第49話 小城舞の苦手科目は教育学である(3)
「あの、聴き間違いですか? 先輩。うちの県で教師が採用されたのが0人っていうのは……」
「本当だよ。教授に資料見せてもらったから」
「は、ははは」
小城は渇いた笑いをしながら、立ちくらみしたように身体を揺らす。
大丈夫か?
と、声をかけようとしたら、バァン!! と元気よく机に両手をつく。
「詐欺じゃないですか!?」
「え?」
「酷くないですか!? なんで教育学部なんてものが存在しているんですか!? 誰もが教師になれると思って大学進学するんじゃないんですか!? 私に進路を勧めた高校の先生だって、その事実を知っていたんですよね!? ここに来れば教師になれると私教わったんです!! 大学のオープンキャンパスだってここの教授が、我が校は優秀な先生ばかりです。あなたもきっと先生になりますよ、とか言ってくれたんですけど!!」
「……お、おお。落ち着いてな」
ハアハア、と息切れするぐらい早口でまくしたてる。
やっぱり、ショックだったんだなあ。
でも、先生は先生で大変だと擁護してあげたい。
世間では聖職者といわれ、なんでもしてくれる存在だと崇められている。
でも、彼らだって人間だ。
校則違反であるスマホを没収したら、とられていてスマホができなかった分の電話代を請求される。生徒が怪我をしたので病院に連れていったら、病院代やタクシー代を請求される。
そんな事件がニュースに取り上げられるぐらい、世間は先生達に甘えている。
なにをしてもいいと思っている。
だけど、あの人達はあの人達でちゃんと感情がある。
ロボットじゃない。
両親は我が子だから愛情を持って接することができるけど、教師にとって生徒は他人だ。
だから血縁関係の家族のように接することなどできない。
家族としてではなく、ビジネスとしての関係性だ。
「学校の教師ってさ、どうすれば給料が上がると思う?」
「え? さ、さあ。いい教師なら給料上がるんじゃないですか?」
「そうだね。生徒の評価があればいいけど、なにより結果を残すことが大事だよね。教師が結果を残すのに必要なのは明確な数字だよね? つまり、学力のある大学への進学率とか、大学側だったらちゃんと定員まで生徒を引き入れることだよ」
「え? つまり?」
「自分の出世のために少なからず嘘――いや、おべっかや誇張した表現を言うのはそこまでおかしいことじゃないんじゃないのかな?」
「それって詐欺って言いません!?」
生徒がいなくなれば、学校そのものの経営がなりたたない。
そもそも詐欺だなんだって言い出したら、何もできないのだ。
よくテレビやなんかで、やらせだったり、詐欺だったりとかよく耳にするようになったけれど、嘘をつくのは当たり前だ。
だって、台本があるんだから。
あの人たちは台本通りに行動しなければ雇ってもらえない。
動画配信者だってシナリオライターがいるらしいし、その台本通りの言動を言っている時点で、それは嘘だ。フィクションで演じているだけだ。
それなのに、失礼な発言をしたらその発言した人が悪いみたいになっているけれど、責めるならシナリオライターの方じゃないのか。
画面越しだけじゃなく、現実世界だって嘘ばかりだ。
その服似合っていますねとか、その話面白いーね、私初めてぇー、とか相手に合わせることだって立派なコミュニケーション能力だといえる。
フィクションまみれの世界で器用に生きていくには、ある程度の嘘はむしろプラスになるはずだ――とか、そんなこと言えなくなってしまった。
「アハハ、ジョウダンだよ。センセイ達はみんないいヒト達だよ。ユメやキボウを持っているよ! キュウリョウだって一定で、そんなジョウケンなんてないよ!」
「なんでいきなりちょっとカタコトになっているですか? ま、まさか!?」
そのまさかです。
俺が熱弁している間に、ゼ、ゼミの教授がそこにいた。
柱の影に半身を隠して様子を窺っていたのだ。
ジロリ、と睨まれていることに気がついた俺は、迫真の演技でしっかりと誤魔化し切った。
小城も何やら勘付いて後ろを振り返ったようだが、やはりそこは経験を重ねている教授だ。絶妙のタイミングで柱に隠れたおかげで、小城には見つからなかった。
バッ、と再び俺の方に振り返るが、俺は視線を合わせない。
よし、これで教授が俺を視線だけで脅していたことは、小城にばれなかったはずだ!
長いものには巻かれるしかない。
大学という閉じた社会において、教授こそが法なのだ。
絶対に逆らえない。
少しでも気分を害したら単位を落とされる。
一つの単位を落とすことが、半年、一年の時間を棒にふるのと同価値なのだ。
実際、俺より遥かに頭がいい先輩が、単位を一つ、二つ取りこぼしたせいで留年した例を知っている。
追試とか、再試験をすれば単位を保障するなんて温情など期待しない方がいい。
大学は高校までと違って、そんな生易しい例外が認められる場所ではない。
大人に膝を屈するこの敗北感、憶えがある。
あれは、小さかった頃。
俺の通っていた学校には、教室にクーラーどころか扇風機さえもなかった。
室温が30℃とか40℃とか普通に超えているのにだ。
俺はクラスのみんなを代表して温度計を掲げながら、先生に抗議を申し立てた。
せめて扇風機をください、と。
だが、それは却下された。
みんな辛いのは一緒だからという陳腐な反論とともに。
だが俺達は知っていた。
先生達は授業が終わるとすぐに、異常なまでにクーラーの効いている教室に避難していることに。
辛い想いをしているのは生徒達だけで、先生はいい想いをしている。
そのことをぶつけたら、先生はせせら笑いながらこう答えた。
悔しかったら先生になってみろと――と。
あの時、俺は子どもながらに悟った。
これが大人なんだと。
子どもは大人に逆らえないんだと。
あの頃は、まだモンスターペアレントという単語がまだ世間に浸透する前だった。
ネットが普及していないせいで、俺達は悔しげに歯噛みすることしかできなかった。
あの時の俺は、あんな大人には絶対ならないと心に誓った。
だが、今の俺はどうだ?
確かにあんな大人にはなっていない。
だが、そんな大人に屈していることには変わらない。
でも、子どもの頃のように憤ることはなくなった。
慣れてしまったのだ。
泥にまみれることに。
子どもの頃のように純粋にはなれない。
でも、だからこそ、未だに無垢さの残っている小城が羨ましく思える。
理不尽なことを理不尽だと憤れる。
それは、とても尊いことなのかもしれない。
「ひどい! 大人って汚い!! どうして一言でいいから真実を言ってくれなかったんですかああ!! 誰も教えてくれなかったんですけど!!」
「大人って生き物は、本当に大切なことは教えてくれないからね」
「そんな名言風に言われても!! 先生って『先に生きている』って漢字で書くぐらいですから、ちゃんと導いてくださいよ!! おかしいですよ!! こんなの!!」
一応本気でフォローしておくと、教師の人達も悪気があったわけじゃないかもしれない。
自分達の時代は少子化じゃなかったのだ。
だからバンバン採用が決まっていたのかもしれない。
今の時代、どれだけ就職難なのか分かっていない。
だからアドバイスがズレていていもおかしくないのだ。
「まあ、話は最後まで聴いてくれよ、小城。あくまで今年の採用人数だから。去年はちゃんと採用されているから」
「ほ、ほんとですか!? 何人ですか!?」
「……二人ダヨ」
「す、少ない気がしますけど、0人よりかはましですね!! 希望が持てました!!」
「ちなみに、音楽と社会の先生だったなあ……」
「…………」
「…………小城って、担当教科の希望ある?」
「そうですね、できれば国語とか英語とかが良かったですね」
「そっか……。じゃあ、実質採用0と一緒だな」
「そうですね……」
重苦しい沈黙が二人の間を支配する。
どうしてこんな空気になってしまったんだろう。
俺はただありのまま現実を伝えただけなのに。
先生が教えてくれない真実を教えただけなのに。
「最低じゃないですか!! おかしくないですかあっ!! どこが安定した職業なんですか!? そもそも教師になれないじゃないですか!! 安定しているかどうかなんて関係ないですよね!?」
「そうやって世間的に人気だから、安定しなくなったかもね。今、先生になりたい人が多すぎるんじゃないのかな?」
「え?」
「不況のせいで昔よりか安定志向の人が多くなって、先生志望が増えていたとしても、今の現状は少子化だよね。学校が閉鎖されたり、学級の数が少なくなったりしている。そんな中、教師を採用しようにもできないんじゃないのかな?」
俺の通っていた学校も最初は5クラスあったのに、少子化の影響のせいか4クラスになったことがあった。
あれは悲しかったな。
少子化は誰にも止められない。
そもそも交際率だって低くなっているらしいし。
原因はゲームやネットの普及、進化によって現実に近づき過ぎた二次元の女の子が可愛過ぎるため、バーチャルな交際だけで満足してしまうとメディアで報道されることがあるが、あながち間違っていないかもしれない。
あまりにもリアルすぎるのだ。
ドット絵でゲームしていた世代なので、今の時代のクオリティには驚いている。
それに、お金の問題だってある。車を買う金だってないぐらい金銭的に問題のあるこの時代、少子化は避けられない。
つまり、教師の採用率が低くなるのも避けられないということだ。
「……私は何のためのこの学校に……。何のために教師に……。勉強あんまりできないのに……」
「ま、まあ俺の知り合いに偏差値50以下で教師になった人もいるから、学校の成績なんてあんまり関係ないよ」
「……え? それって逆にだめじゃないですか? 私が親だったら自分の子どもが自分よりも頭悪い先生に教えられているのを知ったら、その学校に通わせたくないんですけど?」
まあ、もっともな意見だな。
でも、学力と教える力は全く違う。
「金メダルと獲る選手のコーチって、必ず金メダルを獲った経験のあるコーチだと思う?」
「え? それは違うと思いますけど……」
「自分自身の能力と、他人に教える能力は必ずしも比例するわけじゃないって証明だよ。先生の学力が低いからといって、生徒に勉強を教えられないわけじゃない」
それに暴論だが、中途半端に頭のいい人が教師になるという説を唱える人だっている。まあ、成績がいい人は教師になるのではなく、研究職に就いたり、弁護士になったりする人が多いので、そういう説を唱える人がいるのだろう。
実際、俺がもしも世界で一番頭がいいぐらいの天才だったら、研究職に就いていたのかもしれない。できれば、まだ解かれていない数学の問題を解けばお金がもらえるという、ミレニアム懸賞問題に挑戦したい。
数字を見ると落ち着くし、難問を解いた時の快感は忘れられない。
あと、大学で考古学や民俗学について基本的なものに触れて興味を持ち始めたので、それについても研究したいな。
地域によって異なる風習は今でも根強く残っているが、それが分かりやすく反映されているのはお祭りだったりする。各地の変わった祭りを見て、昔はどういう環境だったのかを知るのは面白い。
それに、日本は八百万の神と言う考え方を持っているのが珍しく、宗教観は世界史を勉強する上でかなりのキーになってくる。日本と世界の違いを知ることで理解力を引き上げることができる。
それから、恐竜は実際立てなかった説とか、茶色とかの身体の色は勝手に決めているだけで確証はないとか、そういう時代考証もしたい。
「小城、安心していいよ。教師に絶対になれないわけじゃないし、正式に先生になれなくても教職に就くことはできる」
「……? ど、どういうことですか?」
「非常勤や、副担として先生になることはできるってことだよ。大学の教授だって、性格に言えば准教授だっている。准教授に教授って呼ぶのはかなり失礼にあたるし、人によっては怒る人がいるから、俺はどっちか分からない人には『先生』って呼んでいるね」
そのことを知らなくて、准教授に教授と呼んで露骨に機嫌が悪くなったこともあったな。
やっぱり、気にしている人は気にしているのだろう。
「ある程度経験を積んだり、結果を残せたりできれば、教師に正式採用されることだってある。もちろん、そうなる前は不安定な収入になるかもしれないけどね」
俺の中学時代、そこらの正規採用の教師よりも優秀な非常勤の先生がいたけど、その人は一年か二年ぐらいで正規雇用された。
そういう人みたいにうまくいけばいいけど、現実はきっともっと厳しいんだろうな。
「だから俺は予備校とか塾の講師をしようと思っているんだ。教師になるにしても正式に採用されるのは難しいだろうからってね。そういう教職に近い職業じゃなくても、先輩の中にはサラリーマンからちゃんとした教師になった人だっている。だから、別に教師になること自体が不可能っていうわけじゃないよ」
教員免許自体は、教育学部じゃなくとも必要な講義を履修するなどの条件を満たせば取得できる。
門外漢でも将来のために一応とっておくか、と思ってとれるぐらいには融通が利く。
それが教職だ。
会社員でいつも満員電車に揺られていることに飽き飽きして、教員になりたいと思う。
それだって、一つの選択だ。
それに、何の躓きもなく正式作用された教師は社会に出たことがないだろう。
学校を卒業して、それからまた学校に舞い戻っていく。
学校以外の社会的経験もなく、社会へ生徒を送りだすことしかできない。
それでお前はどこどこに就職した方がいいとか訳知り顔で生徒に解説する先生がいる。
そんなの、説得力に欠ける。
それよりかは、学校以外場所である程度経験を積んでから導く方がいい。
俺が家庭教師のアルバイトをやっているのも、色んな経験をしたいから――という理由もあるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます