第54話 小城舞の苦手科目は教育学である(8)

 カウンターにいつまでも惚けている訳にもいかないので、自分達の部屋にやってきた。

 はあー、とため息をついている俺を気遣っているのか、優しい口調で小城が話しかけてくる。

「あのグラスっていくらぐらいするんですか? 大丈夫だったんですかね?」

「グラスは別に弁償しなくていいから、大丈夫だよ」

「あっ、そうなんですね!」

「そうそう。だから安心していいと思うよ。グラス割っても店員さんが慣れた手つきで片づけてくれるよ。カラオケは酔っ払いが多いだろうから、いつものことなんだろうな」

 飲み会の二次会にカラオケが使われることが多いだろうし、それにカラオケ店にもアルコールはほぼ絶対あるといっていい。

 それなのにカラオケのテーブルってなんだか低いんだよな。

 低くて、しかも部屋自体が狭い。

 そのせいでテーブルとソファとの間隔が極端に狭い。

 だから、立ち上がる時に膝とかがテーブルに当たって、端においてあったグラスがガシャーン!! となることが多いのだ。その辺を改善して欲しいんだよな、カラオケ店だと。

 だから割ってもはいはい、大丈夫ですよーっていう感じで店員さんが対応してくれることが多い。俺も四次会だか五次会とかでお酒を飲みすぎて、ゲェゲェ吐いた時も店員さんが神対応してくれたことがあった。きっとそういう酔っ払いの扱いは慣れているんだろう。

「だから、グラスを割ったことを隠さないでほしいんだよな」

「隠すんですか?」

「そう、隠す人って意外に多いんだよ。カラオケって住所書かされたり、住所の情報があるカードを提示したりすることが義務付けられているとおもうんだけど、それでも隠す人って多いんだよな。あれ店員的には迷惑だから止めて欲しいんだよなー」

 グラスの破片とかをソファに埋め込むように隠す人とかがいて面倒なのだ。

 罪悪感で隠すんだろうが、そんなのいずれバレるし、そもそもお金を請求しないから隠さないでほしい。

 次に来店するお客さんがそれを踏んづけたり、赤ちゃんだったら口に入れたりするかもしれないのだ。

 だから何か異常が起きたらすぐに店員に伝えて欲しい。

 客商売のバイトをしていると、そういう点員側の苦労が結構分かるんだよなあ。

「……それより、そろそろ授業してもいいじゃないかな」

「えっ? 授業?」

「………………」

「………………」

「もしかして忘れたの?」

「てへっ。すいません忘れていました」

「じゃあ、なんのためにここに来たんだよ!!」

「カラオケなんだから歌うためですかね? だってカラオケって歌う場所ですよね?」

「そうだけど! 確かにそうだけどね!」

 そもそも、俺だってわざわざあれだけ気合を入れてカラオケの最新機種を選んだのだ。

 本当に授業をするだけならあそこまでこだわらなかったはず。

 期待していなかったといえば嘘になる。

 歌うのは大好きなのだ。

 俺だってカラオケに来たのだから一曲ぐらい歌いたい。

「だけどじゃあ、なんのためにカラオケに来る前に百均行ったんだよ!! 買うもの確認していなかったけど、授業で使うホワイトボートを買ったんじゃなかったのか!?」

「いいえ? お菓子買っちゃいました」

「何やっているの!? 確認しなかった俺も悪いけど、そもそもここ持ち込み禁止だから!」

 壁に貼ってあったPOPをビシッと指差す。

『持ち込み禁止です。持込みされたお客様は見つけ次第、部屋代二倍を支払ってもらいます』

 と、厳重注意のPOPが貼ってある。

 ここまで書くってことはやっぱりお菓子とかご飯とかを持込みする人が多いんだろうな。

 ぼったくりの値段しかメニューにないから気持ちは分かるが、やってはいけないだろう。ちゃんと持ち込みありのカラオケ店だってあるのだから、そっちを利用すればいいのだ。

 リーズナブルな値段のカラオケ店だってあるし、アイスが無料でついてくる場所だってあるのだ。

 カラオケ店に持込みする人がいるから、きっとカラオケ店ってドアに窓がついているんだろうな。

 個人的にカラオケの一番気に喰わない点が、窓だ。

 ドアには窓がついていて、部屋の中を覗き見ることができる。

 そのせいでジロジロと眺めるような客がたまにいるのだ。

 あれが本当にうざい。

 歌っている最中にあれをされると本当に気分が悪い。

 備え付けられているハンガーとか上着でどうにかこうにかカーテン代わりにしてやりたいのだが、カラオケ店ではご法度。窓を何かで覆ってはいけないのだ。

 持込み防止のためもあるが、カップル対策でもあるのかもしれない。

 カラオケは個室で、薄暗い。

 だからイチャイチャしやすい空気になるのだろう。

 中高生なんかはラブホテルに入るお金なんかない。

 見つかったら大変なことになるだろうしな。

 だが、カラオケだったら普通の高校生だって行ける。

 だから着やすい。

 そしてそういう気分になるんだろうな。

「先輩、何か歌いましょうよ」

「あのなー」

 何か言おうとしたけど、まっいいか。

 カラオケ大好きだし。

「まあ、せっかく来たんだから歌うか」

 俺は仕方なく歌ってやるんだからな感を出しながら、小城からマイクを受け取る。マイクにとりついていたビニールを脱がして、俺は盛り上がるであろうアップテンポでメジャーな曲をチョイスして全力で歌いだした。

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