第51話 小城舞の苦手科目は教育学である(5)
「ゆとり教育って知ってる?」
「知っていますけど、それがどうかしましたか?」
なんでそんなことを?
とでも言いたげだ。
「『勉強とは何か、勉強する意味は』の質問の答えの前に、どうしても言っておきたいことがある。ゆとり教育って小城にとってどう?」
「どうといわれても、失敗だった教育方針じゃないんですか?」
まあ、そうだよな。
そういう解釈が普通だよな。
「それに関しては間違った解釈が横行しているし、そもそもゆとり教育は成功しているとか言いたいことは山ほどあるけど、それは今関係ないから置いておくし、失敗ってことにするよ。みんな失敗、失敗。それしか言わないけどさ、俺にとって大切なのは、ゆとり教育がどうして行われたかってことなんだよね」
授業時間を減らして、勉強以外のことに取り組む。
学業が本業の学生に対して、そんな政策をするなんて普通に考えたらおかしい。
そうするための理由がなんだったのか。
それを考えるのって結構有意義だと思うんだよね。
「どうして行われたかですか……」
「結構さ、ゆとり教育が失敗だって言える人は多いけど、ゆとり教育の定義を訊いたら答えられない人って多いんだよ。ただ単純に勉強時間を減らして馬鹿を増やしたって認識でしかない。そういう人って、結局意味がよく分かっていないんだよね」
「そんなこと考えていたんですね。私はそういうことまで考えないかなあ……」
「ちょっと歪んでいるかもしれないけど、大学でレポートとか小論文を山ほど書いていたら俺みたいな思考パターンになる人って多いんじゃないかな? 一般理論の逆張り。それこそが論理を深める最低条件じゃないのかな?」
自分の意見や一般論とは違う意見を考えることによって、論理にも深みが出る。
説得力ができる。
「ゆとり教育が行われたのは、詰め込み教育の反省だよ。勉強ばかりし過ぎてそれ以外のことができない。だから『総合』の教科を取り入れることによって『考える力』を手に入れる。それがゆとり教育ってやつだよ。それ自体は素晴らしいものだって思っている。考えることは大事だからね」
あと、ゆとり教育って休みがあって楽だよな、っていう意見はあるけど、俺の学校は休み減らされた。何故か逆に。
それから週休二日制っていいよな、土日休みなんだろって言われることもある。
けど、少なくとも俺の通っていた進学校は土日もあった。
毎日小テストがあったし、毎日束の宿題がでた。
塾にも行っていて、学校が終わったらすぐに行っていた。
土日に学校が休みだったとしても塾に行っていたから、実際には休みゼロだった。
正月だろうが夏休みだろうが休みはまったくなかったな。
逆に昔の人の方が羨ましい。
休みが1日でもあったのだから。
家に帰っても宿題ばかりで、勉強していない時間の方が稀少なぐらいだったな。
「ゆとり教育になって思考する時間が増加したことによって、価値観は多様化していると思う。だからこそ上の世代に批難されるような特徴があるからね」
「あれですか? 今の若者には根性が足りないとか、飲み会に参加しないとかですか?」
「そうだね。そういのって非効率過ぎるからね。科学で謎が解明されて無駄なことが浮き彫りになったり、スマホって言う最高の一人遊びが誕生したからな。SNSの普及も相まって、一人でいても楽しいから飲み会に参加する意味がないんだよな」
根性は大切だけど、根性で人が空を飛べるわけではない。
飲み会でコミュニケーションを取るのは大切だけど、同じ面子で何回もやっていたら会話が単調になって同じことの繰り返しになる。
先輩に何かを教えてもらうことが飲み会の意義なら、ネットでも情報を手に入れることができるし、知らない人と出会うことによってより情報を収集できる。
同じ面子よりも違う人とたくさん交流することによって、より多くの視点からの意見を手に入れることができる。
そういう利点を説明しても中々理解してもらえないことが多い。
多分、飲み会と言うのは建前できっと、マウントを取りたいだけなんだろうな。
上座がどこでビールを泡ただせずに注ぐ方法はなにか、とか知識で。
でも、俺達世代って情報化社会の申し子だからな。
下手したら俺の親世代より情報をインプットしていることもあって、結構飲み会とかでマウントとろうとする人に会うと辛い。
うわー、そうなんですねー、知らなかったですー、勉強になりましたー、とか口の端をヒクヒクさせながらおべっかを使うのは中々悲しいものがあるのだ。
「でも、上の世代もゆとり世代も『ゆとり教育』がどんなものかを勉強していない。その結果、失敗という結果だけしか言えない。つめこみ世代もゆとり世代も結局、全然勉強ができていないんだ。つめこみ世代は考える余裕がないほど授業が入っている。そして、ゆとり世代は勉強をしていないから、そもそも考える力がない」
「考えるためには勉強が必要ってことですか」
「まあ、そうだね。あくまでできない人はって話。できる人はどんな時代だろうとできるからね。俺の理想はゆとり教育をしつつ、自習ができるような環境を作ることかな」
筋トレしなきゃ筋肉という名の力がつかないように、頭のトレーニングをしなければ考える力がつかないからな。
学校でギチギチに授業やっても流れ作業になるだけだからな。
人によっては教科書の内容を、お経みたいに読むだけで終わる人だっているわけだし。
「勉強ってさ、俺にとって選択肢を増やす行為だと思うんだよね」
「選択肢を?」
「うん。たとえば、料理の知識がない人が水の分量を間違えて米を炊いたらそれで終わりだよね。でも知識がある人は、捨てるだけのはずだった米をチャーハンにすることができる。ほら、知識があるだけで、勉強するだけで道は開ける。だから勉強は大事なんだ」
勉強しない人は道を見つけることもできない。
たとえば、一教科だけじゃなく、全教科得意ならばどんな分野にも行ける。
文系だけでなく理系科目ができればよりどりみどりだ。
選択肢が増えれば増えるほど有利だ。
仮に一つの道が潰れても、もう一つの道を行けばいいだののだから。
夢破れて何もできなくなる。
燃え尽き症候群。
たった一回の失敗や成功で燻る人間を、俺は山ほど見てきた。
それを防ぐためにはどうすればいいか?
簡単なことだ。
たくさん夢を持つことだ。
一つだけじゃなく、色んな夢を持つことでどんどん成長できる。
どれだけ失敗しても次に挑戦することができる。
そのためにはたくさん勉強しなければならない。
いろんなことに首を突っ込んでいけばいいのだ。
「夢や目標がない人こそ、俺は勉強するべきだと思う。インプットがなければアウトプットもできないしね。勉強するうちに夢や目標ができるかもしれないしね」
夢や目標がない人は、もしかしたら何もしていない人かもしれない。
積極的に新しい物事に取り組んでいかなければ、自分が何者なのかも分からない。
自分の好きなこと苦手なこと。
得意なこと、苦手なこと。
それをいきなり言えと言われると案外難しいものだ。
履歴書の志望動機やら自己PRだってすぐには書けない。
だが、たくさん経験を積んでいると、実例がある分すぐに答えられる。
楽に答えを出すことができる。
何もないところからひねり出すのは難しいのだ。
だけど、一人じゃ壁にぶつかるかもしれない。
どうすればいいのか道に迷うことだってあるだろう。
だけど、そんな時、たった一言でいい。
誰かに相談することで道が分かることだってある。
だからこそ、人と関わるのは大事なんだ。
コミュニケーションは大事だというけれど、どうして大事なのかをみんな答えられない。
だが、その答えを出すためにこそ、俺はコミュニケーションが大事だと思う。
たくさんの人と会って、たくさんの場所に行って、そしてたくさんの答えを見つける。
そのために必要なものは何か?
勉強なんだ。
勉強しなければ道が閉ざされる。
どこにもいけない。
進路選ぶこともできない。
それじゃあだめなんだ。
自分のやりたいことをやるためには勉強が必要なんだ。
自分の言いたいことを言うためにだって勉強が必要だ。
語彙力がなくて、あれがね、えっと、あれでそれで、と自分の言いたいことも分からないような大人にいっぱい会ってきた。
勉強しないと自分さえも失ってしまうのだ。
「小城だってこの教育学部に入って教師になる門がこれだけ狭いって知っていたら、教育学部に入らないっていう選択肢を取っていた可能性が高いんじゃないのか? 勉強してもっと安定した職に就けるための大学に行っていたんじゃないのか?」
「そうですね……」
思案するように視線を落とした。
やっぱり、後悔しているんだろう。
そう思った。
だが、上げた顔は晴れやかだった。
「でも、私は良かったって思っています。大切だって思える人に会えましたから」
「うん。いい学部の友達に巡りあえたみたいだな」
「いや、そういうことじゃないんですけどね……」
「ん?」
じゃあ、どういうこと?
「ありがとうございます、勉強になりました!」
「そっか」
気の利いたいい答えだ。
思わず顔がほころぶ。
「でも教職をとるためには、実際に教壇に立って教えないといけないんですよね? 今から憂鬱なんですけど……」
「あー、確かに緊張するよなー。俺も教育実習やった時は緊張したしね」
「あっ、もう先輩教育実習やったんですか!?」
「ああ、もう四年生だしな。かなり大変だったし、勉強になったよ」
教育実習は原則的に母校でやることが多い。
だからリラックスできるかと思ったがそうでもなかった。
校舎が新しくなっていたし、なにより、生徒の小ささにびっくりした。
創業してから数年しか経っていないのに、幼すぎた。
言動とか態度とか。
俺もこんなだったのかなって。
想像と違い過ぎて緊張しまくったなあ。
とりあえず授業は成功したと思う。
長くやっている先生よりかは、俺の方が世代的には近い。
生徒が何に関心が合って、どういえば心をつかめるかっていうのは俺の方が分かる自負がある。
時折ジョークを交えながら、生徒の関係性をちょっとしか会話から見抜き、みんなが自由に発言できるように授業を誘導した。
こっちが教育実習生で、どんな冗談を言ってもすぐにどこかへ消えてしまう人だとみんな分かったみたいでからかわれることも多かったけど楽しかった。
「緊張したけど、教育実習をやる前にゼミの教授に聞いた方法で無事終わらせることができたな」
「え? そんなのあるんですか?」
「あるよ。簡単な方法なんだけど、一人で授業をやるんだよ」
「一人で……授業を?」
「そう。百円均一とかで購入したホワイトボードを黒板に見立てて、授業するんだよ。結構効果的だったな。あとは、大学の空き教室とかを予約して借りて、友達や教授に頼んで生徒役やってもらうとか、リハーサルすればいいんだよ。野球だって練習で素振りとか連中試合をするだろ? そういう感じで」
頭で分かっていても、実際にやるとなると違う。
だから、授業のリハーサルをやるのが一番手っ取り早く経験が積めるのだ。
小城が何やら考えるように首を傾げていると、
「先輩、今日ってゼミが終わってからバイトあります?」
「いや、ないけど」
「他にご予定は?」
「ないけど、どうしたんだ? どこか行きたいところでもあるのか?」
「はい!」
両手で拳を作って、元気よく答える。
「ぜひ、二人で一緒にカラオケに行きましょう!」
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