第55話 小城舞の苦手科目は教育学である(9)

 ひとしきり歌って満足した。

 俺はライブ映像を流しながら、のほほんとそれを眺めている。

 歌ってもいいのだけれど、今は部屋に一人きり。

 なんだかこれを歌っている姿を通りすがりの人に見られたらヒトカラに来ているんじゃ? と思われそうで歌えない。

 歌っている途中で小城が帰ってきても、微妙に気まずくなりそうだしな。

 歌を途中で止めて話しかけるのか、それとも無視して歌い続けるのか。

 そのへんをどうすればいいのか、カラオケ好きな俺も未だに分からないのだ。

 そう、俺は今一人だ。

 小城がいないのだ。

 トイレに行くと言ったきり戻ってこない。

 結構な時間が過ぎている気がする。

 女子のトイレは長いといっても限度がある。

 もしかして何かトラブルでも起きたのかと疑うレベルだ。

 そわそわしていると、

「すっ、いませんー! 遅れましたー!」

「あー、よかった。探しに行こうと思っていた――って、ど、どうしたの? その格好?」

 ようやく戻ってきたと思ったら、小城は着替えていた。

 どこかのアニメに出てくるようなお嬢様学校の制服みたいなものだ。

 高校生の制服というよりかは、ドレスみたいな恰好でヒラヒラしている。

 そして無駄にスカートが短いんだけど。

 どこから調達してきたんだ。

 ああ、そういえば、カウンターの近くにメイド服とかチャイナ服とか置いてあって、ご自由にお着替えくださいとか書いてあった気がするけど、もしかして、それか?

「いやー、なんか店員さんにぜひ来てくださいって頼まれたんですよね。似合っていますか?」

「似合ってはいるけど……」

 学校の制服はコスプレ感が薄い。

 メイド服とかチャイナ服とかの方がよりコスプレっぽい。

 それはそれでよくて、俺も好きだ。

 だけど、これは……。

 なんというか、ナチャラル過ぎる。

 最高だ。

 少し前までは高校生だった女の子が、制服を着ているっていいな。

 胸元がちょっとはだけているあたり、本物の制服とは違うけど夢があるな。

「嫌いですか? こういうの?」

「いや、嫌いじゃないけど」

「ほんとうですか? やったー!」

 いや、これはかなりそそられるな。

 アダルトな動画だったり本だったりで、高校生というジャンルは人気だ。

 だが、俺は数年前まで全く良さが分からなかった。

 それのどこがいいのかと。

 だが、制服を脱いだ大学生ならその良さが分かる。

 純粋だったあの時の思い出がブワッと一気に蘇るのだ。

 女子とうまく喋られなかった時のこととか、二人きりになって気まずい思いをしていたあの甘酸っぱくい思い出の日々が。

 思い出補正もかかって制服姿の女の子が可愛いように見えてしまうのだ。

「先輩歌ってなかったんですか?」

「ああ、ちょっと一人で歌っているのも寂しいしね。映像みてた」

「映像?」

「あんまり歌うのは自信ないから歌えないけど、ライブ映像をね」

「えええ。どうせだったら歌ってくださいよ、先輩」

「いや、ライブ映像が凝っていてさ。ほら、ここに年代とかコンサート会場の場所があるよね? 本当にそのままのライブ映像がこれ流れるんだよ。だから曲の途中でお喋りするやつとかは言ったり、その場の思いつきとしか思えない曲のアレンジとかがそのまま入っていたりするんだよね。だから結構難しいんだよ」

 無駄にディティール凝りすぎなんだよな。

 もちろん、めちゃくちゃすごいけどな。

 本当にライブ会場にいるのかっていう臨場感があるし、お客の歓声なんか本物そのものだから歌っていて最高に楽しい。

 ライブを見たことがあるなら最大限に盛り上がる。

 だが、記憶が曖昧だと歌えなくてつっかえてしまう。

 それが恥ずかしいので、一人の時に観ていたのだ。

 スマホで時間つぶすのもいいけれど、せっかくカラオケに来たのだからカラオケ店でしかできない時間の潰し方をしたかったのだ。

「そんなこといわずに歌ってくださいよ、先輩の歌、私聴きたいです」

 カラオケというのは、どうしても距離が近くなる。

 話そうと思っても曲が流れていると、話声が掻き消されてしまうからだ。

 だから元々距離が近かったのだが、小城が前のめりになるとさらに接近する。

 そして、後ろに突き出した足が机に引っかかって、俺の方へ倒れこんでしまう。

「あっ」

「おっ、と」

「す、すいません」

「だ、大丈夫。カラオケって狭いからね」

 倒れてきた小城を抱きしめる。

 起き上がった時に手を放そうと思ったのだが、起き上がる素振りがない。

 どうやってバランスを取っているのか分からず、俺が手を放せば倒れる可能性がある。

 だから少しでも動いてくれないと、俺も動きようがないんだけれど……。

 そして、ようやく動く。

 動いてくれたんだけど、それは首だけでこちらを上目づかいで観てきただけ。

 なんだろう。

 状況が好転するどころか悪くなる一方なんだけれど。

「ど、どうしたの?」

「このままじゃ、いけませんか?」

「えっ、と」

 いけなくはないんだけど、いけない気がする。

 キスできそうな距離だし、ここだと邪魔が入らない。

 二人きりで狭いこの空間。

 触れ合っている箇所が熱くなってきた。

 小城も意識しているのかな。

「…………」

 小城が目を瞑る。

 うーん、と、これはなんだろうなー。

 眠いのかな?

 この時間まで大学にいたし、疲れているのかな?

 まるで俺が行動してくれるのを待っているような感じだけど、これはちょっと、色々と心の準備ができていないんだけど、ど、どうしようか?

 と思っていると、ドンドン!! とドアが叩かれる。

「うおっ!」

「きゃ!」

 二人して驚いて、小城が驚いて跳ね起きる。

「小城、大丈夫? なんだか疲れているみたいだったけど?」

「だ、大丈夫です……」

「だ、誰だろうなー。ドアをノックしたの? 店員さんかなー」

 お互いに白々しいほどに棒読みだ。

 子どもじゃないからな。

 あのまま誰にも邪魔されなかったら、いくところまでいっていた気がする。

 それにしてもあの反応。

 小城って、もしかしてまんざらでもないのかな。

「誰もいないな」

「そうですか……」

 ドアを開いた先には誰もいなかった。

 ピンポンダッシュならぬ、ノックダッシュかな?

 リア充うぜー、と思った子どもが茶々を入れたのかな?

 俺がドアを開けた瞬間、隣の部屋のドアが閉まった。

 だから隣の人が怪しいけど、確証がないからな。

 ジロジロ部屋の中を覗き見るのは抵抗がある。

 まあ、もう過ぎたことだし、いいか。

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