第17話 秋月カレンの苦手科目は英語である(1)

 タッタッタッ、と走る音が聴こえてくる。

 俺はランニング中の人の邪魔をしないようにと、道の隅へと移動する。

 だけど、その足音が途切れる。

 その人は俺を抜かなかった。

「あれ? 先生? 今日は早いんだね」

 俺の隣に並んで、走るのを止めた。

 学校指定のジャージ姿に、ポニーテール。

 運動が得意で快活な彼女にピッタリの見た目だ。

 この子はいつみても元気だから、こっちまで明るくなれる。

「あっ、奇遇だね、美鈴ちゃん。こんにちは」

「こんにちは! 先生もどう? 走る?」

 走る、か。

 いくら元気を分けてもらっても、そこまで若くはないかな。

「いやー、遠慮しておくかな。昨日は妹と一緒にプールで泳いでいたからくたくたで……」

 オフの日も家庭教師をやっていたのだ。

 しかも、肉体的疲労を持って。

 今日ぐらいは休みたかったが、そうもいっていられない。

 しっかり生徒に勉強を教えなきゃ。

 そう覚悟を持つのには理由があった。

 今日の生徒は一筋縄じゃないかないのだ。

 三島やコウは才能の塊みたいなものだった。

 苦手教科があっても、それを乗り越えていくためのやる気も感じた。

 だからこそ比較してしまう。

 自分が受け持っている生徒の中で、今日指導する生徒は最も才能がない生徒かもしれない。

 いや。

 より的確に言うならば、才能がなにと言うより、適性がないと言った方がいいだろうか。

「ええ、何言ってるの? 先生。そんなおっさん臭い台詞吐いちゃって」

「高校生と大学生じゃ体力が全然違うんだよ」

 実際、体力が無くなったように思える。

 体育の授業がないからか。

 それとも年齢のせいか。

 高校生と大学生じゃ雲泥の差だ。

 そのへんのところは、うら若き乙女に言ってもピンときていないようだ。

 ただでさえ水泳は陸上競技の何倍も疲れるからな。

 目的地である彼女の自宅まであと少しの距離しかないと分かっていても、そんな気力が湧いてこない。

「学校はどう?」

 またもやおっさんくさい台詞ができてしまったが、美鈴ちゃんは気にしていないようだった。

「ええ、まあ、普通かな。特に苦手科目はないし、友達とも普通に遊んでいるしね」

「そっか、良かった」

 美鈴ちゃんは、平均的になんでもできる。

 特にこれといって得意科目というものはないが、コミュニケーションという科目があれば彼女は学年主席だろう。

 普通に遊んでいると言ったが、美鈴ちゃんは友達の数が多く、クラスの人気者だ。

 男子にも平気で話しかけることができ、それでいて女子のやっかみがない。

 クラスにいる男女の架け橋的な存在で、大勢の人に囲まれているのを時折見かける。

 妹さんとは色んな意味で真反対。

 同じ姉妹とは思えない。

「美鈴ちゃんも偉いね。自主的に運動するなんて」

「趣味みたいなものだけどね。身体動かすの楽しいし!」

 へえ。

 俺も大学になってから運動不足だし、たまには美鈴ちゃんを見習って自主的に運動した方がいいのだろうか。

 そうだ。

 ちょっとばかり妹との仲が修復したから、またどこかに誘おうかな。

 あのプールだけは行かない方がいいだろうけど。

「そっか。でも、一人でやっていると辛くない?」

 勉強もそうだが、一人でやっているとどうしてもサボりたくなってしまう。

 俺が学生の頃は、深夜家にいても、メールやらビデオチャット等でお互いが勉強をしているかどうかを監視し合っていた。

 一人きりで勉強や運動を続けるのは並大抵のことじゃないのだ。

「えっ、一人じゃないけど」

「えっ、まさか」

 全く気がつかなかった。

 後ろを振り返ると、ビクッと驚く彼女。

 驚いたのはこっちだ。

 存在感なさすぎて、ずっと後ろからついてきたことに気がつかなかった。

 ジャージ姿っていうことは、美鈴ちゃんと一緒にランニングしていたんだろう。

 伏し目がちで、自分に自信がなく、友達は恐らく一人もいない。

 長い前髪はきっとわざとだろう。

 他人と話すことが苦手で、誰とも眼を合わせないためにそうしている気がする。

 人生経験を積んでいないせいか、かなり幼い。

 三島やコウより一つ上の先輩だというのに、見た目は小学生でも通じるぐらいに幼く見える。

「せんせぃ、こ、こんにちは」

 消え入るような声であいさつするのは、秋月カレン。

 彼女こそが、俺の担当する生徒の一人だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る