第48話 小城舞の苦手科目は教育学である(2)

 小城舞は大学一年生。

 後輩と言っても同じサークルの先輩後輩という関係ではない。

 同じ学部の先輩後輩だ。

 ゼミの担当教授が一緒だということもあって、少し話すようになった。

 それでどうやら気に入られたようで、子犬のように俺の後ろに付き従うことが多くなった。

 大学だと知り合いが少ない俺としては、話し相手になってくれるだけでありがたい。

 大学はぼっちに厳しいからな。

 高校までだと班行動とか体育祭とかで無理やりグループを作られるから話し相手が必然的に存在することになるが、大学はそういう強制グループなどほとんどない。

 ゼミぐらいなものだろう。

 だから、一度ぼっちになった奴は、4年間ボッチになるのは珍しくない。

 大学中退する奴の原因の一つが、誰とも話せなくて寂しすぎる人だっているかもしれない。

 それぐらい独りになる可能性が孕んでいる。

 大学は情報戦が大事ということもある。

 どの講義の試験が簡単だとか、教授の講義内容の傾向とか先輩と仲良くなって教えてもらうことが意外に生命線なところだってあるのだ。

 俺は1年の頃焦って、テニサーに入ったことがある。

 テニサーといっても、テニスはたまにやるサークル。

 夏は海に行ってバーベキューをやって、冬はスキーをするためだけに北海道へ行ったりする。

 そんなお遊びサークルだ。

 結論から言うと地獄でした。

 ウェーイ、ウェーイと誇張抜きに常に言い続け、俺たち楽しいよねと何度も確認し合う喋り方が性に合わなかった。

 何をやるにしてもふざけて、講義をサボって単位取れてない俺スゲーでマウントをとろうとする人たちの集まりだった。

 みんなでワイワイ騒ぐのが苦手なんだと自己分析できたことだけは、あのサークルに感謝している。

 俺はたくさんの人とではなく、一部の人と仲良くする方が性に合っている。

 広く浅くではなく、狭く深くだ。

 もしくは、狭く浅くだな。

「しぇんぱい! お久しぶりですね!」

 空いている席もないので、二人同じテーブルで食べることにはなった。

 だが、とりあえず、喰うのか喋るのかどっちかにしてくれ。

「飯を喰いながら喋るのは止めてくれ。つゆがとぶ!」

「はひっ! すいましぇん!」

 とかいいながら、まだ食べているよ!

 しかも、カレーうどんをな!

 迷惑にもほどがあるだろ!

 服についてシミになったらどうするつもりだ!?

「ふー。先輩、今日はどうしたんですか!? 珍しいですね!」

 ようやく落ち着いたのか、箸をおいてくれる。

 どうやら相当お腹が空いていたようだな。

「今日はゼミなんだよね。四年生となると卒論があるから」

「ほへー。よく分からないんですけど、やっぱり時間かかるんですか?」

「まあ、ぶっちゃけ俺の場合はほとんど終わっているんだけど、教授が納得いってなくてな。もっと煮詰めていかないといけないってだけ。教授も本当はよしと、言いたいんだろうけど、まだ期限があるしな。ゼミも来なくていいと思うんだけど、それじゃあゼミの意味がないからって呼び出されているだけかな」

 そもそも卒論には答えなんてものがない。

 ダメだししようと思えばいくらでもダメ出しできるのだ。

 だから終わりが一切見えないのが辛いところだ。

 とりあえず、今日も他の人の卒論の進行状況を聴いて、内容の有り無しを話し合うだけで終わりそうだ。

 できることならゼミに参加したくないのだが、そうもいかない。

 他の講義ならサボっても大丈夫だが、ゼミをサボれば確実に留年することになる。

 卒論も出さなければ卒業できない。

 俺は俺で結構忙しいんだけどな。

「そっちは? 今日は何の講義があるんだ?」

「『教育学論』です。苦手なんですけどねー、あの講義」

「……なんで教育学部にいるんだよ」

 しかも一年生なら超基礎の講義しかしないはずだ。

 その講義ならレポートも簡単だったはずだし。

「教師になると収入的に安定感がありますからね。公務員でなりたい職業っていったら、教師しか思いつかなかったので、とりあえず教育学部になったって感じですかねー」

「まあ、そうだよなあ」

 教育学部の連中と話していると、大体みんなそういう回答が多い。

 夢を見るのではなく、現実的な意見が多い。

 教師になりたいのは、子どもの頃からの夢でしたという奴は意外に少数派なのだ。

 特に夢のない人間が教師になるイメージだ。

 俺もぶっちゃけそうだ。

 自分には何の才能もない。

 あるとすれば、誰かの才能を開花させる才能か。

 自分が現役時代苦労した勉強を誰かにちょっと教えるだけで、俺の数倍の速度で成績が伸びるのを見て最初は嫉妬したものだ。

 だが、どんどん楽しくなっていった。

 俺自身が勉強できるよりも、面白いように他人の成績が向上するのを見る方が楽しいと思えるようになった。

 だから、それを生かせる職業に就きたい。

「先輩は教師になるんですか?」

「教員免許はとるけど、教師になるとは限らないな。多くの生徒を指導するよりかは、個人の勉強を指導する方が好きだし。どうせだったら塾とか予備校の講師とかになりたいんだよな」

 どうせだったら、個人指導の塾がいいな。

 塾にも種類があって、学校の授業と形式がほぼ同じところだってあるからな。

「先生になると、生活指導もしないといけなくなるよね? 勉強だけを教えていたい。仮になるんだとしても、小中高じゃなくて大学の先生になりたいかな」

 中学高校は専門の教科の先生になるという選択肢がある。

 だが、小学高ともなると、全教科教えないといけない。

 小学生の先生は本当に尊敬する。

 小学生の頃の担任の先生が昔言っていた。

 自分はカナヅチだったが、25m泳げないと小学生の先生になれないから死ぬ気で泳ぎを練習したとかいうことを。

 本当だったら大変だよなあ。

「なんで大学なんですか?」

「だってあの人達教育者というよりかは、研究者だからね。態度悪い人多いよ。それでもやっていけるのは、頭がいいからだろうけど」

 大学はルールがキッチリしているわけではない。

 高校までは文部科学省とかに決められた授業内容をしなければならないが、大学はかなりフリーダムだ。

 遅刻する教授だっている。

 漫画やアニメなどを題材にした講義はあるし、一つの題材だけを半年永遠にやる講義だってある。

 10000円もする教科書を買わせておいて、講義で一切使わなかった時はブチ切れそうになったこともある。

 とまあ、かなり自由そうなので大学教授にはなりたい。

 だが、やはり高校までの先生と違って専門的な知識が物凄い気がする。

 少しでも授業内容をつつくと、とんでもなく長い反論が返ってくることもある。

「前に一度だけ教授と意見が合わなくて、講義内で言い争ったことがあるんだけどさ」

「い、言い争いって大丈夫だったんですか?」

「まあね。討論みたいな感じになったんだけど90分の講義丸々使っても議論が終わらなかったから、放課後2時間ぐらいずっと教授の部屋に二人きりでいつづけたことがあったなあって思い出したよ」

「それって、ずっと討論していたんですか?」

「まあね。お互い譲らなくてなあ。でも、楽しかったよ。教授も楽しんでいたし、その講義は『秀』だったから、別に本気で怒っていたわけじゃなかっただろうな」

 大学じゃなきゃ味わえない経験だったな、あれは。

 心の底から楽しかった。

 大学生は時間がたっぷりある。

 夏休みなんか2か月ぐらいある。

 小学生よりも下手したら暇だ。

 だからこそだろうか。

 教授だけじゃなく、他の生徒も余裕をもって接する人が多い。

 お喋りが明らかに多い。

 俺にとっては最高の環境だ。

 インプットとアウトプットは人間の根源的な欲求の一つ。

 しかも、高校までの浅い話ではない。

 大学までわざわざ勉強しにくるような連中だ。

 勉強が心の底から嫌いな奴は大学にまでこられない。

 だから、専門的な話し合いができる。

 それぞれの専門分野についてどっぷりと聞いたり話したりできるのは、もしかしたら大学だけかもしれない。

 この楽しさは大学生同士しか味わえない。

 そう考えると今の環境があまりにも特殊で尊いことが分かる。

「でも、結局は教師になるんですね!」

「ああー」

 こういう他愛ない会話も、じっくりお話することができる。

 というか、したい。

 そもそも、さっきから教師になること前提で話が進んでいる。

 そこから訂正していきたいな。

「……小城は知っている? うちの県で今年教員になれた人数?」

「え? 知らないですけど、数十人ぐらいいますよね? だって、うちの大学だけでも数十人卒業するんですから、数百人――といえなくても、五十人――は多いから、三十人ぐらいですか?」

「ゼロだよ」

「え?」

「うちの県で教員になれた数は、小中高と大学合わせて0人だよ」

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