空虚

「さて、ずっとここにいてもあれだが、今日はここから動かない方がいいかもな」



 言いながら、アリアさんは空を見上げる。気がつけば、日が傾き始めていて、夜が来るのを伝えていた。

 さっき起きたと思ったのに、一日が飛ぶようにすぎていく。



「……屋根のあるところ、探しますか」


「だな」



 屋根のあるところ……。腐ってもここは魔王がいた場所だ。少しくらいはあるだろう……と思っていたのだが、



「……見事に大破されてるな」


「個性の塊's、バカにならないですね」



 そこに、一切部屋は残っていなかった。かろうじて城の壁だった部分と、座り心地が最高に悪いと言うあの椅子の骨組みだけは見つけた。しかし、それだけしかないと何もできない。



「しょうがないですかね……寝袋ですよー、今日も」


「そうだなぁー、ま、地面が平らなだけいいんじゃないか?」


「確かに、そうかもしれないです」



 その瞬間……不意に、頭にノイズがかかる。酷い耳鳴りがして、何も聞こえなくなり、唐突な頭痛。僕は頭を抱えてその場にうずくまった。



『――いは、――も――――』


「ぅ……」


「ウタ……?! どうした、大丈夫か!?」



 アリアさんが僕の肩を揺する。苦しくていつの間にか閉じていた瞳を開けると、アリアさんの背後に立つ、黒い影を見つけた。



「――っ! フラッシュ!」



 なんとか魔法を放って、アリアさんの手を引き、距離をとる。僕の行動でアリアさんも背後の存在に気がついたのか、臨戦態勢に入る。

 僕の頭痛は……いつの間にか、消え去っていた。



「……ブリス!」


「殺人犯が二人、魔王城に居座るなんて……浅ましいにも程があるなぁ?」


「誰が殺人犯だ! 私たちは」


「まぁまぁ。

 ……街での騒動、聞いたぜ。バカなお前ららしいっていうか、なんというか……。せっかく順調に来ていたのになぁ」


「やっぱり……気がついていたんだ」


「ま、そういうことさ」



 悪魔は流れるような手つきで黒い剣を取り出すと、ゆっくりと振り上げる。



「とりあえず、殺人犯どもは死んでもらおうか」



 そして、振り下ろす。ここで問題点が一つ。……今僕は、勇気が発動していない。つまり、ただのへなちょこなのだ。



「ガーディア!」



 アリアさんが魔属性球体を使って、ガーディアを張る。しかし、これでガーディアが使えるのは最後だ。次からはどうにかしなきゃいけない。



「ウタ、体調は平気なのか?」


「はい……でも、勇気が」


「それはいい。今は……逃げられないが、なんとかしよう」



 黒い剣が迫る。僕は咄嗟に聖剣を取り出してそれを受けた。そして、はっと思い出したのだ。

 ……そうだ。『勇気』が発動していなくても、使えるスキルがあるじゃないか。



「い……」


「あ?」


「陰陽進退っ!」



 剣を大きく振るう。突然のスキルに対応できなかったのか、ブリスは少しだけ重心を崩す。僕はそれを見て、アリアさんの手を引いた。



「こ、こっちです!」


「は……待てウタ! そっちには海しか」


「アリアさん泳げますか?」


「た、多少は泳げるが、そんなに長い距離は……」


「よかった! 僕金づちなんですよ」


「なんで海に向かっている!」



 ブリスが追いかけてくる気配を感じる。振り返っている時間がもったいない。



「いきますよアリアさん!」


「待て待て! お前死ぬぞ!?」


「せーのっ!」


「待てって!」



 少し高い崖から、海に飛び込む。水に触れる直前、僕は叫んだ。



「O2!」



 水に入る。……しかし体は濡れない。息もできるし、落ち着けばどこまででも泳げる。



「っ…………? ウタ……?」


「成功したみたいでよかったです」


「水の中……どういうことだ?」


「酸素……空気を、化学で出したんですよ。とりあえず落ち着く時間を作りたくて。気休めでしかないですよ。

 ……それに」



 僕はちらりと上をみた。遥か上の方に見える黒い影が一瞬瞬いたかと思うと、だんだんと近づいてくる。



「……ブリス、泳げるみたいです」


「飛べて泳げて歩けるって最悪だな」


「上がりますよ?」


「あぁ」



 僕はゆっくりと手を下に向ける。



「トルネード!」



 水の渦が巻き上がり、僕らを上に押し上げる。ブリスの攻撃をすり抜け地上に戻ってきた僕らは、その瞬間、完全に油断した。



「俺はそんなに、のろまじゃないんでね」



 気がついたときには、目の前に剣の切っ先が迫っていた。近すぎる。避けられない。受けられない。



「死――」


「させないっ!」



 目の前を横切る人の影。見覚えのある人。その人はブリスに思いきり体当たりして僕らから剣を遠ざけた。



「テラーさん!?」


「……ったく、もう! 手がかかる……」


「テラー……出てかなくてよかったのに」



 次にやって来たのはジュノンさんとおさくさんだ。どうやら、僕らを追いかけてきたらしい。



「テラー……すまない。また」


「いや…………そんなことよりさ」



 ふと、テラーさんの左腕から、僅かに血が流れる。さっきかすったのか。それを見てテラーさんは、ジュノンさんたちに目を向ける。



「やらかした……戦線離脱、かな。悪いけど」


「……だね」


「待ってください、それってどういう……」



 ふと、ブリスの笑い声が響く。



「は……はははっ! まさか、塊'sのものが手に入るとは思わなかったなぁ!」



 そして、剣から僅かに垂れる血を手のひらに落とし、握る。



「――空虚」



 瞬間、テラーさんはその場に倒れた。

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