第25話 秋月カレンの苦手科目は英語である(9)
「それじゃあ、復習しておいてね」
パン、と参考書を閉じる。
時間も時間だ。
そろそろ退散しよう。
カレンちゃんを教えている時、一番勉強の進みが速い気がする。
お世辞にもコミュニケーション能力があるとは言えないカレンちゃんで、才能がないなんて失礼なことを思っていたけれど……。
この真面目な授業態度は、他の人じゃまねできないことだ。
「あのっ!」
「ん?」
「…………いや、なんでもないです……」
「そう? じゃあ、お疲れ様」
「……はい」
苦虫を潰したような表情をしているけど、あまり踏み込まずに俺はカレンちゃんの部屋を出た。
勉強で分からないところがあるから訊きたかった――とか、そういう感じじゃなかったな。
もっとプライベートなことを話したそうだった。
それぐらい真剣に思えた。
まあ、言える時に言ってくれればいい。
「んん?」
部屋から出た先のリビングにいたのは、カレンちゃんの実のお姉さんである美鈴ちゃんだった。
艶やかな髪をおろしているだけで、全然印象が違う。
そう、大人っぽい。
というより、色っぽい。
火照っているような顔と、それから少し濡れた髪の毛のせいか、いつもよりも魅力的に見える。
なにより、服装が問題だ。
自宅にいるせいか、かなり隙だらけ。
スポーツブラにショーツ。
小さいへそが丸見えなんですけど!
エロすぎぃ!
牛乳をぐびぐび飲んでいるせいで、胸を反るような体勢になっている。
もう、もろ見えの範疇を超えている。
最早見せつけているようにさえ見えちゃう。
しかし……。
やっぱり、高校生っていいよなあ。
中学生ってやっぱり子どもっぽいけど、大学生の俺からすると高校生はまだ近い存在だ。
異性として見ちゃう――わけないかっ!
いや、ないよ!
大学生とか、俺が高校生の時おっさんじゃねぇか! とか失礼なこと思ってたから!
高校生と大学生じゃ、全然違う!
主に、少年院に入れられるか、ガチの牢屋に入れられるかの違いだってある!
「ご、ごめん!」
顔をそむける。
いくらなんでも長時間凝視しすぎた!
普段はこういうこと平気そうな美鈴ちゃんも、慌てて胸を隠すぐらいには凝視しちゃってた!
「いや、こっちこそ、ごめんなさい! 汗かいちゃったからお風呂入りたくなっちゃって。そうだね。先生このぐらいの時間にいつも帰ってるもんね。ごめん、貧相な身体みせちゃって」
「そんなことない!!」
「え?」
「男は大きな方がいいかもしれない! だけど、小さい方が好きな人だってこの世にはいるから!」
魂からの叫びだった。
大は小を兼ねるというけど、小さいものには小さいものにしかない魅力だってあるんだ。
「それに、美鈴ちゃんの身体は貧相なんかじゃなくて、綺麗なだけだよ!」
運動をしていることもあって引き締まっている。
無駄がない。
それに、胸のなさなら、うちの妹のまな板には全然及んでいない。
だから大丈夫!
「…………あのー」
あれ?
フォローしたつもりだったんけど、墓穴掘った?
美鈴ちゃんめちゃくちゃ赤くなっているけど。
なんかいらないこといっちゃった?
牛乳が口元から零れ落ちているせいで、頬を伝っているところとかやばすぎぃ!
見ているだけで犯罪者扱いされそうなんですけどお!!
「ごめんね、本当に! 帰るね。色々とお邪魔しました」
「あっ、先生!」
犯罪者扱いされる前に俺は逃げ出す!
何か言いだしそうだったけど、俺は美鈴ちゃんを置いてけぼりにする。
だけど、玄関を出てから呼び止められる。
「ま、待ってください」
あまりにも大きな声で呼ばれたので、弾かれるように振り返る。
美鈴ちゃんが追いかけてきたのかと思った。
でも、そこにいたのは違う人物だった。
いつもは気配を消しているけど、今は靴を適当に履いて玄関から出ていた。
距離はまあまあある。
でも縮めようとしない。
縮めるのが怖いかのように。
「…………カレンちゃん?」
「あの、その……」
「どうしたの? 忘れ物?」
「いえ、忘れ物じゃなくて、その、言っておきたいことが……」
「言っておきたいこと?」
「はい!」
カレンちゃんは、手のひらで拳を作る。
自らを鼓舞するために、力を込めているように見えた。
「あ、あ、あい、」
なにやらどもっている。
言いたいことがあるのに言えない。
そんな自分が悔しいのか、歯噛みしている。
見ているこっちが苦しくなる。
なんだろう。
何が言いたいんだろう。
「あいすっ――てぃるっ!」
瞬間。
時が、止まったような気がした。
なんで、いきなりそんなこというのか。
……いや、ああ、そうか、そういうことか。
ははーん。
完全に理解した。
曲りなりにも俺は他人に勉強を教えている家庭教師だ。
現代文で培った他人の心情を読み取る力を持ってしまえば、コミュ障のカレンちゃんが何を考えているのか手に取るようにわかる!
完璧だ!
「ありがとう!」
「えっ!?」
みなまで言わなくてもいい。
この少ない情報量でカレンちゃんの胸中を的中させていくのは、ある意味当然の帰結。
阿吽の呼吸だから。
俺達は家庭教師と教え子の関係。
むしろ、このぐらい察せられなくてどうするって話だ。
「さっきの英語の復習だよね!」
そう。
そうなのだ。
俺はカレンちゃんに『I still』は『まだ愛している』で覚えてねと、言ったばかり。
そのことを覚えていて、今実戦してみせたってところか!
やる気十分だな!
カレンちゃん、これは伸びるぞお!
「そうそういい感じ! そうやって英単語を覚えていけばいいよ!」
「あっ、いや、その……あの……」
「あれ? もしかして何か違った?」
「……いえ! そうです! その通りですよね!」
なんか、微妙に言い回しがおかしけど、まっ、いつものことか!
うん、カレンちゃんは喋るの苦手だしね!
「じゃあ、またねー」
「アハハハ、また」
心なしか、ハァー、と遠くの方でカレンちゃんが盛大な溜め息を溢しているような気がしたけど、夕焼けのせいでちゃんと見えなかった。
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