第52話 小城舞の苦手科目は教育学である(6)

 実際に授業のリハーサルをしてみたい。

 そうなると、人目につかず、なおかつ話せる場所がいい。

 となると、個室があり、喋っても他人に迷惑がかからないカラオケに行くことになった。

 それにしても、よりにもよって。

「カラオケか……」

「そんなに嫌だったんですか? だったら最初から言ってくれればよかったのに」

「嫌っていう訳じゃない。ただ、覚悟がいるだけだ……」

「…………?」

 小城にカラオケに誘われ、こうして店の前まできたというのに俺が歩みを止めた。

 後ろをついてきた小城が訝しげにこちらを見てくるが、これは必要なことなのだ。

「小城……どっちの機種にする?」

「……どっちでもいいんじゃないんですか?」

「えっ!?」

 嘘……だろ……? どっちでもいい?

 どういうことだ。カラオケ好きなやつとカラオケに来ると、必ず言い争いが始まるのだ。

 そう。

 カラオケの機種をどちらにするかということでだ。

 カラオケには大きく分けて二種類の機種がある。

 どちらが優れているかとか、劣っているかという話ではない。

 昔は片方の機種の音質がひどかったが、技術向上のためか今では差がない。ライブ映像の時の臨場感の差異は確実にあるが、普通の音質については昔ほどの格差を感じることはない。

 かつては、ボカロの曲が片方の機種しかなかったので、オタクの人と普通の一般人と行く時によく喧嘩していたが、今ではそういうこともない。

 だが、今でも機種選びに喧嘩が勃発する理由がある。

 それは『映像』である。

 カラオケなのだから大事なのは曲だけだ。

 そう思う人もいるだろう。

 だが実際にカラオケに行って思うことは、意外に他人と自分と曲の趣味が合致することは少ないということだ。

 有名な歌手の曲であってもB面は知らない人はたくさんいるだろう。

 最初はみんな、いいよいいよ。この曲知らないけど、カラオケって楽しいよね!! と言ってくれるのだが、途中からみんな飽きてくる。

 まあ、自分の知らない曲を流されても興味なんて持てるわけがないから、スマホをいじりだす気持ちが分からない訳ではない。

 ここで盛り上げるきっかけとなるのが、映像。

 本人映像やアニメ映像、それからライブ映像といったものになる。

 映像があることによってある程度マイナーな曲であっても、受け入れられる。曲を知らなくても、映像を観てこのドラマ知っている! と盛り上がることもできる。

 だが、機種によってどの曲に映像がついているかは違う。

 だからこそ、どっちの機種を選ぶかによって戦争が起きるのだ。

 それなのに、どっちでもいい!?

 正気か!?

「本当に? どっちでもいいの?」

「いいですよ。違いが良く分からないんで」

 嘘……だろ……?

 違いが分からないって本気か!?

 そっか。

 それならそれでいい。

 俺が選びたい方を選ぶ。

 正直、俺もどっちでもいいといえばどっちでもいいのだ。

 どっちの機種も好きだし、行った回数はほぼ同じだろう。

 それでも選ぶ基準があるとしたら、カラオケへ行く相手と機種の相性だ。

 声優に力を入れている機種と、普通の歌手の本人映像に力を入れている機種がある。他にも判断基準はあるが、おおむねそういうカテゴリーで俺は選択をする。

 そして、小城とカラオケへ行くならば後者だろう。

 たまに自分のカラオケスタイルを知らずに、自分とは真逆の機種を選んで不満そうにしている人がいるけれど、そういう時はカラオケ店員にでも質問して欲しい。

 自分に合った機種を選ぶことによって、カラオケは何倍にでも楽しむことができるから。

「それじゃあ、入ろうか?」

「はい! あいたっ!」

 小城が額をガラスにぶつけてしまった。

「……大丈夫?」

「いてて。はい、大丈夫です!」

 ちょっとした時間立ち止ったせいで、透明なガラスの存在忘れてしまったのか?

 相も変わらず惚けているな。

 本当にこんなボケボケしていて先生になれるんだろうか。

 入らずに物思いにふけっていた俺も悪いんだけど、しかたない。

 カウンターでうんうん唸って店員さんに迷惑をかけるよりはましだ。

 ファーストフード店でカウンターのメニューを見ながら迷っていると、店員さんがイライラされるのと同じだ。

 ちなみに二種類の機種が二つとも入っている機種が存在しているが、そんなものは都会にしかない。田舎者にとっては都市伝説に近い。仮にあったとしても朝から予約を入れている猛者にとられているだろう。

 カラオケは若者だけのものという認識が強いだろうが、平日の昼間だろうがここ数年でお年寄りの利用客も増えた気がする。その人たちがフリータイムで予約するのだ。

「いらっしゃいませー。二名様でしょうか?」

「はい」

 俺はここのカラオケ専用のポイントカードを出す。

「料金プランはどれぐらいの予定ですか?」

「ああ……」

 やばい。

 機種で頭がいっぱいどれぐらい滞在するか決まっていなかった。

 どれぐらいだろうか。

 昼間のフリータイムをやれるような時間帯ではない。

 フリータイムをするのだったら夜間のフリータイム時間までどこかで時間を潰して、それから朝までコースのフリータイムをするべきだ。

 だとすると、数時間ぐらいでいいか。

「二時間でいい?」

「はい、それでいいです!」

 経験上、一人から二人ぐらいまでのカラオケで最も楽しいとされるのは二時間ぐらいだ。もっと歌いたかったなあ、でも楽しめた、と思える絶妙な時間。これ以上時間をとってしまうと、大体途中で中だるみしてしまう。

「それじゃあ、二時間でいいです」

「分かりましたー。……それでは、どこか機種をご希望ですか?」

 はい、来ました。

 この台詞。

 たまに店員が忘れていてか、それとも故意なのか言わない時があるがその時は迷わず申し出た方がいい。

 特に、この店員のように、会話しながら流れるように入店手続きができる店員の時は要注意だ。こういう経験値の高い店員は先のことを見越して、機種希望がなく右も左も分からないようなカラオケ初心者を巧みにリードすることに長けている。

 カラオケを行く日に最も気を付けるべきなのは曜日だと思う。

 そう、今日は金曜日だ。

 金曜日の、そしてこの夕方以降の時間帯は土日祝日や長期休暇以外の平日で、最もお客が多い曜日だろう。

 土曜日、日曜日は料金設定が跳ね上がるため、長時間利用する客は少ない。平日の三倍強の値段設定をするカラオケ店もある。

 そこで金曜日にみんな来店する。

 金曜日ならば、多少夜更かしや徹夜しても大丈夫だからだ。

 そこを考慮して金曜日も土日と同等レベルの料金設定をする店もあるが、この店は平日の値段。だからこそ人が込むのだ。今の時間は夕方といっても、まだ深夜帯にはなっていない。

 だからこそ店員はこう考えるわけだ。

『この二人……。二時間、ということは深夜帯の値段に上がるまではギリギリ。だが油断できない。ヒトカラならまだいい。だが、二人以上の客だと盛り上がって時間を延長する可能性がある。金曜日の夜は、部屋が満室に近くなるかもしれない。そんな時、ガチ勢が着た時に自分の歌いたい機種がなかった場合、他のカラオケ店舗に客を取られるかもしれない。ということ先のことを見越して、カラオケにわかにはあまり人気のない機種をオススメした方がいい』

 と、こうなるわけだ。

 カラオケの部屋代は安い。

 店側が稼ぐとなると、明らかにぼったくりなメニューで金を搾り取るしかない。深夜帯はお酒を呑んだ大学生が多いし、大勢の人間が来るとみんなでパーティーメニューを注文するような客が多い。

 そこが一番の稼ぎ時なのだ。

 だからこそ、俺達のような二人組よりも、深夜帯の客を優先するのは必然。そこまで計算できるのはベテラン店員となるが、こっちもカラオケ歴は長いのだ。

 俺は複数ある機種でも俺が選びたい機種で、なおかつ最新のを選んだ。

「これでお願いします」

「分かりました。こちらですね。おタバコは座れますか? 禁煙席と喫煙席がありますが。どちらにいたしましょうか?」

「喫煙……でいいよね?」

「はい、もちろん!」

「……はい。喫煙室ですね?……お部屋が二階となっております。二階にもドリンクバーがありますのでそちらをご利用ください。グラスがこちらとなっております。ホットドリンクをご使用の場合は、専用のコップがドリンクバーに置いてありますのでお使いください。お会計の際はマイクと伝票を忘れずにカウンターまでお持ちください。お時間十分前になりましたら、お部屋に終了のコールをしますのでご了承ください。それでは、ごゆっくりどうぞ」

 店員は一瞬眉を顰めたが、不満なのはおくびにもださなかった。

 マニュアルを読み上げる様な抑揚のない声で案内される。

 カラオケの機種には昔から痛い目を見ているから、絶対に何があろうと自分の希望の機種を選ぶようにしている。

 だが、昔カラオケへ行ったら驚いたことがあった。

 名称も機械の見た目も最新だというのに、肝心の中身が一世代前のものだったのだ。そんなことあり得るかって話なのだが、実際に経験したので間違いない。

 カラオケもパソコンのようにバージョンアップというものがあるのだろうか。

 だが、流石にあれはないよな。

「それじゃあ、行きましょうか先輩。どこですか?」

「えっ、と。とりあえずそこの階段を上って――」

 伝票の部屋番号を確認するために、小城が俺に寄る。香水の匂いがふわっと香って、ちょっと近くないかな、これ? もしかして見る人によっては俺達のこと恋人と何か誤解するんじゃ? 男女二人だけでカラオケにいて、しかも同じ大学生なんだから――とか思っていると、


 ガシャーン!! とグラスが割れる音がした。


 俺が振り返ると、そこには見知った顔の女性がいた。

 俺と隣にいる小城を交互に見やって絶望に満ちた呟きを漏らす。

「そんな……嘘……」

 そこにいたのは俺が担当する生徒の一人であり、英語が苦手な秋月カレン――の姉である秋月美鈴ちゃんだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る