け回っている。
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長女・みずきは36歳になる。生真面目で優等生で育ったが、大手食品メーカーの研究所に就職し、キャリアを重ねていった。仕事中心の生活で結婚どころではなかった。最近になって、原田市内にマンションを買って、大好きなニャンコとともに生活し、たまに実家のもとへ顔を出す。歳でも、金でも、口でも、だれも、みずきにはかなわない。
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二女・はずきは31になる。みずきから5歳ずつ年齢を引いていけばいいので恭平は覚えやすかった。27歳で結婚したが、はずきの浮気が原因で、離婚した。要はやんちゃなタイプなのである。喧嘩を売られたら絶対に引き下がらない。夫の優柔不断な性格に業を煮やし、新しい彼氏のもとに飛び出していった。証拠を集められ慰謝料やら財産分与で調停中だ。
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三女・ゆずきは26歳になる。一番しっかりしていると恭平は思っている。不動産会社に就職し、賃貸物件の営業に都内を駆けずり回っている。人思いで、優しく利他的なところがみんなに好かれていた。幼いころから男の子にモテたのもわかる気がする。願わくばゆずきだけは幸せに結婚してほしいと、恭平は思っている。
*
新幹線は福島を過ぎてスピードを上げた。さすがに靖恵は疲れたのかマシンガンも小休止が多くなった。チャンスだ。日本酒のワンカップも脳を落ち着かせてくれる。
「あなた?」靖恵は訊いた。
「ああ」恭平はめまいがした。
「ああじゃなくて、なんだいとか言えないの?」
「ああ」
「あたしね、あなたの定年を機に、卒婚がしたいの」
「ほう」
「相手がいるわけではないのよ、はずきと違って」
「ああ」
「ただ卒婚を機に、部屋を借りて自由に生活がしてみたいのよ」
「保険のお客さんとのつながりで介護ホームのお手伝いもすることになったし、ますます家にいる時間が無くなるの」靖恵は間髪いれないで話を繋げる。
「あなたには時間ができるんだから、自分のことは自分でやってみてほしいんです」
「ほう」
「4月からでいいかしら」
「んだね」
「それじゃこんど娘たちを呼んで正式に発表していいのかしら」
「ああ」
「その時までに財産分与のことを考えましょ。あとで泣きつかれても困るのよ、いい?」
「ああ」
*
「あたしは反対よ、こんな広い家、父さんひとりでどうすんの」ゆずきが反対した。
「売ればいいじゃない、2000万にはなるわ。父さんマンションなんてどう?」みずきが言う。
「退職金と貯金合わせていくらなの?」はずきがニヤニヤして訊いてくる。
「お金はあたしたちが口出すことじゃないわ」ゆずきは優しい。
「母さん、あたしの所へ来る?」みずきが訊いた。
「とにかく、あたしは1人になりたいの、みずき、あなたは自分の心配をしなさい」靖恵は言う。
「母さんだって自分のことばかりじゃない」はずきが怒る。
「だから、母さんは卒婚なんだってば、いままで家族のことばかり考えてきたんだから自由になったってぜんぜんオーケーでしょ」はずきが言った。
恭平はリビングの隅のアームチェアでだんまりしたままだ。
「みんな、勝手。いままでの家族はなんだったのよ、自分さえよければいいの?」はずきが言う。
「そうよ、自分の人生なんて自由だわ。人生は一度きり」ゆずきが言う。
「その個人主義がこれからの日本を衰退させていくのよ、レッセフェール、自由放任にまかせていくしかないのよ」みずきが抽象化する。
「ゆっこはどうすんのよ?」ゆっこは柴犬のメスである。
「父さんの散歩に必要だわ」
「そうね、これからはゆっこが父さんの面倒をみるしかないわね」きつい一言。
話は延々と続く。2時間が経った頃。
「クリスマス・・・」恭平がぼそっと言う。
「え、なに?」
「クリスマス・・・最後に」恭平は言った。
*
12月の初め、家族会議の2週間後の日曜日。
ゆずきが彼氏を連れて実家に来た。
「お仕事はなにを?」靖恵が訊いた。
「げ、劇団員をやっております」ゆずきの彼・日向(ひなた)は緊張して言った。
「お金は稼げるんですか?」靖恵はかみつく。
「いまは、まだ役者の卵だよ、母さん」ゆずきがフォローを入れる。
「じゃ、どうやって生活しているの?」靖恵が訊く。
「ゆ、ゆずきさんのお部屋で世話になっております」日向は申し訳なさそうな声で言った。
「そこでね、父さん、母さん。あたしたち、ここ実家に戻れないかな、今のワンルームはきついの。ここなら部屋も3つ余ってる。母さんもいなくなるし。ね、ひなた。あなたもお願いして」ゆずきが頭を下げるポーズをする。
「よ、よろしくお願いします」日向は頼りなさそうに頭を下げる。
「ね、父さん。どう?」とゆずき。
「ああ」
「ああじゃなくて、いいか、だめかはっきりいって」ゆずきが言う。
「・・・クリスマスがいいか」恭平はあごをなでながらぼそっと言った。
「はあ? 意味が分かんない。ちゃんと答えて」
「ク、クリスマスにきてけろ」恭平は言った。
*
恭平は毎朝5時に起きて、ゆっこを散歩に連れていく。原田川に沿った遊歩道を1時間かけて歩くのだ。
今日は珍しく駅の方へと向かった。治安がよろしくないのでいつもは上流に行くのだが、たまにはいいだろうと、無理矢理ながらゆっこを引っ張った。
駅のはずれでゆっこが動かなくなった。店の看板の支柱に興味があるらしい。
恭平はこんな時間までやっている店を初めて知った。看板には
『鬱憤館』
ほの白く、薄汚れた看板はプラスチックでできていて、ヒビが入っている。
漢字からして宗教道場かと推測した。
店の外観は木製の大きなドアが1枚あるほかは、窓もなくコンクリートで塗られているだけだった。
(あやしい・・・でも、気になる)そう思った。
ゆっこはワンと叫んだきり、店の前から動かない。
仕方ないのでリードを電柱に結んだ。(ちと、のぞいてみるか)
重たそうな真鍮製のノブを引いてみる。
カランッコロンッ、小さなカウベルがノスタルジックな音を立てた。
「いらっしゃい」初老の男性の声が奥から聞こえる。
恭平は眼を凝らし店の中を見回した。懐かしい曲が流れている。
幅3メートル、奥行きは10メートルほどだろうか、薄暗い店内の天井からは電球をちりばめたようなシャンデリアが垂れさがっている。
カウンターは3席。しかも誰もいない。赤いレザーでできたスツールが3つカウンターの前に並んでいる。カウンターの中には背が高くスラリとした老人がバーテンダーの格好で立っている。ゆたかな白髪(はくはつ)は七三分けになっていてカーネルおじさんのように黒縁メガネで微笑んでいる。
「あ、あの」
「初めてでいらっしゃいますね」北川はゆっくりと落ち着いた声で言った。
「ここは、何か宗教かなんかですか?」恭平は訊いた。
「看板の通りです。宗教ではありません」北川はにこやかに言った。
「はあ」
「うっぷんかん、と申します。私は店主・北川です。どうぞお見知りおきを」
「阿部でございます、こちらこそ」
「ワンコをお連れの様子。よろしければ中へ入れてもかまいませんよ」北川は言った。
「さようですか、でも大丈夫です。やつは外でおとなしくしてますから」
「そうですか。ここは人生相談屋とでもイメージして下さい」
「はあ」
「まあ、まずはおかけになって、メニューをどうぞ」
恭平はスツールに腰掛けた。
北川はフレンチの料理屋にあるような黒いメニューを恭平の前に広げた。
●シェフ北川の気まぐれ鬱憤プラン(1万円~時価)
●有機で育てた北川さん家(ち)の鬱憤プラン(2万円~時価)
●アニバーサリー・鬱憤とのマリアージュ(50万~)
「阿部様の日頃の鬱憤を晴らすメニューでございます」北川は説明した。
「どれもわかりませんな、年寄りには」
「ははは、わたくしめも年寄り。メニューは気にしなくて結構でございます、
お見かけしたところ、積年のご苦労があまり報われていないようにお見かけしますが、よろしければこの北川に、お話をお聞かせ願えませんか」
「おいくらで?」
「いえいえ、聞くだけでは料金は頂けません。鬱憤を晴らしてからでございます」
「んだら、話はうまくねえっすけど、聞いていただけますか」恭平は言った。
*
「卒婚ですか・・・」北川は言った。
「世の中、変わったもんです」恭平は笑いながら言った。
「世の女性も変わったもんですね」
「時代です、時代・・・」恭平は頭をかきながら笑った。
ピーター・ポール&マリーのIf I had a hammer が陽気に流れている。
「阿部様、アニバーサリープラン、お高いけどいかがでしょう、クリスマスの日に決行ということで」
「いいでしょう。100万? そんな金、大したことはない。」
「では、内容のご説明をいたします」
*
12月25日夜、阿部邸の最後のクリスマスがやってきた。3姉妹に日向を加えて。
「あたし、正月は彼と沖縄行くから、ここにはこれない」はずきは自慢げに言う。
「あたしも、お友達と旅行に行きますから、あなた留守番よろしくね」靖恵は言った。
ピンポーン。
「あら、誰かしら」
「宅配でーす、ご注文のピザ、お持ちしやしたー」
その後、寿司、うなぎ、中華・・・次々と出前がやってきた。
「父さん? こんな注文して、認知症にでもなったのかしら」
「庭! に、庭にでろ」恭平はこれまで出したことのない声で叫んだ。
*
「シュウ」という大きな音とともに導火線が次々と火花を散らした。
バーン! 巨大な筒から花火が上がった。
ドッカーン! 巨大だ。みたこともない大きさだ。日本最大の正四尺玉だ。
ドッカーン!ドッカーン!ドッカーン!ドッカーン!四尺玉は途切れることがなく漆黒の冬空に、大輪を咲かせた。
「トーサン、インタイダヨ! ナガイアイダ、オツカレサマデシタ ―――――――――!」
「ミンナ、ドウゾ、ゴカッテニ――――――――!」
恭平は花火の音に負けない声で叫んだ。
三姉妹は泣いていた。靖恵は茫然と花火を見ている。
「サヨーナラ―――――――!」
ドッカーン!ドッカーン!ドッカーン!ドッカーン!四尺玉は途切れることがない。
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