第16話 北島幸の苦手科目は体育である(10)
「コウ、どうしたんだよ?」
クラブを出てからも、コウは小走りのままだった。
いい加減疲れたので、コウの手首をとって止める。
「どうしたもなにも、ただ、改めてちょっと思い知っただけ……」
「……? なにを?」
「………………」
黙りこくってしまった。
よく分からないが、このまま家に帰ってもこの重たい空気を引きずるに違いない。
かなり深刻そうだ。
いつもならば余計な口を出さない。
秋の空のように移り変わりの早いわが妹の心の機微というものが理解できないので、放置することが多い。
そのせいで、最近疎遠になっているのかもしれない。
それを解消したいし、それに、今家にはいとこがいる。
俺達が険悪なムードだったら、家族じゃないあいつも大変だろう。
どうにかしてやらないとな。
「コウ、クレープ食べるか?」
目についたものをとりあえず言ってみる。
クレープ屋さんの屋台があった。
確か、クレープは好きだったはず。
これで機嫌直してくれないかな?
「た、食べ物とかにつられないし!!」
「いらないのか?」
「……いる」
クレープの美味しさには、さしものコウも陥落した。
というわけで、二人分のクレープを買ってやる。
俺は普段クレープなんか買わないから何がいいのかよく分からず、コウと一緒のチョコバナナクレープを注文した。
立ったまま食べるというのもしんどいので、近くにあったベンチに座る。
都合よく周りに人がいないので、ゆったりとクレープを食べる。
随分、久しぶりにクレープを食べるが美味しい。
屋台とかでしかクレープなんて食べない。
家で料理してもいいのだが、スイーツ系はあまり作らないな。
普通のご飯しか作ってやれていない。
たまには、妹のためにスイーツでも作ってやろうかな。
「ねえ、やっぱお兄ちゃんは、胸が大きい女の子の方が好き?」
「ごはっ!」
クレープを口にしていたせいで、出しそうだった。
いきなり何言いだすんだ。
「……別に」
「嘘つき! 絶対好きだよね! 目が泳ぎまくっているし!」
「いやいやいや」
確かにね。
確かに、胸がでかい方がいいかもしれない。
好きだよ。
そりゃあ、好きだよ。
だって、男の子だもん。
眼がそっちに吸い寄せられてしまうのはしかたない。
それは男に生まれてきたものとしての性。
誰だって母親の母乳を口にして育ったのだ。
そこに魅力を感じなかったら、逆にどうなんだって話になるじゃん?
とか、言ったら殴られそうだな。
それに、胸が大きいとか小さいとかが、女性の魅力のものさしになるわけじゃない。
「……好きになった人なら、胸の大小はどうでもよくなるんだよ。女の人だって、胸板が厚い人か、そうじゃないかって人なら、厚い人の方が好きなんじゃないの? でも、好きになる条件ってそういうところじゃないだろ。だから、コウもそこまで気にしなくていいと思うよ」
「そう、かな?」
「そうそう。というか、胸の大きさを気にしているのって、女性の方が多い気がするな。男子とそこまで胸の大きさ談義はしないよ。女性の方が胸の大きさについて語ることの方が多いって」
そりゃあ、三島のお母さんみたいな人が道端に歩いていたら、えっ、あの人大きくね? みたいな話題で、男子同士で盛り上がるけど、女子の方がコンプレックスがある分会話になりやすい。
女子は見た目にこだわりすぎている気がする。
男子は化粧とか鏡とかそんな見ていないせいで、女性よりかは容姿の話は少ないよなあ。
「は? 女子と胸の話しているの? お兄ちゃんは、ずっと?」
「いや、ずっとはしていないから! 俺が言いたいのはそういうことじゃなくて! 胸の大きさについて悩まなくなんていいってことだよ! 胸の大きさで女子の魅力の全てが決めるような男子、自分から願い下げすればいい話だろ! 可愛いコウだったら、引く手あまただろ? 胸の大きさなんて関係ないって言ってくれるようないい男子と仲良くすればいいんだよ!」
余計なことを言ったけど、ごまかしきれたか?
そろりと、コウの様子を窺う。
「可愛い……私が、可愛い、お兄ちゃんが私のこと……」
だが、心ここに非ずと言った様子で、俺が視界に入っていないようだった。
あれ?
もしかして話あんまり聴いていなかったのか?
「おい」
「ふぇ、なに!?」
夕日よりも顔が真っ赤になってるけど、大丈夫か?
「なあ、三島と喧嘩でもしているのか? 仲良いんじゃなかったのか?」
「べ、別に今でも仲はいいよ。というか、お兄ちゃんがそれを言うの? 喧嘩の原因分かっている?」
「えっ、それは、あんまり」
というか、ぜんぜん分かっていません。
「……はあ」
「なんだよ! こっちは心配しているんだぞ! なんだその諦めたような溜め息は!!」
まるで俺が原因みたいな思わせぶりな言い方は止めろ!
まったく、そうやって他人のせいにするのは良くないってーの。
俺が何をしたって言うんだ。
ちょっと三島にデレデレしただけだろ。
いや、相当悪いことしているか。
妹視点で兄が同級生に心惹かれていたら、マジキモイって感じになるか。
そうだな、俺が悪いな。
妹が他の男子に眼を奪われていたら、そいつの存在を消すことに尽力するだろうからな。
今度からは気をつけないと。
俺はロリコンじゃない、ロリコンじゃない。
「あっ、ついているよ」
頬を指さす。
クレープのクリームがついているのか。
子どもっぽくて恥ずかしいな。
「ああ……」
「右だよ、右」
「右?」
右側さっきから擦っているけど、クリームが見つからない。
「ああ、私から見て右!」
「えっ、と」
やばい。
どっちがどっちか分からなくなった。
「あっ……」
何かに気がついように、コウは硬直する。
え、なに?
どうした?
ズボンのチャック閉め忘れていたりする?
いや、していないな。
だったら、どうしたんだろう?
「ん? どうした?」
「ううん、私がとるね」
スーハー、スーハー、と何故か深呼吸をしている。
たかだがクレープのクリームをとろうとする挙動ではない。
ハンカチでぬぐい取るとかじゃなさそうだ。
だって、拳握っているもん。
力を溜めこんでいるんですけど、俺、なにされるんですかね? 今から。
フラフラしていた兄に、恨みを込めた一撃を浴びさせようとしているのかな?
コウは、ぶつぶつと。
ここでやらなきゃとられちゃう、だから……。
と、言いながら、目を瞑る。
頬を殴られると思った俺は仰け反り、衝撃に備えて片目を瞑る。
だけど、衝撃は衝撃でも、違う衝撃だった。
チュッ、と頬にキスをされた。
視界が真っ白になった。
何も考えられない。
雷にでもうたれたような衝撃をもらった。
「えっ……」
コウは首筋まで赤色になりながら叫ぶ。
「もったいないだけだから!」
「えっ……」
「クレープ! おいしかったし! そ、それだけだから!」
「ああ、うん」
首肯しておかないと、納得できないほどの圧を感じたのでなんとか言葉を絞り出す。
「よ、よし! 行くよ! おにいちゃん!」
顔が見られないように、コウは前へ小走りになる。
その姿が愛おしくて、俺は何も言わずについていってやる。
困るだろうから、さっきのキスも言及しないでおいてやる。
俺はロリコンなんかじゃない。
それは絶対に確かなことだ。
だけど。
きっと世界で一番シスコンだ。
良かった。
コウが先に歩いていくれて。
隣にいたら、俺だって困っていた。
顔を見られなくて良かった。
だって、妹にキスされて、にやけ面になってしまっていたから。
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